熔解、そして


(くそっ、間に合わない――)


 アークと世良を、混沌の闇の渦――波動の奔流に呑まれて行く。

 

 放った鎖、その手応えはある。

 来人は鎖を絞り上げるように引く。


「世良っ……!!」


 やがて、混沌の渦が晴れる。

 

 現れたのは――“黒”。


 アークの姿、褐色の肌と燃えるような赤髪。

 しかし、それだけではない。

 

 肌には輝く白銀の細い線が、まるで浸食するように走っている。

 髪にも同じ様に、白金色の線が混じっている。

 その色は――世良、幻想を象徴する様な、儚く薄い色だった。


「――間に合わなかった、か……」


 地に伏すアナがそう溢す。

 

 漆黒に交じり合う、僅かな白銀。

 それは紛れもなく、アークが世良を取り込んだ証だった。

 アークはゼノムの一部――“混沌の欠片”を喰らい、自らの力とした。

 混沌の欠片にはゼノムの『遺伝子』を内包した物。

 その力で、アークは自身と世良の魂の遺伝子を改変し、混ざり合わせて、再構築した。


 いくら世良が来人の力から生み出された幻想をベースとした存在であったとしても、それによってアークとの融合が阻害出来ていたとしても、そもそもの基盤である魂の遺伝子を改ざんされてしまえば、それも同じ事だ。

 アナやティル、他の神々の“アークとの融合の前に、世良を殺す”という目論見は、もう敵わない。

 

 融合を果たしたアークは、来人の鎖に貫かれて拘束されている。

 まだ最後のチャンスが有るかも知れない。


「――はああああああああッ!!!!」


 来人は力を振り絞る。

 なりふり構わない、全てを出し切る。

 来人の全身から、魂の底から溢れ出る波動が、眩い白い光となって現れ出て、世界を彩って行く。


 鎖に巻かれたままのアークは、にやりと口角を吊り上げて、


「……最ッ高だ」


 まるでなんの抵抗も存在しないみたいに、クッキーでも砕くみたいに、腕を開いて、鎖を砕き散らす。

 鎖は黒色に染まり、ボロボロと崩れ去る――『破壊』された。


 来人が振るう白い光を纏う三十字の剣。


(クソッ)

 

 しかし、その一振りもアークの片手で軽く受け止められる。

 一瞬の間の鍔迫り合い。


「どうした? 少しはマシになった様だが、お前の波動は色が薄すぎる。その程度じゃあ俺には届かねえよ。やっぱりお仲間を読んで、『完全体フルアームド』くらいは見せてくれねえと面白くねえぞ」

「うるせえ、お前なんか、俺が、僕が――殺してやる」


 来人の波動が不安定にブレる。

 神と人間と、二つの来人が主導権を奪い合う。


「それは不可能――っていうのはともかく、今俺が死ねば、お前の大切な世良も死ぬ」

「――ッ!?」

 

 弾かれる。

 そのまま何度も、何度も、互いに打ち合う。

 全力で、全身全霊で力を振るう来人に対して、アークはまるでゲームのチュートリアルでもしているみたいに、再び我が身へと帰って来た力を確かめる様に、来人を軽々といなして行く。


 力量差なんてレベルではない。存在としての、格が違う。

 それでも、アークの言う通り、来人が『憑依混沌・完全体カオスフォーム・フルアームド』をすれば、あるいは――いや、それも最早意味の無い事だろう。

 それに、そもそも来人の背中を押してく入れた三人の契約者たちは遥か後方でまだ戦っている。頼る事は出来ない。

 

 何度も、何度も、何度も――。

 来人は剣を振るう。その全てがアークに受けられ、弾かれ、いなされる。

 それでも、立ち上がり、剣を握る。


(――まだか、まだ――)


 来人は耐えれば、援軍が来ると思っていた。

 そういう打算あってこそ、来人は戦い続けていた。

 勿論、あわよくば倒してしまえば――とも思っていた。だが、実質的に来人一人ではアークを倒す事は不可能だ。

 でも、二人なら、三人なら。

 

 天界の神々は世良を殺そうとするだろう。

 それでも、頭数としては必要だ。まずは世良とアークを再分離しなくてはならない。

 その為には、アークを倒し切らなくてはならない。


 でも、誰も来ない。

 アークという、そして世良という分かりやすい標的。親玉が居るのに、誰もそこを目指して来ない。

 ――いや、来られないのだ。


 天界に揃った戦力、その全ては十二波動神たちによって、足止めされているのだ。

 誰一人として、眼前の敵を倒して、アークの元へと来られていない。

 アナも倒れ、ウルスもやられ、ライジンも。天界の最高戦力が、皆先手を打たれ無力化されてしまっている。


「ふぅん……。ま、そろそろ飽きたな」


 来人は耐え忍ぶ。

 それでも、そんな時間も長くは続かなかった。

 

 アークがそう呟けば、アークの手の中に一本の剣が現れる。

 それは光りすらも吸収する程の漆黒色の波動で練り合わされていて、その剣のある場所だけ、空間が切り取られたかの様。

 鍔の部分には“神々の紋章”の意匠が象られている。


 その剣が来人へと降り下ろされる。


(まずいっ……)


 これまでと違うパターンの攻撃に危機を察した来人は咄嗟に、自信の三十字の剣を横に構え、防御の体勢を取る。

 しかし、


「無駄だっての」

「なッ……!?」


 アークの漆黒の刃は、来人の剣の刀身をまるで豆腐の様に、何の抵抗も無く、するっとすり抜けて来る。

 違う。すり抜けたのではなく、斬られた。『破壊』された。

 薄く漆黒の刀身が通った場所だけが、存在を許されなかった。

 その細い刃に凝縮されたアークの波動は、万物を破壊し、無へと帰す。


 来人がそれに気づいた時には、既にその漆黒の刃は来人の剣の防御を抜けて、目前へと迫る。

 身体を捻って回避しようとするが、間に合わない。


(死ん――)


 しかし、その時だった。


「がっ……、がはっ……ぐ……」

 

 突如、アークが血を吐き出す。

 同時に、剣を握っていたアークの半身が熔解。まるで泥の様に崩れ始めた。


 そして、半身の崩れた部分から、白銀色の――、


「世良っ!!!」

 

 アークの内から現れた白銀、それは紛れもなく世良だった。

 底なし沼に呑まれる様に、アークの黒い泥の身体の内から、僅かに顔を覗かせている。


(まだ、まだ間に合う――)


 来人は確信した。

 アークと世良の融合は、まだ完全ではない。世良を助けられる。

 アークの身体に走る白銀色の線が、その証拠だ。

 完全に黒に呑まれていれば、そんな浸食起こらない。

 世良は、無意識下で抗っているのだ。


 焦って、来人は覗く世良へと手を伸ばした。


「ちっ……、させるかよ!!」


 アークは半身だけで、それに抗う。

 もう片方の腕を振るい、漆黒の波動はオーラとなって放たれ、来人の伸ばした手を阻む。

 その勢いで、来人は後方へと吹き飛ばされてしまった。


「くそっ、まだ――」

 

 もう一度、立ち上がろうとする。

 しかし、来人は世良に気を取られて、気付かなかった。

 

 もう一度立ち上がろうと、地に手を着こうとした時――、


 その手は、空を切った。


「……は?」


 来人の腕の肘から先が無かった。

 それは、世良へと伸ばした手。

 アークの漆黒の波動に触れた事で、『破壊』された。一瞬の間に、消し飛ばされた。


 右手握る剣は、刀身が半分の所で折られ、左腕は肘から先が無い。

 遅れて、痛みがやって来る。


「――――ッ!!!!」


 声にならない声を押し殺して、来人は右手の剣を取り落とし、左腕を抑える。

 傷口から、じわじわと黒い何かが浸食して来る。


(まずい、このままでは、全身に――)

 

 痛みと、そして浸食して来るアークの“黒”により、意識が朦朧としてきた。

 それでも、このまま倒れるわけには行かない。


 来人は膝を付いたまま、アークを睨みつける。

 アークは崩れ行く肉体の半身をもう片方の手で掬いあげ、まるで粘土細工でもするみたいに、元に戻そうとしている。


「クソッ。同調がまだ完全ではない、か――」


 アークはそう言って、来人を見下ろす。

 そして、アークの背景が揺らめき、黒い渦を巻き、空間が歪み、穴が空く。

 ゲートが開いた。


「待て! 逃げる気か!!」


 来人はそう言うが、来人自身限界だ。戦えない。

 アークは一笑して、


「ハッ。命拾いしたな。――また会おうぜ、“らいにい”」


 そう言って、煽る様に口角を上げる。


「お前、お前は――!!!!」


 来人は這う様に、アークへと――それでも、その手は届くことは無い。


 アークはゲートへとその身を溶かしながら、天界中に響き渡る声で、


「おい、十二波動神バカども。ここでの仕事は終わりだ、後は好きにしろ」


 そう言い残して、アークはゲートを潜って天界から消えて行った。

 その行先は、分からない。


「くそおおおおおおおおおー―!!」

 

 来人は落とした刀身が折れた剣を拾い上げ、感情のままに自信の左腕の傷口に突き立てる。

 左腕を侵食するアークの“黒”を、抉り取る。

 傷口から“黒”が取り除かれれば、次第に傷口の“隙間”からは鎖が伸びて来る。

 やがて、それは新たな腕を形作るだろう。


 アークが去ると同時に、天界にはうるさい程の静寂が訪れていた。

 先程まで戦っていた神々たちの気配も、そしてその中で響く戦闘の音色も、全てが無だ。

 忠臣たる十二波動神たちもまた、アークと共にこの戦場と化した天界を去ったのだ。


 荒廃した天界、王の間の有ったはずの場所。

 瓦礫に囲まれ、膝を付き、慟哭。


「世良……、世良……」

 

 来人の心の内には、世良の言葉が響いていた。


『たすけて、らいにい――』

 

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