第33話 謝罪

 身体が熱く、不快な感覚でルーフェスは目を覚ました。


 目の前に広がる天井は見慣れない物だったが、とりあえずどこかの室内に寝かされているのだと把握し、自分は生きているのだと悟った。


 ぼんやりだった意識が段々覚醒してくると、背中に強烈な痛みを自覚する。


「うぅ……」


 余りの痛さに、彼は低い声で小さく呻いた。

 身体を動かそうにも、少し動くだけで激痛が走り、自分の身体なのにまともに動かす事が出来ないのだ。


「……ルーフェス?」


 名前を呼ばれて頭だけを動かして横を向くと、涙を浮かべて心配そうに覗き込むアンナと目が合ったのだった。


「ルーフェス!!気がついたのね、良かった……」

「アンナ……」


 彼女の姿に気付いたルーフェスが、苦痛に表情を歪めながらも起きあがろうとするので、アンナは慌てて彼を制止した。


「駄目よ!まだ無理に動かないでそのまま寝ていて。お医者様に言われたの、ルーフェスの傷は背中だから仰向けに寝かせて自重で止血してって。」


 そう言ってアンナは、彼の負担にならないようにゆっくりとルーフェスをベッドに押し戻した。


「……ここは……?」

「私の部屋。貴方のお家が分からないから、とりあえずうちに連れてきたの。」


 ルーフェスは頭を動かせる範囲で部屋の中を見渡すと、床に引かれたマットレスの上で身じろぐ寝起きの少年が目に止まった。


 昨夜、夜中にルーフェスの容態が急変するのを恐れて、この部屋の床で寝ると言い出したアンナを宥める為に、妥協案としてエヴァンは自身のベッドのマットレスを提供し、そこで一緒に眠ったのだ。


「その人、気がついたんだ。」


 アンナと同じ赤毛の少年は眠い目を擦りながら、起き上がった。初対面であるが、一目見てこの少年が話に聞いていたアンナの弟のエヴァンであるとルーフェスは理解した。


 しかし、断片的な情報だけでなんとなく自身の置かれている状況は想像出来るものの、見知らぬ場所で、初めて会う彼女の弟まで登場し、ルーフェスは困惑していた。


 何を言うべきか、何を聞くべきか、直ぐに言葉が出てこないでいると、するとアンナの方から声をかけたのだった。


「あのね、貴方は一晩家に帰ってない上にまだ動けないと思うから、この怪我のことを誰か知らせたい人が居るのなら、弟に伝言を届けさせるけど、どうかしら。」


 これは、昨夜エヴァンと話して決めた事だった。別にアンナ自身が伝言役を務めても良かったのだが、なるべくならルーフェスの側に居たいアンナと、アンナを休ませたいエヴァンの思惑が合致して、エヴァンの方から伝言役を買って出ていたのだ。


「……居る……」


 息を吐く度に背中に痛みが走る為、短い言葉を紡ぐのがやっとだったが、ルーフェスは小さな声で途切れ途切れになりながらも、望む用件を二人に伝えた。


「クライトゥール公爵家の……庭師のジェフに……僕が……怪我をして……動けないこと……伝えて欲しい……」

「公爵家へ行けば、そのジェフという人に会えるのかしら?」

「うん……」

「ジェフという庭師は、貴方の身内なの?」

「身内……そうだな。僕の……師匠かな。」


 天井を見つめたまま、ルーフェスは時折顔を歪めながらも途切れ途切れにそう呟いた。


「伝言はそれだけでいい?」


 エヴァンはベッドに横たわるルーフェスを上から覗き込んで、他に伝え忘れは無いかと最終確認をした。


 するとルーフェスが小さく「うん……」と答えたので、エヴァンは「分かった」とだけ言ってアンナの方を見た。


「伝言、早い方がいいだろうし早速行ってくるよ。」

「有難うエヴァン。よろしくね。」

「うん、これくらい任せて。」


 そう言ってエヴァンは右手を上げて手を振りながら、「行ってきます」と部屋を出て行ったのだった。


 パタンッ と扉が閉まる音がすると、部屋にはアンナとルーフェスの二人だけになってしまった。



 アンナは改めてルーフェスの様子を見るも、怪我の痛みから、彼の表情は険しいままなので、言葉をかけることに戸惑って何も言えないでいた。


 その為、部屋には静寂が続く。


 暫くの沈黙の後、先に口を開いたのはルーフェスの方だった。


「……痛み止めがあったら、飲ませてくれないか……」


 アンナは、その要望にハッとした。苦痛に耐えている姿を目の前で見ているのに、求めれるまで痛み止めの存在を忘れていたのだ。


「ごめんなさい、直ぐに気づかなくて!!お医者様から貰っているわ。」


 そう言って、慌てて昨日処方して貰った少し強力な痛み止めを取り出した。


「ルーフェス、少し身体を起こせる?」


 彼女に言われて、ルーフェスはゆっくりと上体を起こした。

 途中、背中に強い痛みを感じて顔を歪めもしたが、アンナが献身的に彼の半身を支えて少しでも楽になるようにと上体を起こすのを手伝ったお陰で、なんとかルーフェスは自力で座位を保つことが出来た。


「はい、これを飲んで。」


 そう言って差し出された薬と水の入ったコップをアンナから受け取ると、ルーフェスはそれを一気に飲み干した。


「有難う……」


 ルーフェスは礼を言うと空になったコップをアンナに返した。

 その表情は幾分か穏やかになっているように感じられたが、そんなに直ぐに効く薬ではない事はアンナも分かっている。

 だからそれが、彼が自分を安心させる為に無理をしているのだと察して、アンナは堪らなくなったのだった。


 お礼なんて言われる筋合いは自分にはない。彼にこのような大怪我を負わせてしまったのは、自分のせいなのだから……。そう自分を責めていた。


「ルーフェス……」


 アンナは気がつくと彼の肩に顔を埋めて、縋りついていた。


「ごめんなさい……」


 今まで堪えていた涙を、もう堪えることが出来なかった。


「ごめんなさい、本当にごめんなさい!」


 アンナは泣きじゃくりながら、何度も謝罪を続けた。


「アンナ……」


 そんな彼女の様子に戸惑い、ルーフェスは彼女の名前を呼ぶことしか出来ないでいた。


「良かった……。本当によかったわ……意識を取り戻してくれて、こうしてまた、おしゃべりができて……ルーフェスが、生きてて良かった……」

「ごめんね……心配かけたね……」

「なんで貴方が謝るの、謝らなきゃ行けないのは私の方よ、こんな危険な事に貴方を巻き込んだんだから……」


 涙を流し続ける彼女を宥めようと、ルーフェスはかろうじで動かせる右手でアンナの背中をさすって、優しく声をかけた。


「大丈夫だから……泣かないで……」


 背中に当てられた彼の手が与える温もりが、アンナを落ち着かせた。


(温かい……)


 それは、ちゃんと生きている人の体温であった。


(あぁ、彼が無事で本当に良かった……)


 ルーフェスの無事をその体温から実感して、アンナはやっと落ち着きを取り戻したのだった。


 しかし、冷静になった事で、今の自分がルーフェスに抱きつく形で泣いているという状況に気付いてしまい、彼女は再び動揺する羽目になった。


 もしかすると、自分は物凄く大胆な行動をしてしまったのではないか。


 そうと気づくと、アンナは恥ずかしさで身体が熱くなったのだった。


 けれども、身体が熱いのはアンナだけではなかった。くっついているから彼の体温も伝わってくる。ルーフェスの身体も熱を帯びているのが分かったのだ。


 そう、文字通り。


「ルーフェス、身体が熱いわ。貴方発熱してるんじゃない!?」


 アンナは慌ててルーフェスから少し離れると、彼の顔を覗き込んで、その調子を確認した。


 見ると、彼の頬は赤みを帯びているし、目も潤んでいる。それは、明らかに熱があるように見えるのだ。


「……発熱……してる感じはするね……。背中の傷が化膿したかも……」


 アンナは、ルーフェスの額に手を当てて確認すると、それは確信になった。


「大変!待ってて、熱冷ましの薬湯を作ってくるわ。」


 そう言うとルーフェスを再びベッドに寝かせてから、アンナは急いで部屋を出ていったのだった。



 部屋から出てドアを閉めると、アンナは両手で火照った顔を覆いながらその場にしゃがみ込んでいた。


(さっきの何?さっきの何?!なんで私あそこで抱きついちゃったの!!)


 あまりの恥ずかしさに、アンナは一人で悶絶していた。完全に無意識だったのだ。


(一体どう思われただろうか……どうしよう、次どんな顔をすればいいの?何事も無かったかのようにしていいの?!)


 羞恥心を打ち消そうと頭の中で自問自答を繰り返してみても、その動揺は中々鎮まりそうになかった。いや、むしろ広がっていくのだ。


(でも……)

(拒絶されなかったよね……?)


 アンナは先程ルーフェスに泣き付いてしまった事を思い返していた。

 不快であったのならば、振り払う事も出来たであろうに、彼はそのような態度を取らずに背中をさすってくれたのだ。


 それに気付くと先程感じた彼の体温が何度も何度も思い返されて、アンナは暫く動けずにその場にうずくまったのだった。

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