第2話


 私が誕生したのは今から十三年も前の事だ。


 とある平凡な夫婦から産まれたのが私。父はサラリーマン。母は専業主婦。一般の、どこにでもある、ありふれた家庭。


 私はその家庭がとても居心地が良かった。


 学校から帰ると、当たり前のようにお母さんは家に居て、私を出迎えてくれる。そこで私はいつも学校であった出来事を話すのだ。えくぼを崩しながら気持ち高々に色々と話すのだ。友達と何して遊んだとか、男子がまた馬鹿をやっていたとか、そんなどうでもいいような話をするのだ。お母さんはその話題にいつも付き合ってくれていた。そして笑ってくれていた。


 私が七歳の誕生日の時だ。お父さんが私にお人形をプレゼントしてくれた。フランスの可愛い女の子のお人形だ。金髪で青目で、白いドレスを着ている。まるでお姫様のようだった。


 私がそれを嬉しそうにもらうと、あのごつごつした手で私の頭をなでる。何故か私はそれがとてもうれしかった。安心するというのだろうか。心が浄化されていくような、どんなに辛い事があってもあの大きな手が私を守ってくれる。そんな安心感のようだ。


 私はそれを自分の代わりにし、可愛がっている。それは今でも続いている。私は未だにそれを大切に持っているのだ。なぜならお父さんとの絆でもあるから。


 私はその人形にコトリと名付けた。容姿には似つかない和名をつけた。


 コトリ――小鳥。私は小鳥が好きだった。あんな小さな体でも大空を自由に飛べるあの子たちが羨ましかった。だからコトリという名前は私のその憧れから来たものだ。


 コトリは私の分身。理想の私。何者にも傷つけられない、束縛されない、自由な私。奔放な私。それがコトリだ。



 ――運命という言葉は信じるだろうか。私は信じる。人との出会い、人とのつながり。その運命。


 それは神様によって結び付けられたものだろう。ヒトには見えない糸があり、それを神様が結んでいくのだ。一人一人がそれで繋がっているのだ。つまり、巡り合える人たちはみんなその糸でつながっているのだ。私にはそれがロマンチックに思える。


 私が友達と出会えたのも、その運命という名の糸のおかげに他ならない。奇跡に近い形の運命。


 人は独りでは生きていけない。だからその運命を、その糸を、切れないように大事にして生きていくのだ。


 しかし、その運命の糸は実はか細い糸でできている。それに加えその糸は無数にある。伸び広がり、結ばれているのだ。だから時として絡まることもある。ほつれる事もある。さらには、切れてしまうことだってある。


 物は何にでも寿命というものがある。脆くなり、廃れていくのだ。悲しい事に。


 私は……それが嫌だ。運命は残酷だ。神様も。


 いつか切れてしまうものなら、初めからつながないでほしい。その先に悲しみがあるのなら、喜びなど教えないでほしかった。最初から何も知らない方がよかった。無い方がよかった。そうすれば、こんな気持ちにはならなかっただろう。


 そうだ。むしろ、生まれてさえいなければよかったのだ。そうすればよかったのだ。


 ただ苦しいだけなのに、何で生きなくちゃいけないんだろう。自分の意思とは関係なくこの世に生を受け、そして死を待つ。何で?


 ただ死ぬためだけにどうして生きなくちゃならないんだろう。私には「死にたい」という感情が心から溢れ出てやまない。


 だけど、それでも私が死ねないのは、ひょっとすると、「生きる」という楽しさを知っているからなのかな……? その先に楽しい事がある。その希望があるからなのかな? あの頃に戻りたい。戻れるかもしれない。そんなありえない、馬鹿みたいな、もしもを未来に期待しているからなのかな?


 そういう希望を、偽りの希望を自分に与え、偽りの感情を抱かせる。自分を騙して、さらに騙して、嘘をついて、無理やり自分を生かそうとする。


 例えば、頂上には本物の幸せがあると希望を与えられ、断崖絶壁の岩山を登らされる。頂きはまだかと登り続ける。しかしそれは見えない。まだ見えぬものを追いかけ、登り続ける。ある時ふと、本当はないのでは? と不安がよぎった時にはもう遅いのだ。引き返せない。後戻りできない。その場合は落下するしか道はない。しかし助からない。


 私たちはその恐怖を背負いながら延々と登りつづけていくしかないのだ。


 ――残酷だ




「ただいま」


「お帰りなさい。遅かったですね」


 オレは部活に入っていないので、普段なら帰宅するのが早い。しかし今日は違った。本屋へ立ち寄ってしまったのだ。それで帰るのが遅くなってしまったのだ。面白い本はないかと探している内に、気がつけば立ち読みをしていて、さらには一冊を読み切ってしまった。それだと店に悪い気がしたので、前々から気になっていた本を一冊購入してきたのだ。


「これを買っていた」オレはそれをフウカに見せた。


「なるほど。だからなのですね」フウカは頷き、納得していた。


 オレは制服のままリビングのソファーに腰かけた。自分で肩をもみながら首をポキポキと鳴らした。


 そうしていると、ハナがソファーにやって来て、オレの膝を枕代わりにし、横になった。


「ハナちゃんは、ずっとセイイチさんの帰りを待っていたんですよ」


 ハナは安心した表情でそのまま静かになる。オレはハナの頬を軽くつねる。柔らかかった。ハナは「うー」とうねりながら、オレの手を払いのける。


「ハナはずっと家にいたのか?」


「……」


 フウカは黙った。


「まあ。無理もないか」


「ごめんなさい」


 ハナではなく、フウカが謝ったのだ。


「いや、フウカが謝ることはないだろう」


「私はこんなのだから何もできないんです……。お留守番もまともにできない。誰かがいないとまともに動くこともできない」


 寂しげで、影のある表情だった。


「そう卑屈になるなよ。……どうかしたのか? 突然……」


「いえ。特に何もないです」


「……」


 フウカの気持ちは分かる。フウカはこの身体なのだから、自分が満足いくように動くことが出来ない。それにこいつは、眠ることもできない。だから、オレ達が就寝した後でも、一人でずっと起きていなければならない。一晩を過ごさなければならない。それはある意味拷問に等しい。


「私って、生きている意味はあるんでしょうか……?」


 フウカはハナの影響で生き返った。だけど、あのままずっと寝かせてあげるのが良かったのではないか? そう思うと心が痛む。


「意味はあると思うぞ。何か、まだやるべきことがあったんだよ」


「それって……?」


「それは……」オレは口ごもる。何も言えやしなかった。


「ごめんなさい。突然こんな重い話をしてしまって」


 フウカは無い手でオレの頭を撫でようとする。それは暖かさを感じた。オレは黙ってそれを許していた。


 オレはフウカの頬をつねる。両方のそれをつねり、横に伸ばしたり縦に振ったりした。フウカは「何をしているんですか」と笑っていた。それにつられてオレも笑った。


「まあ、今こうして笑えているんだからいいじゃないのか?」


「……それも、そうですね」


 ひとまず、オレはこの話題を置いといた。後回しにした。


「それよりも、ハナ」


 オレはハナの頭をパンと叩いた。いい音がした。


 ハナは頭を押さえ、眉間に皺を寄せながら俺を見る。


「勝手に家を出るなと言っただろう?」


「ことばわからない!」


「何でこういう時に限って流暢に言えてるんだよ」


 オレはまたハナの頭を叩いた。


 そうすると、ハナが反撃に出た。ポコポコとオレに幾重もの拳を放つのだ。オレはハナのその攻撃を防いだ後、脇をくすぐる。ハナは大きな声で笑い転げる。


 フウカはその光景を横で笑いながら見ているだけだった。

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