第65話 【7月下旬】火乃香と恋する同級生 ②
「――あっ……」
ウチの薬局に突然現れた、
「やばい。どうしよう兄貴」
「な、なにが⁈」
「洗濯物、干してくるの忘れちゃった」
声を上擦らせる俺に反して、火乃香はあっけらかんと答えた。てっきり風間くんの姿を見て、何か思い出したのかと焦ってしまった。
「それで兄貴。わたしのお客さんて誰?」
「あ、ああ。こちらの彼だよ」
引き攣った笑顔のまま紹介すると、火乃香は漸くと風間くんに視線を向けた。
かと思えば、
「……誰?」
「ぼ、僕です! 同級生の風間です!」
「カザマ……くん?」
必死と叫ぶ風間くんに反して、火乃香は一層と首を傾げた。本当にクラスメートなのか怪しくなってきたな。
「同級生って、高校の?」
「そうだよ! ほら、隣の席の!」
「となりのせき……」
「陸上部の!」
「りくじょうぶ……」
オウムみたいに言葉を返すだけで、火乃香は毛程もピンと来ていない様子だ。傾げる首も一段と角度を増して。
「消しゴム貸してくれた!」
「ああ!」
頭の上に豆電球が閃いたみたく、火乃香はポンと掌を打ち合わせた。消しゴムで思い出す同級生ってのもおかしな話だ。
「それで、カザマくんだっけ。わたしに何か用? あ、もしかして消しゴム返しに来てくれたの?」
「あ、それもありますけど……き、今日は
「わたしに?」
もじもじも手遊びしながら、風間くんは顔を真っ赤に染め上げ頷いた。
そして次の瞬間、意を決したようにゴクリと喉を鳴らす。
「自分、朝日向さんが好きなんです! 良ければ僕とお付き合いして下さい!」
高らかと叫びながら、風間くんは直角に腰を曲げて右手を突き出した。まるで握手を求めるかのようなポーズだ。
『やっぱりか』
まず頭に浮かんだフレーズがそれだった。
同級生の男子が一人で尋ねに来た時点で、なんとなくそんな気はしていた。
なにせ火乃香は可愛いから。
それも飛び切りの美少女。
周りの男が放っておく筈もない。
警戒心を露わに俺は顔を顰める。
そんな俺と反比例するよう、火乃香は明らかに戸惑っている。頬をほんのり桜色に染め上げ、オロオロと視線を泳がして。
「いや、えと……な、なんでわたし?」
「なんでって」
「だって、全然話した事とか無かったじゃん。それにわたし、数えるくらいしか学校行ってないし」
「それは……」
風間くんは言い淀み、言葉を探すよう顔を塞ぐ。
けれどすぐに
「一目惚れです!」
顔を真っ赤に大粒の汗を浮かべ、今にも裏返りそうな声で思いの
青臭い少年の台詞に、その場に居る全員の体温が一気に押し上げられて。
「入学式の日から、一目見た時からずっと朝日向さんが好きでした! いつか告白しようと思ってたんですけど、突然学校に来なくなって……」
怯えたような、申し訳ないような表情で風間くんはチラリと火乃香を見た。
「最初は『家庭の事情で暫く休む』って聞いてたんですけど、それが休学って……先生に事情を聞いたら『I市に引っ越した』って。詳しい住所は教えてくれなかったんですけど……」
「じゃあ、どうやって
「ネットで検索したら、こちらの薬局さんがヒットしたんです。『朝日向』って割と珍しい苗字だし、家族か親戚のお店かと思って」
「なるほどね。それで夏休みを利用して、ウチの薬局に来たわけ」
腕組みして「うんうん」と頷く泉希に、風間くんは大きく首を縦に振った。
そんな彼らの会話も、俺の耳にはボンヤリとしか届いていなかった。
「ねえ……」
呆然と立ち尽くす俺の服を、火乃香がクイと指先に摘まんで引いた。
不安気に眉を寄せ、義妹は俺を見上げている。
心なしか、さっきより頬の赤みも増して。
「どうしよう、兄貴」
まるで
答えは決まっていた。
最初から。
あとはその感情を声に換えて放てば良い。
ただそれだけのこと。
だけどその瞬間、何かが終わる気がした。
少なくとも泉希が居る前では言えない。
そう思った。
「なんで……俺に聞くんだよ」
だから俺は思考のフィルターに感情を通した。想いをそのまま言葉に換えずに、見てくれの良い言葉に
「お前のことはお前が自分で決めろ。どうしたいかは、自分の気持ちに素直になれば良いだけだろ」
誰も居ないベンチを見つめながら、俺は敢えて突き放すように言った。
荒縄で胸を締め付けられるみたいだった。
「……なにそれ」
重く暗い、冬の夜みたいな声が耳を撫でた。
恐る恐る横目に火乃香を見遣ると、目の端に涙を浮かべて俺を
「なんでそんなこと言うの?」
「……思ったこと言ったまでだ」
「じゃあ兄貴は、わたしがどこの誰と付き合っても良いわけ⁉」
「良いも何も……お前の自由だろ」
「自由ってなに!」
「……そのままの意味だよ」
声を荒げる火乃香を宥めるように、俺は敢えて声のトーンを抑えた。
「俺はお前の後見人で、お前の兄貴だ。義妹の色恋や交友関係にまで、とやかく言う権利は無いから」
「……っ!」
敢えて火乃香と目を合わさずに、なんでもない風を装って返した。
火乃香は何を言うでもなく小刻みに肩を震わせ、潤んだ瞳のまま身を翻す。
「行こう、カザマくん」
「あ、朝日向さん!」
言うが早いか、火乃香は狼狽える風間くんの手首を掴んで店のドアを潜った。
「火乃――」
反射的に手を伸ばした。
だけどあと一歩を踏み出せず、自動ドアは無情に閉じられた。
伸ばした右手は行き場を失くし、宛も無く
-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------
風間くんは陸上部に所属しているらしいけど、今日は部活を休んで来たらしいわ! 最初は電話で確認しようかと思ったみたいだけど、ストーカーと思われるんじゃないかと思ってやめたみたい!
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