第11章 エクストラダンジョン ー③

「はあ、じゃあ、みんなしてこのよく分からない迷宮に閉じ込められているわけですね」

 久鎌井は冷静に話を聞き、状況を理解した。今回のアバター関連の事件で多くの経験を積んだ久鎌井は、もはやこの程度のことでは動じなかった。


「そうだ。そして我々の結論としては、君に三人が連絡先を聞いたら、それで出れるのではないかと踏んでるんだが?」

「え、ああ、それはいいですけど、こんな格好じゃ。スマホもないし」


 久鎌井がそう言ったとたん、その姿はいきなりいつもの制服姿の久鎌井に変わり、手元にはスマホがあった。


「え、もしかして」

 ふとスカートのポケットに違和感を覚え、綾香が手を突っ込むと、そこに彼女のスマホがあった。衣にしても同じであった。ただ、雫はまだ自分のスマホを持っていないため、現れることはなかった。


「じゃあ、月野さんにはあとで教えるとして」

 久鎌井は綾香と衣に自分の電話番号伝えた。

 この場にどうしてスマホが現れたのか理屈はわからないが、操作して電話番号を登録することはできた。ただ着信履歴を残そうとしても電話がかかることはなく、また他のアプリが一切起動することはなかった。

「へへっ、ようやく手に入れた」

 綾香は素直に喜んでいた。

「ふふ、これでようやくスタートラインね」

「わたしは、もうフライングしているようなもんですよ、先輩?」

「それは、どうかしら。わたしと久鎌井くんはもう一緒にお昼ご飯を食べる仲だかね。ね? 久鎌井くん?」


「えーっと」

 二人の妙な迫力に、久鎌井は思わず苦笑いを浮かべた。


「そ、それはそうと、まだここから出られないですかね?」

「そうだな。君があっさりミノタウロスでなくなったことからも、正解のルートだと思うのだが」

「そうだ。わたしはもう一つ肝心なことを聞いていない!」

 今度は衣が大きな声を上げた。


「久鎌井くんはもう学校に来れないの?!」

 その言葉は、久鎌井に向けられたものでもあったし、鏡谷に向けられたものであった。


 そしてそれは綾香がこの迷宮に取り込まれる直前に聞こうとしたことでもあった。


 二人の視線が鏡谷に向けられる。


「ああ、そうだな。あれだけの事件があったんだ。そしてみんな彼が特別な力を使って戦っている姿を見てしまったのだ。もう戻ることはできないだろう。もちろん、我々としても、彼の今後の人生のバックアップはする。というかむしろ彼には“パンドラ”で働いてもらうつもりだ。彼の能力は非常に優秀だからな」


「まあ、僕としては――」

「ちょっと!」

 鏡谷の話を受けて言葉を続けようとする久鎌井を、綾香が止めた。

「『僕』なんて他人行儀でしょ! ここでは、このメンバーの中では『俺』でいいじゃない!」

「あ、ごめん」

 久鎌井が咳払いをして、話を続けた。


「ここにいる人たちは、俺の家庭の事情も知っているよね? だから極端な話、俺が働いて稼げるようになれば問題ないんだ。だから、俺としては何の問題もなくてね」

「家族はどうなの? 久鎌井くんが家事をして家族を支えているんでしょ? お弁当だって作ってるじゃない!」

 衣は、必死な様子で久鎌井に食い下がった。

「家族には、組織の施設に行く前に、すでに鏡谷さんを交えて話をしている。母親は、俺がいいのなら問題はないと理解してくれている。妹は、まあ泣いていたけど」

「そもそも、この町には居られるの?」

「いや、まあそりゃあ、基本的には組織の用意したところで過ごすことになるよ。妹が泣いていたのもそれが一番の理由みたいだったけど」


「わたしだって嫌だよ!」


 衣が大声を上げた。


「久鎌井くんが遠くに行ってしまうんなら意味がない。この迷宮から抜け出せることもないんだから!!!!」


 彼女の叫びに呼応して、この迷宮が鳴動した。その瞬間、彼女から圧のようなものが発せられた。それは久鎌井、綾香、雫にしかわからないアバターの気配だ。


「やはり、君だったのか、このアバターの所持者は」

 彼女のただならぬ気配と、この迷宮の反応に、所持者でない鏡谷にもそう感じられた。

「そんなの分かんない! わたしだって気が付いたらここにいたから! でもそんなのどうでもいい! わたしは久鎌井くんと一緒にいたい。一緒に学校に行きたい。一緒にお昼ご飯を食べたい。それができないなら、ここから出れなくていい!! それがいまわたしの望んでいることだから!!!」


 衣の叫びは続く。すると、それに答えたのか、彼女の背後の影からミノタウロスが現れ、久鎌井を捕まえようとする。


 転がるように倒れこみ、久鎌井は何とかその手を避けた。


「いったん逃げるぞ!」

 鏡谷の呼びかけに、久鎌井、雫、綾香の三人がその部屋を飛び出した。

 はぐれないことだけに注意しながら、グネグネと廊下を曲がり、適当に見つけた部屋に飛び込んだ。

「追って来てる?」

「いや、特に気配は感じないけど」

「たぶん……来てない」

 息を切らした三人に続いて後からゆっくりと鏡谷が部屋に入ってきた。


「何余裕かましているのよ! 大丈夫なの!?」

「ああ、おそらくな」

 真っ先に声を上げた鏡谷であったはずだが、非常に落ち着いている。

「どうして?」

 雫が呟いた。

「ん? ああ、落ち着いて考えてみれば、沢渡くんがこのアバターの所持者である以上、我々を傷つける意味はないからな。おそらく、ちょっとした脅しだろう」


「じゃあ、なんで逃げろなんて言ったんですか?」

 次いで久鎌井が質問した。

「それは、いったん離れて、ゆっくりと考えたかったのと、君たちに説明をしたかったからな」

 鏡谷は部屋の中央に来て、壁にもたれかかっている三人に振り返った。


「どうやら沢渡くんが所持者であるようだが、まだどんなアバターなのかははっきりとはしていない。おそらく本体は、綾香くんや月野くんがみた“ローブを来た何者か”であることは間違いないだろう。

 しかし、その目的ははっきりした。それは久鎌井くんを再び学校に行かせるということだろう。詳細を言えばおそらくもう少しいくつかの目標があったと思われる。

 一つは月野くんの久鎌井くんへの思いを確認すること」


「そう言えば、割と唐突な感じで先輩が聞いていた」


「それも目的の一つだからだろう。二つ目は、久鎌井くんの連絡先を知ること。そして三つめが、久鎌井くんを学校に復帰させることだろう。

 このラビリントスは、彼女のアバターが用意した精神世界の結界のようなものだろう。そして、自分の目標を達成させるために必要な人間を、この世界に閉じ込めた」

「鏡谷さんはなんで呼ばれたの? 鏡谷さんも久鎌井の嫁候補なの?」

「な、嫁って!」

 綾香の使った表現に、久鎌井が戸惑う。


「いや、わたしはただの説明おばさんだろう」

 鏡谷は動じた様子もなく、歯牙にもかけず話を続ける。

「こうして解決へと導く案内人に指名されたといったところだろう。ただ、それを彼女が意識的に行ったのではないのかもしれない。彼女が感情を爆発させるまではアバターの気配もなかったようだし、暴走ではないにしても、無意識的に発動している状態かもしれない。何にしても、問題解決のためにこの場を用意したとすれば、彼女のアバターは……天才“ダイタロス”だろう」



 ダイタロスは、ギリシア語で「さまざまに技を凝らした」ものという意味であり、天才発明家であり、建築家である。もとはアテナイで家具の製作に従事していたといわれ、そのための道具、斧や錐などを発明したのは彼だとされている。そしてパーシパエーの道ならぬ恋を、その知恵と技術で助けたのは彼であり、その子ミノタウロスを幽閉するラビリントスを作ったのも彼である。

 アリアドネの糸についても、彼の入れ知恵であり、自らもラビリントスに幽閉されながらも、蝋で翼を作り息子イカロスとともに飛び立って脱出した。そのイカロスが太陽に近づきすぎてしまい、蝋の翼が溶け墜落してしまったのも有名な話だ。



 このアバターは、知恵を振り絞ることで苦難を乗り越えようとする思いと、何としてもその苦難を乗り越えるのだという強い意志から生まれたアバターなのだろう。

 この迷宮も、このシチュエーションも、すべては解決に向かうための筋書きなのだ。


「さて、ここからは君たちで答えを出さなければならない。ちなみにここは沢渡くんの精神世界と言える。だから彼女はここに姿を現さないだけで、話は筒抜けだと思っていい。おそらく、解決策を見つけ出すまで、待っているのだろう」

「ずいぶん他人任せなアバターなのね」


「一人でなんでもできることがわけではないことを分かっている、聡明なアバターさ」


「でも、そんなの、久鎌井が学校に戻るっていえばいいだけじゃないの?」

「いや、そんなこと言われても、あんな事件があって、みんなに見られているし、戻れるわけないじゃないか」

「えー、わたしだって久鎌井と学校行きたいし、不本意だけどなんなら先輩とわたしとあなたで三人で登校する? 両手に花よ? ウハウハよ」

 衣も綾香も、学校で噂になるほどの美人ではある。


「それ、逆に刺されそうな気がする」

 男女ともに人気のある二人だ。全校生徒を敵に回しかねないように思われた。


「ほんとは嬉しいくせに」

「嬉しくないわけないさ……俺だって男だし。でもちょっとさすがに……」


「分かった。じゃあ、もうここでわたしと付き合うってことにするってのはどう? それはそれで解決なんじゃない? ちょっと、沢渡先輩も聞いているなら出てきてよ! 話をつけましょう!!」

「ちょ、ま、急展開すぎるんだけど!!」

「まあ、確かに、久鎌井くんが選んだっていうなら、それは仕方ないことよね。それはそれで一つの決着というやつね」

 声がした方向に振り向くと、そこには衣の姿があった。


「なんで二人ともそんなに男前なのさ!」

 突然衣が現れたことよりも、衣が綾香の提案に納得して頷いていることに驚きの声をあげる久鎌井。


「つべこべ言わないの! でさ、どうするの?」

 少し怒った様子でいながら、頬を赤らめた綾香が久鎌井のもとに近寄ってくる。


「そうね。久鎌井くんの出した結論なら、わたしは納得するよ」

 衣は、胸に手を当て、深呼吸をした後、久鎌井の顔を見つめながら歩み寄ってくる。真剣でいながら頬を赤らめ、少し涙をこらえているようなこわばった表情にも見えた。


「雫くんはいいのかい?」

 そんな二人の様子を見て、鏡谷が雫に尋ねた。

「うん、わたしに、いまはそんな余裕はない。彼のことは好きだけど。それだけでいい」

 雫は表情を変えずに、真っすぐに久鎌井ら三人を見つめていた。


「え、あ、ちょっと待って、なんでさっきからこんな急展開なのさ。いまここでなんて決められないよ! 二人とも魅力的だし」


「え、ちょっと、二人同時ってのは…」

「わたし、久鎌井くんの決断なら…」


「だからちょっと待って! 俺たちは仲良く話すようになって間もないじゃない! いきなりどちらと付き合うとか、考えられないよ! それに自分のこれからのことだって、不安なところはあるんだから!」

「「だったら、一緒に学校行こうよ!!」」

 綾香と衣の声が重なった。

「なんなら、月野さんも天ヶ原高校に編入しちゃおうよ。そして、みんなで楽しい高校ライフを送ろうよ」

「え!?」

 綾香の提案に、雫は目を丸くしていた。そんなこと考えたこともなかった。


「でも! ……日比野は、あいつは俺を狙ってきてたんだ。言ってみれば、みんなは巻き添えになったんだ。俺があの場にいなければ、あんなことにならなかったんだ!」

 後ろめたい気持ちも、申し訳ない気持ちもある。確かに、久鎌井とて、いままでと同じ生活が送れたらいいとは思う。しかし、そんなことは自分には許されないのだという思いも存在していた。


「そんなの関係ないわよ! じゃあ、例えばわたしが振った男が自暴自棄になって誰かを傷つけたとしたら、それはわたしのせいなの?!」

「それは違うよ! でもそれとこれとは……」

「あんたにとって違っても、わたしにとっては一緒! 分かった。わたしに考えがある。鏡谷さん、沢渡先輩、月野さん、ちょっと耳かして」

 綾香が早い気荒く久鎌井以外を集めると、彼を蚊帳の外にして、ひそひそ話が始まった。


「むう、まあ確かにそうだ……」

「でしょ? だから……」

「うん………うん、わたしも、入っていいの?」

「そうね、いいかも!」


 久鎌井には話し合いの内容は分からなかったが、彼女たちの盛り上がり様を見る限り、話はまとまりつつあるようだった。


 すると、皆の体が、急に半透明になりだした。


 それぞれに驚いて周囲を見渡すと、迷宮もまた、半透明になり消えかけている。

 “ダイタロス”の生み出した結界が消えかけている。ということは、衣が抱えていた問題が解決に向かっているということだ。少なくとも、所持者である衣が納得しかけていることは間違いないだろう。


「あ、久鎌井! えーっと、明日は無理だから、明後日、学校に行く準備をしていなさい! いいわね! わかった?!」

 綾香の叫び声を最後に、皆の意識が遠のいた。


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