第38話 大切な人
パタン
アンナとエヴァン、それからエミリアの三人が談笑しながら食事をしていると、二階からドアが閉まる音が聞こえた。
不意に聞こえたその音に反応して三人が階段に目を向けると、ジェフから渡された服に着替えて新しいローブを被ったルーフェスが、ゆっくりと二階から降りてきたのだった。
「もう動けるの?!」
彼の姿にアンナは驚きを隠せなかった。あの傷の深さでは到底まだ歩けるものでは無いと思っていたからだ。
「うん。何とかね。凄くゆっくりだけど。流石、最上級の傷薬だけあるね。まだ痛いには痛いけれどもなんとか家までは帰れそうだよ。」
そうは言うものの、顔色もまだ悪く、動きもぎこちない。ルーフェスが相当無理をしているのは明らかだった。
そんなルーフェスの姿を見てアンナは彼を案ずる言葉をかけようとしたが、言葉に迷っている間に、アンナより先にエミリアが口を開いた。
「こんばんは!初めまして、私はエミリア。この子達の姉みたいなものよ。」
エミリアは人懐っこい笑顔で、初めて会うルーフェスに対しても物怖じせずに、元気よく挨拶をしたのだ。
ルーフェスは、突然現れたエミリアからの威勢の良い挨拶に少し戸惑った様ではあったが、彼女がアンナから話に聞いていた友人であると分かると、直ぐにいつもの笑みを作って挨拶を返した。
「初めましてエミリア、僕はルーフェス。貴女の事はアンナから聞いているよ。この前は劇のチケットありがとう、とても素晴らしい舞台だったよ。」
「そうでしょう、そうでしょう。もっと褒めても良いのよ。私も、貴方の事をアンナから聞いていたわ。」
「そうなんだ。何て言われてたのかは気になるね。」
「まぁ、悪く言われてたらこんな風に挨拶しないでしょ?」
「それもそうだね。」
「それにしてもそんなに急いで帰らないといけないものなの?貴方、見るからにまだ体調悪そうじゃない。もう一晩くらい泊まっていった方がいいんじゃないの?」
軽快に会話する二人のやり取りを、アンナはハラハラしながら見守っていた。エミリアが余計な事を言わないか心配だったが、どうやら杞憂に終わりそうな気配を感じたので、アンナは、二人のやり取りに加わってエミリアの発言に乗っかった。
「そうよ。まだ寝ていた方が良いわよ。うちはもう一晩でも、二晩でも居てもらって構わないから。だっていくらかマシになったと言ってもまだ痛いんでしょう?そんなに急いで帰らなくても……」
いくらなんでも帰るのが早過ぎると、エミリア同様アンナもルーフェスを引き留めた。
アンナは、もう少しだけ彼の側に居たいという気持ちもあったが、純粋に彼の身体が心配だったのだ。
けれどもルーフェスは、そんな二人の心遣いに申し訳ないといったような表情を浮かべて、丁寧に固辞したのだった。
「お気遣いありがとう。でも僕が帰らないと迷惑がかかってしまう人がいるから出来るだけ早く帰らないといけないんだ。それに、なるだけ人目にも付きたくないから、移動も夜のうちにしておきたいし。」
彼が家に戻らないと誰にどう迷惑がかかるのかとか、人目につきたくない理由はなんなのかとか、具体的な事は言わないその説明にスッキリと納得する事は出来なかったが、ルーフェスの目が真剣だったので、アンナはそれ以上は強く引き止めることは出来なかった。
「……分かったわ。けど、それならせめてスープだけでも飲んでいかない?貴方ずっと食事を摂ってないでしょう?」
これが、アンナがルーフェスを引き留める精一杯の声かけだった。
実際意識を取り戻してからも、殆ど寝ていたのでルーフェスは薬湯くらいしか口に入れてないのだ。
最後にまともに食事をしたのは昨日のエンシェントウルフ討伐に向かう前だったので、実に彼は丸一日以上何も食べていないことになる。
なのでルーフェスの目にも、食卓に並ぶ質素ながらも温かな食事はとても魅力的に映ったのだった。
「……そうだね、頂こうかな。」
「うん。用意するわね。」
自分が空腹であると自覚すると、流石にルーフェスも素直にアンナの誘いを受け入れたので、アンナはホッとした表情を見せて、食事の準備をしにキッチンへと向かった。
「貴方はここに座るといいわ。」
「あぁ、有難う。」
エミリアが自分の隣の空いてる椅子をひいて立ったままでいるルーフェスに座るように勧めると、彼はゆっくりと椅子に近づくいて、なるだけ上半身を揺らさない様、不自然な動作で時間をかけて腰を下ろしたのだった。
「……貴方そんなんで本当に一人で家まで帰るつもりなの?」
「……えぇ。そのつもりです。」
「……とても大丈夫そうには見えないんだけど……」
彼の無謀とも思える考えに呆れつつも、エミリアもそれ以上は口に出す事を止めて、話題を変えた。
「それにしても、冒険者の仕事ってやっぱり危険なのね……。前にアンナも大怪我を負ったことあったし……」
そう漏らすと、先程までとは打って変わった真面目な顔になって、エミリアはルーフェスに向き合った。
「アンナを庇ってくれて有難う。」
エミリアは、大切な親友を守ってくれた事について、深く頭を下げてお礼を述べたのだ。
「あっ、あ……有難う……ございます。」
そんなエミリアの姿を見て、今まで黙って二人のやりとりを見ていたエヴァンも、姉を救ってくれた事に対してきちんとお礼を言っていなかったことに気づいて、慌ててエミリアに倣ってルーフェスに頭を下げてお礼を述べたのだった。
「そんな、大袈裟だよ。」
二人の行動をルーフェスは笑って軽く受け流そうとしたが、しかしエミリアは真剣に言葉を続けた。
「大袈裟なんかじゃないわ。私たちはアンナの事をとても大切に思っていて、彼女が傷付くのが嫌なのよ。だからあの娘が無事でいてくれて、本当に貴方に感謝してるのよ。」
エミリアも、エヴァンも、黙ってじっとルーフェスを見つめている。この二人がどれだれアンナの事を大切に思っているかが、痛いほど伝わる。
「……アンナが傷付くのが嫌なのは、僕も同じですから。だからそんなに恐縮しないで。」
そう言ってルーフェスは笑ってみせた。
すると、その言葉を聞いたエミリアの目付きがまた変わったのだった。彼女はルーフェスの意味深な言い回し方に食い付いたのだ。
「あら?つまりそれって、貴方もアンナの事を大切に思ってるって事よね?」
「えっ?!……えぇ、まぁ……そうですね……」
いきなりの彼女の質問に、ルーフェスは一瞬固まるも、曖昧に肯定した。
「ねぇ、それってつまり……」
エミリアは、面白いものを見つけたような笑みを浮かべて、さらに突っ込んだ事を聞こうとしたが、しかしそれは温め直したスープを皿によそって戻ってきたアンナに咎められたのだった。
「エミリアっ!何を話しているの?!」
「何って、ただの世間話よ。」
エミリアは素知らぬ顔ではぐらかしたが、アンナは更に釘を刺す。
「エミリア、あまりルーフェスを困らせないでね。」
顔こそ笑っているが、アンナの目は全く笑っていなかった。
「分かった、分かった。悪かったわね。」
エミリアは揶揄うように彼女の肩をポンポンと叩いてアンナを宥めると、ニヤリと笑って彼女の耳元で「けど、どうやら脈はありそうよ」と、ルーフェスに聞こえぬように小さな声で囁いたのだった。
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