第11章 エクストラダンジョン ー④

五月二十八日 火曜日



 久鎌井は、他市にあった組織の施設から、鏡谷の車で自宅へ戻った。


 母親も妹も、涙を流して彼を出迎えた。


 今のところ、彼はここの街を離れて一人暮らしをする予定だ。当面は組織の施設で高校卒業相当の資格が取れるように組織が用意した指導者の授業を受けつつ、施設で彼のアバターに関する調査、検査等を行い、その後は日比野の代わりに鏡谷とコンビで活動をする予定だった。

 収入も母親の給料を超える額が約束されており、その点では久鎌井は安心していた。


 しかし、彼ら家族にとって、お金では解決しない問題がある。

 それは彼が一家の精神的な支柱であり、生活の要であることだ。しかし、それはもともと、何年かして彼が大学を卒業し、就職すれば変わらざるを得ないことだったはずであり、それが早まっただけのことだと、母親も久鎌井本人も納得していた。

 ただ、妹だけはまだ心がついてきているとは言えなかった。


 なにはともあれ、戦士には休息と報酬が与えられてしかるべきである。しばらくは家でゆっくりと過ごす予定になっていた。平日の昼間であれば、学生たちもいない。今日は母親も妹もそれぞれ学校と会社を休み、ウインドウショッピングや外食など、家族の時間を楽しんでいた。


 だが、一つ予定が変わったことは、明日の水曜日に、学校に行くということだ。

 それが何のための登校になるのかは、彼らにはわからなかった。



 — * — * — * —



五月二十九日 水曜日



 久しぶりのいつもと変わらない朝を迎え、母親も妹も、それぞれに家を出た。

 そして久鎌井も学校に行く身支度をしていると、インターフォンがなった。


 緊張した面持ちで扉を開けると、そこには綾香と衣が立っていた。


「お、おはよう」

 久鎌井の挨拶に、二人も答えると


「「さあ、行きましょう」」


 二人が、久鎌井の左右それぞれの腕を取った。


「えっ」

 久鎌井が緊張に身をこわばらせるが、二人は胸が当たるのも気にせずに抱えるように彼の腕を組み、道を歩き出した。


 二人は終始笑顔だった。


 久鎌井も、ここで緊張してたら身が持たないと開き直り、彼女の歩みに合わせて歩いていた。


 そして、気が付いた。いつもの登校時間なのに、人がいない。


「あれ、今日、学校あるよね?」

 久鎌井の疑問に、綾香と衣は顔を見合わせて笑顔を見せると、それぞれ久鎌井と組んでいる腕を解くと、今度は手を取り、待ちきれないといった様子で走り出した。


「みんなが待っているのよ!」

「そうよ、英雄の帰還を!」


 校門に飛び込むと、そのまま昇降口ではなく、体育館に直行した。

 入り口を開けるとそこには、全校生徒が集まっていた。

 皆の視線が久鎌井に集まると、一斉に拍手が鳴る。


「ど、どういうこと!」

 戸惑う久鎌井ではあったが、舞台に掲げられた横断幕を見て、状況を理解できないわけではなかった。

 そこには


『ありがとう、久鎌井友多。卒業まで、一緒に過ごそう!』


 そう書かれていた。

「ね。もう学校に来れない理由なんてないでしょ?」

 綾香が、両手を広げ、最高の笑顔を見せた。

「……うん。そうだね」

 久鎌井の目に、熱いものがこみ上げてくる。

「どうせまた、自分が悪いんだって、勝手に一人で抱え込んで、自己完結してたでしょ? それはあなたの悪いところ。まあ、わたしもそんなだったけどね……。でもね、よく見て。あなたの行動を、あなたのした結果を、みんなが認めてるんだよ」


 綾香の言うとおりだった。自分が罪を背負うこと。そうすることで、勝手に一人で安心していたのだ。父親のことに関してもそうだった。自分が原因なのだから、自分がすべてを背負って、家族のことは自分が面倒を見ると、自分で自分の在り方を規定していた。そのことを久鎌井の母親も気にしていたが、彼がその思いに気づくことはなかった。


 しかし、今回は嫌でも気づかされた。


 みんなが、許している。だったら、自分が勝手に自分を責めるのは、わがままというものだ。

「行こう、久鎌井くん」

 衣が久鎌井の手を引く。

「先輩、今日は二人一緒で、抜け駆けはなしですから」

 綾香も、久鎌井の手を取った。


 三人が、拍手の渦の中、壇上への進んでいった。



 — * — * — * —



 体育館の外、ようやく拍手が鳴りやむと、何やら久鎌井の声が聞こえてくる。

 はっきりと聞こえないが、きっと、ありがとうとか、今後ともよろしくとか、そんなことを言っているのだろう。


「良かったな。まさに大団円だ」


 職員駐車場から車にもたれかかり、体育館を眺めながら鏡谷が呟いた。

 確かに、自分自身で勝手に納得し、自己完結することも、一つの解決手段ではあろう。しかし、人間とは他者が存在して初めて人間となる。ということはつまり、問題も、解決方法も、常に他人の中に存在するということかもしれない。


 “ダイタロス”は、この結果を導き出すために、みんなをあの空間に集めたのだ。


「君も、あそこに行けばよかったのに」

 その横には、天ヶ原高校の制服を着た月野雫がいた。


「まだ、ちょっと……」

「ま、急ぐ必要はないね」

 雫の心が癒され、救われるにも、きっと他人の力が必要となるのだろう。

 それにしても、と鏡谷は思った。


 若い力はすごい。その思いもすごい。


 綾香と衣は、火曜日の朝に校長先生に掛け合い、昼には全校生徒に呼びかけていた。

 もちろん、鏡谷も彼女らの思いには賛同していたので、教員ら大人に関しては、組織からの根回しはしていた。


「我々としては、今回の事件がいたずらに拡散されることさえなければよいのだからな」


 それでも、彼を学校に残らせる発想はなかった。

 鏡谷は、“ダイタロス”は沢渡衣のアバターであると考えていたが、今の体育館の状況を見ると、やはり状況が生み出した所持者のないアバターであるようにも思われた。多くの生徒が、彼が学校を去ることを良しとは思っていなかったのだろう。そして、久鎌井の家族も同様にそれを望んでいるはずだ。


(方針転換については、組織としても責任をもって連絡を入れなければならないな)


 それは後ですることとして、不意に素直な感想が、鏡谷の口をついて出た。


「青春……だな」


 自分にそんなものはなかった。しかし、あるところにはあるものだ。

 そんな熱い思いがあってこそ、アバターという存在が、現象が生まれるのだろう。

 鏡谷は、何となく月野雫の肩に手をおいた。


「君も、これからだよ」


「………きっと、鏡谷さんも、そうだよ」

 雫の思いがけない言葉に、鏡谷は目を丸くした。


「うん、そうだな。君や、久鎌井とは一緒に仕事をすることになるだろうしね」

 鏡谷が空を見上げた。


 それを見て、雫も空を見上げた。


 清々しい空。それは、彼女らの心の中にも広がっていた。


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