第6話
ハナに誘導され、目的地に着いた。その場はとても気まずい雰囲気だった。暗くてよく見えないが、小柄な感じから女性であろう。土を掘っていた。それも熱心に。こんな夜も遅い時間に変わった趣味だな、と呑気なことを思っていた。
オレ達は息を潜め、草陰に隠れて、相手の様子をうかがっていた。女性の横にはブルーシートでくるまれている何かがあった。それは人の形に見えなくもなかった。ハナの先ほどの発言からして、あれには死体がつつまれているのだろうな。要するに、この女性は誰かを殺し、その処分に悩み、定番中の定番であるこの遺棄の仕方を選んだ、というのだろう。本当に末恐ろしい世の中だな。
ハナは隣で涎を垂らして今か今かとソワソワしていた。こいつも恐ろしいと言えば恐ろしいがな。一体どれだけ食べるのだろうか。腹の底が見えない。
女性は穴を掘るのを中断する。一息ついて汗をぬぐう。そして、多分死体であろうものに近づく。それを足蹴りする。それで穴の中に入れようとする。それはごろごろと転がり、女性の思惑通りに穴の中に入っていった。そして女性はしばらくそれを眺めていた。何か想いにふけっているのか。立ち尽くす。一分ぐらいだろう。ずっとそのままだった。そしてようやく動き出した。掘り出した土を穴に戻し始めた。シャベルを酷使し続ける。
まあ、このまま埋めて誰にも発見されなければ完全犯罪なんだろうな。だが、不運だな。オレ達が目撃してしまった。しかも、ハナも横にいる。可哀想だとは思わない。自業自得だと思えばいいさ。
「……ハナ、いつでもいいぞ」オレは小さな声でハナに耳打ちする。ハナは空気を読んでか、いつものような「はい!」という元気な返事はしなかった。大きく頷くだけだった。
ハナが動き出したのはすぐだった。女性がシャベルを地面に突き立て、腰を叩いて一息ついた時を狙った。勢いよく颯爽と草むらから出ていった。
「なに⁉」
女性は唐突に飛び出してきたハナに面を食らった。ハナの速度が女性の理解速度を上回ったのだ。女性は悲鳴を上げる暇もなかった。ハナに捕まる。こうなってしまってはもう逃げられやしない。あとは食料になるだけだ。
ハナは真っ先に女性の首元を狙った。飛びつき、空中でそれを捉えた。そして、口でくわえたまま一回転し、さらにひねりも付け加える。血が飛ぶ。勢い良く噴き出す。ブシュー! と血の雨が降った。女性は背中から倒れる。バタンと力なく倒れこむ。
「ハナ、好きにしろ」
「うん」
オレはハナを放ったらかしにする。オレが気になっていたのは、死体の方だった。この女性は誰を殺したのだろうか。誰を埋めようとしたのか。オレはそれに興味津々だった。
オレはブルーシートを勢いよく取り払った。そこに眠っている人と対面する。そこには、中学生ぐらいだろう、女の子がいた。頭から血を流して眠っていた。オレは「若いのに可哀想だね」くらいしか言えなかった。
……どうせならこの子もハナの食糧になってもらうか。利用価値がある分、この子も幸せだろう、と勝手なことを考える。……オレも、ずいぶんとハナに毒されてしまったんだな。と自嘲する。まあ、そんな事はどうでもいいや。
「うっ……あ……」
オレはギョッとした。少しだが、びっくりした。一歩後退する。死んだと思っていた少女が生きていたのだ。ただ、気絶していただけだったようだ。少女は小さなうめき声をあげる。そしてゆっくりと目を開ける。
「こ、こ……こ……は……?」
少女は今の自分の状況を把握できていないようだった。
「目が覚めてよかったね」
少女は細い目で、虚ろな目で、オレを見ていた。
「君の名前は?」まず、オレは少女の意識を確かめる為に名前を聞いたのだ。
「……ゆ、ユウ……」
ちゃんと自分の名前を言えていた。頭から血を流しているようだから、そこを殴られたのだろう。だから、よくある記憶喪失なんてこともないようだ。
「オレは誠一郎だ。たまたまここを通りかかってね。自分の身に起きたことを覚えているか?」
「私は……家で……」ユウはゆっくりと自分を思い出していく。「お母……さんに……何かで……殴られて……」
「そうか。アレは君のお母さんだったんだ」
「お母さん……は?」
「ごめんな。殺しちゃった」
「……」
「ああ、勘違いするなよ。オレが殺したわけじゃない」
「……そんなの……どうでも……いい」
「ふうん。なら、いいんだけどさ」
「この音……変な……」
グチュグチュと不快な音が山中に響いていた。
「ああ。オレの連れだ。そいつがお前の母親を食べているんだ」
何を馬鹿なことを言っているんだろうと思っているだろうな。
「そうなんだ……」
「冷静だな。まあ、ムリもないか。まだ意識がハッキリしてないだろう」
「……うん。でも……アレは、私の好きな……お母さんじゃ……ない。いいよ。好きにして」
「……何があったんだ?」
何かなければ母親が自分の娘を殺す動機がない。
「……」ユウは黙る。いいたくないんだろうな。初対面のやつにするような話じゃないのは確かだろう。
「頼み事……して、いい?」
「ん? 頼み事? ……叶えられる範囲ならいいぞ」
「……ありがとう。じゃあ……殺して。私を」
「……どうしてだ?」
「生きている意味が……分からない。いや……無い。死にたいの。生きたくないの」
「…………」
「私は、自分の人生が苦痛でしかない……。だから、これは、チャンス……。私を……殺してください」
「若気の至りじゃないか?」
「ううん。そんなんじゃない」
ユウは力強く否定をした。
「死ぬのは恐くないか?」
「……うん。……でも、私が望んだ日々は、二度と……――帰ってこないから。……私は、あなたが、来たから、こうやって生きているけど……もし誰も来なかったとしたら……望み通りに、そのまま死ねていた……」
オレはその場に座り込んだ。土がズボンにつくのを気にせずに。少女の話を真剣に聞くために、オレはユウとの距離を縮める。胡坐をかく。
「何かの天命で生かされた、そうは考えないのか?」
「もし、そうだとしても……おせっかい。私には……本当に、無価値なの。生きるのは……」
「もし、よければ、君の話を聞かせてくれるか? 何が原因でその考えに至ったのか。抱き始めたのか」
「……話したら……殺してくれる?」
「……わかった」
「そう……わたしも、わかった」
ユウは淡々と自分の一生を語り始めた。父親の浮気が原因で離婚した事。母親の再婚相手に手籠めにされた事。母親からの暴力。その生き様から生きるという意味を模索して、その答えが見当たらない事に四苦八苦している事を……色々と話してくれたのだ。
「そうだったんだな……」
「笑う?」
「いいや。笑う要素はない。それに、オレも似たような悩みだったからな」
「そうなの?」
「ああ。オレも生きる意味が分からなくて、もがき苦しんでいた。そのせいで罪も犯した。でも、オレは後悔なんかしていない。新しい自分を見つけたからな」
「いいね。ソレ」
「……そうだな」
「だけど、それは、あなただけ。私には絶対に来ない。見つけられない。その幸せを掴めない」
「その根拠は?」
「……ない。でも、苦しいの。辛いの。だから、死にたいの」
「…………そうか」
オレは何も言う事が出来なかった。何かかけようにも、それがプラスになることはないだろう。そもそも、オレはこの子を生かしたいのか。それが分からなかった。でも、何かしらこの子を助けてあげたいという感情が湧いてきているのは他でもない。だから、この子の願いを叶えてあげるのも、優しさの一つなのだろう。
「……話して、ほしい……。あなたのこと」
「オレの?」
「うん……。聞いてみたい。あなたが、どう悩んだか」
「面白い話ではないな」
「それでも……いいよ。私が、話したんだから、あなたも、話す権利はある……」
「それもそうだな」
オレは苦笑が漏れる。
「オレはな……。まあ、もう死語だろうが、オレの母親はいわゆる、お受験ママというやつだったんだ。あと、父親もそういう考えだった。いい学校に入り、いい会社に入る。それが人生の成功だとな。だからオレは幼いころから勉強をやらされていた。付き合う友達も選べなかった。固いつまらないやつらと付き合わなければいけなかった。オレはな、それが苦痛でしかなかった。自分の意思で自分の道を歩いていきたかった。でもな、子供の世界観は狭いんだ。親が世界なんだ。だから、言いなりになるしかないんだ。オレは、ずっと従っていた。しかしオレは、頭が悪かった。要領が悪かった。成績も芳しくなく、苦労した。いわゆる落ちこぼれだ。親は失望したな。そんなオレに」
オレは笑う。今の自分の気持ちを隠すためだ。無理して笑う。オレの心境が自分でも把握できていなかった。ユウは黙ってオレの話に耳を傾けていた。真剣に聴いていた。ユウも今は何を思っているのだろうか。それもオレには分からない。
「そして、そんな親の興味はオレから弟に変わっていった。オレはとっくに見捨てられた。邪魔者扱いだ。オレが出来なかったことを弟に全て託したんだ。親のその願いは届いた。弟は頭が良かった。オレとは比べ物にならないぐらいにな。だから、親からの信頼も厚かった。周りも自然に集まっていった。オレとは違って。恵まれていた。オレはどんどん自分の居場所が無くなっていった。親からは見放されていた。弟からは馬鹿にされた。オレが弟に怒ると、親からの罰がひどかった。弟は逆らえないオレを知っていて、それをさんざん利用するのだ。オレは悔しくてたまらなかった。親はオレを邪険に扱う。もう、自分の子ではない。他人の子の様な接し方だった。一人ぼっちだった。友達と呼べるやつも、いなかった。いや、いなくはない。だけど、信用できなかった。こいつもオレを馬鹿にしているんだろうな、と。疑心暗鬼になって、他人を寄せ付けられなくなった」
オレは今となってもそれは続いている。ハナのおかげで、フウカのおかげで、他人に対しての壁を少し薄くできるようになった。でも、恐いのだ。それは今でも変わらない。
「誰からも必要とされない。一人ぼっちの人生。それがオレは地獄だった。だれも信用できない、そんな世界が……寂しかったんだ……。だからオレは失望した。こんな世界にな。自分の狭量な世界に。生きる価値がないこの世界に。オレはやがてそんな生き方が堪えられなくなった。嫌気がさした。だから、それから逃げる為に、奪回するために。オレは、家族を殺した。オレをこんな目に合わせた両親を、弟を……。全員な」
語り終えたオレは、ハッとする。気がつけば、喋ろうと思っていなかったことを言っていた。もっと短く終わらせようとしていたのだが、熱がはいいてしまったのだ。自分の中にたまった鬱憤を晴らしていたのだ。オレは少し恥ずかしくなった。初対面の、しかも自分より年下の女の子にこんな事を話す自分に。
「私は……尊敬します……」
ユウは、微笑みながら、優しい声で、そういうのだった。
「尊敬?」
「だって……自分の力で、世界を壊した……壊せた……それは、とても、勇気がいる事……。普通の人は殻に閉じこもり、その殻を壊さない。でも、あなたは壊せた……。それは、一人でできるものじゃない。それが出来たあなたは……すごい立派……」
「……そんなもんじゃないさ」
「今は……どうですか?」
「幸せだよ。ハナと、フウカと、出逢えたからな」
「誰……?」
「今お前の母親を食べているのがハナ。この場にはいないけどもう一人の家族がフウカだ」
「羨ましいですね。あなたは、運がいい。殻を破った先に、希望があった。私にはなかったこと……。私は、新たな不幸を呼んだだけにしか過ぎなかった」
「運か。確かに良かったのかもな……。ハナと出会わなければまたふさぎ込んでいたかもな。これっぽっちも好転なんかしなかった。また新たな不幸がオレに襲い掛かるだけだったかもしれない」
「……かもしれませんね」
「オレは……て、悪いな。なんか、自慢だな。君の気を考えていなかった」
「私は、大丈夫。なんか、嬉しい」
「嬉しい?」
「そう。私と似たように悩んでいた人が、幸せになって……」
「普通は、嫉妬とかするんじゃないか?」
「違うみたいだね。どうやら私は、普通じゃないみたい」
アハハ、とユウは笑う。それは子供らしい無邪気な顔だった。
「君は……今、新たな世界が開けたんじゃないか?」
「ううん。開けていないよ。そもそも、私の扉は一つしかない。それで、その扉をもう開けてしまったんだ。だから、もう、先の扉は、ない」
ユウはそう断言する。もうこの決意は揺らぐことがないだろう。
「殺してほしいな。……私の願い。あなたに託す。お願い、私からの一生のお願い」
「確かに、一生のお願いだね。……わかったよ。叶えよう」
「ありがとう。……何も、お礼してあげられなくて、ごめんなさい」
「それは……どうでもいいよ」
オレ達がそんな話をしていると、ハナがやって来るのだった。頭を持って、それを食べながら、こっちに来るのだった。
「それは……お母さん?」
「そうだな」
「……ありがとう。食べてくれて」
「はい!」
ハナはお礼を言われたのが嬉しいのか、ご機嫌になる。
「私も……食べてね」
「うー?」
ハナはオレを見つめる。食べていいのか迷っているようだ。オレは「いいよ」と許可を出す。それを合図として、ハナは穴に入り、ユウの体の上で座る。
「……可愛い子だ」
ユウはハナの頭をなでる。
「うー?」ハナは小首を傾げる。
「ハナ、苦しまないようにしてあげな」
「……うん」
「ちょっと待って」
「どうした?」オレはハナの肩を掴む。一旦待つように命令する。
「頼み事……いいかな。厚かましいけど……。それとお礼も。思いついた。それを、いい?」
「大丈夫だよ」
「なら……。あいつも殺して。あの男を……。住所も教える。だから、その子に言って食い殺して」ユウは住所を教えた。「それと、お礼の方。私の部屋、二階の隅の部屋。そこにね、フランスのお人形があるの。私が、大事にしている、お人形。コトリていうの。その子を、貰って」
「大事な奴なんだろう? いいのかい?」
「うん。コトリも、分かってくれると思うの。コトリはね、私の分身なの。幸せな私。だから、あそこに一人ぼっちでいるより、あなたたちに、預かってもらいたい。大切にしてもらいたい」
「わかった。大事にするよ。それと、オレからも頼みごとをしていいか?」
「うん。なに?」
「君の、体の一部、貰ってもいいか?」
「何に使うんですか?」
「変なことには使わないから安心しろ」
「まあ……いいですよ。悪用しなければ。好きにしてください」
「わかった。ありがとうな」
お別れの時間が近づく。ハナはユウの上体を持ち上げる。
「あの小さな体で大空を飛ぶ小鳥が羨ましかった。だから、これで私も大空を飛べるね」
「思う存分、羽ばたいて来いよ」
「……うん。ありがとう」
ユウの最後は笑っていた。嬉しそうに。毒が抜けた、偽りのない、あの幸せそうな笑顔をオレは、二度と忘れる事はないだろうな。
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