レジスタンス
巨体カタツムリを文字通り「片付けた」百合香・瑠魅香コンビは、百合香の身体のまま、謎の地底湖から再び傾斜路を登って行った。
「あの地底湖みたいなところ、真上に登れば元の場所に戻れたはずだよね」
歩きながら百合香は言う。
『登る手段があれば、の話ね』
頭の中で瑠魅香が答えた。
「戻ったところであなたが言ったとおり、現場検証中の氷魔たちと鉢合わせしてた可能性が大だけど」
『そう。だから、とりあえずこのルートで正解だと思う』
「あーあ。城の上層部に上がるどころか、さらに下に落ちちゃうなんて」
『でもね、百合香』
瑠魅香がぽつりと言った。
『考えようによっては、良かったのかも知れないよ、ここに落ちてきて』
「…なんで?」
『上に行くほど敵は強くなる。今の状態で上に上がったら、今までと比べ物にならない強敵に出会って、死んでたかも知れないんだよ』
あまりに淡々と語るので、百合香は背筋が寒くなる思いがした。
「…だいぶ強くなったつもりではいるけど」
『忘れないで、相手はあなた達人間の感覚を超えた化け物だってこと』
百合香は、とりあえず相棒の忠告を素直に聞き入れることにして頷いた。
「実際、上がどうなってるのかさえ、わからないものね。むしろ、地下に潜んで準備を整えるという考え方もある」
『そういうの、うまく表現した人間の言葉なかった?喩え話っていうか』
きた。瑠魅香はどういう状況であっても、気になった知識について訊かないと気がすまない。
「うーん。"塞翁が馬"とか?」
『サイオウさんて誰?馬なの?』
「そうではなくて」
またしても百合香は、地下迷宮の奥で「姪っ子の質問に答える親戚のおばさん」を引き受ける羽目になったのだった。
「報告いたします。"魔導柱"の一本が破壊されました」
「なんだと?」
一人の、氷の兵士からの報告を受けた暗灰色のローブの人物が、驚いたように玉座を立ち上がった。
「修復は」
「ただいま取り掛かっておりますが、だいぶ被害は大きいため、時間を要します」
「破壊とは、どのような状況なのだ」
「はい。何か、側面から叩き割られたような痕でした。その余波で、壁面や床面にまで穴が空いております」
鎧の人物は、深く思案しているようだった。窓の前に立ち、城を見渡す。
「いかがいたしますか、ラハヴェ様」
氷の兵士は、鎧の人物をそう呼んだ。ラハヴェと呼ばれた人物は、振り返って言った。
「侵入者の捜索強化のため、必要な兵力を割いてよい。姿を偽っている可能性もある。不審な者を発見したら、即座に始末しろ。指揮はカンドラ、お前に任せる」
「かしこまりました。失礼いたします」
カンドラと呼ばれた兵士は、恭しく礼をすると立ち上がって、玉座の間を去った。
「ヒムロデ」
「はい」
脇に控えるヒムロデ、と呼ばれた青いローブの人物が、ラハヴェの玉座の前に控える。
「もし、カンドラの手にすら余るようであれば、お前が直接指揮を取れ。高位の者を差し向けても構わん。そして、一体何者なのか興味が湧いてきた。可能であれば、生け捕りにしろ」
「承知いたしました」
ヒムロデは、青いローブを翻してその場を去る。空はすでに暗く、青く冷たい灯りが城内を照らしていた。
百合香は、迷っていた。通路の奥は、十字に分かれていたためである。
「どっち行けばいいんだろう」
『さあ』
「うーん」
百合香は足元を照らしてみた。敵の足跡がないかと思ったのだ。しかし、ゴツゴツした氷壁の通路に、足跡など残るはずもなかった。
「参ったな」
『とりあえずカンで行ってみれば?』
瑠魅香は無責任に言う。
「そんなんでいいのかな」
『臨機応変でしょ』
「そういう日本語はなぜか学習してるのね」
いったい学園ストーカー時代、何を見聞きしていたのだ、と百合香は思った。文芸部でも覗いていたのだろうか。
結局ふたりは、十字路をまず左方向に行ってみる事にした。
「城っていうけど、入ってからずっと、こんな岩場みたいなとこしか歩いてないわ」
百合香は、凸凹の床面を見ながらつぶやく。
「上に行けば、きちんとした城になってるのよね?」
『そうだとは思うけどね。実を言うと、魂の波長を人間側に合わせたせいで、私は校舎から城に移動できなくなってたの』
「そうなの!?」
百合香は呆れ半分で訊ねた。
「じゃあ、どうやって私と城内で会ったの?」
『だから、あなたの近くにいながら移動したの。あなたがあの長い氷の階段を登るときも、近くにいたのよ。気付いてくれるまで、ずーっと近くにいたの』
「ストーカーか!」
『なにそれ、カッコいい響きね!うん、私の事はストーカー瑠魅香って呼んで!』
「それはやめなさい!」
自ら不審者ですと親切に名乗ってくれるなら、治安は多少改善されそうなものである。
瑠魅香との会話に疲れた頃、百合香は視界の端に何か、動くものが見えた気がした。
「ん?」
それは、通路の奥だった。今はアグニシオンを発光させているので、比較的奥まで見通せる。何かが、右から左に横切ったように見えた。
「敵かな」
『気のせいじゃない?』
「わたし視力はいいの」
視力2.0を誇る百合香は、自信をもってそう言った。
「でも小さかったな。ネコか何かくらいに見えた」
『猫、知ってる!可愛いよね!あたし黒い猫好き!』
「あなたといると緊張感なくなるんだけど」
いい事なのか悪い事なのか。百合香は、敵モンスターの可能性もあるので、いつものように剣を居合い抜きのように構えて、にじり寄るように歩いて行った。
15メートルくらい歩いただろうか。そこは、またしても十字に分岐していた。しかし、さっき見た影が見間違いでなければ、この十字路を左側に移動したはずだ、と百合香は慎重に左側の通路を覗き込んだ。
そこは、同じような通路が続いていた。しかし、その奥に百合香は何かを見付けた。
「ん?」
目をこらすと、暗い通路の奥に光るものが二つ見えた。それこそ、猫の目のような小さい二つの光点だった。
「なんかいるよ」
『敵?』
「わからない。というか、この城に敵以外の何かがいるの?」
『うーん』
瑠魅香がなんだか煮え切らない相槌を返す。百合香は、剣の光を抑えてその光点をゆっくり追った。すると、光点は通路の奥に向かって向きを変え、百合香からは見えなくなってしまった。
「あっ!」
『ダッシュ、バスケ部員!』
瑠魅香はだんだん、自分の煽り方を学習してきたなと感じる百合香だった。
姿を消した光点を追って辿り着いたのは、行き止まりの四角い空間だった。天井の高さが倍くらいある教室、といった感じだ。そしてこれまでの経験から、悪い予感しかしない百合香である。
「絶対なんかいる」
『またまた~』
「一見いないように見えて、実は天井とかに何か…」
百合香はゆっくりと天井を照らす。しかし、何も見当たらない。
「いないな」
『気のせいだったって事じゃない?』
「そんなはずは…」
と、百合香が振り向いた時だった。入り口にドスンと壁が降りて、部屋が密閉されてしまった。
「あっ!」
『バカ!』
「なんですって!」
瞬間的に低次元の言い争いをしながら、二人に緊張が走る。今度は瑠魅香も急かしたのだから同罪である。
しかし、それきり何も現れない事に百合香は不信を覚えた。
「おかしい…何か変」
『変って?』
「侵入者を閉じ込めるためのものなら、もう誰かが駆け付けてきても良さそうじゃない?」
『あ、そうか』
その時だった。百合香は、何となく空気が薄くなったような気がした。
「あっ」
単純な事実に百合香は気付いた。
「密閉空間ってことは、放っておけば酸素がなくなる!」
『酸素がなくなるとどうなるの?』
「私が死ぬの!!」
『なにそれ、大変じゃない!』
いまいち瑠魅香の反応から、大変さが伝わってこないと感じる百合香だった。
『じゃあ、いつもの炎の剣であの塞いだ壁をぶち抜けばいいじゃん』
「そうはいかない」
『なんで』
「炎を燃やすと酸素が一気になくなるの」
このピンチにおいて、物理の講義をする余裕などない。百合香は、さっきのお返しとばかりに強引に精神を交替した。
「わあ!」
いきなり肉体の運転を交替させされた瑠魅香は、つんのめって膝をついた。
「危ないじゃん!」
『瑠魅香、聞いて。あの落ちて来た壁を、あなたの魔法でぶち抜くの。ただし、絶対に炎の魔法は使わないで』
「いたたた…ふうん、わかった」
瑠魅香は銀色の巨大な杖を、入り口を塞いだ壁に向かって突き出す。
「ぶち抜けばいいのね」
『そう!』
「わかった」
瑠魅香は、杖に魂のエネルギーを集中させる。青白い光が、杖の先端部に収束し、まばゆいスパークを始めた。
「いくよ、百合香!」
『行って!』
「『ドリリング・サンダーボルト!!!』」
ドリルのような形状の雷光が、壁に向かって突進する。それは回転し、周囲に電撃を撒き散らしながら、壁を粉々に粉砕した。
その時百合香は、壁の向こうで何か悲鳴のような声が聞こえた気がした。
「ふう」
『ねえ瑠魅香ちゃん、ちょっと』
「なに?」
『これ、さっきのカタツムリに食らわせれば良かったんじゃないの!?』
16歳女子高生の訴えに、瑠魅香はさらりと答えた。
「いま思い付いた魔法だもの」
『あっそ』
溜息をついた百合香は、「そういえば」と言った。
『ねえ、いま壁をぶち抜いた時、悲鳴が聞こえた気がするんだけど』
「悲鳴?」
『壁の向こうよ』
百合香に言われるまま、瑠魅香は破壊した穴を出て、周囲の様子を伺った。しかし、誰もいる気配はない。
「気のせいじゃないの?」
『そうなのかな』
「さっきの場所に戻るよ」
瑠魅香は、散乱する瓦礫を避けて通路を引き返そうとした。
その時だった。
「待って」
何か、少年のような声がした。
「ん?なんか言った?百合香」
『違うよ。私じゃない』
「え?」
『私も聞こえたよ。待って、って』
瑠魅香は振り返った。しかし、誰もいない。すると。
「こっちです」
また聞こえた。百合香は、何かに気付いたようだった。
『足元だ』
「え?」
百合香の指摘で、瑠魅香は足元を見る。
そこにいたのは、一匹の青白い猫だった。
「猫だ!!」
その姿を認めるや、瑠魅香は猫を抱きかかえると、猛然とほおずりを開始した。
「んにゃあ――――!!!」
猫の絶叫が響く。
「可愛い!ねえ百合香、この子飼ってもいいかな!?」
『嫌がってるよ』
「そんな事ないよ!ねえ!?」
「離してください!!!」
まさかの人間語で、猫ははっきりと拒絶の意志を示した。瑠魅香はそれなりにショックだったようで、愕然と肩を落として猫を離してやった。
「しょっく」
「僕はペットじゃありません。オブラという、れっきとした精霊です」
よく見ると精悍な顔つきの、オブラと名乗った猫は語り始めた。
「申し訳ありません。お二人の力を試す目的で、この部屋に閉じ込めてしまいました。壁の背後から様子をうかがっていたら、壁が壊されて下敷きになりかけました」
「はい?」
オブラは、自分が氷魔である事を自白した。
「氷魔という括りはあまり愉快ではありませんね。精霊と呼んでいただきたい」
「そうそう、わかるー」
「まあ、瑠魅香さまの仰るとおり、便宜的に用いる分には構いませんが」
「わかるー」
だんだん瑠魅香の知能レベルが下がっている気がする百合香だった。
『私の声、聞こえてるの?』と百合香。
「もちろんです」
オブラは答える。
『あなた、何者なの?』
「僕は、この城にいるレジスタンスの一人です」
『レジスタンス!?』
百合香と瑠魅香は驚いて聞いた。
『レジスタンスって、氷魔相手のってこと?』
「そのとおり。氷巌城に反旗を翻した、誇り高き組織『月夜のマタタビ』の一員です」
そのネーミングはどうなのか、と一瞬思った百合香だった。
『なるほどね。瑠魅香みたいに離反する者もいれば、組織活動をしている精霊もいるってことか』
「そうです。そして、百合香さん。あなたの存在は、すでに我々『月夜のマタタビ』に知れ渡っています」
『は!?』
瑠魅香の頭の中で、百合香は叫んだ。
「当然でしょう。どうやって戦うか算段を練っているところへ、闘技場の荒くれもの達を一掃した何者かが現れたのです。我々は、氷巌城の兵士たちよりも早く、その情報収集に動きました。あの巨鳥氷魔を、あなたは一人で倒しましたね」
『見てたの?』
「はい。きっと、ルート的にあの場所に現れると踏んで、我々の一人があのホールの隅からじっと伺っていました。案の定現れたあなたは、卑怯にも巨鳥の頭だけを通路に誘い込んで、身動きの取れない相手を容赦なく刺すという戦いぶりを見せてくれました」
『言い方!!』
百合香は抗議したが、オブラは構わず話を続ける。
「これは称賛です。強大な相手に、まともに戦って勝てるわけがありません。まさに人を得た、と我々は確信しました。本当は、上層部において私の仲間が、あなたにコンタクトを取る予定だったのですが。まさか、私が担当している地底エリアに落ちてくるとは予想もしていませんでした」
「そう。この子が暴れたせいで穴が開いて、私達ここに落ちて来ちゃったの」
唐突に瑠魅香が会話に割り込んでくる。百合香は憮然とした。
「百合香さま。あなたのそのお力が何なのか、我々には全くわかりません。ですが、あなたの行動目的はおおむね把握しております。この城を消滅させようとしていますね」
どうやら、変な名前であってもその組織力は確かなもののようだった。百合香は頷く。
『ええ、そうよ。私は、私の友達や家族を助けるために、この城を滅ぼすと決めたの』
「であれば、話はもう決まったようなものです」
オブラは、天井を仰ぐような姿勢で高い声でニャアと鳴いた。すると、音もなく通路に、4匹の同じような猫が現れたのだった。
「猫がたくさん!」
「このエリアにいる同志です。我々は城じゅうに分散して、情報を探っています」
『それって、つまり…』
「はい。百合香さま、瑠魅香さま。我々はあなた方に協力します。この城の情報は我々も探りを入れたばかりですが、手に入った情報はあなた方に提供する事を、約束しましょう」
それは、百合香にはとても心強く聞こえた。
『本当?じゃあ、城内のルートも教えてもらえるのね?』
「もちろんです。各エリアの幹部氷魔の居所も、すでにいくつか判明しているようです。上層に登って、同志に必ず会うようにしてください」
『渡りに船、とはこの事だわ。ことが上手く運び過ぎて怖いくらい』
つい、言葉にも笑みが混じる百合香である。ですが、とオブラは釘をさした。
「百合香さま。情報が手に入ったからと言って、相手を倒せるわけではありません。幹部と呼ばれる各エリアのボスは、あの巨鳥など足元にも及ばない実力を秘めている、と推測されます」
それは、百合香たちの肝を冷やすには十分だった。
「幹部って何体いるの?」
「いま判明しているだけで、6体。おそらく、その倍はいると見ていいでしょう」
「けっこうな数じゃん!」
「そうです。そして、この城を滅ぼすには、その幹部たちを排除したのち、頂点に立つ存在を打ち倒さなくてはなりません」
オブラは、ゆっくりと重みのある口調になって話し始めた。百合香は訊ねる。
『頂点って、この城の支配者ってこと?』
「そうです。その、氷巌城の城主についてだけは、すでに名前も判明しています。…名前だけ、ですが」
『!』
百合香と瑠魅香は、その情報に驚きを禁じ得なかった。猫のネットワーク恐るべし。
『その…城主の名前は』
固唾を飲む気持ちで、百合香は訊ねる。オブラは答えた。
「氷魔皇帝ラハヴェ。それが、あなたが倒すべき相手の名です」
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