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「何だったんだろう」

 あいも変わらず続く真っ白な氷の通路を進みながら、百合香はつぶやいた。つい先刻まで行われていた、不思議なバンドのライブについてである。

『うん。百合香の歌を聴いてたら、なんかロックっていうものの良さが、少しだけわかった気がする』

「ほんと!?」

 百合香が突然目をキラキラ輝かせたので、瑠魅香は少し笑った。

『百合香って、ほんと面白いよね。すまして座ってれば、お淑やかに見えるけど。実は熱血少女だもんね』

「そ…そうなのかな」

『ふふふ。ねえ、あなたの好きな音楽、こんど聴かせて』

「うん!癒やしの間に揃えておく」

 はたして注文どおりのものが揃うかどうかは不明だが、百合香はそう約束したのだった。


『なんか百合香って、氷魔と仲良くなるのが上手いよね』

「なに、それ」

 百合香は笑う。しかし、現実に今まで百合香と共闘ないし、協力関係のようなものを結んだ氷魔はいる。

『戦わないで済むなら、それが一番だろうね』

「そうも行かないのが、残念な所ではあるけどね」

 百合香は、右手に持った聖剣アグニシオンを見る。この刃で、これまで何百の氷魔を斬り伏せてきたのかわからない。

「…ねえ、氷魔って、倒されたらどうなるの」

 突然立ち止まって百合香は訊ねた。

『…気になる?』

 百合香は小さく頷く。

『私に敵意を持って向かってきてるのは確かだけど。操られてるんでしょ、彼らは』

『それはどうだろう』

 瑠魅香の返しは、百合香には意外だった。

「違うの?」

『私の雑感だから、鵜呑みにはしないでね。でも、確かに強制的に氷の肉体を与えられて、この城に縛りつけられてる個体もたくさんいるけど、中には自分から進んで氷魔になった、精霊体も多いと思う』

「なんで、そんなことを望むの?」

『そりゃあ、精霊だからって"いい人"ばかりじゃないって事よ』

 瑠魅香は、ぽつぽつと語り始めた。

『まずこれからは、氷の肉体を持つ者を氷魔、精霊体の存在は"精霊"って分ける事にしよう』

「うん。つまり、瑠魅香は元・精霊ってことね」

『そう』

 


 瑠魅香が知っている範囲の知識によれば、そもそも精霊の中から氷魔になる道を選んだ個体が、いつ発生したのかはハッキリわかっていないという。

 人間の時間の単位で、おそらく数万年、あるいはもっともっと過去に遡る事は確実らしい。しかし、明確に"いつ"なのか、という情報はない。


 精霊は確かに、人間よりは心穏やかな存在である。「基本的に」争う事はなく、マグショットのように鍛錬を欠かさない者は、あくまで己を磨くためにそれを行なっていた。

 しかし、と瑠魅香は言う。

『争いを好む個体が、いないわけじゃない』

「そうなの?」

『論より証拠。だからこそ、あなた達が"氷魔"と呼ぶ存在が誕生して、氷巌城なんてイカレたものが造られたんでしょ』

 まったくもって瑠魅香の言う通りだった。でなければ、今こうして一人の女子高生が、剣を片手に氷のダンジョンをうろついてはいない。


『氷の精霊は、地球の、人間や普通の動物が住めないような極寒地帯に住んでいるの。私が住んでいたのは、あなた方の地図でいう北極と呼ばれる地域』

「北極!?」

 百合香はストレートに驚いた。

「あなた北極出身だったの!?」

『そうよ』

「北極のどこらへん!?」 

 百合香は興味津々で訊ねた。いつか人間になったら、出身地は北極です、と答えるのだろうか。

『うーん。場所、っていうのが、人類の言う三次元的な概念と、微妙に異なるんだ。だから、地図で北極のどこ、って特定はできない。…強いて言うなら、"北極として知られる半次元の層"とでも言うべきかな』

「はんじげんのそう??」

 いよいよ理解が追いつかなくなってきた百合香の脳内に、クエスチョンマークが大量発生した。

『ストップ。それ以上考えても理解できないよ。ざっくり、北極って覚えておけばいい』

「わからないけどわかった」

『うん。そして氷の精霊は基本的にはそういう、極低温の世界でないと存在できない。精霊には様々な種類がいて、岩に住む精霊、大気に住む精霊、そして地球の外に出れば、あなたが"太陽"と呼ぶ星に住んでいる精霊もいる。まあ、これは本題とは関係ないから無視して』

 無視するには、ものすごい情報である。

『だから、氷の精霊にとっては、世界が寒くなってくれた方が存在しやすい。それは理解できるよね』

「うん」

『でも、地球に極寒の地域はそれほど多くはない。かといって、冷たい他の惑星に移住できる力もない。やがて氷の精霊の中から、それを地球上で、意図的に実現しようという個体が現れた』

「…それが、氷魔ということなのね」

 百合香は、いつかガドリエルから聞いた話を思い出していた。瑠魅香と彼女の語る内容は、おおむね整合性が取れる。


『それで、前置きが長くなったけど、さっきの質問ね。氷の肉体の状態で、あなたが言うところの"死"を迎えた氷魔が、どうなるのか』

「うん」

『実を言うと、ハッキリ"こうです"という決まったパターンはない、っていうのが回答になる』

「どういうこと?」

『例えば百合香。あなた、前世の事を覚えてる?』

「え?」

 唐突な問いになんだそれは、と百合香は思った。

「…私は覚えてないし、覚えてない人間の方が多いと思う」

『つまり、"死ぬ前"の記憶がないってことでしょ』

 百合香は、瑠魅香の言うことがだんだんとわかってきた。

「…存在が消えるわけではないけれど、それまでの人格は消滅する?」

『大雑把に言えば、そういうこと。例外を除いてね』

「例外って?」

『例えば、マグショット』

 またも意外な名前を出されたので、百合香は面食らった。

「マグショットがどうしたの?」

『ハッキリ言ってないけど、彼はおそらく、この前に氷巌城が地球に現れた時も、ここにいたんだと思う』

「え?」

 いよいよ、話が百合香の理解を超え始めた。

「だって、氷巌城は現れるたびに、新たに創られるんでしょ?兵士たちもその都度創られるんじゃないの?」

『私もそう思ってた。けど、サーベラスとかマグショットの話を聞いて、ある推測に辿り着いたの』

 まるで、小説の名探偵のように瑠魅香は語る。何となく、百合香はその先を聞くのが怖いと感じたが、瑠魅香はそのまま続けた。


『私の推測、それはね。この氷巌城は、その"基礎"となる情報が、常にどこかに保存されているのではないか、という事なの』


 百合香は、その語る内容を理解するのに必死だった。基礎となる情報って、どういう事だ。

『例えば百合香、さっきあなた、何とかっていう曲を歌ってたわよね』

「うん」

『それは、歌詞やメロディが"情報"として保存されているから、ああやって再現できるわけでしょ?』

「あっ」

 その比喩で、百合香はピンときたようだった。

「城を構成するための基本情報は、城がたとえ滅びても存在し続けるっていうこと!?」

『そう。私の推測ってことは忘れないでね』

「……ちょっと待って。じゃあ、サーベラスが言っていたような、前の時代にもこの城にいた、みたいな話って」

『そう。おそらく彼らは"基本情報"に常に取り込まれていて、たとえ死んでも城に縛られ続けている存在なんだと思う』


 その瑠魅香の推測が正しいのかどうか、百合香には当然、判断のしようがない。だが、百合香はそれを聞いてぞっとした。

「…そんなの、おかしいよ」

『うん』

「誰かの魂を、自分たちの目的のために常に縛り付けておくなんて」

 百合香の心の中に怒りの炎が燃え上がりかけたが、ひとつの疑問がそれをいったん収まらせた。

「待って。じゃあ、たとえこの城を消し去ったとしても、その"基本情報"がどこかに残っていたら」

『うん。後の時代に、また氷巌城は再現できるって事だね』

 その、淡々とした推測に百合香は愕然とした。今こうして命がけで消し去ろうとしている城が、消し去ったところで、また再建される可能性があるということだ。

 それでは、この戦いに何の意味があるのか。百合香は突然の虚無感に襲われ、壁に背を預けてへたり込んだ。


「…わたし、何のためにここまで来たんだろう」

『バカね、百合香らしくない』

「え?」

 突然の叱咤に、百合香は戸惑う。

『私が好きな百合香は、道理も何も意志の力でねじ伏せる、そういう女の子よ』

「…バスケットの試合で勝つのとはわけが違うんだよ」

『だから何よ。今まで、とても勝てそうにない相手を、倒してきたじゃない。敵としか思えない相手と、手を結んでみせたじゃない』

「……」

『百合香。あなただったら、どう考える?基本情報が残っている限り何度でも甦る、そういう城を滅ぼすには』

 瑠魅香は、何かを促すように百合香に語りかける。百合香は、少し考えたのち、ものすごくシンプルな答えに辿り着いた。


「…城の基本情報を消し去ればいい」


 百合香がぽつりと言った解答を、瑠魅香は微笑んで採点した。

『正解よ。よくできました』

「でも、そんなものどうやって探し出すの」

『探せばいいじゃない』

 またしても、瑠魅香の解答は笑ってしまうほど明快である。

「…どうやって?」

『その方法も、探ればいい。私達には、情報収集の強い味方がいるでしょ』

 百合香の脳裏に、あの探偵猫集団「月夜のマタタビ」の面々の顔が浮かんだ。

『それに、サーベラスみたいな、こっちの味方になってくれた氷魔だっている。この先も、ひょっとしたら同じように協力的な相手がいるかも知れない』

 その瑠魅香の言葉に、百合香はなんとなく、楽観的な気持ちが湧いてくるのを否定できなかった。

『あなたが思ってるほど、敵ばかりじゃないって事よ』

「…そっか」

『どこにあるかわからない?だったら、探せばいい。何ならラハヴェとかいう奴を縛り上げて、吐くまで拷問してやろうよ』

「ふふっ」

 瑠魅香の無理難題に、思わず百合香は吹き出してしまった。

「ねえ瑠魅香、そういう無茶苦茶な注文のこと、なんて言うか教えてあげる」

『なにそれ』

「そういうの、"無茶振り"っていうのよ」

『むちゃぶり?』

 少し間を置いて、百合香の頭の中に瑠魅香の爆笑が響き渡った。

『あははははは!!なにそれ!!変なの!!』

 どうやら、言葉の響きが瑠魅香のツボに入ったらしい。

『ひひひひひ!ムチャブリだって!!ひーっひっひっひ』

「そこまで面白いかな」

『ムチャブリ!!やばい、お腹痛い』

「人の頭の中で爆笑しないで!!」

 悩んでいるのがバカバカしくなってきた百合香は、立ち上がって歩き始めた。

「行くよ、瑠魅香」

 まだ脳内での爆笑は続いている。自分が笑ってたら、即座に敵が駆け付けてきただろうなと百合香は思った。




 ようやく瑠魅香の大爆笑が収まってきた頃、百合香は奇妙なものを拾い上げていた。それは、紙のようなシート状のものが、くしゃくしゃに丸められているものだった。

「…何だろう、これ」

 気になって、それを広げてみる。感触は再生紙、といったところである。


 そして、広げて百合香は驚いた。そこには、自分の顔写真がデカデカと印刷されていたからである。

「!??」

 驚きすぎて、百合香には声もなかった。

 そしてよく見ると、写真の上には横文字で、よくわからない文字が書かれている。ようやくそれが何を意味しているのか、百合香は理解した。

「…新聞だ、これ」

『しんぶん?』

「私達の世界の、情報媒体」

『あー、なんかそういえば、あったね。こんなの作ってるクラブ』

 新聞部だ。ガドリエル新聞部は、たまに飛ばし記事をやらかすのでタチが悪い。

「…まさか、新聞部のコピーまで存在するのか、この城には」

『どれどれ』

「読めるの?」

『うん』

 どうやら、氷魔には文字があるらしかった。それ自体が凄い情報ではある。

『…読み上げていいの?』

「うん。…いやちょっと待って」

 百合香は瑠魅香の態度に、何か良からぬものを感じた。人の顔写真が載っている新聞を、本人の前で読み上げていいかどうか確認するのは、どういう理由からだろう。

「…いいわ、どうぞ」

 深呼吸したあとで、百合香は許可を出した。

『読むね。まず見出しから。”氷巌城に人間社会からの侵略者現る”』


 見出しと、それに続く文面は次のようなものだった。




 【氷巌城に人間社会からの侵略者現る】


 氷巌城統治機構の発表によれば、我が氷巌城に対する、人類からの悪逆非道な侵略行為が確認された。侵略者(写真)は悪趣味極まる黄金の剣と鎧で武装しており、容姿は一見すると秀麗なるも、その実態は残忍、凶暴、悪逆非道の権化であり、我が善良かつ強力なる兵をもってして、すでに多数が無念にもその凶刃の餌食となったという。

 現在、軍は総力を挙げてこの邪智暴虐なる侵略者の捜索および駆逐にあたっているが、誉れ高き氷騎士がすでに卑怯極まる残忍な手段によって



「ストーーーップ!もういい!!」

 百合香の怒気をはらんだストップによって、瑠魅香は読み上げるのをやめた。

『だから言ったじゃん』

「悪逆非道ってなによ!!」

『あたし読んだだけだよ。文句なら書いた人に言ってよ』

 瑠魅香の言う事はまったくその通りなのだが、百合香は憤りを向ける矛先が見当たらず、その言われように憤慨した。

「邪智暴虐とは何よ!走れメロスじゃあるまいし!!」

『そんな怒っても仕方ないじゃん。メロスって誰だか知らないけどさ』

「許さないわ。こんな三流記事を書いた奴、ただじゃおかないから!!」

 

 百合香は激怒した。

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