地を歩く天使

「お帰りなさいませ、坊ちゃま。朝食の用意が出来てますわよ」

「ああ、ありがとうございます。でもイリスさん、さっきの……」

「申し訳ありませんわ。そういう指示を受けましたので」


 イリスはにこにこと笑って誤魔化す。

 

「それよりも、坊ちゃま。あのデブ……じゃありませんわ、旦那様から言伝を預かっておりますわ」


 普段のイリスはメイドらしい丁寧な口調だが、雇い主の来神に対してだけ偶に口が悪くなる。

 以前に来人が実はイリスが父の愛人では無いのかと疑っていた時にも、イリス本人曰く「あのデブは無い」とばっさりと切り捨てていた。

 きっとそれ程の信頼関係が有るのだろうと来人は納得していた。

 

「え、父さんから?」


 この狙ったようなタイミングで、嫌な予感しかしない。


「『神王になる来人の為に、家庭教師を雇っておいたよ。まだ若い神様だけど、その分来人と話が合うはずさ。明日には来てくれるはずだからよろしくね』との事ですわ」


 と、イリスが父来神からの言伝の内容を伝えてくれた。


「父さん、まるでこうなるのを分かってたみたいに……」

「あと、もう一つ。『あ、そうそう。来人が神の力に目覚めたって言ったら、テイテイもこっちに来るってさ』との事ですわ」

「え? テイテイ君が?」


 もう一人の親友、イェン・テイテイ。

 今は故郷の中国で暮らしているはずだ。

 

 秋斗が死んで以来、手紙のやり取りだけでもうずっと直接会っていない。

 機械音痴でスマートフォンどころか携帯電話すら持っていないテイテイとは、その後ずっと手紙でやり取りをしていた。


 ――テイテイ君に、会える。

 いつ来るんだろう、今から楽しみだ。

 

 神様だなんだの話よりも、それが来人にとって一番胸の高鳴る事だった。



 その後、来人は庭で日向ぼっこをしていたガーネの元へ来た。

 

「――それで、なんかいきなり家庭教師が来るらしいんだよ」


 そして、先程の一件――父からの言伝に関しての愚痴を聞いてもらっていた所だ。


「――まあ、ジンさんそういうテキトーなところ有るからネ」


 “ジンさん”とは来人の父来神の事、ライジンの後ろ半分を取ったのだろう。

 来人はらいたんだし、美海はみみたんと、ガーネは親しい人の呼び方が独特だ。


「ていうか、お前と話せてたのも今考えればおかしいな」

「今更だネ」


 自然と犬と会話するのが自分の特技だと受け入れていた来人だったが、そんな事は無い。

 普通は犬と会話出来ない。

 

「お前も神様なのか?」

「ちょっと違うネ。ネは“ガイア族”という代々神に仕える一族だネ」

「あー、ていうと天使みたいなもんか」

「大体合ってるネ。同族はみんな動物の姿に擬態してるネ」


 ガーネはうんうんと頷く。


 天野家で飼っていた犬は神の使いだったらしい。

 であれば、喋っているのもそうだし、昨日のあの刀を振るったり氷を操ったりと出来たのも納得だろう。

 

「ふぅん。なんかイメージと違うな」


 羽が生えてお尻丸出しでラッパを吹くみたいな、ふんわりとした天使のイメージとはかけ離れた実態だ。

 地を歩く天使、故に大地の一族――ガイア族。

 

「そうそう、イリスも同郷だネ」

「え? イリスって、メイドのイリスさん? お前と同じガイア族なの?」

「だネ」


 神様絡みだとは思っていたが、この犬とあの美人のメイドさんが同じ……?

 動物に擬態とは、人間も含まれているのだろうか。

 

 しかし考えてみれば、神に仕えるガイア族と、父の秘書だったイリス、確かに繋がる点は有る。

 という事は――、


「そうか、イリスさんが父さんに仕える天使なら、ガーネは僕に仕えてるって事か」

「だネ。ずっとらいたんが鬼に遭わない様に守っていたネ」


 ガーネがべったりとどこへ行くにも付いて来ていたのは、来人を守る為だったのだ。

 元々来神が当てがった犬なのだから、そういう役割を持っているのにも納得だ。

 

「そうだったのか。ありがとな」


 来人がガーネの頭を撫でてやれば、くすぐったそうに身悶えさせていた。


「これからもよろしくだネ」

「ああ、よろしくな、相棒」


 これからも――つまり、これからはその隣に立って、来人も鬼と戦う事になる。



 ピンポーン。

 翌日、天野家のチャイムが鳴らされた。


「はーい、今参りますわ」


 イリスがたったかと早足で玄関へ向かうのを横目に、来人は一人ソファに腰掛けて興味の無いテレビを流し見しながら、大きなパフェに舌鼓を打っていた。

 

 来人は大の甘党だ。

 偶にイリスに頼んでスイーツを作って貰い、大量の生クリームとフルーツを摂取するのが来人の楽しみだった。

 

 テレビで流れているニュース番組では女子高生社長の話題が取り上げられている。

 海外で掘り出された新資源を利用して、新たな事業を立ち上げたのだとか。

 

 そうしていると、後ろから声。


「ね、らいにぃ。一口ちょーだい」

 

 声の方を向けば義妹の世良せらの姿があった。

 

 銀色のさらさらとした髪と青く澄んだ瞳が印象的で、どこか儚さを感じさせる。

 来人とは似ても似つかない容姿で、大人しい性格の妹だ。

 まあ、血の繋がりが無いのだから容姿も性格も似ていなくて当然だ。

 

 昔、塞ぎ込んでいた来人に、父は友人代わりにと施設から一人の女の子を養子に貰って来た。

 それが今来人の顔を覗き込んでいる義妹、世良だった。

 

 かなり裕福な家庭だった天野家にとってそれは経済的負担にもならず、世良も来人と同じ様に蝶よ花よと可愛がられて、立派な天野家の一員となった。

 

 少し引っ込み思案で大人しい世良だったが、ガツガツと踏み込まない世良のその距離感が当時の傷心して引き籠っていた来人の心をゆっくりと溶かしていった。

 そう記憶している。

 

「はい、あーん」

「あむ。んぐんぐ……んふー」


 ちょっと意地悪をして山盛りのクリームとイチゴをスプーンで掬って世良の口へ運んでやれば、世良はそれを一口で全て口の中に納めてしまう。

 そんな無茶をしたものだから、リスの様に頬を膨らませていた。

 

 世良の好物も来人と同じく甘味と、後は唐揚げだ。

 と言っても、性別の違いもあるので来人と比べると随分と小食だが。


 そうしていると、玄関の方から足音と人の気配。

 イリスの足音とは別に、床を擦るスリッパの音がする。

 おそらく、先程のチャイムは宅配では無く客人だ。

 

「あ、お客さん来たよ。じゃ、頑張ってね、らいにぃ」

 

 ごくんと呑み込んで、満足気な世良はそう言い残して、そのまま銀色の髪を揺らして自分の部屋へと戻って行った。

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