東京マジシャンズ

夜野やかん

1

「お前、『立花ひろき』か?」


朝の爽やかな空気を吸い込んで、いざ学校の敷地内へ踏み込もうとする俺に突然前髪オールバックの学生が声をかけてきた。


「...俺、立花ひろきじゃないけど。誰?」


「うっそだろ、カイじゃなくてこれだけのオーラかよ...。」


遅刻5分前、いつも通り1kmの通学路をダッシュしていざ校門を跨ごうとした時だった。この前髪オールバック学生が俺にそう声をかけてきたのである。

校門前でブツブツつぶやく前髪オールバック学生に、俺は若干引きながら思考を巡らせる。


誰、というのは立花ひろきが誰か、という意味で聞いたのだが、前髪オールバックの学生は意味を勘違いしたのか。いきなり自己紹介を始めた。


「俺は東錠とうじょう鍵治けんじ。」

「あ、俺は夏目なつめそう。」


自己紹介を済ませる。なぜ校門の前で知らない人の名前を尋ねてきた相手に自分の名を言わなければならないのかは分からないが、相手が名乗ったらこちらも名乗るのが礼儀だ。


黙っていると東錠が追加で質問を重ねてくる。


「そうか。夏目、『立花ひろき』が誰かは知っているか?」


「知らない。」


「ほう...まだあまり広まっていない...祓うより記憶処理の方が早いかもしれないな...。」


正直に知らないと伝えると、東錠はブツブツと呟く。なんだこいつ。


「あ、じゃあ俺もういい?遅刻しそうなんだ。」


「ああ。協力ありがとう。」


立花ひろきという名前は新品の白いスニーカーに飛んだ泥のように俺の頭にこびりつく。


「おお!夏目!遅刻すんなよ!」


「はい!大丈夫です!」


2m100kgの筋骨隆々体育教師、阿部先生の挨拶に軽く返しながら校内へ急ぐ。

「立花ひろき」、か。

なんだか嫌な気分になりながらも、俺、夏目蒼はクラスへと急ぐのだった。


● ○ ●


無事始業前に間に合い、俺は席で軽く息をつく。

俺は夏目蒼なつめそう。某明治時代の名作家と五文字読みが被っている、ということを除けば平凡な中学三年生だ。

 余談だがあだ名は『坊っちゃん』や『猫』。大迷惑である。

 俺の通う私立北上中学校は、残り3週間で卒業式を迎えようとしていた。もちろん俺も漏れなく卒業生だ。

窓から例年より少し早めに咲いた桜を眺めて、俺は指をいじる。


(は〜〜〜〜。)


退屈だった。

高校生活へのワクワクも、趣味に時間を割ける喜びもなく。

俺はこの『卒業する前の和やかなムード』を酷く退屈なものに感じていた。


「zzz...zzz...」


だからこそ、居眠りしてしまうのはしょうがないはずだ。


「zz..『ピンポンパンポーン』...!」


うとうと眠ってしまっていた俺は突然響くチャイムを目覚まし時計代わりに目覚める。


時計を見ると...げっ。2時間は眠っていた。

もう入試も終わったし授業でやる内容もないのだが、何だか少し罪悪感を抱いてしまう。


「ふぁ〜...ンだよ...」


どうせ寝るなら昼まで寝たかったので、爆音のチャイムに殺意が向く。


「放送!」「なんだ急に。」


卒業を2週間後に控えたこの時期に、放送で伝達するほど大事なことはないはずだけど。


『―――こ校長です。校長です。校長です。校長です。本本日じ日は、昼休みにきゅっきゅきゅ急遽予定を変えて校庭で行おうと思います。しゅしゅ会集会を、お、行おうと思思思います。昼、集会です。』


(なんか、校長の声...二重?)



寝ぼけているからなのか、突然流れた放送は、普段のものとは違う気がした。

音が重なったような、歪んだような。

校長の声も心なしか怒っているように聞こえる。


「昼休み丸潰れかよ」「だりー」


そんなふうに嘆くクラスメイト。誰も違和感に触れないので驚く。

明らかに今の放送はツッコミどころが多かったはずだ。

寝ぼけたせい?いや、絶対に違う。

今のは俺の耳じゃなく放送がおかしかった。

試しに仲のいい友人に問いかけてみる。


「放送機器壊れてんのかな?」


「え?...なんで?」


「なんでって...。今、音が変だったろ?」


「そう?...どこら辺が?」


「気のせい」で済ますのは無理やりすぎるほどおかしな感覚だったんだけど。


『立花ひろき』。

『変な放送』。

『違和感に気づかないクラスメイト』。


なんだか不穏なムードを俺は感じていた。


● ○ ●

〈東錠side〉


「もしもし...あ、田中さん?」


東錠鍵治とうじょうけんじは電話の相手―――田中に向かって何やら喋っている。


「うん。まだあんまり広がってない。等級は三級のままでいいと思う。伝染ミーム型の怪にしては伝染済の学生は30人もいないし...。」


伝染ミーム型のカイ』。その言葉の意味は彼と田中にしかわからない。


「あっ!聞いてよ田中さん」


突然、東錠の口調が

電話に向かって喋る彼の口調はヒートアップ。彼の脳裏には夏目の顔がよぎっている。


「バカみたいに“氣”が多いやつがいるんだ。調べてくれない?家系かも...夏目蒼って人。そう。『魔導覚醒』はしてなさそうだけど多分星野先生か神永先輩以上の氣の量だよ。

朝から2時間も眠りこけてるけど。」


『氣』『魔導覚醒』。一般人に馴染みのない言葉が続く。


「え?追加で調査?田中さんもくるの?...うん。わかった。はい。んじゃ後で。」


余計な報告で任務を増やしてしまったようだ。

東錠はため息をつくと校内へ駆け出した。


● ○ ●


〈中1男子・Mの証言〉


「え?夏目先輩について?ああ、色々噂ありますよね。噂って言うより、武勇伝か。

体力測定のシャトルランでアスリート並みの記録出したとか...。え?回数?...172...でしたっけ。すみません、あんまり覚えてないですけど。

あ、あと四階から猫守るために飛び降りたとか、そう言うのは聞いたことあります。

...と言うか先輩、見たところ三年生ですけど夏目先輩のこと知らないんですか?転校生?この時期に?」


〈中3女子・Kの証言〉


「夏目くん?噂?...ああ、噂ってそういう。

単身でヤクザの事務所に突っ込んで潰したとか、え?...そう。○△組。支部だったらしいけど、銃とかあったらしいし。40対1とかだったらしいよ。

あと、熊に素手で勝ったとかは聞いたことあるけど。え?熊?裏の山で出たんだよ。去年の秋だったかな?ちょっとした騒ぎだったんだけど、捜索隊が倒れた熊と夏目くんを見つけて。知らない?って言うか君みたいな子学年にいたっけ?東錠くん?」


● ○ ●


〈夏目side〉


朝から居眠りで2時間を失った俺であるが、3限の担任の数学教師


「えー、卒業まで残り3週間となったわけだが、、、。」


教師の話は開始3秒で聞く気はなくなった。いつもと同じ始まり方。内容も同じだろう。

ため息をついた俺は、目を閉じて座り直す。手を丹田の前で軽く組むと深呼吸をして体内に集中した。

俺が小学生に襲い掛かろうとする熊を素手で倒したり、道端で因縁をつけてきたヤクザをきっかけに組を一つ潰したりすることができるのはのおかげである。


―――「いいか、蒼。丹田――へそに集中しろ。体内を回る血やエネルギーの流れを追うんだ。そのまま息を吸って...吐いて。力が、『氣』が体内を伝うのを想像しろ。指先まで満遍なく。」


亡くなった祖父が言っていた言葉。80を越えてまで山を駆け回り獣を撃っていた彼は、癌で亡くなった。発見された時にはもうステージⅣで手の施しようがなかったという。


息を吸って、吐く。頭の毛の先から足の指先まで伝う『氣』のイメージ。

なぜ瞑想をするのかと問われても、習慣だからと答えることしかできない。ただ、俺の体が常人より強靭で俊敏な動きができるのはのおかげである。


“氣”は、人間のだ。本来はヘソや心臓とか大事なところに集中している(らしい)。そのエネルギーを体内の様々な場所へ移動させることで身体能力を大きく上げることができる。


しばらく瞑想を続けていると、


「―――――――――!」


なんだか周りが騒がしいことに気づく。席替えか自習の発表か。目をうっすら開けて周りを確認。


「立花ひろき!立花ひろき!立花!ひろき!」

「立花ひろきぃ!理解わかってしまった!認識ってしまった!立花ひろき!」

「立花立花立花立花立花立花立花立花立花」


「―――ッ!」


咄嗟に目を閉じて耳を塞ぐ。

異様な光景だった。クラスメイト全員が恍惚な、いや鬼の形相で「立花ひろき」を連呼している。朝、校門の東錠に言われた「立花ひろき」。この名前が何かをしている。何か、とてつもなくまずいことを。

何かしようと立ち上がると、ガタンと椅子が鳴ってしまう。


(やばっ!)


「!!」


すると突然「立花ひろき」を連呼していたクラスメイトは嘘みたいに鎮まりかえると皿のような目で俺のことを見つめる。

ゾク、と体が震える。生命の危機を感じた。


「こッれやばい!」


俺は“氣”を足に集中させて机を踏み台に大きくジャンプ。そのまま空中で半回転して教室の天井を蹴って、廊下を走る。

あいにく俺は3年5組。何が言いたいかって、学校を出る時に全ての教室の前を通るってこと。


「!!」「!!」「!!」


当然追われる。錯乱した全三年生に。


「んだよこれええええ!」

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