呼び声、呼び香

霧谷

✳✳✳

──厭な匂いが鼻を掠める。


「好きな人の香水、私もつけてみようかな」


鼻腔の奥にどろりとまとわりつく、香り。



「ちょっとつけすぎた?」


「そんなことはないよ」


「良かった」



彼女は口元を綻ばせて幸せそうに笑う。またひとつ、彼と揃いのものが出来たと。


「──」


彼女の纏うその匂いは日に日に濃くなる。噎せ返るような果物の香りの下に、別のなにかを隠したかのような異質な匂い。私は甘ったるい香の下に何が隠されているのかを聞く勇気は無く、日々を彼女と過ごしていた。



──



「今日もちゃんとつけてきたよ、どう?」


蜜花が咲うように微笑む彼女は今日も可愛らしい。だがしかし、その甘やかな笑みを内包している香りは到底無視出来ないものになっていた。


私は震える声を絞り出し、彼女に問い掛ける。



「──ねえ」


「ん?」


「……その人の香水の銘柄、聞いたことはある?」



「──」



ぞくり。


硬い声で告げた私の問いを聞いた時──目の前の彼女の輪郭が、顔貌が、溶け崩れるようにして嗤った。いやに粘性の有る笑みに生気は無く、例えるなら悪夢の湖の淵に立って昏い水底を覗き込んでいるような湿った冷たさを感じさせた。両の二の腕に鳥肌が浮かぶ。



「……なんでそんな事を聞くの?」


彼女は笑みを浮かべたままゆっくりと私に近付くと力無く垂らされた手を取って握り締める。その両手は氷のように冷え切っていて、反射で悲鳴を上げそうになったが喉奥へと必死で押し込む。その代わりに漏れた呻きは抑えようのない恐怖が溢れ出していた。



「──だって、その匂いは、」


言うな、言うな。言ったら終わりだ。

僅かばかりの自制心が私の意識に爪を立てる。



「この匂いは?」


……問うてくれるなと願う心を無視して彼女は嘲笑う。ぎりり、と。握られた手に骨が軋む勢いで力が篭もった。冷たい、痛い、寒い。皮膚から伝わる感覚が思考回路のあちらこちらで火花を伴って爆ぜる。私は痛みに顔を顰めながらも、彼女の眼を見て告げた。




「──生きてる人間の匂いじゃない」



──ぐずりと爛熟した柘榴の香りが、鼻腔を充たす。




彼女は私の言葉を聞いてうつくしく微笑んだ。



色の無い唇から、柔らかい声が落ちる。







「……そう。やっと、やっと。本当に。




──彼とお揃いになれるんだね」

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呼び声、呼び香 霧谷 @168-nHHT

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