第18話 それぞれの夜

 全員が部屋から出て行った後、灯りを消して、アリシアは一人ベッドに横になっていた。

 眼は閉じているが、意識は不思議なほどはっきりとしている。

 正直、眠れそうになかった。

 自然と脳裏に浮かぶのは、あの男、シウムの作り笑顔だった。

 人に関心を持っていないことがわかる薄っぺらい表情が、こびりついて離れない。

 気に入らなかった。その顔が、その傲慢さが。すぐに怒るアリシアではあったが、これほどの怒りを覚えたのは、久しぶりだった。

 しかし、シウムは強かった。自分よりも、いや、下手をすればフリッツよりも強い。それほどの力を持っている。それは、間違いのない事実だった。

 動かし難い、現実。それでもアリシアは、ベッドの中で拳を握りしめた。

 その拳には、力がある。

 世を渡り切れるほどには強く、けれどフリッツのような達人になるためには、あまりにも弱い力が、ある。


「今あるこの力で、先へと進む。そのためには、知恵を絞るのよ」


 誰にも聞かれるはずはないのに、誰にも聞こえないほど小さく呟いて、アリシアは再びシウムの姿を思い浮かべる。

 彼は強い。では何故強いのか。

 速さも、力もそれなりにはある。しかしどちらも、アリシアとそう変わらない。

 決定的な違いは、その気配の薄さだった。

 目の前に姿があるのに、気配が薄過ぎて、どこにいるのかを見失う。そんな不思議な感覚だった。

 とても常人にできることではない。何らかの魔法かもしれないが、どのような魔法か、想像もつかない。聖魔法はともかく、精霊魔法は使い手によって千差万別の効果を生む。どの精霊と契約すれば気配を薄くできるかなど、想像すら難しい。

 考えれば考えるほど、わからない事が増えていく。


「ダメね」


 呟くと、アリシアは身体を起こした。サイドテーブルにある水差しから、グラスへと水を注ぎ、ぐっ、と飲み干す。冷たい潤いが身体中に染み込み、固まった頭をほぐしてくれるような感覚を覚える。


「さて、もう一度整理しましょうか」


 夜はまだ長い。焦ることはない。


「あのクソ野郎を、ぶちのめす算段を。それから、夢魔とどうつながるのかを、ね」


 アリシアはそう考えて、ベッドから、執務机へと向かった。




 ビットは一人、立っていた。灯りを消した部屋で、ただ、立っていた。


「……」


 ともすれば夜に溶けていきそうなくらい、存在感を希薄にする。

 そのまま、動く。早く、小さく。

 しかし、存在感が膨れ上がる。ビット自身、はっきりと自覚せざるを得なかった。

 話を聞く限り、シウムという男はビットよりも強い。

 少なくとも、同じ流儀で戦えば、恐らく一方的に負ける。

 ならば、どうすればいいのか。今ある力で、アリシアを護るためには?

 ビットは無言で考える。状況を打破するためにこそ、知恵を絞る。

 その思考方法は、アリシアと非常によく似ていた。




 クリスは自室で一人、膝を抱えて座っていた。

 最早何をどうしていいか、わからなかった。自分が動いたことで回り始めた歯車は、今は自分の理解を超えた進み方をしている。

 ――エリスを、妹を、助けたい。

 ただそれだけだった。その一つの確固たる意志を持って、クリスは男装して旅に出た。

 しかし成果は、何もなかった。

 一度戻ろうと思い、焦って間道を使った事がまずかった。いや、あるいは、良かったのかもしれない。

 クリスは山賊に襲われ、そして彼らと出会った。

 アリシア、ビット、そしてフリッツ。

 商人を名乗る彼らは、冗談のような強さを持っていた。さらに、深い見識をあわせ持っていた。

 彼らこそが救いの主に違いない。そう思い、アリシアに頼み込んだ。

 だが、万能に思えた彼女は、今日意識がない状態で発見された。しかもそれを為したのは、従兄のシウムであるという。

 それも、俄かには信じ難かった。クリスの知るシウムは常に穏やかで、幼いころからクリスとエリスの面倒を見てくれていた。

 その彼が、アリシアを圧倒する強さを持っていた事も驚きだが、なによりもエリスが目覚めることに反対しているとは思えなかった。

 わからない。何もわからない。

 ぐるぐると渦巻く思考の中、彼女は泣きたい気持ちを懸命に堪える。

 そして、すべてを放棄しそうになった時、彼女は見た。

 夜の闇を切り裂く、金色の光を。


 慌てて窓に駆け寄る。そこにいたのは――




 フリッツは、一人で再び中庭に来ていた。理由というほどのものはないが、何となく眠れなかったからだ。

 いや、何となくではない。

 気持ちが高ぶって、眠れなかったのだ。だから、一人で夜の庭を歩いている。

 月明かりに照らされた庭は、色とりどりの花が咲き誇る昼とは違い、静謐とでも言うべき雰囲気で満たされている。

 少しだけ、白い色の花が咲いていた。フリッツには名前こそわからなかったが、夜にひっそりと咲く花も、美しいと思った。

 そのまま、空を見上げる。一面の星が、月にその主役を譲っていた。

 幻想的で、少し儚くも美しい景色。フリッツは世界の美しさに思わず息を呑んだ。

 こういう景色に、ふと出会う。だからこそ、フリッツは旅をしている。

 そのことを改めて強く意識したその時、粘りつくような視線を、フリッツは感じた。

 いや、視線ではない、視線は周囲すべてから、一つの気配で来たりはしない。


『どう見ても、消すならお前からだ』


 脳裏に直接、そんな声が聞こえた。

 その意味を問う間もなく、粘りつく視線は、殺意に変わる。

 音もなく、闇が姿を変えていく。

 それに合わせるように、フリッツの瞳が細くなった。闇がもたらす殺意を吹き飛ばすほどの闘気が、フリッツから噴き出す。

 闇はしかし、当然気にすることもなく、姿を獅子へと変えていく。

 四頭の闇でできた獅子。あまりにも禍々しい獣に囲まれて、フリッツは一声、叫んだ。


「展開せよ!」


 その声に応じ、フリッツの左腕の腕輪が輝く。

 螺旋をほどきながら、闇を切り裂く金色の棍となってフリッツの手の中に収まる。


「はああああああっ!」


 雄叫びが、静寂を切り裂く。それを加速させるように、闇の獣たちが咆哮を上げた。

 四匹と一人が、動く。

 美しいはずの世界は、突如訪れた騒乱を、ただ受け入れる。

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