第1章 帝国の一大事!!
01 ゴリラ令嬢婚約破棄される
「あと一周!」
訓練場に響いた私の声に、応えるように公爵家の騎士達は「おぉ……」と疲れ切った声を上げた。もうかれこれ八十周ぐらいはしているが、私の体力はまだまだ有り余っている。
でも、後ろをついてきている騎士達はもうへとへとのようで、足を動かしているだけでやっとのようだった。その証拠に、一周、五十周ぐらいまで聞えていたかけ声はピタリと聞えなくなってしまったのだ。勿論、一周が短くて、騎士達の体力が無いわけじゃ無い。一周が約五百メートルぐらい。それでも、八十周走れば四十㎞にはなるし、たかが訓練で四十㎞、それも重しを付けて走るのには、大の大人も疲れるだろう。
「す、ステラ様……もう、そろそろ」
「あと一周って言ったじゃない。まあ、やめても良いけど、私は後二十周はしてくるわ。その方がきりいいもの」
そう私が振返って言えば、騎士達の顔はみるみるうちに青ざめていった。十周も二十周も変わらないのに。
そんな風に彼らを置いて走って行けば、二十周が終わる頃には誰も後ろにはいなかった。
少し寂しい気もするが、これも仕方がない。
(つまらない……)
「どうした、ステラ」
「お、お父様!?」
聞き慣れた低い声にハッと顔を上げれば、そこにはお父様がいた。私は、服についていた土埃を払いながら背筋を伸し、お父様に挨拶をする。
「お、おはようございます。お父様」
「ああ、おはよう。ステラ。朝のジョギングとはよくやるな」
「はい。ありがとうございます」
「まあでも、やり過ぎはよくないぞ。また、お母様が泣くからな」
「あ……はい」
お父様は、そう言うとにこりと微笑んだ。
引き裂かれたような大きな傷が顔にある、ちょっぴり怖いお父様。でも、お父様は私の目標であり、そして、この帝国の英雄なのだ。
ルドラ・ウィース公爵。かつて大きな戦争にて、勝利に導き、そして今の皇帝の命を救った人物。魔力は貴族でありながらからきしなく、その代り、岩石を持ち上げ、地を裂くほどの拳を持っていた。身体が鋼鉄の筋肉で出来ているといわれているぐらい、屈強なお父様。今は、戦争もなくなり、平穏な公爵家の当主としてその座に座っている。
そんなお父様の血が流れている私は、魔力に優れているお母様の血を引いているのにもかかわらず、魔力よりも身体能力の方が高いのだ。
そして、未だに力加減が分からず、下手くそすぎて、毎回誰かを巻き込んでしまう。
この間なんて、剣の稽古をしていた騎士団長が吹き飛ばされて危うく命を落としそうになったと。だから、当然騎士からも、まわりの令嬢からも怖がられている。
元々、一人でいるのが楽だったし、自分より強い人や、身体を一緒に動かせる人が好きだったため、令嬢の集まり、社交界には興味が無かった。それを、お母様に指摘はされていたけれど。
「でも、さすがは俺の娘だ。まさか、たった二年でここまで強くなるとはな。お前なら、次の武闘会にも出られるんじゃないか?」
「武闘大会!? そんなのがあるんですか!?」
「ああ、ある。だが、参加条件が男性……だがな」
「そうですか……」
私は肩を落とした。
私は男に生まれてきたかった。だって、堅苦しいドレスに身を包む必要も無ければ、汗だくになって殴り合うことも出来るのだから。力があっても、女だから女らしくしなさいと言われてしまう。そんな風習が嫌いだった。
落ち込む私の肩を叩きながらお父様は、豪快に笑った。その笑顔は、とても頼もしくて安心する。
(やっぱり、私もお父様みたいになりたい)
心の底からそう思った。
(そうよ。男だからとか、女だからとか関係無いわ。私が私である為に――)
私はグッと拳を握る。
「よし! お父様、私頑張ります!」
「おお。頑張ってくるんだぞ」
「はいっ!」
私は、力強く返事をして、また走り出した。その後ろ姿をお父様はじっと見つめていた。
地面を強く蹴って飛躍し、そしてまた強く踏み出す。私は、ただひたすらに前だけを見て、走った。風を切る音が心地よく、耳元を通り抜けていく。後ろからは、誰もついて来ていない。それが何とも言えず、気持ちよかった。
暫く走っていると、前方から見知った人物が歩いてくるのが見えた。それは、私の婚約者のカナール・ティエラ伯爵子息だった。彼は、いつものように不機嫌そうな顔をしていた。
(まあ、それもそうよね。だって、相手が私なのだから)
「カナール、おはようございます。朝早くからどうしたの?」
「また、走っていたのか。汗臭い。近寄らないでくれるかな」
カナールは、わざとらしく鼻をつまんで見せた。私は、彼のその態度に思わずムッとする。
私が怪力令嬢だと知っても、変わらず接してくれるのは彼だけだった。他の人は、皆、遠巻きに見て、恐れたり、嫌悪したりしている。でも、薄々気がついていた。
「仮にも、婚約者にそんなこと言うのはどうかと思うけど?」
「じゃあ、こっちも言わせてもらうが。女性なのにその格好はどうなんだ? いつも、汗だくで土臭くて。仮にも公爵系の令嬢だろう」
と、カナールが言うように私は、今、上半身は汗だくになった男が着るサイズの服に、下はズボンというラフな格好をしている。
一応、髪だけは括っているが、正直言って、令嬢とは言い難い姿だと思う。
でも、これは仕方がないのだ。だって、この服が一番動きやすいから。それに、運動していれば汗だってかく。それが当たり前だし、代謝が良いって事だろう。それを、ぐちぐち言われても。
「だから何? 私は生きたいように生きているだけ。貴方にぐちぐち言われる筋合いは無いのよ」
「ああ、そうか。じゃあ、婚約破棄だ」
「はい?」
私は眉間にしわを寄せた。
すると、カナールはにやりと口角を上げて言った。
その言葉に、一瞬思考が停止してしまう。
そして、やっと頭が理解し始めた頃、今度は一瞬わき上がってきた怒りがハラハラと霧散してしまった。わかりきっていたことだったから。
「君を女としては見えないね。婚約を受け入れたのも、公爵という座が欲しかったからさ。お金もある。権力もある。それに、君の父親は帝国の英雄だ。一生安泰で、敵も出来ない……でも、君とは生活していける気がしないんだよ。こんなゴリラとか言われている令嬢と誰が結婚なんてするか」
「…………」
私は黙り込んだ。
そして、私はゆっくりと彼に背を向ける。
「ステラ、待て。どこに行くんだ? もしかして泣いているのか? ゴリラの涙とは稀少だな」
「私だって貴方みたいな、最低男……こっちから願い下げよ」
私は、そうカナールに言い残し全速力でその場をはなれた。
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