第46話 伝言と説得

 ルーフェスのことが分からなくなって、アンナは一人当てもなく街を彷徨い歩いていた。


 何故、彼は昨日何処に居たのかを頑なに教えてくれないのだろうか。


 何故、昨日あのような態度をとったのに、今日何事もなかったかのように親しげに接してくるのだろうか。


 どんなに考えても分かるはずもなかった。


 ただ一つだけ確かなことは、彼の態度に自分が傷付いているという事だけは、はっきりと分かった。


 少なからず良い関係が築けていたと思っていたのに、それは自分の独り善がりな勘違いだったのだと突き付けられたような気分になり、アンナは酷く悲しかった。


 負の思考から抜け出せずに、どす黒い感情がぐるぐる、ぐるぐると渦を巻き胸の内から消えてくれない。こんな事を考えるのは止めようと思っていても、昨日の見た、彼がリリィと呼んだ女性と親密そうに寄り添う光景が脳裏に浮かんでしまい、より一層アンナを苦しめるのだ。


 アンナは陰鬱な気分を少しでも晴らしたいと、街の中を流れ歩いた。


 時刻はいつの間にか夕刻で、家路を急ぐ人や、夕飯の買い物をする人などで、街は忙しなく動いており、その賑わいの一部となって、沈んでいた気持ちも喧騒の中に一緒に溶かしてしまいたかった。


 そして目的地も無く歩き回り、ふと、気付くといつの間にか、いつか彼と夕焼けを見た高台へと辿り着いていたのだった。


 顔を上げると、あの日と同じ美しい夕焼けがそこにはあった。


 けれど二人で夕焼けを見たあの日と違い今日は一人で眺めている。大好きなヴァーミリオンサンセットなのに、この景色を眺めても今は胸が痛くて仕方がない。


 アンナは、この美しい朱色の夕焼けを前に、一人涙を流したのだった。


「きっとこれが、彼のことを諦める丁度良い時機だったんだわ……。これ以上、彼に深く心を傾けてしまったら、私はきっと彼から離れられなかったから……」


 アンナは自分に言い聞かせる様に独りごちると、涙を拭いた。


 気持ちは未だ晴れないけれども、それでも弟が待っている家に帰らなくてはいけないのだ。


 アンナは、エヴァンの為だけを想って、重い足取りで家へと帰ったのだった。




「ただいま……」

「姉さんおかえり。遅かったね。」


 この時のアンナの様子を表すのならば、死んだ魚のような目という表現がまさにピッタリであった。


 帰宅した姉は一目見て、気落ちしているのが丸わかりであったのだが、そうであろうことは予測済みだったので、エヴァンはあえて何も言わなかった。


「ちょっと考え事をしながら歩いてたから遅くなってしまったわ。ごめんね、直ぐ夕飯の支度をするわ。」

「ううん、いいよ。俺がやるから姉さんは休んでて。疲れているでしょう?」


 エヴァンは気落ちしている姉を気遣って優しく言ってみたものの、アンナは「大丈夫だから。」と言って頑として譲らず、夕食の準備を始めたのだった。何かをしていないと、気が紛れないから。


(全然大丈夫そうには見えないんだけどね……)


 そんな姉の様子を心配げに見つめながら、エヴァンは少し躊躇った後に、昼間彼が家に来たことを告げたのだった。


「あのさ、姉さん。あの人来たよ。」


 これを言って姉がどんな反応をするかは正直予測できなかった。喜ぶのだろうか、それとも怒るのだろうか。


 しかし、アンナが見せた反応はそのどちらでも無かったのだ。


「……そうなんだ。」


 彼女は抑揚の無い声で小さく答えると、顔色を変えず黙々と夕食の準備を続けた。

 けれども、その心中は決して穏やかでは無かった。


(ルーフェスが家に来たって?一体何をしに?なんで?!)


 アンナは手を動かしながらも、内心は酷く狼狽えていた。


 自分の態度がおかしかったから心配して会いにきてくれたのだろうか。もしそうであったのならそれは嬉しいと思ってしまう。

 けれども、もしそうでなかったら。もっと別な悪い理由での訪問だったのではと考えると彼の訪問の理由が怖くて聞く事ができなかった。


 そんなアンナの様子を気にしつつも、エヴァンは昼間彼から頼まれた伝言を彼女に伝えた。そうする事が、姉の救いになると思ったからだ。


「あの人から伝言を預かってる。姉さんの誤解を解きたいから、明日の十五時にクライトゥール公爵家の庭師ジェフを訪ねて来てって。」


「何よ、それ……」


 思いもよらない言伝に、アンナは動揺した。誤解などあるのだろうか。昨日見た光景と、昨日どこに居たかルーフェスが答えられなかったことが全てではないのか。


「行かないわ。誤解なんて無いし、それにどのみち彼と関わる事が出来るのも後少ししか無かったのよ。ここで縁が切れるのが丁度良かったんだわ。」


 それらが全て本心という訳ではないが、意固地になって彼と会うことを拒絶してしまった。もし、再び彼と会って、彼の口からハッキリと拒絶されるのが怖かったのだ。


「……行って来なよ明日。だって姉さん今、とても酷い顔してるよ。」


 エヴァンはそう言ってアンナの顔を覗き込んだ。目の前に居る姉の痛々しい様子は、とてもじゃ無いが見ていられなかった。


 彼が知っているアンナは、ルーフェスの事を話すと、自然と笑みが零れてとても嬉しそうな顔をしていたのに、それが今は全くの真逆なのだ。

 

 その様子を見て、エヴァンは何だか面白くない気持ちになっていた。ルーフェスの事を真に嫌っているわけではないが、姉の心を掻き乱す彼に複雑な思いを抱かずにはいられなかった。


 けれども、今の姉の胸の痛みを取り除く事が出来るのもルーフェスしか居ないと認めているので、エヴァンは自分の気持ちを押し殺して、彼と会うようにアンナを説得したのだった。


「仮に誤解が何もなかったとしても、会って話を聞いて、ちゃんと自分の気持ちに整理をつけて来なよ。そうしなければ、姉さんは絶対にずっと後悔するよ。」


 エヴァンの言葉にアンナはハッと驚いて、弟を見返した。それから直ぐに嬉しいような困ったような顔をして、エヴァンの頭を優しく撫でたのだった。


「……まさか、弟に諭されるとは思っても見なかったわね。」

「俺だって成長してるんだよ。もうね、ただ姉さんに守られているだけじゃないからね。これからは、もっと頼ってよ。」


 エヴァンは照れ臭そうに彼女の手から逃れてそう言うと、辛そうな顔の姉を抱きしめたのだった。


 アンナは彼の突然な行動に一瞬驚いたが、直ぐに弟を抱き返すと、安心させる様にエヴァンの背中をさすった。


「ふふ、有難う。私の弟は頼もしいわね。」


 彼をぎゅっと抱きしめたままそう話すアンナの顔には、先程までの悲壮感は消えて笑顔が戻ってきていた。


「分かったわ、エヴァン。貴方の言う通り、明日ジェフって人を尋ねてみるわ。」


 そう言ってアンナは、エヴァンの肩に手を置いてゆっくりと身体を離すと、決心した様に前を見た。


 明日、彼の口から何が語られるのかは不安ではあったが、例えそれが、どんなに辛い結果になったとしても、全て受け入れて納得しようと心に決めたのだった。

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