SF短編集

黒渕めがね

誤り耐性付き材料は、あいまいな輪郭線

ある日、私はプラスチックで出来た箱が家に届けられているのを見つけた。注文した記憶はなかったが、似たようなケースは頼んでいたので、誤って一緒に届いてしまったのだろう。大きさは、手のひらから少し飛び出るぐらいだ。

親の世代までは、配達が間違うことはなかったようだが、社会の発展期がすぎた衰退期では、誰でも何度かは経験することだ。統計学や産業の興亡の歴史などを総合的に考察することで、未来の経済がそれなりの精度で予測できる現代では、何十年も前から言われてきたことだ。自分も会社員なので、現在の衰退期は避けられなかったことや、数十年後には再び発展期に入るだろうという霞ヶ関や経済団体の予測は知っている。とはいえ、自分たちは貧乏くじを引かされたのではないかと思えて、モヤモヤする。

注文した品が届かなかった方には申し訳ないが、自分の荷物と一緒に貰ってしまおう。だいたい個人情報保護法によって、誰の荷物で、どのECサイトを使ったのかも分かりやしない。落とし物を10キロ先の警察署まで届ける体力と気力もなかった。私だって、頼んだPCが配達中に行方不明になり、届かなかったことがある。どうせ保険に入っているなら、そこに払わせればいいではないか。


その箱には取り扱い説明書はなく、表面に描かれたシンプルな絵で表現されていた。傷をつけたり、折り曲げたり、一部分を切り取ったり、炎であぶったりしても、必ず元に戻るらしい。そして描かれた全ての壊し方を試した結果、これが本当に自動修復機能を持っていることを確認した。傷を修復する時、まるで素材が生えてくるかのように傷が修復されるので、見ていて面白い。偶然手に入れたものだが、無限に眺めていられそうだ。

自動で傷が消えるということは、どこかで使ったエネルギーを補っているべきだ。私は温度計を押し当て、傷がついていない状態から、傷の修復が終わるまでの間、箱の温度を測った。予想された通り、修復の過程で使ったエネルギーを、外部のエネルギーを吸収して補おうとしたため、修復開始直後に最も温度が下がった。とはいえ、正直、温度計を使うまでもなかった。周囲からエネルギーが奪われ、箱の表面に結露が見えるほど温度が下がるのだから!


建築を仕事とする身としては、なんとか応用できないかと興奮したが、数分後には全く同じ原理で動くエアコンのカタログをネットで見ていた。オリジナリティのあるアイデアを思いつくことは、一生に一度だってないのだ。普通の一生を送るとは、きっとそういうことだ。世界には優秀な人が溢れていて、新しい発想はすぐに真似される。アイデアとは決してくじ引きの大当たりではなく、小さな進歩の総和だと再認識させられた。

同時にこの箱の正式な名前は、キタフ社のMark2で、自動修復以外の機能がないことも分かった。要は、技術オタクのおもちゃであり、完全に趣味の道具だ。値段も、少し大きめのコースターとして使うなら完全に予算オーバーで、同じ額で新品の冷蔵庫でも買った方がマシだろう。

修復後のエネルギーの補充は電気でも可能で、専用の充電コード(別売品)があれば、家庭用コンセントで十分だ。むしろ電気の方が、熱エネルギーを環境から集めるよりも、安定してエネルギーの補充ができそうだ。

形状も初期状態の箱形から、かなり自由に変形できる。それには、専用CAD (別売品)で設計図を作り、専用ケーブル(別売品)でその設計図を本体にアップロードし、専用の作業台(別売品)で加工しなければならない。果たしていくらかかるのか、想像したくない。しかし、正直に言えば心を惹かれた。


だが最も根本的な問題は、この自動修復機能でいったい何をするかだろう。意思や道具はあっても、ゴールがない人は多い。何よりも自分こそがその1人だ。色々考えた挙句、動き出さなかった自分の姿を想像して、ため息が出そうになるのを辛うじて抑えた。とにかく何でもいいから分かることを増やし、判断材料を増やすのが先だ。私は自動修復機能のカラクリを説明する基本理論が知りたいはずだ、と自分に言い聞かせた。


誤り訂正付き材料とは、素材の傷や変形を材料の「誤り」と捉えて検出し、それを自分で修復するテクノロジーである。情報科学における誤り訂正符号が、ビットの望まない反転を検出して修正するように、誤り訂正付き材料は、原子や分子の異常な配列や欠落などを自ら検出して修正する。これによって初期状態が自動で復元される。

誤り訂正のたとえには、数独がわかりやすいだろう。数独は、全81マスのうち一部の数字しかわからないのに、最後は全てのマスの数字が決定できる。数独のルールから、埋まっていないマスの数字が推理できるからだ。そして数独における数字がわからないマスは、誤り訂正付き材料における原子や分子の異常な配置や欠落に対応する。数独のルールを使い、空いているマスの数字を埋めていくように、材料ごとにあらかじめ決めた規則から、材料の変形や欠損を検出し、修復する。必要な物資とエネルギーが投入されれば、修復プロセスが自動で始まり、元の状態が再現される!


私は5分で見つけたメーカーの製品紹介を見ながら、テクノロジーのパワフルさに圧倒された。同時に、あまりにも上手くできた「セールストーク」に引っ張られて、たった10分読んだだけで分かったような気にさせられている自分が少し嫌だった。もう少しだけ良く調べれば、もっと分かったような気分が得られるはずなんだ。もう少しだけ考えれば…


情報科学における誤りとは、ただのビットの反転である。電圧の高低とか磁石の上下が、意図せず逆になってしまった、というだけのことだ。よって直すのも簡単だ。しかも誤り訂正符号で直せる誤りは、基本的には(1つのブロックで)1ビットまでで、それより多い誤りは直すことも、見つけることさえもできない。(もしくは大変だ。)

一方、誤り訂正付き素材では、そうはいかない。原子・分子の配列の変化やそれらの欠落は、10^23個のスケールで起こるため、修復する原子や分子の個数は、ビットの訂正とは比較にならないほど桁違いに多い。また原子や分子の位置は連続量のため、ビットを反転させるよりもきめ細かく修復プロセスを決めなければならない。

また自己修復の途中に現れる全ての中間状態は、その一つ前の状態から物理法則を一切破らずに実現できる状態でなくてはならない。例えば修復の過程で、中空から原子が現れるとか、エネルギーを加えていないのにエントロピーが減少するとか、そんなやばい中間状態や状態遷移が現れてはならない。

これも再び数独で例えるならば、解いている途中で、空いているマスの数字が決められない、もしくはどの数字も入れられない場面にあたる。または一つのマスに対して、複数の推理がそれぞれ別々の数字を入れよ、と結論づけてしまう場面にあたる。確かに数独のルールも守っていて、最終的な答えも正当なものであるかもしれないが、この出来の悪い問題は、途中から推理できなくなるため詰まってしまう。

誤り訂正符号とは違って、数独が複数の空いているマスに入る数字を決められるのは、消す数字を慎重に選んだからだ。この点、どんな壊れ方をするか予測できない自然環境で、自動修復を実現するアルゴリズムが見つかったことは驚異的にすら思えてくる。私は、ある数独の問題が解けるかを調べるには、群論?組み合わせ論?が必要なのかどうかすら知らないが、より高度で複雑なはずの物体の誤り訂正を運用できるほど安定化させる理論の威力に感心した。そして分かりもしないし、学びもしないのに憧れて、分野の歴史と有名人をダラダラとネットで調べる外野が私なのだ。


画面を凝視して考えを巡らせていた私は、突然の自己嫌悪にはっとして、机の上の時計を見た。もう1時ではないか。そして視線を滑らせて修復途中の箱を見ると、霜が降りて完全に凍っていることに気がついた。こんなにも強烈に熱を吸収するのかと驚いたのは一瞬で、氷のせいで机とピッタリくっつき、手で全く動かせなくなっていることに慌てた。部屋に机はこの一つしかなく、この狭い机で毎日食事するのに、こんな邪魔なものがあっては何も置けないではないか。

今度こそ私は、ため息をつき、パソコンなど机に並んだものをどかして、ドライヤーを探しに洗面所に行った。温風で氷を溶かして、机から剥がすためだ。早く台所に移動させて、床が結露でびちゃびちゃに濡れたり、凍結によって部屋が傷むのを避けたい。そしてコンロの火にかけてでも、修復に使ったエネルギーを補充し、通常状態に戻さなければ。少し値段はするが、電気でエネルギーが補充できるよう、専用の電源ケーブルだけは注文すると決めた。(電気をあまりに使うので、翌月の電気代を見て飛び上がった話は、また別の機会に。)

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