犬とやら

@nekowanko

短編

 随分と昔になるけど犬を飼っていた。

 妹が連れてきてうちで飼うことになった犬で、随分長生きをした。


 犬は順位を決める動物だというが、多分家族の中ではわたしが最下位で、しかもその犬よりも下だったのではないか。 

 父や母や妹の言うことを聞いても、わたしの言うことを聞かない聞かない。


 わたしも今でこそ孫もいるおばあちゃんだ。そこそこ落ち着いて見える。

 けれど、そんな時代もあったのねえ、と序詞のつく若い頃は、飲んだり、歌ったり、踊ったり。気付けば終電のドアをゴールに高いヒールの靴で孤独な独走をしたりなどなど色々やらかしたものだった。


 就職してたし、自分のお金で遊ぶ分はいいではないですか。もちろん、家族もそれについてはとやかく言わない。だいたい、そこまで厳格な家庭ではなかったし。

 夜中に帰ってくるのはいい。ただ、わたしは就職してからもしばらく実家暮らしだったので、家族が寝ている時間に帰ってきている自覚は持て、と。ぐっすり眠っている家族の安眠の妨害をするようなことはくれぐれもするな、とは、言われた。


 要は静かに帰宅して、静かに自室に戻るがいい、ということ。わたしは暴れるタイプでもないし、もちろん、真夜中の期間時は、こっそり、ひっそりをモットーにしていたので、わたしの立てる音では家族には全く迷惑をかけてはいない。


 だが、門番がいた。

 飼い犬のコタロウだ。

 ちびの時に飼った。父親の名前が翔太郎。うちの二人目の男子家族なので、父の名前からタロウをもらって、コタロウと妹が名前をつけた。

 拾ってきたときは、確かにチビのちっこい可愛いヤツで、まさにコタロウがピッタリだったものの、雑種のその血筋のどこがに大型犬がいたのかあれよあれよと言う間に大きくなった。成犬になったコタロウは、コタロウどころか、タロウを通り越して、大タロウぐらいにはなっていた。毛もモフモフで、さらに体を大きく見せた。


 外飼いが珍しくなかった時代でもあり、コタは玄関脇の外に小屋をもらって、リードで繋がれていた。今考えてると、リードはあったものの、それでも郵便や宅配を配達せねばならない方々にとっては、脅威であったことだろう。

 今更申し訳なく思うが、番犬としてけっこうそういう飼い方をしていた家も多かった。そういう時代といえば時代の話。


 もちろん、吠える。

 知らない人には、ものすごい顔をして吠える。

 コタロウは立派な番犬に育った。


 それでも流石に家族にはいつも穏やかで、笑顔に見える可愛い顔を見せてくれてた。

 だが、なぜだか、どういうわけだか、わたしの深夜の帰宅には、ものすっごくお怒りになる。尋常じゃないくらい吠える。

 初めは寝ぼけているか、あるいは暗いからわたしだと気づかないのかと、小声で、コタ、おねえちゃんだよ、静かにして、と、家族の中でのわたしの呼び方で戻ってきたのがわたしであることをコタに伝えたのだが、そんなのわかっちょるわい、の勢いで、わたしが声をかけるとさらにガルガルわんわん。

 もちろん、翌朝怒られるのはコタロウではなくわたしである。

 父曰く。早く帰って来ないからコタロウが心配してるじゃないか。

 母曰く。コタちゃんがうちだけじゃなくて、ご近所中に、あんたが真夜中にならないと帰ってこないって知らせてるよ。若い娘さんがみっともないんじゃない?

 当時学生だった妹曰く。やーい、やーい。


 わたしの味方は皆無である。

 なので、たまに遅くなるときは、いかにコタロウをやり過ごすか、コタロウに気づかれないように玄関入り込むか、が、わたしの最大の使命となる。

 これが、なかなか、成功しない。

 気配を消して、足音を消しても、試しに靴を脱いで歩いてみても、わたしが犬小屋の側までくると、小屋の前で寝ていたコタロウがむくりとおきあがって、わん、わわん、と、吠える。

 なにやってたの?こんな時間まで。

 もっと早く帰って来なよ。

 そんな吠え方。

 だって、出歩くのが楽しいお年頃なんだもん。

 コタロウだって、もうその頃には老犬だし、日中だってうつらうつらしてるようになっていた。だからこそ、ましてや、真夜中、わたしのことを見張らずに眠っていたらよさそうなものなのに。

 

 それでも、そんな立派な番犬コタロウも茶色い毛が白くなり、足元もおぼつかなくなってくる。エサも食べない。そろそろ充分に生きたのではないか、と家族も覚悟した。

 それまで、外の玄関横がコタロウの定位置だったが、母が、居間に毛布を敷いてコタロウを寝かせた。少しでも家族の近くに居させたいと思ったのだろう。誰もコタロウを外に戻せとは言わなかった。


 その日は、家事の合間に母に可愛がってもらい、コタロウはそんな母を首をもたげてじっと見つめた。

 学校から帰ってきた妹に頭と身体を撫でてもらい、やはり妹をじっと見て、尻尾をパタパタと二、三度、力なくだけど振ったらしい。

 会社から帰って食事とお風呂を済ませた父は、ビールを片手にコタロウの横で胡座をかいた。コタロウが、父の足先に鼻を擦り寄せようとした、と、父は言っている。

 そうして、父と母と妹は、コタロウを撫でて眠りについた。


 名誉のために言っておく。当時わたしは毎日毎夜、遊び歩いていたわけではない。たまに早く帰って家族と夕飯を共にすることだってあった。ただ、たまたまその日、飲みの誘いが入って、日付が変わる前の帰宅に失敗してしまった。わたしは、ちょっとアルコールの匂いをさせながら真夜中になるべく静かに玄関の鍵をあけた。

 コタロウは居間で眠っている。耳も遠くなった。コタロウが騒ぎさえしなければ、わたしの帰宅時間なんてバレやない。そんなに遅くなかったことにしよう。そうすれば素行が悪い、若い娘がまた飲んだくれて、と両親に目くじらを立てられることもない。

 ふんふーん、と、小さな鼻歌混じりに家に入ると、ドアを開けた真ん前の玄関のたたきにまさかのコタロウ。

 コタ、あんたどうやってここに来たの、と、わたしが言うのと、コタロウが、わん、わわん、と吠えるのが同時だった。


 家族が、コタロウの声を聞いて、わらわらと玄関にやってくる。

 コタちゃん、なんで、玄関にいるの?

 コタ、大丈夫か?

 と、わたしの足元に、すでに横たわって荒い息をしているコタロウに両親は話しかける。

 妹は、立っているわたしを見て、おねえ、泣いてる?と、少し驚いたように言った。

 そう言われて、わたしは自分のほっぺを転がる涙を拭った。

 だって、今日のコタは、わん、わわん、の後に、きゅーん、って言ったんだもの。きゃーん、って。

 会いたかった、って言うみたいに。


 コタロウは間も無くその夜明けに息を引き取った。


 その日一日、はわたしはぐずぐず泣いて過ごした。家族の誰もが、コタロウ、コタロウと泣いた。母は朝食を作りながら泣き、家族で朝食を食べて泣いた。仕事に行っても、気が緩むと涙が出た。

 それからしばらくして、家族がコタロウないない暮らしに慣れて少し落ち着いてきた頃、家族でコタロウの話になった時に、わたしはその、キューンの話をした。

 コタロウは天国に行く前に家族みんなに挨拶がしたかったんだよ、と妹が言った。

 そして、わたしが知らなかったその日にコタロウが家族に見せた様子を話してくれた。 

 でも、もしかしたら、父の話だけはちょっと盛ってるかもしれないけど。でも、鼻を近づけたかどうかはともかく、父がそばにいてくれて、コタロウは父に挨拶ができたと思っただろう。

 あとは、家族の中でわたしだけがいない。帰って来ない。

 だから、コタロウは渾身の力を振り絞って、わたしに会うまでは頑張って生きていたんだよ、と妹は言う。

 最期のキューンは、おかえり、じゃなくて、よかった、って言ったのかもね。と、母が言った。お姉ちゃんが無事に帰ってきてよかった、ちゃんとお姉ちゃんにも会えてよかった、って。

 いや、と、父が口を挟む。こんなに待たせやがって、かもしれないぞ、と涙声で笑った。


 

 最近犬を亡くした知り合いがいて、本当に寂しくて、という話が出たので、ついわたしも、それはそれは昔の話なんだけど、実家で犬を飼っていてね、と、ついコタロウの思い出話をしてしまった。


 そうね、それは、コタロウちゃん、待っててくれたんだね、と、最近亡くなった自分の愛犬と重ねて、彼女はすん、と鼻を鳴らした。


 コタロウちゃんの後は犬は飼ってないの?と、続けて彼女が聞いてくる。

 飼ってないの。

 それからわたし、一人暮らし始めたでしょう?それで、結婚して、子育てがあって、って、なんか生活が忙しくて、犬を飼うなんて、思い付きもしなかった、と、ははは、と、わたしは笑った。


 あ、でも、その代わり、代わりって言うのも変か、まあ、動物を飼うって言う話の繋がりということで、わたしじゃないんだけと、いまは、娘がマンチカン飼ってるの。 

 そうそう。足の短い。

 たまにね、娘が孫と猫を連れて実家に帰ってくるじゃない?だから、その時用に猫のケージをうちに用意しちゃった。

 そんなわけを知らずにうちに来る人は、なんで、ここに空っぽのバカでかいケージが場所とってるんだ、って、ほんと、不思議よね。

 と、自分でもおかしくて、また笑う。

 ねえねえ、スクショもあるの。

 ケージの?

 いや、ケージのもあるけど、マンチカン。

 見て見て、と、スマホを写真アプリを開いて彼女に見せる。

 本当に可愛いの。

 でもね、ダンナにはすぐに慣れたのに、あたしにはなかなか懐かなくって。

 チュール?魔法のオヤツよね、アレ。知り合いがチュールをあげたらすぐに懐く教えてくれてさ。すぐ買って用意したわよ。

 うちに遊びにきたときに、もちろん早速あけたわよ。でもね、チュールは食べるんだけどね、食い逃げ。食べて心を許すとかじゃないの。食べ終わったら、また、ささっと、いなくなっちゃう。失礼でしょ?

 ようやくよ。

 その猫との縁も結構になるんだけどね、チュールもそうだけど、他の猫オヤツあげたりとか、娘や孫と一緒に構ったりして、ようやくようやく最近少しは慣れてきたかな、って。


 ほんと、家族の中でそんな態度とるのわたしに対してだけなのよ。バカにしてるわよね、と、憤慨した。


 すると、知り合いが真面目な顔で、あのね、あたし、オカルトとか好きなの、と、思いがけない自己紹介をしてくれる。

 だから、オカルト好きから言わせてもらうと、あなたのことまだコタロウちゃん心配してるんじゃないかな?

 このヒトちゃんとうちに帰ってくるかな、来れるかな、みたいに。

 それで、あなたの後ろで見守ってくれてるんじゃない?

 コタロウちゃんはあなたを守りたいだけで、猫ちゃんになにをする気ではないけれど、猫からしたら、犬じゃない?だから、怖くてあなたに近づけなかったのかも。

 それが、時間が経って、犬も襲って来ない、ってわかったし、怖くないかな、って、思えるようになったんじゃない、その猫ちゃん。


 え?そうなの?と、わたしは思ってもいなかった急な話な展開にびっくりする。その、あなた見える人とか?

 知り合いは済まなそうに笑って、違う違うと、手を振って見せた。

 ごめんね。ほんとーに、霊感0なの。ただのオカルト好き人間なの。

 なんか、今の話は、オカルト先からすると、こう言う解釈ができるね、って言うそれだけの話。

 なあんだ、想像なのね。

 ソウ、ソウなのね、と、彼女が言って、それがダジャレっぽくて二人で笑った。


 でも、もし、わたしの肩越しにおっきなモフ犬がいたら、そりゃあ、マンチカンは怖がるよね。

 でも、コタロウは優しい犬だから、大丈夫。

 そうね、マンチカンにもそろそろそれがわかったかな。

 もちろんわたしも見えないけどね。

 ただ、そう思うと、それが妙にお腹のどこかにストンと落ちて落ち着きがいい。

 心配症で面倒見のいいもふもふ犬め。

 わたしも、もういい大人すら過ぎてすっかりおばあちゃんだよ。

 コタロウ、いつまでも心配しすぎ。

 嬉しいような、ありがたいような気持ちで、自然に笑えて、ちょっと涙が滲んだりしちゃった。


 

 


 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


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