第7話 襲撃

 翌朝、朝食を取ってから宿を出た四人の道中は、平穏なものだった。クリスが何くれとなくフリッツに対抗心を燃やして張り合おうとする以外は、平穏そのものだった。




「ああ、平和だ……」


「イノシシが馬車に突っ込んで来たっていうのに、顔色一つ変えずに殴り飛ばした直後にいうセリフじゃないと思うんだけど……」




 面頬の奥から、クリスが呆れ返った口調で突っ込んだ。少女の口調は公衆浴場以来、完全な普段使いの言葉になっていたが、男装をやめるつもりはないらしい。


 しかしそんな少女の突っ込みをあっさりと無視して、フリッツは荷室内のアリシアへと報告する。




「排除しました」


「そう。食べられそう?」




 アリシアの言葉に、クリスが一歩引いたのがわかったが、フリッツはそれに構うよりも主への報告を優先した。




「ちょっと大きいので、解体には時間がかかりそうです」


「そう。ならいいわ。先を急ぐわよ」


「はい」




 あっさりと放置の結論が出て、フリッツは再び御者台へと上がった。クリスも続く。




「あ、あなた達、さっきのイノシシを食べたりもするの?」




 御者台に上がるなり、眼を丸くして尋ねてくるクリスに、フリッツは苦笑した。




「そりゃそうだよ。新鮮な獲物が食べられるなら、その方がいいさ。イノシシだって割と美味しいよ?」


「え? そうなの? そうは思えないけれど……」


「食べてみればわかるよ。まあお嬢様なんだから、ムリに食べなくてもいいと思うけれど」




 言わなくてもいいことを口にしたフリッツは、失言にまったく気づいていなかった。




「食べてやるわよ食べて! 今からイノシシ拾ってくるわ!」


「待って待って待って!」




 だからそう口走って、馬車から飛び降りようとするクリスをなだめるのに、必死になる羽目になった。


 御者台の騒ぎは聞こえているはずなのに、アリシアもビットも何も言ってこない。


 明らかに楽しまれている。


 腕力でもってクリスの身体を御者台にとどめることに成功したフリッツは、内心で一人溜息をついた。








 その日の夜。町に入ることができなかったために、一向は馬車を止めて街道沿いの空き地で野宿することにした。


 ビットがあっという間に火をおこし、大鍋に具材を入れてシチューを作っていく。




「イノシシ騒ぎの分、多少遅れたわね」


「仕方ありません」




 ビットは特に不満を漏らすこともなく、ただそう口にした。その間にも動きは止まらず、てきぱきと夕食の準備を整えていく。


 フリッツにもアリシアが何を問題にしているのかわからなかったが、アリシアは不満げに続ける。




「まあ、アクシデントといえばそうなんだけどね。明日にはシェルフィア領に入るわ」




 その言葉で、フリッツは納得した。ビットの手も一瞬止まる。


 ただ、クリスだけが空気の変化を感じ取りはしたものの、何が理由かわからずに、3人の間に視線を行ったり来たりさせていた。




「フリッツ、今日は不寝番よ。ビットも手伝いなさい」


「はい」


「わかりました」




 ビットとフリッツはそろって頷いた。


 ほどなく、シチューが話題を変えさせるかのようにぐつぐつと音を立て、完成を知らせてきた。








 そして、深夜。誰もが寝静まる頃。最小限の火をフリッツとビットが囲み、周囲をそれとなく警戒する中。


 静寂を切り裂く風切り音を伴って、矢が降り注ぐ。暗闇の中でも正確に、二人に向かってくる。


 ビットはすぐさま火から離れ、闇へと姿を溶け込ませる。


 一方のフリッツは、左腕を突き出して、叫んだ。




「展開せよ!」




 言葉と同時、左腕の腕輪が輝き、閃光を放ちながらその形を変えていく。


 螺旋がほどけ、太く、何物にも折れぬ芯が入った一本の棒へと変じ、フリッツの左手に収まる。


 フリッツは金色の棍を手にすると同時、それを左手だけで回転させる。


 片手にも関わらず、恐るべき速度で棍は盾のような残像を描き、矢を弾き飛ばしていく。


 矢の攻撃が止むのに合わせて、フリッツも棍を両手で構えなおす。


 油断なく、周囲全体に意識を巡らせていく。


 姿は見えない。気配も感じない。それでもフリッツは、右手側の空気のわずかな揺らぎを見逃さなかった。


 それがフリッツに迫るのに合わせて、正面を向いたまま。逆に一歩踏み込む。急に間合いをずらされて、襲撃者の気配が露わになった。




「ふっ!」




 眼で姿を確認することすらせずに、フリッツは棍を左手だけで気配の方向へと突きこんだ。鈍い音がして、接近が止まる。


 フリッツは容赦なく追撃をかけた。相手に棍が当たっている状態で、更に棍を押し込むように右側へと跳躍した。


 げほっ、と空気が抜ける音がして、襲撃者が完全に沈黙する。


 






 闇に気配がざわつく。襲撃者達の人数はわからないが、動揺が広がっているのがわかる。


 ここが好機と判断するが、フリッツは動かない。棍の中心を両手で持ち、胸の位置で油断なく構える。


 普段護るのは、フリッツの役目ではない。フリッツの役目は、荒事担当。相手を制することが役目である。


 しかし今、ビットが闇に紛れて姿を消している。ならば、主人とゲストを護らなくてはならない。


 フリッツは気を引き締め、馬車の方へとゆっくりと移動する。


 近くから、ゴキッ、という何かが軋む音がしたが、フリッツは気にとめなかった。








 焚火の明かりが届かない闇の中で、ビットの肘は的確に相手の胸に叩きこまれていた。


 あばらが折れる確かな音を確認して、再び動く。


 動き自体はフリッツほど速くないが、滑るように音もなく動き、あっという間に別の襲撃者の側面へ回り込む。


 襲撃者がビットに気づき、短刀を突き込む。


 しかしビットは腕のすぐ横をすりぬけるように動き、すれ違いざまに膝を鳩尾に叩き込んだ。




「がっ……」




 呻きをあげる男の背中に容赦なく肘を入れる。狙いは背骨。


 何かが軋んだ音がして、今度は呻きを上げることもできずに、襲撃者は倒れた。


 ビットは油断なく周囲に意識を巡らせる。


 襲撃者は逃走したのか、それともまた気配を消したのか、何の気配も感じなかった。


 ――ただ一人を除いては。


襲撃者の一人が、破れかぶれにか雄叫びをあげながら、馬車に向かって突進していった。




 「棍を持ったフリッツを相手にするなら、まだ私を相手にした方が楽ですけれどね」




 ビットは小さく呟いて、最後の一人を追わずに、倒れている男たちの身体を探り始めた。








 馬車へと近づく襲撃者の姿を認めて、フリッツは、訝しげに眼を細めた。


 これまでの、周囲に溶けるような動きとは違う。その襲撃者は速く、そして直線的な動きをしていた。


 まるで、捨て身の覚悟を固めたかのようだった。


 フリッツは警戒し、腰を落として右半身に構える。


 男は、走りながら口の中で何かを呟いた。そのままとまらずに、声は叫びに変わる。




「我が意を汲みて、力となせ! 炎の槍!」




 叫びは力ある言葉となって、突き出した腕から炎が槍のように伸び、フリッツを貫こうと襲いかかる。


 ――精霊魔法!


 フリッツは胸中で驚愕の叫びをあげた。


 精霊の力を借りて、自然を操る精霊魔法は、欠点が多数ある。


 たとえば、発動までに呪文や意識の集中が必要となるということ。使用後は体力を奪われるということ。一人は一つの属性を司る精霊しか操れないこと。


 そして何より、才能を持つ人間が極端に少ないこと。


 それでも、欠点を補って余りある長所がある。


 すなわち、抵抗の余地のない自然の力を操るという長所が。


 眼前の男が放った精霊魔法はそれほど高度なものではないが、充分な殺傷能力を持っている。その上、普通であれば、避ける方法などない。


 しかし、フリッツは対応する。




「はあっ!」




 気合と共に、棍を炎に向かって突き入れる。黄金色の軌跡が炎に穴を空ける。


 まばらに広がった炎が黄金色に吸い込まれるように消えていく。




「バカなっ!」




 魔法を放った襲撃者が驚愕の叫びをあげる。


 その隙を見逃すはずもなく、フリッツの棍は男の顎を的確にとらえた。


 どしゃり、と音を立てて地面に崩れる男。それを見下ろして、フリッツは軽く息を吐いた。


 見ると、ちょうどビットが戻ってくるところだった。




「ご苦労さま」




 いつの間にかアリシアが起きだして、馬車の中から出てビットとフリッツに労いの言葉をかける。隣には、クリスもいた。こちらは驚愕に口をあんぐりと空けている。


 フリッツはクリスの顎が外れたのかと思ったが、そうではないらしい。




「あ、あ、あなた、本当に何者なの? 魔法を吹き飛ばすとか、無茶苦茶よ」




 何も無茶苦茶ではない、とフリッツは思いつつ、反論を試みる。




「あんなのは速度があればできるよ」




 その常識をまったく無視した言葉に、アリシアがこめかみを押さえた事にも気づかずに、フリッツはゆっくりと気絶した男を縛り上げる。


 そのあまりに気負いのない様子にクリスは一瞬呆然としたが、すぐに気を取り直してフリッツの左腕を指差した。


 正確には、左腕に巻きついている腕輪を。




「そもそも、それは何?」


「よくわからないな。便利な棍?」




 またもあっさりとボケるフリッツに、クリスはじたばたした。




「疑問形になるなあー!」


「??????????????????」




 どうしてクリスが激昂しているのかわからず、顔をクエスチョンマークでいっぱいにするフリッツを見て、アリシアは小さく呟いた。




「相変わらずの天然ものね」


「どうしますか?」




 その呟きに気づき、応じたのはビット。二人の顔には似たような苦笑が浮かんでいる。


 それを確認して、アリシアは一つ頷く



「尋問はわたし達でやるわ。自害はさせてないわね」


「もちろんです」




 言いながら二人は歩き始める。フリッツが縛り上げた襲撃者をビットが引きずりながら。


 二人は、再び闇の中へと姿を消していく。




「だから、あなたは――!」


「あれ?」




 しばらくたって、いい加減クリスの相手に飽きてきたフリッツが、二人がいないことにようやく気づき、疑問の声をあげた。




「無視するなー!」




 しかしそれはすぐにクリスによって強制忘却させられた。


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