魔法で急場しのぎに創った氷の壁面に閉ざされた狭いスペースで、瑠魅香は身を屈め、外の様子を伺っていた。


 水が溜まった地下空間では、翼を持った小さな氷の魔物たちが飛び交い、互いに何か報告し合っては、また散らばるという事を繰り返している。彼らは何をしているのか。

 それは考えるまでもなく明らかである。百合香がもたらした大破壊の調査だった。


「百合香ってさ、ものすごく頭いいけどたまにバカになるのね。今わかった」

 瑠魅香は遠慮なしに言う。頭の中にいる百合香からの反論はない。

「反省してる?」

『反省してます』

「よろしい」

 相方の素直な謝罪に、瑠魅香は頷いた。

「それじゃ、この状況をどうやり過ごすかを考えよう」

 瑠魅香は、再び外の様子を伺う。やはり、引っ切り無しに魔物が行き交っている。

「この調子じゃ、落ちて来た場所に戻っても、現場検証中の氷魔たちと鉢合わせだね。しばらく、この私が創った壁の陰に隠れているしかない」

 百合香は耳が痛かった。城が学園の人間の生命エネルギーを吸い取っている事がわかったため、怒りのスイッチが入って後先考えず、装置を破壊したのだ。瑠魅香の機転がなければ、今ごろ魔物たちに追われていたはずである。


『ここ、何なんだろう。城は氷だけかと思ってた』

 多少話題をずらす目論見もあって、百合香は言った。

「たぶん、普通の水じゃないよ。ただの人間なら即座に凍死してると思う」

 瑠魅香は、自分の太腿が浸かる水を見た。やはり、青紫に輝いている。

『何か知っている事はないの?』

「私は何度も言うけど、氷魔の中でも若い魂だから、伝聞でしか氷巌城については知らないんだ。しかも、現れるたびに姿は変わるからね」

『それでも、基本的なシステムは同じ筈でしょう?』

「そうかも知れないけど」

 瑠魅香は、自分より老いた魂からの情報が何かないか、記憶を辿ってみた。


「あ」


 何か思い出したように瑠魅香が言った。

「そういえば、人間とか自然界から吸い上げた生命力は、氷魔が使えるように「精錬」しないといけない、って聞いた事がある」

『精錬?』

「本来、私達とあなた達のエネルギーは相反するものだから。"位相"が違うの。吸い上げ装置の真下にこの空間があるって事は、その精錬と関係あるかも知れない」

『よくわかんないな…ん?』

 百合香は、そこでひとつ疑問に思った。

『ねえ、瑠魅香。じゃあ、本来氷魔であるあなたが、私と一緒にいたら、エネルギー的に相反するんじゃないの?』

「おお、頭いい。よくそこに気が付きました」

『めちゃくちゃバカにされてる気がする』

 憮然とした百合香の表情を思い浮かべて、瑠魅香は笑った。

「簡単な事よ。だから、私は人間の生命の位相を調べて、自分の魂の位相をそっちに切り替えたの」

『そんな、ちょっと電気工事しました、みたいなノリなわけ?』

「私は人間になりたいんだもの。そういう意味では、すでに氷魔ではなくなっている、とも言えるわね」

 百合香は、未知の情報の連続で頭が混乱しかけていた。


『…ん?』

 百合香が何かに気付いた様子で声を出した。

「どうしたの?」

『何か、声が聞こえない?』

「声?」

 瑠魅香は、言われて耳をすましてみた。

「何も聞こえないけど」

『聞こえるんだ…知ってる人の声』

「学校の誰か?」

『違う』

 百合香は、水面を通じて魂に直接聞こえてくる、その声の主が誰なのかを思い出そうとした。そして、なぜすぐに気付かなかったのか、と自分を責めた。


『…お母さん!』

「なんですって?」

『お母さんの声がする…』

 

 それは、確かに百合香の魂に響いていた。百合香、どこにいるの、百合香、と呼びかけている。

『お母さん…』

 百合香が心の内で泣いているのがわかって、瑠魅香は居た堪れない気持ちになった。人間の親子という概念は実感できないが、百合香の感覚は伝わってくるからだ。

『…ごめん、瑠魅香。頼りない相棒で』

「そんなことないよ」

 瑠魅香はそう言ったあとで、

「いま、相棒って言ってくれたね」

 と小さく笑った。

「嬉しい」

『ありがと』

「ねえ、百合香。お母さんに、声を届けてみなよ」

 突然の瑠魅香の提案に、百合香は面食らった。

『どうやって?』

「うん。理由はわからないけど、この空間はたぶん、外界と何らかの繋がりがあるんだと思う。生命エネルギーを吸い上げるシステムに関係しているのかも知れない。だとすれば、逆にこっちが利用する事も不可能じゃない」

『わかんないよ、そんな事言われても』

「百合香、肉体の扱い方を教えてくれたお返しに、私が魂の扱い方を教えてあげる。その状態で、お母さんと一緒にいる感覚を、思い出してみて」

 瑠魅香がそう言うので、百合香は母親と一緒にいる光景を思い出してみた。


 宝石鑑定士である母・真里亜は、よくキッチンでコーヒーを飲みながら、ノートパソコンで宝石の相場だとかに関連するWEBサイトをチェックしている。貴金属装身具製作技能士、要するに指輪だとかを製作販売できる資格もあり、プログラム上でデザインしたネックレスだとかの感想を、帰宅した百合香に求める事もあった。

 そのまま二人で夕食を作り、一緒に食べて、片づけをし、テレビを見ながら雑談をする時間が、百合香は好きだった。


 この世に卑金属なんてものはない、というのが母親の口ぐせだった。鉄は金より美しくない、などというのは間違っている、という熱弁をふるう事も少なくない。そんな母親が百合香は好きだった。


 その母親の横顔を思い起こした時、百合香は何かが”繋がる”のを感じた。


『!?』

 それは、初めての感覚だった。母親が、そこにいる。目の前にはいないのに、強烈に存在を感じる。母親はまだ、生きている。そして、向こうも百合香の生命を感じている。そんな感覚が、確かにあった。自分と母親の境界線が消え去ったようにも感じた。

『お母さん!』

「百合香、声をかけてあげなさい。私は無事だよ、って。必ずみんなを救って、帰るって」

 瑠魅香の言葉に、百合香は頷いた。


『お母さん、私、百合香だよ。ちゃんと生きてる。私が、お母さんや先輩、学校のみんなも救ってみせる。だから、どうか無事でいて。必ず帰るから』


 そこまで心で念じた時、ふいに限界が訪れて、”繋がり”は切れてしまった。百合香は、肉体にいないにも関わらず、とても疲労した感覚があった。

『お母さん?どこ?』

 声をかけるが、もうさっきの感覚は残っていなかった。

「百合香、大丈夫。声はきっと届いた。これ以上の繋がりを保つには、いまのあなたには無理よ」

『…そう』

「大丈夫よ。お母さんも、きっと安心してると思う」

 それは言葉だけなら気休めにも聞こえるが、瑠魅香の言う事には不思議と説得力がある、と百合香は感じた。これまで母親の事が気がかりだったため、声が届けられたという安心感が、百合香の心にひとつの安定をもたらしたようだった。

『…瑠魅香、気を遣わせちゃったね』

「どういたしまして」

『落ち着いていこう』

 突然百合香が言うので、瑠魅香はつい吹き出した。

「なに、それ」

『南先輩の口ぐせ。試合で負けそうになると必ずそう言うの』

「ふうん。それで、勝てるの?」

『半々かな』

「何よ、それ!」

 二人は、暗黒の空間の中で小さく笑い合った。

「ここに落ちて来て、正解だったんじゃない?」

『そうかもね』

「百合香、上に戻るルート、探してみよう。魔物の気配が少なくなった」

 瑠魅香は杖を出して、周囲の気配を探った。「うん」と頷いて、自ら創り上げた魔法の壁を消し去ると、ゆっくりと水から岩盤の上に移動した。


『瑠魅香、替わろうか。疲れたんじゃないの』

「うん、そうだね。頼むわ」

『任せて』

 瑠魅香は、百合香に身体を明け渡す心のイメージを描く。そこへ、百合香の魂が入り込んできて、手をタッチするような感覚のあとで、二人の意識は入れ替わった。


「ふう」

 金色の鎧姿で身体に戻った百合香は、ひと呼吸したあとで、例によって手足のストレッチをして、剣を構えた。

「だんだん、剣の扱いも慣れてきたな」

『頼もしいじゃん。じゃあ、次に何か出てきたら任せるよ』

「そこは適材適所でしょ」

 軽口を言いながら、百合香は周囲を見回す。空間の大きさはわからない。ギリギリ視界はあるが、とにかく暗い。しかし、向こうがこちらを追跡している以上、剣を光らせて視界を得るのはリスクが高かった。

 とりあえず、さきほど魔物たちが入って来た方向はわかっているので、そっちに歩いてみた。彼らがやって来たということは、城に再潜入するルートがあるという事だ。

「問題は、ルートがあっても登れるかどうかだな」

『そうね。でも、さっきの魔法の応用で足場を作る事もできると思う』

「…魔法って便利ね」

 百合香は金色の剣を見る。自分はひたすら攻撃専門である。


 やや傾斜する通路を登ってしばらく歩くと突然、ただでさえ暗い通路の視界が、いちだんと暗くなった。何か、巨大な岩のようなものが通路を塞いでいるのだ。

「何よこれ」

『岩でふさぐ作戦で来たか』

 瑠魅香はぼやいた。しかし、百合香はぴたりと足を止めた。

『どうしたの』

「いや…今この岩、動いたような気がしたの」

『え?』

 瑠魅香は、百合香経由の視界でその岩らしき影を見た。

『気のせいじゃないの』

「そうかな」

 百合香は、危険を承知のうえで聖剣アグニシオンをかすかに発光させ、その岩の正体を見極めようとした。


 次の瞬間、悲鳴を上げなかった自分は今年に入って一番偉い、と百合香は口元を押さえながら思った。絶対に偉い。これで悲鳴を上げなかった16歳女子高生は、県知事あたりから表彰されていい。


 目の前にいるのは岩ではなく、通路を占拠する巨大な氷のカタツムリだったのだ。


『おおー。すごいすごい』

「……」

『おーい、百合香。大丈夫?』

 返事がない。

『やっぱあたしの出番かな』

「…いや」

 百合香は気力を振り絞って、目の前にいる殻つきの軟体動物を見た。

「ねえ、瑠魅香…氷の魔物なのにヌルヌル動いてるってどういうことなの」

『わかんない。解剖して調べてみたら?』

「焼きエスカルゴにしてやるわよ!」

『さっき、落ち着いていこうって言ったの誰だったかな』

 瑠魅香のツッコミを無視して、百合香は例によって、とりあえず剣にエネルギーを溜めた。

『斬り付けないの?』

「触りたくない!!!」

 全国の10代女子の100%が「わかるー」と頷いてくれそうな感想を添えつつ、百合香はアグニシオンの剣身から、炎のエネルギーを巨大カタツムリに向かって放射した。火炎放射器の巨大版である。

 しかし、カタツムリはそっと首を引っ込めると、殻に閉じこもってしまった。

「あっ!」

『あちゃー』

 負けじと百合香は火炎放射を続ける。しかし、カタツムリの殻は頑丈なのか何なのか、まるでこたえる様子がない。先に戦った巨大剣闘士よりも、明らかに硬いらしかった。

「はー、はー、はー」

 疲れ切った百合香は、いったん火炎放射を停止して後ろに下がった。

「なら…これはどうだ!『シャイニング・ニードル!!!』」

 次に試したのは、校舎に入る手前で魔物に使った、細いエネルギーで相手を貫く技だった。しかし、殻は相当に頑丈らしく、渾身の一撃も空しく弾かれて不発に終わった。

「な…あの時より格段に威力は上がってるはずなのに…」

 レベルアップが通用しないほど硬いのか、と百合香は肩を落とした。


 その後もあれこれと試したものの、相手は殻に閉じこもったまま、全く攻撃を受け付けない。「動かない相手」がこれほど厄介なものだとは思わなかった百合香は、ついにさじを投げるのだった。

「瑠魅香」

『あいよー』

 大見得を切って何も成果のなかった百合香を責めることなく、休憩して体力を回復した瑠魅香はバトンタッチして表に出て来た。

「さて。どう料理してやろうかね」

『いっそ転がしてしまえばいいんじゃないの』

「ん?」

 何かピンときた瑠魅香は、顎に指をあてて「ふむ」と頷いた。

「やってみよう」

『え?』

「百合香、足には自信あるよね」

『なに?』

 瑠魅香の質問にものすごく嫌な予感がした百合香は、返答を控えた。

「やってみよう」

 瑠魅香は大きく後ろに下がると、杖をカタツムリの手前の地面に向けた。

『ちょっと、まさか…』

「やるよ」

『ちょっと、待って!!』


「『エクスカベイト!!!』」


 瑠魅香が一言唱えると、杖の先端から雷光が走って、カタツムリの手前の地面を大きくえぐり、楕円形のクレーターを形成した。カタツムリの丸い殻は重力に従い、こちら側に向かって大きく傾く。

 その瞬間、瑠魅香は百合香と精神をバトンタッチした。

『はい、頼んだわよ』

「ちょっと!!!」

 一瞬で元の身体に強引に戻された百合香は、こちら側に転がってくる巨大カタツムリの殻に戦慄した。

「冗談でしょ!!」

 百合香は即座に後ろを振り向いて、アグニシオンを発光させてダッシュした。次の瞬間にはもう、轟音を立てて巨大カタツムリが傾斜する通路を盛大に転がってきた。

「うわああああ!!!!」

 もう、追手から身を隠すなどという事を考える余裕はない。カタツムリの殻に轢かれて圧死するより先に、通路を出るしかないのだ。


 傾斜した通路を全速力で駆け、百合香はついに元いた広い水面の場所に出た。通路を抜け出た瞬間、即座に脇の空いたスペースに飛び込む。次の瞬間、巨大カタツムリは時速40km以上のスピードで、暗黒の水面にダイブしていった。盛大に撒き散らした水が百合香の頭から被さる。

「はー、はー、はー」

『お見事。さすがバスケット選手』

「ど…どういたしまして」

 ドクドク鳴る心臓を押さえながら、百合香はその場に片膝をついた。

『いやー、あたしじゃ無理だったわ』

「お、お、覚えてなさいよ瑠魅香…」

 百合香は悪態をつきながら、再びカタツムリが転がって来た傾斜通路を登って行った。第二のカタツムリがいない事を祈りながら。


 地底の通路は、まだ続いていた。

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