第39話 四人の食卓
エミリアの言動にアンナは内心酷く動揺していたが、それを悟られぬように平然を装って、ルーフェスの前によそってきたスープの皿を差し出した。
「パンもあるけど、丸一日何も食べてないんだから、スープだけの方が良いかと思って。でも、パンも食べたかったら言ってね。直ぐとってくるから。」
「有難う。スープだけで大丈夫だよ。」
ルーフェスは皿を受け取ると、目の前に置かれたスープを嬉しそうに眺めた。それからスプーンで掬って口に運ぼうとしたのだが、自分が三人から注目されていることに気づいて、その手を一旦止めたのだった。
「えっと……。何か僕にありますか……?」
「気にしないで。スープを飲んだ貴方がどんな反応をするかに興味があるだけだから。」
あっけらかんと言うエミリアにルーフェスは戸惑った。
「そんなに見られると、気にしない……は、流石に無理な気が……」
「気にしない、気にしない。ほら、スープが冷めるわよ?」
この短時間で何となくエミリアという人物の性格を把握したルーフェスは、仕方なく注目を浴びながらスープを口に運んだ。
「美味しい。」
「本当?!良かった……」
固唾を飲んで見守っていたアンナはルーフェスが漏らした感想に、嬉しそうな顔をして胸を撫で下ろした。もし微妙な反応をされてたら、きっと立ち直れなかっただろう。
「姉さん、レパートリーは少ないけど、料理は美味しいんだよ。」
「一言多いわよエヴァン。素直に褒めなさいよ。」
「だって、一品だけ食べさせて、料理得意です風に見せるのは詐欺みたいなもんじゃないか……」
「エヴァン?!」
「確かに、エヴァンの言うことも一理あるわね。」
「エミリアまで?!」
「ふふふっ、面白いね。」
アンナは軽口を叩く弟を咎めるも、直ぐにエミリアからも揶揄されて納得がいかないといった顔をしたので、そんな三人の仲の良いやりとりに、思わずルーフェスも吹き出したのだった。
「もう、笑うところじゃないわ!」
「ごめん、ごめん。でも、作れる品数が少なくても、こんなに美味しい料理が作れるんなら、気にすることないと思うよ。」
「そ……そうかな?」
「そうだよ。アンナのスープはとても美味しいよ。」
一人揶揄われてご機嫌斜めだったアンナは、ルーフェスの言葉ですっかり機嫌が直った様で、彼女は少し頬を赤らめて嬉しそうな顔をしていた。
「……フォロー上手いね。」
そんな姉とルーフェスの様子を、よく言うよといった表情でエヴァンは眺めていた。
「本当、中々やるわね。」
対照的にエミリアは、彼のその機転の良さに感心している。
するとルーフェスは、自身の対応にそんな評価をくれたエヴァンとエミリアの二人に、にこりと笑って「本心だよ。」と告げたのだった。
「それにしても、こんなに楽しい食事は初めてだよ。基本いつも食事は一人で食べているから味気なくってね。温かいスープをこうしてみんなで食べるのはとても楽しいし、食事も美味しくなるね。」
「それってつまり、場の雰囲気補正がかかってるから美味しいって事なんじゃないの?」
「そうだね。相乗効果で何倍も美味しいね。」
エミリアがルーフェスに突っ込むも、彼はそつのない相槌を返してくる。
「……ねぇ、それ、どこまでが本心なの?」
「どこまでも本心だよ。」
エミリアが疑わしい物を見るような目で問うても、顔色を変えずにルーフェスは平然と答えたのだった。
(この男……中々食えないわね……)
ここまでの会話で、エミリアはある程度このルーフェスという男を把握できたような気がした。
「ねぇ、左手はやっぱりまだ動かせないの?」
アンナは、ルーフェスの食事を取る様子が気になって心配そうにそう訊ねた。彼は左手をだらんと下げたまま右手だけで食事を取っているのだ。
「うん。右腕はなんとか動かしてるけど、左腕は動かすと傷のところの皮膚が引っ張られるから痛くてまだ無理だね。」
そう言ってルーフェスは少しだけ困ったような顔を見せた。
「ねぇ、私は見てないんだけど、背中の傷ってそんなに酷いの?」
彼の動作のぎこちなさから、何となくは想像できてはいるが、エミリアは興味本位からそんな質問を投げかけたのだった。
「僕も自分では傷を見れてないけども……
まぁ、感触的に……かなり酷い?」
「かなりなんてもんじゃないわ。……物凄く酷い?」
「あれは物凄いでも形容が当てはまるような傷じゃないと思うけど……兎に角有り得ないくらい酷い?」
三者三様に回答するも、いずれも曖昧な表現で具体的な情報ではないので余計に分かりにくかったが、とにかくあり得ないくらいに物凄く酷い怪我である事だけは伝わった。
「よく分からないけど、何となくは分かったわ……。で、そんなんで貴方本当に帰れるの?」
「まぁ、なんとかするよ。それに家に帰れば、治療の当てがあるからね。」
それからルーフェスは最後に水を一口飲むと、ゆっくりと立ち上がったのだった。
「ご馳走様。とても美味しかったよ、有り難う。それじゃあ、僕はもう行くね。」
そう言って、彼が一人で出て行こうとするのでアンナは慌てて引き留めた。
「待って、本当に一人で大丈夫?やっぱり家まで付き添おうか?」
彼の状態はやはり、とても一人で歩けるようには見えなかったのだ。
「有難う、でも大丈夫だから。」
笑みを浮かべてやんわりとアンナの申し出を断ったが、そこにはどうしても知られたくない事があるといった強い拒絶が隠れていた。
「そう……。でもせめて、馬車乗り場までは送らせてね。」
アンナはそんな彼の意思を感じ取って、無理に付き添う事は諦めた。代わりに、家から近い所までの見送りを提案すると、ルーフェスは妥協案としてそれを承諾したのだった。
***
辻馬車の乗り場まではアンナの家からは五分もかからない距離だが、怪我をしているルーフェスを支えながらでは、辿り着くまでにその倍の時間がかかった。
夜も更けてきたこの時間に馬車に乗る人はあまり居ないので、乗り場の人出は疎らであった。
馬車の発車時刻まではまだ少し時間があったので、二人は端の方に座れる所を見つけると腰をかけて発車時刻まで少し会話をしたのだった。
「色々と有難う。医者の代金とか、その辺はエンシェントウルフの尻尾を換金したら僕の取り分から引いておいてくれないか。」
「そんなの気にしなくても良いから。」
アンナはそう言ってルーフェスの申し出を受け流したが、それでは彼が納得しなかった。
「いや、そういう訳にはいかないよ。だってアンナはまとまったお金が必要であの討伐依頼を受けたんだろう?治療費を払ってしまったら元も子もないんじゃないか?」
「それはそうなんだけど……」
確かにルーフェスの言う通りなので、アンナは一瞬言葉に詰まってしまった。
「……でも、元はと言えば私が無茶を言わなければ貴方が怪我をする事も無かったのよ。私の責任だから、だから治療費は私が持つわ。……一時的にはその、貴方の取り分から借りる事になるけど……必ず返すわ。」
「アンナ、そんなに責任を感じないで。僕が自分で手を貸すって承諾したんだから。お金の事も気にしないでよ。だって、元々そんなに余裕ないだろう?」
「でもっ……」
お互いに譲らず、決着がつきそうに無かったので、ルーフェスは何かを言いかけたアンナを手で制すると強制的に議論を中断させたのだった。
「この話はまた今度にしよう?馬車がもう出る。」
気がつくと辻馬車の発車時刻が迫っていた。
御者が出発の準備を整えているのが見えたので、ルーフェスはゆっくりと立ち上がると、アンナの方を振り返った。
「ありがとうアンナ。スープ美味しかったよ。また食べたいな。」
「いつでも来てくれていいのよ。」
「有難う。治ったらまた来るよ。」
そう言って彼は微笑むと、「じゃあ、またね」と言って馬車に乗り込んでいったのだった。
本当は怪我をしているルーフェスを一人で帰らせるのは心配で、アンナは家まで送り届けたかったのだが、頑なに彼がそれを拒むので、仕方なくここで、彼女は馬車が走り去るのを見送った。
そうして彼の乗った馬車の姿が小さくなり、見えなくなるまで見届けると、アンナは一人帰路についたのだった。
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