ナロー・ドールズ
「疲れた」
瑠魅香は、唐突に息を切らして、暗い通路にへたり込んだ。
『大丈夫なの!?』
頭の中で百合香が相方への心配と、自分の肉体の酷使への抗議も兼ねて声を張り上げた。
「うん。やっぱり人間の身体って、重いものなのね」
『…瑠魅香。人間になりたいなら、ひとつ覚えておいて。女性の身体に対して、重い重いと繰り返すのは失礼になる』
「そうなの?」
人間世界の事情に疎い瑠魅香は訊ねる。
『太い、細いとか区別するのも差別的だけど、とりあえず女性に"重い"とか"太い"とか言うのは失礼になるの、全般的に』
「じゃあ、百合香のおっぱいはカッコ悪いってこと?」
またしても瑠魅香は、百合香の胸をユサユサと揺さぶる。
『そこはまた別な話で…というか、そこに触らないで!!特に公衆の面前では!!』
「なんで?」
『そういうのが常識なの!!』
「常識って、なに?」
また哲学問答か。百合香は感覚の中で、頭が痛くなる気がした。
『もういい。とにかく瑠魅香、代わって。また肉体の運転方法は練習させてあげるから』
「はーい」
あんがい素直に瑠魅香は、百合香に肉体を返すことにした。今度は黄金色の輝きとともに、瑠魅香の身体が百合香の制服姿に戻る。
「ふう」
何十分かぶりに肉体に戻ってきた百合香は、腕や脚をストレッチして調子を確かめる。まだ、さっき打ち付けた背中の痛みが残っていた。
「瑠魅香、あなた背中痛くなかったの?」
『え?べつに』
「…どういう事だろう。私の肉体を借りていたのに」
『同じだけど別物ってことなんじゃないの?』
「そんな、ばかな…」
いや待てよ、と百合香は腕を組んで考え込んだ。
「…おじさんがそういえば、多重人格者は人格ごとに症状も切り替わる例がある、って言ってたな」
『多重人格って何?』
瑠魅香は、またも新しい単語に反応する。
「…こんど説明する」
『今して』
「ああ、もう」
親戚の子供に手を焼く伯母か、私は。そう口にしかけたが、今度は「親戚って何」と訊かれるのは目に見えている。
「人間は、一人の肉体に複数の人格が宿ってしまう事があるの」
『あたし達みたいに?』
「これはあんたが賃貸契約押し付けて間借りしてるんでしょ!」
つい言葉が荒れたので、百合香は咳払いしてごまかした。
『ふうん。人間って面白いわね』
「あなたの方が百倍面白いわ」
ひと息つくと、百合香は再び剣を手に歩き始めた。
少し歩くと、向こうからガチャガチャ、という音がする。また来たな、と百合香は身構えた。
「瑠魅香、また何か来たわ。とりあえず、あなたはそのままでいて」
『大丈夫なの?』
その言い方が百合香は若干カンに触ったらしく、
「じゃあ、やれる所見せてやるわよ!」
と改めて鎧を装着した。
『あー、怖い。煽られるとキレるタイプ?百合香って』
「なんでそういう言葉だけは知ってるのよ」
眉間を歪ませて、百合香は大股で進んで行った。瑠魅香の言った通りである。
瑠魅香に煽られて、恐怖や警戒心をどこかに置き忘れた百合香は、ガチャガチャという音が近付いてくる事をむしろ歓迎していた。この肉体の本来の主として、手本を見せてやらねばならない。
通路は、若干ゆるいカーブに差しかかった。さらに足音は近付いてくる。そして、ついに曲がった壁面の向こうに、うごめく人間大の影が見えた。
「来た」
百合香は、その見えた影に対して剣を構え、先手必勝とばかりに一気に襲いかかった。
「うりゃあ―――っ!!」
金色の聖剣アグニシオンを一閃する。その細い影は、姿をたしかめる間もなく真っ二つに叩き割られて、哀れにも床面に崩れ落ちた。
「どんなものよ」
得意げに剣を肩に載せて胸を張る百合香だったが、その得意顔はすぐに青ざめる事になった。
「え?」
倒した相手の向こうから、さらにガチャガチャという足音が聞こえてきたのだ。
改めて床を見ると、今しがた倒したそれは骸骨のように細い肢体を備えた、氷の人形だった。今まで戦ってきたどの人形よりも細い。手には中くらいの片手剣を持っている。それが、通路の奥から大挙してくる。
「な…」
『あちゃー、ナロー・ドールズだ』
唐突に瑠魅香が言うので、百合香は訊き返した。
「なろーどーるず?」
『ナロー、つまり細い人形。まあ単体じゃ単なるザコだけど、即座に大量生産できるらしい。年寄りから聞いた話だけど。城を登るなら、こいつらと毎回戦う事を覚悟しておいて』
百合香はゾッとした。一体がザコでも、百体になればどうなるのか。いま向こうから来るのも、ざっと20くらいはいる。
「…やば」
『さっき、できるって言ったよね?』
「言い方!」
百合香は剣を居合抜きのように構え、エネルギーを集中させる。刃の先端部に、薄く高密度の光が収束していった。
『ホライゾンスラッシュ!!』
水平に薙ぎ払った剣身から、まばゆい光の刃が、衝撃波のように放たれる。それはナロー・ドールズの集団を一撃で葬り、床に青紫の残骸がガラガラと散乱した。
「どうよ!」
『まだ来るよ』
「え!?」
瑠魅香の言葉を確かめる暇もなく、またしてもガチャガチャと、奥から奥から、細い人形たちが大挙してきた。
『疲れたら言ってね』
「…ええい、もう!」
技を繰り出すのも面前な百合香は、直に全部叩きのめす事にした。
「せいや―――っ!!!」
砲丸投げのごとく、大振りに剣を払う。一振りで三体はいけるとふんだ百合香は、チャージング、プッシングもやりたい放題やった挙げ句、力任せに剣を振り回して、その場にいたナロー・ドールズを次々と氷の塊にしてゆく。
だんだん、暴れる快感すら覚えはじめた頃に、ようやくナロー・ドールズの「鎮圧」が終了すると、百合香は通路の奥に耳をすませて、後続が来ない事を確かめた。
「はー、はー、はー」
『もう大丈夫みたいよ。今はとりあえずね』
相方も確認してくれたようなので、さすがに一気に暴れて汗だくになった百合香は、壁面にへたり込んで休む事にした。通路に、百合香の攻撃で発生した光の粒子が漂っている。
「こ…こんなヤツらとこの先も戦うの」
『気をつけて。奴らが出てきたって事は、あなたの存在がマークされ始めたって事かも知れない』
ぞっとする事を瑠魅香が言うので、百合香は肩を震わせる。
「脅かさないでよ」
『百合香、さっきのに圧勝したからって安心しちゃダメよ。仮にあれが千体襲いかかってきたら、勝てる自信はある?』
百合香は、その光景を想像して黙りこくった。
『どれも同じ姿で、強さも大差ない。つまり、それだけ創り出すのが容易だという事よ。レベルが低かろうと、千体で襲って来られたら、そのうちの十体くらいはあなたの身体に剣を刺せるかも知れない』
「……なるほど」
侮ってはならない。そう、百合香は実感した。現に今、たかが30体かそこらを相手にしただけで、息切れしているのだ。さらに第三波、四波が来たら、どうなっていたかはわからない。
そういえば、最初の闘技場にいた闘士たちは、バラエティに富んでいた。例の戦斧の巨漢から、その3倍も4倍もある巨人、百合香と大差ないような体格の者など。彼らはいったい、どういう存在だったのだろう。
『一体でめちゃくちゃ強い幹部クラスもいるはずだけどね。会ったことないけど』
話題を変えるように瑠魅香は言った。
「…」
幹部クラス。今まで、単体で苦戦した敵はいた。彼らは幹部クラスではないのだろうか。百合香はその時、敵と戦う、という事が当たり前になっている感覚に身震いした。
「…相手が、こっちより強いって考えるべきなのかな」
ぽつりと百合香が言うと、少し間を置いて瑠魅香が答えた。
『ま、純粋な強さで言えば…今までの相手だって、生身のあなたより『強かった』んじゃないの?』
「うっ」
それはそうだ、と百合香は思った。
「私が今まで無事なのは、この剣のおかげだ」
改めて、百合香は手にした金色の剣を見る。やはり、あれだけの戦いを経ても刃こぼれひとつ見せていない。それどころか、ますます輝きを増しているようにすら見える。
「ガドリエルは、この剣が私自身から生まれたものだって言ってた。でも、私から生まれたものなのに、アグニシオンっていう名前があるのは、何故なんだろう」
『そうだね。どうしてだろう』
ガドリエルに訊ねてみよう、と百合香が思ったその時だった。百合香は、またしても空間に、エネルギー密度が「薄い」箇所を発見した。それは、通路の天井部分にあった。
「…あった」
『天井がどうかしたの?』
「見てて」
百合香は剣を天井に向ける。しかし、それきり黙ってしまった。
『どしたの』
「呪文を忘れた」
『何の?』
「扉を開ける呪文」
百合香は冷や汗がにじむのがわかった。
「なんだっけ…女神の間に至る道を開けよ、だっけ」
『あー、さっき闘技場でいきなり姿をくらました、あれか』
どうやら、闘技場での戦いも瑠魅香に見られていたらしい。
『そんなの、何でもいいんじゃない?開けてー、って言えば』
「そんなんでいいのかな」
『試してみなさいよ』
瑠魅香がしつこく言うので、百合香は試してみる事にした。剣を天井の、氷魔のエネルギー密度が少ない空間に向ける。
「開けて―――!!」
光に包まれた次の瞬間目を開けると、百合香は泉がキラキラ光る、癒しの間に立っていた。
「これでいいの!?」
愕然とする百合香の前で、何食わぬ顔で泉の水面上にガドリエルの「立体映像」が現れた。
『無事で何よりです、百合香』
「おかげさまで」
百合香は、フラフラと歩くと相変わらず無駄に豪奢なカーテンをよけて、寝台に倒れ込んだ。
「ふう」
命がけの戦闘の中で、逃げ込んで眠れる空間があるのは何よりありがたい。
だが、同時に元々の生活にあった、様々な要素がない事に寂しさも覚えていた。過酷なバスケットの練習の後で飲み干す、冷たい128円のスポーツドリンクの美味しさは、世界中の美食家も味わった事はないだろう。
そういえば、吉沢さんには小説の書評を頼まれていた。南先輩はオンラインゲームで協力プレイをしても、回避とか回復という言葉を知らない、としか思えない戦い方をする。夜中にヘッドホンで鳴らすプログレの良さが、誰にわかるものか。
そこで、百合香の脳裏に浮かんだのは母親の顔だった。勢いでこの城に突入してしまったものの、母親の安否を確かめなかった事に後悔していた。いや、この状況だと安否を確かめられるのは自分の方かも知れない。ひとり家で私の帰りを待つ母親の心労を思うと、居たたまれない気持ちになる。
しかし、自分だけではない。学園の生徒や教員、あの町に住む人達の家族も、他の家族と通信が途絶えているのだ。
人はどうしてベッドに転がると、辛い現実を思い出してしまうのだろう。
そう思ったとき、百合香の眼前に瑠魅香の顔がアップで現れた。唇がぶつかりそうな距離である。
「うわぁ!!」
『そんなに驚かなくていいじゃない、失礼ね』
瑠魅香は、仁王立ちして腕を組んだ。その姿は、ガドリエルと同じく半透明である。
「そ、それ…」
『うん、なんでか知らないけどこの空間では、こうしていられるみたい』
そう言ってクルクル回る瑠魅香の服装は、なぜか百合香と同じガドリエル学園の制服だった。楽しそうだ。
『あなたに触れる事はできないみたい。残念ね』
「私の声は聞こえてるの?」
『同じよ、あなたの中にいる時と。でも、こうしてあなたと向き合えるだけでも嬉しいわ』
にこりと微笑む瑠魅香は、自分の顔だとわかってはいるが、髪が違うせいで別人に見える。もっとも、自分を外側から見たことはないのだが。
『彼女が、ガドリエルなのね』
「会ったの?」
『ええ。もう消えちゃったけど』
立ち上がって泉の正面に回ると、ガドリエルの姿はなかった。
「マイペースなのよね、あの女神様も」
『ねえ、百合香。お話しましょう』
「はい?」
見ると、瑠魅香はベッドに腰掛けて手招きしている。
「あのね、私だいぶ疲れてるんだけど」
『あ、そっか。じゃあ私が見てるから眠るといいわ』
「人間は見られてると落ち着かないの!」
『そうなの?』
やはり、瑠魅香の感覚はよくわからない。今のまま仮に人間になったら、だいぶ厄介な事になりそうだ。
「あー、シャワーを浴びたい」
『知ってる!お湯とか水浴びする機械でしょ!』
「どこで覗いたのよ!」
もはや変質者の域だ。この調子だと、更衣室の着替えも覗かれているに違いない。
『ねえ、なんで人間はシャワーを浴びるの?』
「なんでって…身体が臭くなるから」
『どうして?』
「人体のシステムを私が解説しなきゃいけないのか」
百合香は暗澹たる思いで、嬉々として話しかけてくる相方の笑顔を見た。
「あのね、生物は活動することで、老廃物が色々出てくるの」
『老廃物?』
「ええとね…」
仕方なくベッドで隣に腰掛けて、人間未満の半幽霊少女に、知識面で説明できる範囲で人体の代謝システムについて解説する。
そのうち向こうも疲れて寝てしまうだろう、と百合香は思っていたが、先に眠ってしまったのは百合香の方だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます