第10話 弟の不安
「確かに、その彼の言う通りだと思うの。アンナ、貴女は働き過ぎなのよ。普通一週間に一回は休みを取るものよ。」
「そうだよ、姉さんは働き過ぎなんだよ、もっとちゃんと休んで欲しいよ。」
家に帰るといつものようにエミリアが遊びに来ていたので、アンナはエヴァンとエミリアの二人と食卓を囲んでいたのだが、その中で今日ギルドでルーフェスに言われた事を二人にも話してみたら、その結果、先の発言のように二人からも自分は働きすぎだと詰め寄られてしまったのだった。
二人があまりにも厳しい顔で真剣に訴えかけるので、アンナは思わずたじろいでしまった。
「わ……わかったわ……。とりあえず明日はギルドの仕事はしないから……」
アンナは二人に気圧されて明日は仕事をしないということを約束してみせると、常日頃から全く休みを取らないアンナを心配していたエヴァンとエミリアは、「うん。それがいいよ。」と言って、ホッとしたような笑みを見せたのだった。
(二人とも私の事を本当に心配してくれているのよね……)
アンナは複雑な思いで、そんな二人の様子を眺めた。
自分の身を気遣ってくれるのは、正直嬉しく思っている。けれども、そんな二人を安心させられる様な行動を中々取ることが出来ない自分が不甲斐なく、心苦しかったのだ。
「しかし、彼も粋な事をするわねぇ。」
アンナ休みを取らない問題が一応落ち着きを見せると、今度はエミリアはそう言ってニヤニヤしながらアンナを突っついたのだ。
エミリアは先ほどアンナから聞いた、ルーフェスとのギルドでのやり取りをもっと掘り下げようとしているのだ。
「何??なんの話よ?」
「だって、アンナに休息を取らせるためにわざわざデートに誘ってくれたんでしょう?いいじゃないの、素敵だわ!」
「デートって、そんなんじゃないわよ。」
エミリアの突飛な発言をアンナは苦笑しながら否定した。また、何でも恋愛に絡めて考える彼女の悪い癖が出たなと思い、まともに取り合わなかったのだ。
「えっそうなの?姉さん明日デートなの?」
けれども、エミリアに釣られてエヴァンまでもがそんな事を言い出したので、話がおかしな方向に転がりそうにならぬよう、アンナは冷静にもう一度否定したのだった。
「違うわよ。」
しかし、それでもエミリアは止まらなかった。
「そうだわ、貴女明日はあれ着ていきなさいよ。一着だけワンピース持ってたわよね?」
「持ってるけど……」
「髪型も変えると良いわ。普段とは違う姿を見せなくっちゃ。」
「だからエミリア、そういうのじゃなくって……」
長い付き合いだから分かる。こうなってしまうと、もはやエミリアは聞く耳を持ってくれないのだ。アンナは溜息を吐くと、訂正するのを諦めて一人張り切る彼女に従う事にしたのだった。
いつも動きやすいシャツにスラックス、それに革製の胸当てと腰当てを身に纏って、髪型も邪魔にならないように高い位置で一つに結んでいるだけだったので、アンナは着飾る事には興味がないように思われていたのだが、しかしそれは単に、今までお洒落を楽しむ余裕も場面も無かったからであり、今こうしてエミリアに服装や髪型を見立ててもらう事自体は、実はまんざらでもなかったのだ。
「アンナ、貴女編み込みは出来る?」
「えぇっと、やった事ないわ。」
「じゃあ教えてあげるから、明日すると良いわ。」
なんだかんだで、アンナはエミリアと楽しそうに髪型のアレンジを試行していた。
これがデートだとは全く思っていないが、折角の剣を帯同しない外出なのならば、どうせなら少しいつもと違う格好をしてみたいというささやかな彼女の願望が現れたのだった。
エヴァンは、そんな楽しそうな様子の二人のやり取りを横で一人冷静に見守っていたが、段々と浮かれていく姉の様子に不安を覚えて、眉間に皺を寄せると彼女に注意を呼びかけた。勢いづく二人を制止するのは、いつも彼の役目なのだ。
「姉さん、羽を伸ばすのは必要だと思ってる。けれども、三ヶ月後には男爵位を引き継ぐって事、忘れてないよね?」
だからその平民とはあんまり親しくならない方が良いのではないか。そう言おうとした所で、エヴァンは頭をペシッと叩かれたのだった。
「もー、この子は!アンナのこと心配なのは分かるけども、楽しいことの前に水を差さないの!!」
エミリアが真面目な顔でエヴァンを見つめると、逆に彼の言動を諌めたのだった。
「……はい、ごめんなさい……」
突然の頭を叩かれたことに一瞬驚いて戸惑ったが、エミリアに注意をされて彼は素直に謝った。
エヴァンはアンナを嫌な気持ちにさせたい訳ではなく、むしろ彼女には常に笑っていて欲しいと思っているので、エミリアの言う通り、いささか不安ではあったが、余計な言葉はそのまま引っ込めることにしたのだ。
けれどもそんなエヴァンの様子を見て、アンナは弟が男爵位を本当に取り戻せるかどうかで不安になっていると勘違いをし、彼の不安を少しでも払拭させようと、アンナは弟の事を優しく見つめてながら
「エヴァン、貴方は何も心配しなくて大丈夫よ。きっと無事に男爵位を取り戻してみせるからね。」
と言って、微笑んで見せたのだった。
(俺が心配してるのは、そういうことじゃ無いんだけど……)
そうは思っても、自分を安心させようと一生懸命な姉の姿を見ると、彼は何も言えなかった。
今はまだ、時々姉の口からその名を聞く程度であったが、いつかその人が、もっと姉の心の中の深いところまで入り込んでしまうのでは無いか。そんな複雑な想いを抱きながら、エヴァンは黙って姉を見つめたのだった。
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