ディープスター・マーメイド

我破 レンジ

第一部 宇宙漂流少女

第1話 不死の命と古の人魚

 星がたゆたう広大な宇宙を、クジラが泳いでいた。輝く星々に見守られるように。


 もちろん、クジラは生身の生物ではない。全長四〇〇メートルにもなる宇宙船だ。尾びれと胸びれから光の粒子を放出し、真空の海を進んでいく。内部には三〇の太陽系へと届けられる貨物が詰め込まれ、定められたスケジュールにのっとり航行を続けていた。


 そう、これは宇宙船。しかも大型の輸送船なのだ。いまでは“旧世界”と呼ばれるようになった、千年もの昔の世界に繁栄した動物の面影を、この宇宙船は有しているのだ。


 クジラの頭部に設けられたブリッジでは、艦長席に座したデリー船長が、ブリッジの正面窓から漆黒の宇宙を眺めていた。数人のクルーたちが忙しく立ち回る中を、クロイ副船長がきびきびとした足取りでやってくる。


「船長、本船は完全に通常航行へ移行しました。現在4Sノット。各部異常なし。正常に航行中です」


 クロイからの報告で、デリーはほっと息を吐いた。


「報告ご苦労、クロイくん。このFRフライト・ラフトも、ずいぶんなご老体だ。一回のダイビングの後でも、念入りにチェックしてやらねばな」


 副船長は笑ってうなずいた。


「まったくです。ラフトいかだの名のごとく、厳しい航海でバラバラになってしまわなければ良いのですが」


「そこまでの心配はいらん。このいかだのことは私がよく知っている。就航して一四〇年になるが、こいつはまだやれるよ。それに、バラバラになって宇宙に放り出されたとしても、我々なら大丈夫だ」


「縁起でもないことを。惑星シュラッドで貨物を降ろせば、ようやく長期休暇がもらえるっていうのに。貴重な休みを漂流して過ごすなんて勘弁ですよ」


「ほう、何か予定でもあるのかね?」


「えぇ。妻と一緒にオールエンターテイメントへ行くんです。ようやく手に入れられたのですよ、ワンウィークパスポートを」


「そりゃ骨を折ったな。ずいぶん高くついたろう?」


「まぁ、とうぶん小遣いは減額ですね」


 笑い合う二人のもとに、レーダー担当のクルーが声をかけた。


「船長。一一時の方向、〇.七パーセクの距離から未確認物体が接近中です。反応からして、直径は二三〇メートルと推定されます」


 デリーとクロイは顔を見合わせた。それだけ大きな物体は、小惑星か船の残骸がほとんどだ。星間航路上に危険な障害物がある場合、事前に星間航行局から通達があるはずだが、そんな連絡は受けていない。


「わかった。物体をスクリーンに出してくれ」


 ブリッジ中央のホログラムスクリーンに、望遠レンズで撮影された物体が映った。宙に現れた四角い画面の中には、ごつごつとした岩のようなものが、威圧するように浮遊している。


「妙ですね、船長。これだけ大きな物体なら、もっと早くレーダーに引っかかっているはずですが」


「そのとおりだ。おい、スキャン結果はどうだ?」


 船長の問いに、計器のスイッチをいじっていた分析官が答える。


「赤外線、X線、その他さまざまな方法でスキャンしてみましたが、変なんですよ。どれも物体からの反射が微弱で、スキャン結果としてはエラーばかりです。機器の故障の可能性もありますが……」


不穏な空気がブリッジに漂い始め、デリーの額にしわが浮かんだ。


「ふうむ、不可解な事ばかりだな。だがいずれにせよ、このままでは本船と物体は衝突してしまう。操舵手! 主舵一五度、浮上三〇度で進行しろ」


「了解」


 総舵手が操縦桿とレバーを操作し、クジラはゆるやかに進行方向を変えた。


 しかし、物体との距離は縮まる一方だった。レーダー担当官が信じられぬという面持ちで報告する。


「船長! 小惑星がこちらに近づいてきます! 自力で動いているとしか考えられません!」


「自力で? バカな、どう見てもただの小惑星――」


 デリーの脳裏に、かつて仲間だった船乗りから聞いた話がよぎった。大昔の大戦で製造された秘密兵器。小惑星に擬態した恐るべきマシーンの噂を。


「せ、船長! 物体が!」


 クロイが驚愕の叫びをあげた。顔を上げたデリーも目を見張った。


 小惑星はブリッジの窓から視認できる距離にまで接近すると、内側から外殻が割れた。そこから六本の足が生え、異様な本体がその姿を現した。全長三〇〇メートルのクモ型ロボットだ。


 船長の予感は的中した。間違いない。こいつは小惑星に擬態して無差別にFRを襲っていたという、無人自律兵器〈サプライザー〉だ。小惑星の表面に似せて成型した特殊ステルス装甲を持ち、レーダー波を含めたあらゆるスキャン波を吸収、無効化してしまう。


 まさか、終戦して二〇〇年もの歳月がたったというのに、まだ生きている機体が存在したとは。


 デリーはすぐさま命令を下した。


「操舵手! 主舵四〇度、潜航七〇度! 八Sノットだ! 全速力で逃げろ!」


 クジラは尾の動きを速め、より激しく粒子を出した。目いっぱいまで速度を上げるが、〈サプライザー〉は足先の水かきから同じように粒子を放出し、みるみるうちに近づいてくる。数百のカメラとセンサーで構成された複眼は、獲物の中にいる人間の数と位置を迅速にスキャンしていた。


空圧炸裂砲エアプレッシャーカノン、撃て!」


 クジラの背中に備えられた砲塔が回転し、船長の号令とともに圧縮空気で榴散弾りゅうさんだんを発射した。榴散弾は命中直前に破裂し、いくつもの鉄片を〈サプライザー〉に浴びせたが、装甲には傷一つついていない。衝突する危険のある宇宙ゴミスペースデブリ対策の武器では、軍事兵器には歯が立たなかった。


 そしてクジラに追いついた〈サプライザー〉は、クジラの胴体にがっちりとしがみついた。足の一本を尾びれ、胸びれに突き刺し推進機関を破壊すると、腹部から穿孔用のドリルを出し、船体に穴を開けてゆく。クジラの船内を大きな揺れが襲い、デリーも船長席から転げ落ちた。


 ドリルが船内まで貫通すると先端が割れ、そこから人間程の大きさの子グモが侵入してきた。親機と同じく複合装甲が施された子グモたちは、クルーたちを手当たり次第に襲いながら、あっという間にブリッジまで押し寄せる。


「せ、船長! 助けてください!」


 クロイは子グモの鋭い足の先端に心臓を貫かれ、口から血を巻き散らして倒れた。他のクルーたちも、首をはねられ、四肢をもがれ、内臓を引きずり出された。ブリッジは血なまぐさい狂乱の場となった。


「く、来るな! 頼む!」


 腰が抜け、血だまりに尻もちをついたデリーは怯えて懇願した。子グモはそんな彼の頼みを聞くそぶりもなく、船長の右腕を根元から切断した。


 輸送船は阿鼻叫喚で満たされた。二〇〇年前の大戦争では当たり前だった光景が、長い時を超えて再現されていた。


 ズタズタに引き裂かれ、デリーの意識は朦朧としていた。耐えがたい苦痛が全身をむしばみ、幻として現れた妻と娘のもとへ手を伸ばそうとしたが、その手はすでに床の上だった。


 そして薄れゆく視界の中で、デリーは見た。


 自分にのしかかってくる子グモの背後に、女が立っていた。いや、その表現は正確ではない。


 女には脚がなかった。下半身は魚のようなひれになっていた。だから立つための足はなく、蛍のような温かい光を発しながら宙を浮いているのだ。


 そして女は子グモを捕まえ、強引にデリーから離すと、頭部へ拳を見舞った。子グモの頭部は飴細工のようにひしゃげ、破片と部品が飛び散った。


 そして女は次々と、ブリッジの中にいる子グモたちを始末していった。


 実はこの時、船内にもう一人、イルカのヒレを持つ不思議な少女が現れ、子グモたちと戦っていた。


 さらにクジラに取りついた〈サプライザー〉のまわりを、何百もの不思議な光る女たちが泳ぎ回り、混乱する機械グモを何者かの腕がクジラから引きはがした。


 だがこれらすべては、デリーにとっては夢の間の出来事のようだった。大量の出血により意識混濁を起こしたデリーにとって、すべてが現実と思えなかった。


 引きはがされた〈サプライザー〉は、突然出現した敵に襲い掛かろうとした。敵もまた、下半身に大きなヒレを備えた機械の女だった。


 そして機械の女の腰から、光り輝く砲弾が発射された。砲弾は〈サプライザー〉を粉砕し、宇宙に華麗な花火をあげた。


 花火によってブリッジが色とりどりの光に染まった時、とうとうデリーの意識は暗い深淵へと落ちていった。



「……ちょう……船長……しっかりしてください!」


 クロイ副船長の声で目覚めたのは、それから三〇分ほど後のことだった。


「クロイ君……大丈夫か?」


「まだ視界がかすみますが、なんとか……」


 船長の傍らで膝をつくクロイの左胸には、いまだぽっかりと穴が開いている。しかし、それでも“彼は生きていた”。


「船内の状況を確認しました。現在、稼働しているクモロボットは無し。すべて破壊されているとのことです」


「破壊された? 誰に?」


「……船長も見たのではありませんか? 足が魚になったあれを」


「ということは、幻覚ではなかったのか」


「えぇ。船体に張り付いた巨大グモまで姿を消したそうです。やはりあれの仕業なのでしょうか」


「状況を素直に解釈するなら、彼女が助けてくれたということなのだろうな」


 そうして船長はふらふらと立ち上がった。切断された右腕からは、短い枝のようなものが生えてきている。それこそが、再生の始まった新しい右腕だ。


 周囲を見回したが、あの不思議な女は影も形もなかった。


 船長に呼応するように、他のクルーたちも目覚め始めた。全員、身体のどこかしらを欠損しているが、誰一人として命を落としたものはいない。下半身がなくなった者でさえ、切断面が厚いかさぶたで覆われ、細胞が猛烈な勢いで増殖している。


「船長、あれは一体なんだったのでしょう? 一四三年の人生の中で、あんなものを見たのは初めてですよ」


 いまだ蒼白な顔色のクロイは、船長席にゆっくり腰を下ろしたデリーにたずねた。


「二二六年生きたわたしでも初めてだ。だが恐らくは……」


 経験豊富な船長は、キャリアとは裏腹の自信のないつぶやきで質問に答えた。


「人魚だ」


「はっ? 人魚?」


「そうだ、人魚だ。旧世界の伝説やおとぎ話に出てくる生物。子どものころ、親が読んでくれた絵本のデータに載っていたよ」


 デリーは過去を懐かしむように目を閉じ、言った。


「航宙士になって二一〇年。宇宙のことは知り尽くしたつもりでいたが、どうやらこの領域には、まだまだ神秘が潜んでいるらしいな」


 満身創痍のクジラは宇宙をたゆたっていた。一四〇年に及ぶ輸送船としての使命を終えようとしているクジラを、輝く星々は見守っていた。




 彼らが知ることは永遠にないだろう。人魚たちの正体を。


 彼らが知ることは永遠にないだろう。人魚たちの目的を。


 旧世界の遺産を滅ぼすために戦う彼女たちのことを、人間が知るときはない。


 旧世界で最も自然豊かだった星に流れたライン川。そこで生まれた伝説は、深宇宙の彼方で、ひっそりと生きている。

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