日沈む処の神使~出雲竜宮の赤烏~

法信佑

第一章

【此の烏の来ること、自らにき夢に叶へり。大きなるかな。さかりなるかな。我が皇祖天照大神、以て基業あまつひつぎを助け成さむと欲せるかとのたまふ】 

        『日本書紀 巻第三神武天皇紀』


 

「どうかまことと結婚出来ますように、どうか真と結婚出来ますように、どうか真と結婚出来ますように」

 長さ六・五メートル、重さ約一トンの巨大な注連縄しめなわの下で八神姫香やがみひめかは必死に手を合わせて祈りを何度も呟いていた。

(おい、その当人、こうして隣にいるんだが……)

 わざと俺に耳に入るようにしてないか、こいつ、と坂城真さかきまことは幼馴染みの姫香の左隣に並んで合掌しつつ内心呆れていた。

 普段は混雑している出雲大社ではあるが、夏休みも終わりに近付いた八月最終の平日だからか、周りには十人程の観光客をちらほら見掛けるだけで、ミンミンゼミとツクツクボウシの合唱が晴れ渡った夏空に騒々しく響いている。

 大注連縄の両脇を飾る、大社の神紋である二重亀甲剣花菱が描かれた高張提灯が吹き抜ける涼風にキシキシと揺れていた。

 亀甲紋は出雲に多い。須佐神社、熊野大社、神魂かもす神社、八重垣神社、佐太神社が正にそうだ。この甲羅形は東西南北を守護する青龍・白虎・朱雀・玄武の四神の内、北方の「玄武げんぶ」である。

 玄武は蛇が尾となっている伝説上の瑞獣で北方を護る。

 北、即ち日本海の海岸近くに位置する出雲大社がその思想と結び付き、主祭神の大国主大神が守護神となった。

 故に出雲一族はこの亀甲紋を使用していると言われている。

 但し二重亀甲剣花菱は明治時代からのもので元来は亀甲紋に「有」文字であり、神在月(神有月)の神在祭かみありさいは旧暦の十月に行われる。だから漢字の十と月を足せば「有」になる。

「真! 真! 聞いてる」

 姫香は物思いにふける真の目の前で、手にしていた花柄のバケットハットをヒラヒラと振った。

 真はハッとしてその帽子を払い除けた。

「何だよ」

「どうせまた歴史について考えていたんでしょ」

「悪いかよ。全ては過去から現在に繋がってる。その行程を学び未来に活かすのが歴史だ。大事なんだぞ」

「ハイハイ。で、願い事は済んだの。真だって縁結びのここに来たいって言ってたじゃない」

 眩しいオレンジ色のフリルスリーブのTシャツに白いパンツ姿、そしてライトグリーンのスニーカーという夏らしいコーデの姫香は栗色のショートヘアに帽子を深く被り直してた。

 対して白いポロシャツとブラックジーンズの真はオールバックの乱れた横髪を指で弾いて溜息を吐いた。

「縁結びは色恋だけじゃない……仕事も一つの縁だ」

「どこの大学からもまだ連絡無いの?」

 姫香は直ぐに濁した言葉尻を察して問い返した。

「あったら祈願なんてしない。まさか就活最後の手段が神頼みとは」

 東京の大学院から帰ってきてはや五ヶ月が経過していた。

 東海地方の大学に教職を求めて就職活動を繰り返しているものの何の音沙汰もない。専門が日中比較文化論なんて需要がないんだろうか、とも弱気になっていた。

「大丈夫、大丈夫! 絶対なんとかなるから。ね、少しは気晴らしも大事だよ。そのための二泊三日の旅行なんだからさ」

 姫香に励ましの肩を叩かれた真は、

「確かに息抜きも必要だな。それに久し振りに出雲に来たからには行きたい神社も山ほどあるし」

 と、賛同して微笑した。

 え、と姫香は目を丸くした。

「目的はこの出雲大社いずもたいしゃが主じゃないの。二、三の神社回った後はてっきり別の観光地巡りかと。ほら、真、二日目以降はスケジュール内緒にしてるから私知らないし。アクアスとかフォーゲルパークとかに行けないかな」

「今回はそういうルートじゃないって最初に決めただろ。大体、俺達は遠い岐阜の地から遙々はるばる神話の国に来ているんだぞ。それをしっかり味わわずにどうする。それと名称、正確には出雲大社いづもおおやしろな」

「うへえ、やっぱり勉強ツアーなの。私、有給取ったのは綺麗な所観光して、美味しいもの食べたいだけなんだけど。出雲蕎麦の食べ方とかも調べてきたのに」

「ほう、それは残念」

 途轍も無く不服な眼差しの姫香に真は取り出したスマホの画面を意味ありげに見せ付けた。

 そこには海に映える灯台や、網で焼かれている貝などが写っている。

「嫌なら姫香だけ勝手に好きなコース回って構わないぞ。俺のスケジュールには海産物の美味い店とか土産物屋も目と鼻の先にあるんだが」

「嘘、嘘、一緒に行きます」

 と、姫香は笑顔で真の左腕に抱き付いてきた。

「こら、いきなり何だ。離れろ」

 真は咄嗟に腕を振り払ったが、姫香はもう一度腕を絡ませて耳元で囁いた。

「やだ、離れない。真、もう私の気持ち知っているでしょ」

「そういう問題じゃない。神前だぞ。それに暑いんだ!」

 真面目な目で覗き込む姫香に真は顔を背けて無理矢理その手を離させた。

 春の終わりに南宮大社の謎を共に解いた時、姫香が幼少期から自分を好いていると、これもまた幼馴染みであった大野いつきから伝えられたのには驚きを隠しえなかった。

 理由もなく無性に突っかかってきた態度も愛情の裏返しだと知ってから真は姫香とどう向き合っていいのか分からなくなっていた。

 冗談を言い合い、たまに口喧嘩もする。

 長い時間共に過ごしてきた腐れ縁。

 真にはもう一人戸塚剣吾という幼馴染みがいるが、姫香は男勝りな性格でもあったので、真は剣吾と同様に接し、断じて恋愛感情など抱かなかった。

 南宮の巫女をしている斎には思慕の情を抱いていた時期もあったが、婚約者がいると知るや、その気持ちを強く封じ込めた。そのせいか恋愛に関して積極的に動く事はなく、また歴史や文化に深く関わりたいという確固たる将来の目標もあったので、高校のみならず大学も彼女を作ったりせずひたすら勉強に勤しんだ。

 周りからは歴史馬鹿とか女心を解しないスーパードライとも陰口を叩かれたが別に気にも留めなかった。

 一人だけ後輩の女子から好きだとつきまとわれたが、その後輩は大学一の人気者であり、所詮俺をおちょくって遊んでいるだけだろうと真剣に取り合わなかった。ただ、彼女の学力が高く、歴史をやたら知りたがったのでその時は色々と教えたりもした。

 真が学生時代、女子と接点を持ったのはそれくらいで、時折友達として斎へメールで近況報告をしていた程であった。

 それが突然距離を置いていた姫香から直接的な好意を寄せられたのである。

 姫香は正義感が強く人情に脆い。運動が得意で今もたまに道場で弓を引いている。多少雑な所もあるが基本真面目で、短大を出てからは地元垂井町の役場に勤め、仕事はしっかりこなし、後輩の面倒見も良いせいか職場でも憧れの花であるらしい。

 反面、大酒飲みで真にはよく愚痴る。

 但しそれもガス抜きだと思えば欠点とは映らない。

 真は正直戸惑っていた。

 自分はそもそも不器用な質で恋愛にも不向きだ。そんな堅物の自分へ姫香は真面目に交際を望んでいる。

「あら、もうすっかり仲の良い夫婦みたい」

 突然、二人の後ろからからかい混じりの声が流れた。

 振り返ると姫香の母の咲耶さくやが娘と同じ帽子で顔を扇いでいた。

 度々姫香の姉と間違えられる程若く、セミロングの長さの髪である事と、着ているピンクのボーターシャツ以外はあまり見分けがつかない。

 咲耶は丸いピンクレンズの伊達眼鏡を指で下げながら嬉しそうに笑った。

「これは孫の顔を見れるのは結構早いかもしれないわねえ。ねえ、真君」

「有り触れた冷やかしは止めて下さいよ、咲耶おばさん」

 付き合ってもいません、と冷静に真は言い返したが、咲耶は急に「おばさん?」の呼び名に片眉を吊り上げ、片腕を挙げた。

「あ、いや、咲耶さんです。咲耶さん」

 真は顔色を変え慌てて両手を振った。

 小学生の頃から頭が上がらなかったのが、自分の亡き祖母の和佳わかと、そしてこの姫香の母、咲耶であった。

 咲耶は誰からもおばさんとは呼ばせなかった。地元では知らない人間がいない程の女傑で、姫香の母だけあって美形でもある。

 プラス合気道の黒帯とくればその辺の男などとても太刀打ち出来ない。

 真も、思わずおばさんと失言して何度も投げ飛ばされた。

 もちろん子供相手なので怪我しないよう手加減しているものの、容易くポンポン投げられるのは気持ちの良いものではない。

 とはいえ、真の両親と祖母が留守の時などは気を遣って料理の差し入れをしてくれたり、隣町に用事がある時などは車を出してくれたり何かと甲斐甲斐しい人でもあった。

 まして今回の旅行の代金は全て咲耶持ちである。

 姫香の南宮大社の事件での協力の礼と、咲耶が明後日誕生日だから変わった場所で祝って欲しいと頼みを兼ねてやってきた出雲でもあり、スポンサーの咲耶の頼みをきくのが誕生日プレゼント代わりとなっていた。

 咲耶は思い出すように少し視線を上に向けた。

「そういえば、うちの人もまた真君と将棋指したいって。土日なら仕事休んで一緒に旅行来たかったって悔しがってたわ」

和久かずひさおじさんも俺をそんなに負かせて楽しいんですかね」

 咲耶の夫の和久は大手自動車メーカーのエンジニアをしていて趣味の将棋が滅法強い。真も弱くはないが一度も勝てた試しがない。

 真はそんな最強夫婦に嘆息しか出なかった。

 咲耶も和久も真を非常に気に入っているようで、特に咲耶は博学な真に異常ほど興味を抱いており、身近な問題をスラスラ解決する手法に感心し、その過程を無闇に知りたがった。

 好奇心の化け物、真は咲耶を内心そう名付けていた。

「ところで真君はさっき提灯を目にして何か考えていたみたいだけれど」

 早速咲耶は好奇心をもたげて探ってきた。

 真は簡単に出雲の紋の話を伝えた。

「へえ、この亀甲模様にはそんないわれがあるのね」

 しきりにうなずいて咲耶は神紋を改めて凝視した。

 真は軽く首を横へ振った。

「玄武説は観光庁もサイトで記しているような通説ですが、別の説も広まっています」

「そうなの」

「これを見て下さい」

 真はとある画像をスマホで検索して咲耶に示した。

 姫香も横から興味深げに眺めたが、その画面が目に入った途端「ヒッ」と顔を青くして後ずさった。

 そこには海面を泳ぐ、背中が黒く腹が黄色いウミヘビの姿が映っていた。

「何てものお母さんに見せてんのよ、真のバカ!」

 嫌がらせと思ったらしく姫香は小腹を立てて真を咎めた。

 真は冷静に返した。 

「お前は何を怒ってるんだ。これは咲耶さんに説明するのに必要な画像なんだ。嫌なら離れてろ。それに咲耶さんは平気だぞ」

「あはは、姫香ちゃんはお化けと爬虫類苦手だから。で、この蛇がどうかしたの」

「尾っぽを注視して下さい。連続した黄色と黒の模様が亀甲紋のように見えませんか」

「あら、本当」

「そしてもう一枚の写真がこっちです」

 と、真は「出雲大社龍蛇神守護」と書かれた白い御札の画像に切り替えた。

 中心には三宝に乗せられた、とぐろを巻いたウミヘビが描かれている。

「これは神在祭かみありさいの時だけ期間限定で授与される龍蛇神札りゅうじゃしんさつです。他に龍蛇神と書かれた掛け軸もあります。咲耶さんは神在祭の前のお祭りは知ってますか」

「あー、確か夜の海岸に神職が大勢集まって云々というのはテレビで観たわ」

「それです。それが神迎祭かみむかえさいで、さっき訪れた稲佐の浜で全国から集結してくる神々をお迎えするんですが、その先導役となっているのがこのセグロウミヘビ、つまり龍蛇神なんです。ですから出雲の亀甲紋はこの模様が元とも伝わっているんです」

「へえ、ウミヘビが」

「蛇と龍は似てますからね。昔から密接な繋がりがあります。ここのセグロウミヘビの場合、他の海から暖流にのって稲佐の浜に打ち上げられる時が神在祭の時期に重なるようで、それで神格化されたみたいです。ただ生きているセグロウミヘビは小型ですが、ペラミトキシンというマムシの数百倍の猛毒を持っていて噛まれると命にかかわります」

「でもその毒蛇はまつられているのよね、その御札の絵では」

「今もたまに漂着しますよ。セグロウミヘビは地上では長く生きられません。それをミイラみたいに乾燥させて、とぐろを巻かせ近くの神社に奉納します。打ち上げられた浜によって奉納先の神社が異なります」

「成程ねえ、面白いわ。じゃあ他に何かこの大社の情報あるの」

 そうですね、と真は拝殿の天井を見上げ、それから姫香に視線を移した。

「姫香、南宮大社が過去二度火災にあった話は覚えているだろ」

「え、う、うん。二回目が関ヶ原合戦の時だよね」

「だったらここの拝殿も火災に見舞われたのは」

「この建物が燃えたの、戦国時代に?」

 いいや、と真は手を振って否定した。

「昭和二十八年の遷宮奉祝祭中に残り火の不始末でな。ここの神社は拝殿と本殿の距離が空いている造りだから幸いにも本殿には被害が無かったんだ」

「そんなに昔じゃないんだ。火の用心だね」

「さてさて、真君、他に面白そうな話あるのかしら。歴史の謎みたいなの」

 姫香の前にぐっと身を乗り出し咲耶はまた尋ねてきた。

「歴史の謎ですか。そうですね……あ、この境内に一つ知る人ぞ知る江戸時代のミステリーがありますよ」

「江戸時代のミステリー! 良いじゃない。そういう話が聞きたいのよ」

 ワクワクと顔を輝かせる咲耶に真は拝殿の脇に寄って、その代わり結末まで説明が長いですと前置きして語った。

「この出雲大社の摂末社には、境外社けいがいしゃですが、下宮しものみやがあってその祭神が天照大神なんです」

「それが珍しいの?」

「実は、逆に伊勢神宮の内宮・外宮共に出雲の神は祀られていないんです。伊勢神宮には百二十五の摂末社がありながら一つも大国主も須佐之男命すさのおのみことも祀る社がありません」

「スサノオってアマテラスの弟神よね。でもここは大国主がご祭神でしょ」

「それは後で話しますが、この大社の成り立ちに因ります。高天原たかまがはらの神、つまり天津神あまつかみの天照大神から地上の国を譲って欲しいと頼まれた国津神くにつかみの主宰神である大国主は、色々悶着はありましたが、最終的に合意し、代わりの条件として、高天原へこの地に神殿を建てるよう願い出ました。それが出雲の巨大神殿だったんです。メディアで何度も流れていると思いますけど」

「ああ、何十メートルも高い神殿」

「正確な高さは研究者によってまちまちなので割愛しますが、神話は結局、日本の統治権を天皇家に譲り渡したというたとえだと思います。伊勢神宮は天津神の天照大神と豊受大神が主祭神です。ですから伊勢神宮には出雲の神が祀られていないんです」

「それなら、お伊勢さんと出雲さんって仲悪いの」

 咲耶は周りをはばかって小声で質問した。

 真は少し笑って答えた。

「仲が悪いという表現が正しいかどうか分かりませんが、明治時代に伊勢の神職が国の神道施設の祭神に大国主を加えなかった理由から騒動になりました。これを祭神論争と言います。それから出雲大社は出雲大社教という組織を作って伊勢派とは別の道を歩んでいく次第になりました。とは言っても伊勢神宮を先祖神とする天皇陛下が昭和四十年と平成十五年に出雲大社に親拝しんぱいしていますから一概には」

「へえ」

「そして神在祭ですが、全国から集結する神々の中でも伊勢神宮の神は出雲には来ないとされています。それは伊勢神宮が天津神であり、国津神会議である神在祭には参加しないとの意味です。まあ、これにも諸説あるので何とも言えません。歌川国貞が描いた出雲国大社八百万神達結縁給図いずものくにおおやしろやおよろずのかみたちえんむすびたまわうのずにはしっかり天照大神の姿もありますから」

 ここで横にいた姫香が予想外という表情を作った。

「そうなんだ。私、一宮の神様は全て出雲に集まると思ってた。お伊勢さん来ないって説もあるんだね」

 すると真は、お前、と姫香を呆れた顔で見つめた。

「勘違いしてないか。伊勢神宮は伊勢の一宮じゃないぞ。それに一宮は地域に一つと決まっている訳じゃない」

「え?」

「伊勢の一宮は椿大神社つばきおおかみやしろ都波岐奈加等つばきなかと神社だ」

「姫香ちゃん、真君に好かれたかったらもっと学ばないと駄目よ」

 クスクスと笑う母に赤面して姫香は反論した。

「うるさいよ。大体お母さんだって歴史とか得意じゃないじゃない」

「お生憎様。私は今回ちょっと予習してきたもの。例えばそうね、真君、ここの本殿のご神体は正面じゃなく西を向いているのよね。稲佐の浜の方」

「そうです、神座しんざの向きは神々を迎える方角です。それはこの神社が大社造りという建て方にあるためです。大社造りは元々高床倉庫から発展したとされ、神殿を上から見ると田の形をした中心に心御柱しんのみはしらを配し、前後に宇豆柱うずばしらが二本、その左右に側柱が二本ずつ、心御柱の左右にも二本ずつの側柱、計九本の柱で支えられています。心御柱から右に仕切り板が伸びているのが男造おづくり、逆に左に伸びれば女造めづくりと言います。出雲大社は男造です。ですから必然的に神体は西を向くんです」

「ほう、建築のせいなのね」

「それが必ずそうとは断言出来ません。学者や研究者の間で多様な説が流布していてどれが正解かは。それこそ大論争になります。あ、ところで、この出雲大社、以前は南宮大社と同じく朱色の社殿だった時期があるんですよ」

「そうなの、真」

 と、姫香が母に負けじと割って入ってきた。

 歩いて話そうか、と真は拝殿から反時計回りに玉垣に沿って歩を進め、八足門の前で本殿に向け軽く会釈し説明を始めた。

「それは実のところ関ヶ原合戦にも関与している。姫香は西軍の大大名は知ってるだろ。南宮大社にも深く繋がっている」

「毛利家だよね。南宮山の上に陣跡あるから」

 頷いた真は観祭楼かんさいろうの前の道を歩きながら隣に並ぶ姫香へ向いた。

「毛利は関ヶ原合戦以前、安芸・備後・周防・長門・石見・隠岐・備中の半分、伯耆の半分、そして出雲の国を合わせて百十二万石の広大な領土を有していた」

「そっか、出雲も毛利の領地だったんだ」

「なら、それ以前のここの領主は誰か知ってるか」

「え……えっとえっと」

 必死に考え込む姫香に真は仕方ないなという面持ちで言った。

尼子あまごだよ。後の有名な家臣で山中鹿介しかのすけがいる」

「鹿介?」

「山中幸盛ゆきもり。別名、山陰の麒麟児きりんじ。願わくば我に七難八苦を与えたまえと三日月に祈ったメジャーな武将だ。尼子家の再興をかけて戦った武勇忠義の士」

「……ごめん、知らない」

「じゃあ尼子十勇士は」

「真田十勇士の名前だけなら辛うじて……」

 まあいい、と歩く速度を緩めて真は続けた。

「尼子は元々近江・京極氏の守護代として出雲を任された。しかし徐々に力を付け、経久つねひさの時代、主の京極政経を追い出し、出雲を含む八カ国を手中に収め、有力な戦国大名として名をせた。しかし尼子も国久くにひさ率いる新宮党の同族で争うようになり、間も無くそこにつけ込んだ毛利や大内に攻め込まれて衰退した。それから毛利元就は嘗ての主君であった大内氏を滅ぼし、尼子に代わって中国地方を支配した。と、ここまでの流れは理解したか」

 何とか、と返事をした姫香に真は左へ曲がり、東十九社と釜社を右手に更にゆっくり北へ歩いた。

「それからの歴史は役場観光係の姫香なら詳しいだろう。戦国時代、毛利家は中国を狙ってきた織田信長と対立し、その配下であった秀吉と戦った。しかし本能寺の変後、天下取りに邁進まいしんした秀吉は中国地方を任せるという提案で毛利を臣下に組み込んだ。元就の孫の毛利輝元はやがて豊臣家を支える五大老の一人に選ばれている。秀吉の死後、関ヶ原で西軍に与した罰で毛利は周防と長門の二カ国に減封げんぽうさせられた。その処遇を決めた徳川家を憎む事あまりある、そう思うだろ」

「あれ、毛利って長州藩だよね、幕末に徳川倒したの」

「長い時間を掛けて関ヶ原に復讐した形になったのかもな。さて、ミステリーの目的の社に着いたぞ。とても希有けうな神社だ」

 真は本殿の後方にそびえる標高百七十五メートルの八雲山の麓に鎮座する高さ六メートル程の切妻きりづま造りの神社を指さした。

 出雲大社本殿と同じで素朴な白木造りで建てられている。

素鵞社そがのやしろだ。祭神は須佐之男命すさのおのみこと。日本書紀の表記は素戔嗚尊。全名は建速須佐之男命たけはやすさのおのみこと

「そういえば真君、スサノオって大国主の祖とも父親とも言われてたんじゃない。それなら別段希有って訳じゃないわよね」

 背後で咲耶が汗でずれた眼鏡の両蔓をなおして建物を眺めた。

 真は短い階段を上り、十人程の初老旅行団体が参拝をしている後ろで距離を置いて順番を待ちながら、邪魔にならないようやや声を落として指を三本立ててた。

「そうなんですけれど出雲大社は三度主祭神が代わっているんです。平安時代前期までは大国主、鎌倉から江戸時代初期までは須佐之男命、それ以降はまた大国主に戻っています」

「どうして?」

「それは当時の時代背景が深く関わっています。出雲大社は明治四年まで杵築大社きづきのおおやしろと呼ばれていました。まあ、発音しやすいように、きづきたいしゃと読みましょう。『出雲国風土記』によると諸々の神が集って宮をキヅイたので杵築大社と呼ばれるようになったと。実は杵築大社の祭祀さいしを担ったのが現在も続く出雲国造いずもこくそう家で、彼らは元々意宇おう郡の熊野大社に拠点を置いていたのですが、やがて杵築大社の神事も兼ねるようになり、いつか杵築大社に専念するようになりました。出雲の熊野大社は今も出雲大社と並んで一宮なんですが、祭神は須佐之男命です」

「あら、意外。確か千家せんけだったわよね」

「ええ、出雲国造は南北朝時代に千家と北島家に別れています。千家は後に出雲大社教、北島家は出雲教を設立しました。その出雲国造家の杵築大社ですが、十四世紀には『当社大明神は天照大神の弟神のスサノオなり』と書き残しています。元の熊野大社の祭神も須佐之男命です。違和感は無かったでしょう」

 ぎらつく夏の日差しを避けるため真は礼拝を済ますと素鵞社裏手の八雲山の磐座いわくら近くに二人を誘導して話を続けた。

「当時出雲の地は開拓が進み、豊かさが増し民はその土地の一部を杵築大社に寄進しました。その土地がやがて大社の社領拡大に繋がったんです。そして別の大きな寄進先が鰐淵寺でした」

「がくえんじ?」

「大社からさほど離れていない天台宗の寺院です。その頃出雲では稲佐の浜が極楽浄土の入口だとする信仰が広まりました。稲佐の浜はもちろん杵築大社にとっても国譲りの聖地であり、つ神迎えの重要な場所です。また、鰐淵寺には海に漂っていた浮浪山、これはインドの霊鷲山りょうじゅせんの欠片の一部なんですが、これを須佐之男命が杵で突き固めたとする書状が残っていて、出雲国風土記に書かれている国引き神話と概念が共通していたために、杵築大社と鰐淵寺はその思想を元にお互い間も無く神仏習合で協力し発展を目指しました」

「国引き神話って何?」

「出雲は最初小さかったので神が各地から土地を引っ張ってきて継ぎ足し今の島根半島を作ったというものです。さ、話を戻しましょう。特に鰐淵寺は延暦寺と関わりを深め、杵築大社を管理する別当寺を務めました。また、鰐淵寺の本尊は薬師如来、それは本地垂迹ほんじすいじゃくでいう牛頭天王ごずてんのう、つまり須佐之男命を指し、杵築大社の須佐之男命と鰐淵寺の薬師如来は同一という認識になったんです。ところで姫香、本地垂迹覚えているか。南宮大社で教えただろう」

 突然振られた姫香は懸命に記憶を辿たどった。

「えっと、仏様とかが神様に変わる説、だったよね」

 正解、と真は満足げに笑んだ。

「牛頭天王は祇園精舎の守護神とされている。特に京都の八坂神社は本来祇園神社と呼ばれていて牛頭天王を祀っていた。牛頭天王は厄を祓うとされ、疫病と災害を鎮める御霊会ごりょうえを執り行ったのが祇園祭の始まりとされている。それと愛知県の津島神社は須佐之男命が祭神だが、神仏分離の前は牛頭天王の名だった。即ち牛頭天王=須佐之男命は神仏習合の時代当然のように認められていた」

「へえ」

「そして鰐淵寺は多くの僧兵を抱えていた。武力が必要な時代だったし、杵築大社側もその力は頼り甲斐があっただろう。義経の家来だった武蔵坊弁慶も鰐淵寺で修行したとされている。それと、ここで当時領主となっていた尼子が関わってくるんだが……」

「あ、真君、ちょっと解説一旦休止ね」

 突然咲耶は思い出したように持参したスコップ片手に、戻るようにして社の右手に回った。

 首を向けると社殿の床下に砂が入った木箱が置いてあり、咲耶はその中に敷き詰められた砂を稲佐の浜から持ってきた砂と交換してビニール袋へ入れていた。

 出雲大社名物の「御砂取り」である。

 真は御砂取りを済ませて帰ってきた咲耶に、そろそろ移動しましょうと促し、素鵞社から今度は本殿の西側へ歩き出した。

「尼子氏は信心深く神仏に帰依していた。特に港近くのとある神社を守護神として崇めていた。その神社は宇龍うりゅうの港の利権をめぐって杵築大社と争っていた。その港は出雲の鉄の積出港として潤っていて、尼子はその利益をその神社に寄進していた。それは杵築大社への対抗策にもなってたんだ」

「あれれ、真、尼子って出雲の領主だったんでしょ。それなのに領内の杵築大社と争ってたの」

「ああ。出雲国造家はかなりの力を有していたが、尼子は彼らを牽制しつつ上手く制御した。実際尼子経久は杵築大社に神宮寺と三重塔を建てている。その塔は現在兵庫県の名草神社に移築されたが、その色は赤だ。杵築大社は鎌倉時代から神殿が朱色だったのが発掘された柱から確認されている。塗料の紅殻べにがらが付着していたからな」

「へー、南宮大社と同じだったんだ。でも何で今はこんなに変わっちゃったのかな」

「それは尼子晴久はるひさが……」

 と言い掛けた真は本殿西側の遙拝所の前に人集りを見つけると、話を止めその後ろから手を合わせた。

 ここは西に臨んでいる大国主を正面に向いて祈る場所である。

 姫香も咲耶も立ち止まって合掌した。

 真は前に人がいなくなるのを見計らって再度話し出した。

「尼子は経久の孫である晴久の時代、僧侶を千名程集め万部読経を行った。そしてその時、鰐淵寺、清水寺、岩屋寺、興法寺の四つの寺が頭となったが、ここで問題が発生した。鰐淵寺と清水寺が共に左座を争って譲らなかったんだ」

「左座?」

 再び南に向かって歩き始めた真の横に追いついて姫香は尋ねた。

「寺の序列付け。どっちが格上かといういさかいだ。ただこの座次論争は揉めるに揉めて朝廷や幕府まで関与する騒動になってしまった。この件が直接の原因かは定かじゃないが尼子は鰐淵寺とは距離を置き、鰐淵寺は毛利と接触するようになった。現に当時の鰐淵寺の住職・和多坊栄芸わだぼうえげいは毛利元就から尼子調伏ちょうぶくを依頼されている」

「調伏?」

「呪法、呪いだな」

「ええー」

「驚くことでもないだろ。調伏は平安時代からあるし、呪いなんてもっと古代からだ。さて、その呪いのせいか、四年後に大名家としての尼子は滅亡し、毛利が出雲の領主となった。鰐淵寺は毛利の支持者だったから以後は毛利の保護を受けるようになった。現存する鰐淵寺の根本堂再建は毛利輝元の命による。鰐淵寺の繁栄は神仏習合の杵築大社にも影響しただろう。毛利家は中国地方の覇者だったから安泰と思われた。しかし、そこに織田信長と豊臣秀吉が立ちはだかった」

 真は神楽殿へ足を向け巨大な注連縄を写真に収めた。

「それでそれで?」

 愉快げに咲耶が観光そっちのけで真に続きを催促してきた。

 真はスマホをポケットに片付けて説明した。

「そこから先はさっき話した通りです。秀吉に下った毛利ですが、出雲も様々な余波を受けました。先ずは刀狩りです。これで鰐淵寺の僧兵は武器を所有出来なくなりました。それから朝鮮攻めの際、杵築大社は三千三百二十石の所領を没収されています。こうした成り行きで鰐淵寺と杵築大社は共に勢力を失っていきました」

「あれまあ」

「それから関ヶ原の戦いが起き、負けた毛利の力も削がれました。出雲の地も奪われ、戦後は徳川の臣でありつつ、豊臣の姓も持っていた堀尾家が出雲を任されました。しかし堀尾は跡継ぎが続かず改易かいえき、その後は京極家が出雲に転封となりました。これは毛利家への抑えとされたようです。しかし、その京極さえ跡継ぎがおらず改易されそうになりました。ただ京極家は徳川家からの信頼もあつかったので改易は免れました。その代わりに別の家が出雲にやってきた。それが松平直政なおまさだったんです。直政は家康の次男、越前松平家、結城秀康ゆうきひでやすの三男で、家康からは孫に当たります。直政は信州松本からの移転で、出雲松江藩の松平としては初代藩主となりました」

「ふうん、松平直政ね」

「出雲に親藩を持ってきたのは京極家同様毛利への圧力だったのかもしれません。いくら毛利領の周防・長門と出雲の間の石見を幕府直轄領にし、安芸広島藩を置いても油断は出来なかったんでしょう」

 真は何故か神楽殿から再び出雲大社の正面へ歩みを変えた。

「あれ、真、これから食べる予定の蕎麦屋さんはそっちじゃないよ」

 姫香はスマホで地図を確認した。

 真は言った。

「まだ話は終わってない。これからが歴史ミステリーの佳境なんだ。面白いものを見せてやるから少しの空腹は辛抱出来るか」

「う、うん」

 謎解きをする真の不敵な笑みに引かれて姫香と咲耶はその後を追った。

 そして真は大社の入口の象徴ともされる銅の鳥居の横に立った。

 高さは六メートル、柱の直径は五十二センチという緑青色をした大型の明神鳥居である。左右の柱には縦列になった漢文が上部からずらずらと彫られている。

「ここってお参りの前に通ったよね。なんでまた戻ってきているの」

 銅の鳥居を見上げる真に姫香は不可解な顔付きをした。

 対して真は小さく鼻を鳴らした。

「ここの謎に気付くかどうか敢えて黙っていたんだよ。ところで姫香はこの銅鳥居について何か知ってるか」

「それはもちろん。この鳥居に触りながら回ると金運がアップするってアレでしょ。さっきもしっかり触ったもん」

 姫香は自信満々に青銅の鳥居の色の黒ずんだ部分に再度触れた。

 真は肩を落として否んだ。

「違う。それにその噂話は大社が公式にホームページではっきり創作だと打ち消している」

「そうなの」

「誰かが勝手に言い出した流言が広まったんだろうな。この黒くなった部分はみんなが手を触れた証拠だ。鳥居全体を覆っている緑色は緑青ろくしょうという錆。青銅は元々黄色みがかった茶色をしている。銅は経年で赤橙せきとう色から褐色、それから暗褐色、黒褐色、そして緑青色と変化する。この境内に銅の馬と牛がいただろ。特に『かねおまさん』と呼ばれる馬の頭の部分は人間の手が多く触れて元の綺麗な色になっている」

「確かにそうだったわね」

 後ろで咲耶が撮ったスマホ画像を確認した。

 真は振り返って鳥居を打ち見た。

「実はその銅の神馬しんめと、この鳥居は同一人物からの寄進なんです。ほら、左の柱の中から下の方に向けて名前が彫られているでしょう」

 真は変色した部分を指さした。

 そこには「從四位下行じゅしいのげぎょう侍從兼大膳太夫じじゅうけんだいぜんだいぶ大江綱廣朝臣」の文字が刻まれていた。

 前半は位だろうから最後が名前だと推察した咲耶は、視線を下げてその文字を読み上げた。

「おおえつなひろあそん? 知らないわ、誰かしら」

「正確には『おおえのつなひろあそん』です。大江はうじ、朝臣はかばねです。位階いかい従三位じゅさんみ以上ならばいみなの前に朝臣が付きますが、綱広は従四位なのでこうして名前の下に朝臣が付いています。ただ、この人物の家は従四位以下であっても大江朝臣という別姓も持っているのでややこしいです」

「氏は名字とは違うの、真君」

「そうですね。氏というのは元来天皇から贈られるもので本姓ともいいます。有名なのは源平藤橘げんぺいとうきつの四姓ですね。源氏、平氏、藤原氏、橘氏。大江も最初は大枝でした。しかし氏も人数が増えたり家格を明確にする必要に迫られ、そのため領地の名を付けたのが名字の始まりとなりました。信長も正式には平朝臣たいらのあそん織田上総介三郎信長です」

「ふうん、勉強になるわね。で、それはいいんだけど、この柱のぬしは結局誰なの」

「毛利綱広です」

「さっきから話題に出てた毛利?」

「はい。綱広は毛利家十六代当主で、長州藩の二代目藩主です。毛利輝元の孫ですね。官位の斜め上にとき寛文かんぶん六年丙午ひのえうま林鐘りんしょう吉日と造った日付が彫ってあります。林鐘とは陰暦の六月ですから寛文六年、一六六六年の六月吉日となります。これは長州阿武郡の鋳物師いものしで名工の郡司喜兵衛信安が鋳造したものです」

「一六六六年って真君、ちょっと変じゃない。その頃ってもうこの出雲って毛利の領地じゃないんでしょう。どうしてその長州の当主がこの鳥居を寄進しているの」

「良い質問です、さすが咲耶さん」

 ビシッと真は咲耶に指先を向けた。

「実は天正八年、一五八〇年の杵築大社遷宮の折に、毛利輝元が同じように銅鳥居を寄進しているんです。ここの文面にその証が彫ってあります」

 真は鳥居の反対側になる右柱の銘文を指し示した。

 そこには【莅此時政 祖父黃門輝元卿之所寄進之銅華表 又惟新鑄華表 以奉備大社之廟門云爾】の漢文が見えた。

「その中の華表かひょうというのは、日本でいう鳥居です」

「日本でいう?」

「華表は中国では神道柱または石望柱と呼ばれて宮殿や墓の入口の両側に置かれた柱なんです。日本では鳥居の別名です。鳥居の起源については由来が中国だとの説や他の外国、例えば朝鮮、イスラエル、インドとかあります。もちろん国内起源説だって研究されています。さて、その鳥居の銘文の訳はざっとこうです。この時政じせいにのぞんで祖父の毛利中納言輝元は銅の鳥居を寄進し、また私が鳥居を新しく鋳造しました。これを以て杵築大社の神殿の門を備え奉ります。以上の通り、と。ちなみに輝元が寄進した銅鳥居は取り外されてから二百六十五年後、弘化二年、一八四五年に九代松江藩主松平斉斎なりときの命により大砲へと鋳直されています」

「じゃあ、同じく孫の自分も国を超えて寄進したって経緯かしら」

「名目上はそうでしょうね。八十六年経過して極僅かでも劣化していたでしょうし。それが理由なら大社側も松江藩も拒むことは出来ません」

「名目上? ごめん、意味が分からないわ」

「すいません、説明不足です。そうですね……元々この大社の神殿の色が朱色だったのはさっき話しましたが、現在は見たとおり白木造りです。これは神仏習合だった大社が神仏分離をした一つの証でもあるんです。それもこの鳥居が造られた時に」

「うーん、真。神仏分離って明治時代じゃないの。南宮大社もそうだよね」

 眼を丸くして姫香が確かめた。

 真は目を軽く閉じて説き明かした。

「杵築大社はそれが江戸時代に行われた。神道と仏教を明確に区別する神仏分離の思想は戦国時代前からあった。杵築大社の場合も突然神仏分離がなされた訳じゃない。天正の末頃から備えがあったとされる。だから新たな寛文造営は出雲国造家にとって神仏分離の最大のチャンスだった」

「どういう事」

 チャンスという語意を図りかね姫香は首を傾げた。

 考えてみてくれと真は鳥居にそっと触れた。

「ここは神社だ。そこに寺の建物が建ち、僧侶がのさばり、我が物顔で祭事を取り仕切る。大抵の神職は黙ってそれを受け入れたが本音は忸怩じくじたる思いだったろう。明治時代の神仏分離令から破壊の廃仏毀釈はいぶつきしゃくに至った原因として僧侶の横柄さに耐えきれなくなったという側面もある」

「我慢の限界を超えたって訳ね」

「一部ではな。そうして万治二年、一六五九年、藩主の直政は出雲国造家と神仏習合思想であった両部神道りょうぶしんとうを否定し唯一神道ゆいいつしんとうに転換する旨を決定した。これは大社にとって大きな転換点だった。そして寛文二年には幕府の寺社奉行が杵築大社の神仏分離を了承した。それから寛文四年以来本格的な神仏分離が始められた。ところがだ、造営を許可する幕府は最初大掛かりの造営には乗り気じゃなかったんだ。財政的な訳もあって」

「徳川家にお金が無かったの」

「無いと言うより蓄えが少なくなっていたんだ。家光の死後は五百万両残っていたが、明暦の大火での本丸の修理に百万両、金銀が採れなくなってきた事、そして貿易の海外流出の損失等で寛文一年、一六六一年には三百五十八万両にまで減ってしまっていた。そんな折りに杵築大社の造営の話が持ち込まれた。幕府としてはさぞや頭が痛かっただろう」

「あー」と姫香は状況を察した。

「実は杵築大社の遷宮は伊勢神宮の新築移転と違い、延享えんきょう元年の一七四四年以降は主に修理や修繕を指す。逆に言えばそれまでは移転をしていたと言うこと。慶長の時の本殿は現在の拝殿近くにあり、寛文の時には八雲山近くまで後ろに下がり、延享の遷宮でようやく今の位置に定まった」

「そうなんだ」

「慶長十四年、一六〇九年、豊臣秀頼が杵築大社の遷宮で本殿を造営している。ちなみに寛文の遷宮での建て替えは憎き豊臣家の痕跡を消すためという説があるがこれは間違いだ。その説が真実なら幕府は最初から遷宮への関与を渋っていないし、本殿を建て替えるにしろ秀頼の時の形式を引き継ぐつもりでいたからな」

 話を本筋に戻そう、と真はミニタオルで額の汗を拭った。

「結局寛文の造営は藩主の松平直政の後押しもあって全て建て替えと決まった。本殿も仮殿式から正殿式への復活だ。幕府も二千貫を寄進した。北島家の資料では官銀五十万両。これには出雲国造家と直政の説得が大きかった」

「出雲国造家……」

「さっきも話したが、神仏習合の時には杵築大社も鰐淵寺などの仏教勢力が強すぎて神事が衰退してしまっていた。これを出雲国造家がいつまでも看過かんかする訳がない。堪りかねた出雲国造家は神仏分離を藩主に願い出た。千家の古文書である慶長年間の『千家元勝旧記』には杵築大社の祭神は大国主と記しているし、またこの時、出雲には国学者や復古神道を唱える者が増えていて、大社は記紀きき、古事記や日本書紀に従う、つまり大国主を祀る元来の姿に回帰すべきだと主張した。それを承認した直政は神仏習合に終止符を打ち、社僧を大社から追い出し、境内の仏教伽藍がらんを一掃した」

「よく鰐淵寺が納得したね」

「いや、正直納得はしていないだろうよ。神仏分離の決定打となったのは鰐淵寺が一六六六年以降は三月会さんがつえを含むあらゆる祭礼への参加は無用と大社から通告された事だった」

「三月会?」

「大社で行われる大祭礼。『山陰無双の節会せちえ、国中第一の神事なり』とされた重要な祭事だ。鰐淵寺はそれも外され、翌年には杵築大社と鰐淵寺の関係は完全に断絶した。こうして神仏分離は成し遂げられ、杵築大社は寛文、そして七十七年後の一七四四年の延享遷宮を経て現在の景色の原型となった」

「これは面白い話ね。ありがとう、ためになったわ」

 咲耶は合点がいった笑みを讃えたが、真は右掌を挙げた。

「いいえ、咲耶さん。まだ一件落着じゃないんです」

「終わりじゃないの」

「むしろここからが本題です。但しこれ以降は飽くまでも俺の推理というか歴史上の推察だと思って聞いて下さい」

 真はコホンと咳払いして改めて解説を始めた。

「先ず何故松平直政が神仏分離に積極的になったかという話です。もちろん学者達に説得はされたでしょうが、俺は直政の家の背景に理由があると考えています」

「背景?」

「ええ。彼は先に説明したように越前松平家、結城秀康の三男です。秀康は家康の次男でありながら秀吉の人質になった経験から将軍候補から外され、三男の秀忠が徳川二代将軍になりました。そして秀康には忠直ただなおという長子がいて越前北庄きたのしょう藩、後の福井藩の二代目となりました。ただ、この忠直は不運にも領内で重臣が対立する『久世騒動』というお家騒動が起きてしまい、徳川幕府を巻き込んでしまった。結果、忠直の統率力の無さが露呈した。そしてこの頃はまだ豊臣家が健在で、越前は親豊臣の家臣も多く将軍家から内心警戒されていたと思います」

「へえ」

「それだけじゃありません。忠直は大坂の陣で活躍するも評価されず幕府へ不満を募らせ、江戸への参勤の途中で引き返してしまったり、秀忠の三女であり自分の妻の勝姫を殺害しようとしたり、家臣を討つなど乱行を繰り返しました。そのせいで秀忠から隠居を言い渡され、後に豊後国、今の大分県に配流になりました。後は越後高田藩主で弟の忠昌ただまさが福井藩を継ぎましたが、それでも越前松平の評価は芳しくなかったんです」

「ふむふむ」

「松平直政は忠昌の腹違いの弟です。信濃から出雲にやってきた直政ですが親藩であっても将軍家は落ち度が有れば厳しい処分を下します。一度目を付けられた越前松平は何より将軍家の覚えをめでたくしなければなりません。それはその血縁である直政も同様でした」

 真は咲耶に具体的な史実を教示した。

「直政はとにかく幕府に忠実であろうとしました。特に従兄弟の将軍家光には気を遣い、松本城に家光を迎えるための辰巳附櫓たつみつきやぐら月見櫓つきみやぐらを造ったり、翌年には馬を献上したりしています。そして島原の乱では七万の兵を出し、出雲に転封てんぽうされた翌年には徹底的に松江近郷のキリシタンを弾圧しました。江戸の御用屋敷に杵築大社を建て、徳川の繁栄を願った直政からすれば政権を揺るがすキリシタンは幕府の敵でしかなく、神国である出雲から外国の教えを追い遣る大義もあったはず。現代では非難の声もあるでしょうが当時はそれが通常の認識でした」

「ふうん」

「とにかく直政は松江に移ってからも幕府の目を気にしていました。松本藩七万石から松江藩十八万六千石への出世です。期待に応えなければいけません。寛文の遷宮にはその目的もあったでしょう。但し神仏分離がなされたとはいっても今まで祭神となっていた須佐之男命をハイサヨウナラと切る訳にはいきません。何と言っても須佐之男命は天照大神、月読尊つきよみのみことに並ぶ三貴神さんきしんの一柱で大国主の祖。八雲山の麓にあった国造館北島邸を、火災で本殿を焼失しないよう移転させそこに素鵞社を建てました。きっと八雲山がご神体と言われた所以ゆえんや、大国主を祀る本殿の後ろというのが位置的に最適だと判断されたんでしょうね」

「ほうほう」

「そして出雲国造家ですが、直政に神仏分離を進言するに当たってこんな殺し文句を使ったに違いありません。『御子が授からない大猷院たいゆういん(家光)様を案じた麟祥院りんしょういん(春日局)様が大国主大神に願ってお誕生あそばされたのが当今の公方(家綱)様です。須佐之男命に非ず、飽くまでも国造りの神、大国主大神の御力によってです』と。まあ、実際一六四〇年に春日局は松江藩に祈願の要請をし、翌年家綱が生まれ、そのため家綱は大国主の申し子と呼ばれたと大社は記しています」

「へえ、そんな事が」

「その架け橋を担ったのが松平直政の母、月照院でした。月照院は春日局の知り合いだったので、その経由で直政に連絡がゆき、直政が出雲国造家に祈祷を依頼しました。ですから直政はその経緯を思い出し膝を打って納得したはずです。そして家綱に言上する計らいにより出雲松平家を称えてもらえるだろうとも思案したでしょうね。実に、出雲大社の寛文造営の願主は徳川家綱。直政は造営総奉行になっています」

「しかし」と真は銅の鳥居の左柱を掌で強く押さえた。

「その直政に、いえ、徳川幕府に不満を抱えた人間がいました。それがくだんの毛利綱広です。綱広は毛利の当主ですが、越前松平とは親類関係にありました。妻は松平忠昌の娘・千姫、母親は結城秀康の次女の喜佐姫きさひめ。直政は喜佐姫の弟、つまり綱広は家康のひ孫に当たり、更に直政とは叔父と甥の間柄になります。ところがこの綱広は大の徳川家嫌い。江戸に滞在していても仮病を使い江戸城に登城しなかった。後に家臣が毛利家が改易されないよう隠居するよう綱広へ要求しています。父の毛利秀就ひでなりは素行が悪く、家康が病に倒れた時、江戸下屋敷で遊び呆けていたとする逸話がありますから、綱広もその気質を受け継いだのかもしれません。その証明がこの銅の鳥居なんです」

 真は右の柱へ歩いて行き、首を上げ、彫られている文字の群れに目を凝らした。

「ここにそれが書かれているの、真」

 姫香も真の後ろから追って、柱の上部から下部に向かって長く記された文章を見つめた。

【夫扶桑開闢而來 尊信陰陽兩神 而曰伊弉諾 伊弉冊尊 此神生三神 一曰日神 二曰月神 三曰素戔鳴也 日神者 地神五代之祖 天照太神是也 月神者 月讀尊是也 素戔鳴尊者 雲陽大社神也 抑號鳥居 昔日思兼神居于常夜鳥於磐戸前 令日神告闇夜之明者也 此時日神豁開 混沌之磐戸天柱兩立 是故兩儀為門戸 以無形而為形 以無名而為名 一生二 萬物亦資始於乎 神之為德 其深矣乎 令茲有台命政造出雲大社 誠哉乎 敬神國之風儀 重天神地祗 宜哉乎也 莅此時政 祖父黃門輝元卿之所寄進之銅華表 又惟新鑄華表 以奉備大社之廟門云爾】

「えっと、おっと……違うか、ふ? え、読めない……」

 漢文と漢字も苦手な姫香は初めから苦戦した。

 真は助け船を出した。

「それ・ふそう・かいびゃく・じらい、と読むんだ。『そもそも、日本は天地の開け始めよりのち』という意味。その後は、陰陽両神、つまりイザナギ・イザナミの両神を尊んで信じ、それから曰くそのイザナギ・イザナミ、この神は次の三神を生む、と続く。でも重要なのはそこじゃない。ここの文章だ」

 やや下を向いた真は「素戔鳴尊者 雲陽大社神也」の部分を指でなぞった。

雲陽うんよう大社というのは出雲大社の事。つまりスサノオは出雲大社の神である、と彫られているんだ。全く驚くべき中身だ」

「え、何かおかしいかな。だって須佐之男命はここに祀られているんでしょ」

 姫香は意味を呑み込めず眉をひそめたが、咲耶は「確かに変ね」と真に同調した。

「お母さん、何が変なの」

「あのね、姫香ちゃん、あなた真君の話ちゃんと聞いてた」

 咲耶は呆れ気味に微苦笑した。

「もちろん聞いてたよ。聞いてたから聞いてるの」

 ややむくれて姫香は言葉を返した。

「だったら矛盾に気付くでしょ」

「……矛盾?」

 よく考えて、と咲耶は顔を娘に近付けて説いた。

「寛文の時に杵築大社は神仏習合を止めて神仏分離をするって決まったのよ。朱色の仏教の建物が無くなって、御祭神も須佐之男命から大国主大神に戻される。その時にどうしてわざわざ寄進する鳥居にこの大社の神は須佐之男命ですって逆行するような内容を書くの。私ならみんなに気に入られるように大国主を称える言葉を選ぶけど」

「あっ」と姫香は口を押さえた。

「まだまだねえ、うちの娘は」

「ハハ、姫香に咲耶さんの理解力の半分でもあればいいんですけど」

 真は不機嫌になる姫香に半笑いして続きを話し出した。

「寛文六年四月の国造願書案には、出雲国造は天照大神の子である天穂日命であり、神勅を受けて、大国主神の御杖代になったことが書かれている。つまりこの銅鳥居が作られる前から寛文の神仏分離が祭神の変更を含んでいる事は明白だった。幕府が正式にそれを認めたのが一六六七年だと言われているが、毛利家も祭神が変更されるだろう情報は事前に得ていただろう。徳川嫌いの綱広はそれを耳にして不愉快だったでしょうね。姫香、膨れてないで思い出してくれ。尼子と毛利の戦の時に毛利に味方したのは誰だった」

「えーと、鰐淵寺だったよね」

「しっかり聞いているじゃないか」と真が認めると姫香は瞬く間に機嫌を戻した。

「さて、綱広の心情を考察してみよう。毛利に恩あるその鰐淵寺は社を追い出され、祭神まで変えられようとしている。輝元が鳥居を寄進した時は紛れもなく祭神は須佐之男命だった。毛利家が出雲を治めていれば神仏分離なんて許さなかっただろう。しかし関ヶ原後、まんまと徳川家に出雲の地を召し上げられ、松江藩主となった松平家も神仏分離に乗り気だ。癪に障るが直政は三十八才も年上だし、綱広と直政は越前松平家の親戚筋でもある。まして叔父の直政は自分にとって大恩人でもあった」

「恩人? 毛利の?」

 うん、と真は再度左の柱へ歩き、綱広の名前に触れながら述べた。

「親である毛利秀就が急死して、まだ元服前の綱広の家督相続は了承する幕府にとって微妙だった。そこに手を差し伸べたのが松平直政だったんだ。幕府は直政、そして越前松平光長を後見とする条目で綱広の相続を認めた。また何かあったら隣国の出羽守、これは直政の事だけどその指図を受けよとある。だから綱広は直政には頭が上がらなかっただろう。そして次代の松江藩主は父の直政が開いた楽山焼らくざんやきという窯元へ萩の陶工を従事させてくれるよう綱広に依頼している。松江松平と毛利は表面上不仲ではなかった」

「ふうん」

「しかし綱広には徳川家への抑えきれない憤りだけは沸々と湧いていた。祖父輝元の時代に領地を二カ国にまで削減された。父の秀就は烏帽子親であった秀頼の近習となり豊臣姓を与えられていた。だから関ヶ原の折には大阪の秀頼の側にいた。そんな秀就が関ヶ原合戦後、家康の命令で渋々越前松平と縁組みさせられ、大坂の陣ではその秀頼に徳川の一員として刃を向けなくてはならなかった。敗者の家の屈辱だっただろう。それに関ヶ原の減封で毛利家の財政は火の車。また秀就は妻の実家である越前松平家とは軋轢あつれきがあったと言われている。綱広もその歴史を知っていたがために徳川へ良い感情は抱いていなかったと考えるのは自然の成り行きだ。だから綱広は別の形で何とか見返す方法がないものか、と境内の図面を目視しながら思索した。寛文四年、一六六四年十二月に北島邸が八雲山の麓から移転した。どうも須佐之男命の社がそこに築かれるらしい……そうだ!」

 と真は人差し指を立てた。

「綱広は一計を思い付いた。そして直政に談判、もしくは書状での遣り取りする機会を作ってもらった。綱広は直政へこんな風に願い出ただろうな。『私の祖父毛利輝元は天正の遷宮で銅鳥居を大社に寄進しております。可能であれば私もそれに倣い 同じ鳥居を献上させて頂きたく存じます』と。ちなみに鎌倉大仏は青銅製だが、七百年以上経っても基本強固だ。輝元が寄進した鳥居もさほど朽ちている訳でもなかっただろうが、綱広は神仏習合時の鳥居と新品と交換するよう提案した。『寺院を廃し、境内を全て一新するのです。折角です、鳥居も真新しいものが似合わしくはありませんか。それもより頑丈な銅鳥居を建てたく存じます。ここ出雲にも銅山はありましょうが、叔父上もご存知の通り、我が領内の長門では良質の銅が多く採れます。昔は東大寺の大仏にも使われた程です』」

「え、真、それホントの話なの。奈良の大仏だよね」

 話の腰を折って姫香が聞き質した。

 話を遮られた真は短く息を吐いた。

「本当だ。山口県の秋吉台の近くに長登ながのぼり銅山跡があって十八トンもの銅を送った記録も残っている。続けて良いか。さて、綱広は更に直政にこんな交渉をした。『またその鳥居の建立は我が領民に任せて頂きたく存じますが如何でしょうか』と。いや、直政の方から話を持ち掛けたのかもしれない。直政は口が上手くケチだと伝わっているからな。ちなみに一六三六年に建てられた日光東照宮の唐銅鳥居はここと同じくらいの大きさで二千両の費用がかかっている。江戸初期の価格でおよそ二億円」

「二億! 鳥居だけで?」

「青銅だからな。ここの鳥居もかなりの出費だったはずだ。どちらにせよ、綱広は鳥居を造る運びとなった。大社を管轄する出雲国造家へは『毛利と出雲国造家の家祖は共に天照大神の子の天穂日命あめのほひのみこと。同じ家筋として是非鳥居の件了承して頂きたい』とでも言いくるめたのかもしれない。これには直政ばかりか出雲国造家もあつらえ向きと喜んだだろう。幕府から二千貫を寄進され、全てを建て直す予定の出雲大社だ。当然輝元の銅の鳥居も入れ替えの候補に挙がっていたはず。そこへ渡りの船で綱広からの申し出があった。料金も綱広持ち、まして名高い毛利家の寄進となればはくもつく。断る道理など微塵もなかった。やがて鳥居は完成しそれが大社に持ち込まれ建てられた。それは見事なものだった。太陽を浴びて燦然さんぜんと輝くブロンズ色の鳥居は大社の入口を護るに相応しいと誰もが感激しただろう」

 ところが、と真はさっきの文章を指さした。

「その鳥居に彫られた神の文言に関係者は唖然あぜんとしただろうな。特に直政の子の綱隆つなたかは別の文字を正視して驚いたに違いない」

「綱隆? 直政じゃないの」

「それが直政はこの鳥居が完成する三ヶ月前に亡くなっている。藩主は長子の綱隆に代わっていた。一六六七年の竣工の式典には無論藩主が出席しただろうから綱隆もこの鳥居に目を留めているはずだ。綱隆も魂消たまげただろう文字はこの柱に彫られた綱広の名前にある」

「名前?」

 姫香は左柱に刻まれた綱広の寄進銘を再度具に目で追った。

 そこには遠慮がちに小さく彫られた防長二州刺史ししの文字と、その下には從四位下行侍從兼大膳太夫大江綱廣朝臣と表記してあった。

 真は易しく説いた。

「刺史は国守を指す。周防と長門二州の国守。官位の説明は省くが、毛利の始祖は鎌倉幕府を支えた大江広元だ。父の秀就の時に毛利は松平姓を与えられ、綱広の綱は四代将軍の家綱から偏諱へんきを受けて名乗ったが、綱広の広は大江広元の広。大江氏は平安時代から続く高名な氏族だ」

「えっと、真君、じゃあこの鳥居の大江姓は徳川より偉いぞってアピールなの?」

 話の論点に疑問を浮かべた咲耶が問い掛けた。

 真は否定した。

「そういう訳ではありません。公式文書や、神社等に寄進する時は概ね名字でなく本姓を使うんです。毛利輝元も厳島神社に蘭奢待らんじゃたいを寄進した時に大江輝元と記していますし、秀就も山口県の防府天満宮の石鳥居に大江朝臣秀就と彫っています。ですから大江の姓には何ら問題はありません」

「だったら何がおかしいの」

「そうですね。実は綱広は十三歳の元服の前、上野東照宮に寄進した銅灯籠へ『防長二州主大江姓松平千代熊丸』と彫っています。千代熊丸は綱広の幼名です。同時に後見人の松平直政と光長も上野東照宮に灯籠を寄進していますので、綱広にも勧めたんでしょう。ところが二十七歳になった時、ここ、出雲大社の銅鳥居には松平の名字が見当たりません』

「ええっ、わざと削ったの」

 咲耶は鳥居の名前に釘付けになったが真はいいえ、と否んだ。

「加賀の前田綱紀つなのりも菅原姓松平犬千代の幼名で灯籠を上野へ寄進しています。綱紀も地元等の資料では松平を名乗っていないので公的な場でなければ下賜されても松平姓は使われないんです。ですからこの鳥居に松平が無くても突飛という事でもありません。但し、杵築大社の造営は公的な場ではないにしろ、徳川の親藩松江藩が造営奉行を担っていましたから、むしろ徳川との関係を良好にしたいならば松平姓を連ねる方が得策でしょう」

「本当にそうね」

「そして防長二州刺史という官職名は一見在り来たりにも見えますが、以前治めていた出雲の地でこれを刻むのはこの地を徳川に横取りされた綱広の皮肉も若干込められていると思います。毛利家では毛利元就の長子・隆元の時から十二代まで戒名に官名を入れています。孫の輝元も前黄門、ひ孫の秀就、彼は綱広の父ですが、その戒名には前二州太守四品羽林次将しほんうりんじしょうの官名が入っています。これは秀就の官位であった従四位下、右近衛権少将を言い換えたものです」

「あれ、それってこの名前に似てる」

 姫香が綱広の刻銘を指さした。

 真はニヤリと笑った。

「正に綱広はそれを踏襲とうしゅうした。彼の後の戒名にも前二州太守四品拾遺補闕しゅういほけつ兼大官令の官位が見える。拾遺補闕は唐名で侍従の事、大官令は大膳大夫」

「柱に彫られた名前のまんまじゃないの」

「綱広の場合は存命時にそれを彫った。さて、そろそろこの鳥居の話をまとめよう。杵築大社の神は大国主でなく須佐之男命、そして我は嘗て出雲を支配した毛利家の末裔だと暗に挑発した綱広に驚愕した出雲国造家も綱隆も呆気にとられながらも何も言い返せなかっただろう。何せ相手は外様といえど徳川の親類、また中国の覇者であった毛利家。そして高価な鳥居だけでなく天下一と讃えられた名鋳物師の名越家に銅の神馬まで作らせ献上してもらっている」

 真は鳥居の正面から八雲山へ一直線に手を向けた。

「ここの本殿の祭神である大国主の神座は常に西を向いている。ところがその背後に建てられている素鵞社の祭神は鳥居に対し正面を向いている。これは一見、本殿の大国主を拝んでいるように見えて実は後ろの須佐之男命を拝している形になる。故に綱広は鳥居に『素戔鳴尊者 雲陽大社神也』という文字を彫った」

「ああ、それで!」

「全ては抜け目ない綱広の計略通りだった。鳥居を寄進した時はまだ祭神は素戔嗚尊だった。大国主へ祭神を変更するよう動いていた計画を知っていたからこそ素戔鳴尊者は雲陽大社神也という文言を敢えて入れた。仮に責められても祭神変更予定は知りませんでしたと空惚ける事も出来たし、重い鳥居の足下は根巻石ねまきいし据石すえいし飼石かいいしでしっかり固められているのが基礎調査で判明している。こうなったら簡単に動かす事も壊すことも燃やす事も適わない。銅は主にすずを混ぜれば青銅になる。青銅は強度もあり鉄より腐食しにくい。これはつまり朽ちることもない半永久のモニュメントだ。まして綱広の名前の上には偉哉神德 皇風化洽、訳すれば『神徳優れて大いなる、天皇の仁政遍く徳化を及ぼす』等の縁起良い言葉が並んでいる。それに右柱の銘文には『台命たいめい政造出雲大社』、つまり徳川将軍の御命令で出雲大社は建てられたと彫られている。これらのめでたい文章に一体誰が綱広を咎め立て出来ると思う?」

 一旦息を吸って真は最後の締め括りの意見を高らかに述べた。

「後世まで長く残り続ける銅の鳥居に彫られた銘文。これこそが出雲国造家と徳川家に対する綱広のささやかな反抗だったのさ」

 するとこの瞬間、突然真の周りからワッと拍手喝采が起きた。

「お兄ちゃん、あんたの話面白いなあ」

「この鳥居にそんな意味があったんやな。反徳川の建造物か、そりゃええ」

「物知りね、歴史ガイドなん」

 真に向かって賞賛が降り掛かった。

 周りを確かめるとどうも素鵞社にいた関西系の初老の団体が真の漏れ聞こえてきた話に興味を抱いてこっそり後をついてきたようであった。

 真は照れ臭そうに頬をいた。

「これは飽くまでも私の持論です。確たる証拠はありませんし、造営の日記や記録に毛利の心情が書かれているかは知りません。しかし神社仏閣には案外秘密が隠されていたりするものです。折角なので参拝するだけでなく建築様式や装飾物や彫刻などにも目を留めてみて下さい。何か変わった発見があるかもしれません」

 真は最後に彼らへ軽く会釈した。

 皆はもう一度拍手し、おおきに、と礼を言って帰って行った。

 やれやれと安堵した真の後ろから唐突に姫香ががばっと抱き付いてきた。

「わ、またか、何だ」

「やっぱり真は凄いよ。断然教師向きだよ。今の人達も勉強になったって喜んでたじゃない。絶対絶対に講師の仕事来るよ。私も神様に就活お願いしておいたから大丈夫」

「お前の大丈夫の根拠が解らん。いいから離れろ、暑い」

 真は背中を揺すって姫香を離させた。

 すると姫香は正面に回り、真にカラリと微笑んだ。

「お祈りの力は最強だよ。私、いつも真の幸せを神棚に祈っているもん。今日もそう。大好きな人への気持ちなら出雲の神様もきっとお願いをきいてくれるから」

「……く、お前はそんな面映おもはゆくなるような言葉をよくも平然と」

 面前で快活に告白された真は顔を伏せ、にやける咲耶へ赤面を悟られないように「いいから蕎麦屋に行くぞ」ときびすを返した。


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