Na Na Na
若干キレ気味な百合香の"ボイスパフォーマンス"に、なぜかオーディエンスのJK氷魔たちは歓声を上げて応えた。瑠魅香のキャンセリング魔法のおかげで、百合香にダメージを与える帯域はカットされているらしく、今度は何ともない。
「そうじゃないでしょ!!」
さらにキレる百合香だったが、熱狂は収まらない。
そうしているうちに、ステージのバンド氷魔たちが楽器を手にして百合香に迫ってきた。
『百合香!』
「ライブハウスで乱闘騒ぎなんて、もう出禁ね」
さっきと同じように殴りかかってくるか、と百合香は剣を構える。しかし、氷魔たちは予想外の行動を取った。
なんと、百合香に向けて再び演奏を開始したのだ。
「もうそんなもの効かないわよ!」
『待って、百合香!』
「え?」
瑠魅香の注意で百合香は一瞬立ち止まる。すると、ステージ横のアンプらしき箱状のオブジェから、百合香めがけて波動のようなものが飛んできた。
「うっ!」
それは、神経に作用するのではなく、物理的な圧力をもって百合香の全身を揺らした。黄金の鎧ごと、百合香は骨格をハンマーで打たれるかのような衝撃を受けた。
「ああああーっ!!」
『百合香!このーっ!!』
咄嗟に瑠魅香が表に出て、魔法を唱える。その一瞬だけ瑠魅香もダメージを受けた。
「ぐううっ!!」
なんとかこらえて、魔法を放つ。逆位相の波動が、その波動を打ち消して行った。
『瑠魅香!』
「まずいね、このままだと…身動きが取れない」
杖から波動を放ちながら、瑠魅香はこの状況を切り抜ける方法を考える。音は左右から飛んでくる。
「なら…こうだ!」
瑠魅香はステージ後方、座ったままのドラマーの背後に素早く回ると、逆位相の波動を解除した。
すると、瑠魅香を狙っていたアンプからの波動は、ドラマーを直撃した。
「アギャアァァ―――ッ!!」
マッシュルームカット風のドラマー氷魔は直撃した振動波に耐えきれず、関節部にダメージを受けてその場に崩れ落ちてしまった。バンドメンバーは慌てて演奏をストップする。その隙を瑠魅香は逃さない。
「今だ!!」
お返しとばかりに、瑠魅香もまた波動の魔法をステージ全体に向けて放つ。名前も知らない氷のロックバンドは、楽器ごと弾き飛ばされてそのままぐったり動かなくなってしまった。
「どんなもんよ!」
『私がトドメ刺したかった』
「百合香ってキレると物騒だよね」
若干引きながら、瑠魅香はマイクを片手にステージ下のオーディエンス達に向かって叫ぶ。
「道を開けなさい!同じ目に遭いたくなかったらね」
もはやバンドマンというよりはプロレスラーだな、と頭の中の百合香は顔を引きつらせた。
すると、観客席は水を打ったように静まりかえる。
「よーし、それでいい」
瑠魅香はゆっくりと横の階段から降りようと歩き出した。しかしその時、舞台の袖から足音がするのに気付いて、視線をそちらに向ける。
「?」
それは、人影だった。ダラリとした長髪を模した頭部に、長いドレスを引きずっている。肩には何かを抱えているように見えた。
「まだいたのか!」
咄嗟に瑠魅香は杖を構え、戦闘態勢に入る。だがその時、オーディエンスの視線は最初から、そのドレスの氷魔に向けられている事に気がついた。
「こいつは…」
『瑠魅香、先手必勝よ!』
「わかった」
瑠魅香はためらう事なく、同じ波動の魔法をその氷魔に向けて放った。
だが、その波動は、突然聴こえた張りのある謎の音波に弾き飛ばされてしまった。
「え!?」
驚いて瑠魅香は、改めて照明に照らされたその氷魔を見る。それは、ヴァイオリンを奏でる氷魔だった。
「これは…」
『ヴァイオリンだ!』
百合香は驚いた。軽音楽部のことは、実はあまり知らない。だが、もし軽音楽部を模倣したのがこの氷魔たちなのであれば、百合香の知らない軽音楽部員にヴァイオリニストがいるのかも知れなかった。
ヴァイオリン氷魔は、優雅な手付きで青白く光る弦を弾き始めた。えもいわれぬ艷やかな音色が、空間全体を支配する。
だが、てっきり音波で攻撃してくると思っていた瑠魅香たちは、何もダメージがない事を疑問に思った。
「!?」
どういう事か、と瑠魅香は周囲を見渡す。
すると、観客席のオーディエンス達の目が、青紫色に輝き始めた。
「なっ!?」
『まずい、瑠魅香!』
百合香が警告を言う間もなく、オーディエンス達は一瞬で"少女合唱団"に変わり、ヴァイオリンに合わせて賛美歌のような、しかし不協和音を伴った、不気味なコーラスを開始した。
それは強烈な全方位からの波動攻撃であり、瑠魅香と百合香の精神、肉体を同時に揺さぶった。
「うぐあぁーっ!」
『る…瑠魅香!!』
「ま、まずい…あたしでも、これは…」
瑠魅香はステージに膝をつく。
この氷魔は、幹部の氷騎士なのだろうか、と百合香は考えた。しかし、なぜか知性らしきものは感じない。
そもそも、今まで出会った氷騎士は全て、その名にふさわしいスケールのエリアを守護していた。しかし、このライブハウスみたいな空間は、それらと較べるとだいぶ小さい。
だが、厄介な敵である事に変わりはない。音波による遠隔攻撃は、物理的な回避方法がないのだ。
『瑠魅香、逆位相の音波よ!』
「だっ、だめ…この態勢じゃ…」
瑠魅香は、頭を抱えて苦しんでいた。肉体的な耐久力において、瑠魅香は百合香に劣る。
『わかった。瑠魅香、交替よ。よくやったわ』
「百合香!?」
『あとは任せて。どうにかする』
「相変わらず…大雑把なんだから」
汗をにじませて笑みを浮かべながら、瑠魅香は百合香に身体を明け渡す。紫のドレスの魔女が、一瞬で黄金の鎧の剣士に変わった。
しかし、状況は変わらない。百合香は聖剣アグニシオンを振り回して、ヴァイオリン氷魔を袈裟がけに斬り伏せてやろうと思ったが、音波攻撃のせいで腕がまともに上がらないのだった。
その時だった。膝をつく左の手前に、ある物が転がっているのを百合香は見つけた。
「!」
これだ。いや、成功するか確証はない。
だが、これぐらいしか思い付かない。
完全に根拠のない直感だった。百合香はその物体を拾い上げると、口元に当てて、すうっと息を吸った。
「アアアアアアア―――――!!!」
ハンドマイクを手にした百合香が、あらん限りのシャウトを響かせる。アンプから響き渡った咆哮に、ヴァイオリン氷魔も、少女合唱団も何事かと沈黙してしまった。
氷魔は、百合香を抑えつけようとして、再びヴァイオリンを弾く。しかし、百合香はまたしても絶叫して、そのヴァイオリンを轟音で黙らせてしまった。バスケットボールで鍛えた肺活量はダテではない。氷のヴァイオリニストは、明らかに動揺していた。
すると、驚くべき事が起きた。倒れていた氷魔バンドたちが、立ち上がり始めたのだ。
百合香は攻撃してくるのかと身構えたが、そうではなかった。楽器を手にして、百合香の方を見ている。
百合香は、なんとなく地下の闘技場での出来事を思い出していた。敵と味方という感覚が混沌としてわからなくなる、あの感覚だ。
そこで百合香は、試みに歌を歌い始めた。
「Na Na Na…」
それは、百合香のスマホで最も再生頻度が高い、マイ・ケミカル・ロマンスの曲だった。
一節を歌い終えると、バンドメンバーたちは何と、改めてイントロの演奏を開始した。ギターソロから始まり、ドラムス、コーラス、ベースが入る。どうやら有名なナンバーだけに、軽音楽部のレパートリーにあったらしい。
百合香はそのままリードボーカルを担当して、即席のパンクバンドが結成されたのだった。
「ギャアァァァ!!!」
ヴァイオリン氷魔の悲鳴が響く。どうも、百合香の歌声は苦手らしい。名曲じゃないの、と百合香は首を傾げた。
百合香の歌は、本人に言わせると「ヘタウマ」ということである。バスケ部でカラオケに行くと誰も知らないロックを絶叫するので、はたして上手いのか下手なのか、誰もわからないのだった。ただし、彼女が憧れる榴ヶ岡南先輩に言わせると「下手」らしい。
百合香の歌は確実に、ヴァイオリン氷魔にダメージを与えていた。今度はオーディエンスも百合香に同調してくれている。洋楽の名曲だが、ひょっとして著作権団体がこの氷の城まで料金の請求に来るのではないか、とあらぬ事を百合香は考えた。
一曲の演奏が終わったところで、ヴァイオリン氷魔がよろよろと弦を構え、百合香にゆっくりと向かってきた。
「ひょっとして、こいつがこの場所を支配してるボスなのかな」
『さっき、音であの子たちを操ってたしね』
「音楽で人を縛るなんて、許せないな」
百合香は、ヴァイオリン氷魔にアグニシオンの切っ先を向ける。すると、氷魔はヴァイオリンの弦を、剣のように百合香に向けてきた。
「音楽ならともかく、剣の勝負なら、負けないわ」
氷のライブハウスに緊張が走る。バンドも、オーディエンスも、目の前で始まろうとしているステージ・パフォーマンスを、固唾を呑んで見守っていた。
百合香は、先手必勝とばかりに一気に踏み込む。そのスピードは完全に氷魔を圧倒していた。
「もらった!」
その勢いのまま、両腕で真っ直ぐに氷魔の心臓部を狙う。
だが、妙な手応えのあと、百合香の剣はピタリと止められてしまった。
「えっ!?」
それは、硬いものに阻まれたのではなかった。例えるなら、発泡スチロールの摩擦のせいでカッターの刃が入らないのに似ていた。
百合香がたじろいでいると、氷魔は弦を払って攻撃してくる。百合香は剣を引き抜いて、ギリギリでそれをかわした。
後退して態勢を整えながら、百合香は瑠魅香に問いかける。
「剣が止められた」
『どういう事だろう』
「まるで、発泡スチロールみたいな感触だった」
百合香は、氷魔の全身を観察する。しかし、ゆったりしたドレスのせいで身体は見えない。
「それなら!」
突くのが駄目ならと、百合香は炎の剣を斜め上段から振り下ろす。
「『ディヴァイン・プロミネンス!!』」
巨大な炎の刃が、氷魔を襲う。しかし、やはり剣は止められてしまった。
「うそでしょ」
あのサーベラスの装甲に深い傷を負わせた技が、通じない。百合香はちょっとした自信喪失に陥りかけた。
『百合香!』
「こうなったら、ちょいと疲れるけど大技を食らわしてやる」
『落ち着いて。外しでもしたら、エネルギーを使い果たした状態で戦う事になるわ』
瑠魅香の冷静な指摘で、百合香はひとまず踏み留まった。だが、このままではジリ貧である。
そこで百合香は、高く跳躍した。
「でええぁ―――っ!!」
百合香の剣は、横薙ぎに氷魔の首を狙った。これまでの経験から、首を落とされれば氷魔は動かなくなる。
しかし。
「ルァァァァ――――!!!」
突如、氷魔の口が開いて、強烈なハイトーンのソプラノが百合香を襲った。
「うっ、ああっ!!!」
百合香は衝撃波で弾き飛ばされ、積んであるマーシャル風の箱に背中を激しく打ち付ける。
「ぐはっ!」
『百合香!』
「だっ…大丈夫、この間ほどじゃない…けど」
何て厄介な敵だ、と百合香は思った。強さ自体はそれほどでもない。しかし、攻防ともに非常に対処しにくい。
百合香は、サーベラスの「けったいな技を使う奴もいる」という言葉を思い出していた。まさにそういうタイプである。
だがその時、百合香は思い出した事があった。
「…そうだ」
『え?』
「サーベラスから貰ったあれ、まだ使ってなかったんだ」
『何のこと?』
瑠魅香は、相方の言う内容がいまいち理解できなかった。サーベラスから、何か受け取っていただろうか。
再び、氷魔はヴァイオリンの演奏を始める。今度は、バンドメンバーまでもがその傀儡になろうとしていた。さすがにこの人数が合唱を始めると、洒落にならないダメージを負う事になりそうだ。
しかし百合香は、その視線を高く上げていた。そして左手を、何かを掴むように突き出す。
すると、その手の中に、ソフトボール大の炎のボールが現れた。
『あ』
瑠魅香はようやく思い出した。サーベラスとの別れ際、記念に百合香はボールの一つを拾って左腕に封印していたのだ。
「こいつで…どうだ!!」
百合香はボールを宙に投げると、アグニシオンで思い切りスイングした。カキン、と心地よい音がして、ボールが飛ぶ。
しかしボールは、あらぬ方向に飛んで行ってしまった。
瑠魅香が頭の中で『ばか!』と言いかけた、次の瞬間だった。
ボールはヴァイオリン氷魔の背後にあった氷のマーシャルアンプに激突し、跳ね返って、氷魔の後頭部を直撃したのだ。氷魔は、その細い首にダメージを負って、よろめいていた。
『おおー』
瑠魅香の拍手が聞こえる。さっき『ばか』と言いかけたのは、聞かなかった事にしてあげた。
「瑠魅香、あとは任せた!」
『え!?』
百合香が強引に瑠魅香に交替させたため、瑠魅香は慌てて姿勢を整える。
「ちょっと!」
『あの首を跳ねるのよ!例の魔法で!』
「調子いいんだから。趣味悪いとか言ってたくせに」
ぶつくさ言いながら瑠魅香は、氷魔に向けて杖を構え、呪文を詠唱する。氷魔の首の周りに、真紅に輝くリングの刃が現れた。
「『ブラッディー・エンゲージリング!!!』」
"悪趣味な"瑠魅香の真紅のリングは、一瞬で集束して、ヴァイオリン氷魔の首をきれいに切断した。その首は床のハンドマイクにぶつかって、重く硬い音をライブハウスに響かせ、氷魔の身体はマーシャルに倒れ込むようにして、動かなくなったのだった。
しばしの沈黙のあと、ライブハウスに歓声が響いた。
「何だろう、この空間」
『敵なんだか仲間なんだか、わからないわね、この子たち』
百合香は瑠魅香にお疲れ様、と言いながら再び表に出てくる。そして、バンドメンバーたちの所に歩み寄った。
「ねえ瑠魅香、氷魔の言葉で言ってあげてよ。何もしないなら私は別に敵じゃない、って」
『いいよ』
瑠魅香が、百合香を通じてそのようにバンドメンバーに伝えると、四人は静かに頷いた。
そこで百合香は、思い出したように瑠魅香に言う。
「ねえ、"Welcome to the Black Parade"っていう曲は演奏できるか、訊いて」
『なにそれ』
「いいから」
なんのこっちゃ、と思いながら、瑠魅香は言われたままを伝える。すると、バンドマンたちは何か突然楽しそうに、それぞれのポジションについた。真ん中は空いており、ボーカルが百合香にマイクを手渡す。
「ありがと」
OKサインを出して、そのボーカルはキーボードの前に立った。弾けたのか、と思っていると、百合香にはお馴染みのイントロが流れ始めた。
百合香は、マイクに向かって静かに歌い出す。
「When I was…」
久しぶりに音楽が聴きたい、という百合香の願いは、氷のバンドつきで自分で歌う、というおまけつきで実現した。
その後、7曲を歌いきって、百合香は拍手に包まれながら、氷のライブハウスをあとにした。
それは、氷の城の片隅に響きわたる、不思議なライブであった。
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