本編 #01 - 「白き悪魔の里」
平原のどこかに「白き悪魔達」と呼ばれ恐れられているラゴ族(ウサギ族)の狩人の集落がある。彼らは商隊から下着の一枚まで追い剥ぎ、周囲の部族や国と一切交易を持とうとしない - そんな話を聞いたことがある。求道者のペロ族(犬族)の少女、スジャータはそんな常人なら避ける場所を目指してまばらに低木の生えた荒野を歩いていた。
「近いかもしれません」
これは給仕の煙だろうか?小さな古墳の様に盛り上がった丘が見える。そこから灰色の煙と、ほのかに肉の焼けるような香りが漂ってくる。白き悪魔の里とは、あの丘の先にある集落なのだろうかー
「ーっ!」
風をつんざく音 ー スジャータの栗色の髪を弓矢がかすめた。自身を射抜こうとした弓矢を振り向いて見ようとすると、間髪入れず彼女の足の一寸先に二撃目が撃ち込まれた。スジャータの足が震える。彼女の目の周りからは微かに冷や汗が滲み出てきた。
「これはこれはー」
これが白き悪魔 ー 藪に隠れていたラゴ族(ウサギ族)の狩人たちが姿を現した。その数6名あまりだろうか。彼らはめいめいに短剣を逆手に構え、あるいは矢をスジャータの頭に狙いをつけながら彼女ににじみ寄る。狩人らの髪と体は、まるでアヌ神の体のような純白色だ。
「白き悪魔の里へようこそ、命知らずのお嬢様。早速だがお名前と素性を知りたい」
太陽の逆光を背に、小丘に立ったラゴ族の女性が言った。白き悪魔たちの首領... あれがうわさに聞いた、女狩人のアタルヴァだろうかー
「名乗れ」
彼女は上級絵師の描いたカナ神の様な、すらっとした躰をしている。図像と異なるのは鍛えられた筋が腹と脚に浮かび上がっていること、そして朱の入れ墨で火の記しが刻まれていることだ。記しはかつてリグの教えを忠実に守る戦士階級の一族であったことの証だ。
「私の名前はスジャータ。私は『求道者』の一人です。狩人様、どうか中へお入れください」
「求道者の一人ですぅ、中へお入れください、だと」
がははは、という笑い声が狩人たちから上がった。侮蔑を込めた薄汚い嗤いではなく、この世は喜劇とばかりの豪胆な笑いだ。
「ウチはセールスお断りだ。リグ様のありがたーい教えも間に合ってる。膝に矢をブチ込まれたくなかったらおうちに帰ってネンネしな」
「いいえ... 帰りません。私には使命があるんです」
なんだコイツは - アタルヴァはイラつくと同時に、この少女に少しばかり感銘を覚えた。
弓矢を2発、狩り仲間で囲う、脅す。里に近づくリグの信者どもはこの手順で大抵は追い払えた。唯一の例外は志だけは立派などこかの下級戦士の遊撃部隊がやってきた時だった。脅しが効かなかったので、狩り仲間と一緒に適当に彼らの腕と足に毒矢をぶっ放した。それ以来、無知な商隊が「お届け」してくれる時を除いてはこの里に寄りつくものはいなくなった。逃げ帰った下級戦士がリグを呪う悪魔がいるだとかなんだとか、あらぬ噂を巷に広げたらしい。ありがたいことだ。
リグの信者がいないというのは教えの束縛を嫌うアタルヴァ、そして荒野の狩人たちにはちょうど良い環境だった。くだらない教えや戒律を気にせず、自然の許す限り好きなことをして暮らすことができる。しかし彼女が変化の無い世界に少しばかりの退屈を覚えたのも事実だ。ここには奴隷階級と戦士階級の禁断のラブロマンスを描いた禁書物も、戦士や狩人としての素質を磨くための新たな指南書も、ペルズの勇士として倒すべき憎っくき朝敵もいないからだ。
アタルヴァは切り立った小丘から飛び降り、栗髪の少女ににじみ寄った。彼女は二本のナイフの内から薄刃のニムチャ(アフリカの曲刀)を右手に取り、左手のハンドサインで狩人らの武器を下ろさせた。荒野をさまよう野蛮人とは思えない見事な意思疎通だ。アタルヴァはスジャータの真ん前に立つと、彼女が後ろに隠した手をとり空に向かって突き上げた。正四角と三本線... これは地の記し、奴隷の証だ。
「正四角と三本線」
分かりきったことをあえて口にしてみせた。
「リグの信者が」
やせ細った男の狩人が口にする。彼の手首には三本線と記しは刻まれていない。彼はリグの洗礼を免れた、荒野の狩人の一人だ。
「ふ~ん、私と同じなんだ。同情なんてしないけど」
スジャータと同じ丈ほどの小柄な女狩人が言う。彼女の腕にも真っ黒な奴隷の記しが描かれていた。狩人の中には奴隷の地位を捨てたものもいるらしい。
「いい度胸だスジャータ。少しお前が気に入ってきたぞ。折角だから話を聞いてやろう、『求道』とはなんだ?」
「私の師、求道者様が説いた命を高めるための教えです。これはリグの教えとも、あなた方の暮らしとも矛盾するものではありません」
「命を高める?」
がははは、という笑い声がふたたび巻き起こった。
「あっはっはっはぁ... ああ笑ってすまない。命を刈り取る狩人に『命を高める』とはねぇ」
「アタマがおかしい女だな」
「ああ、ムカツク。私たちそういうの大嫌いなんだよね、求道者サン」
「狩人様... 僭越ながら、私もまた狩人です」
「これは新作だな。お前は肉を食らい血を啜る求道者か?」
「いいえ。しかし命を高めるために闇を払う、魂の狩人です」
「魂の狩人?」
がははは、という笑い声がみたび巻き起こった。
アタルヴァはスジャータの右手を握るのを忘れ、その場で腹を抱えてうずくまった。
「ますます面白いなぁ、求道者。決めたぞ、お前は私の獲物だ。しばらく側に置いておいてやる」
「はぁ?正気かアタルヴァ、こいつそこいらのリグ信者よりもトンでるぞ」
「そうよ。どんなスバラシイ教えを里の子供らに吹き込むか、わかったもんじゃないでしょ」
「だからこそ面白いんだろう」
「ああ、どこかで聞いたことがあるぞ。かつてリグスの神聖皇帝は教えに従わぬものの首をハネて回ったが、一人だけ例外を設けた。断頭台に立たされても『王様は裸だ』と喜劇精神を失わなかった、きちがい道化師の小人」
「そりゃあ何の話だ」
「その道化師に好き勝手に自分をバカにさせることで、その王様は絶大な権力を握っても正常な思考力を失わなかったのさ。その王は道化師と共にリグの教えで平和裏に大陸を平定した、歴史の偉人となる。この子に好き勝手に求道の教えを垂れ流させれば、私らも相高めあって歴史の偉人になれるかも知れん」
「あえて狩人とは正反対のコイツを入れてみるってこと?」
「そうさな」
「私は反対だけどね... アタルヴァ、あんたが言うなら」
「では、里に入れて頂けるんですね?」
スジャータが栗色の尻尾を振りながら、目を輝かせて言った。
「ああ、いいだろう。ただし求道の教えとやらが下らん説教だったら膝に矢をぶっ放す」
「ありがとうございます、狩人様」
こうして白き悪魔の里に1人の新入りが加わった。彼女の名はスジャータ ー リグの教えではない新たな心の支えを胸に秘めた、不思議な少女だった。
白き悪魔の里に求道の少女が迎え入れられたその日の黄昏...
ペルズから上る黒煙は未だ絶えることがなかった。王都を焼いた怒りの炎は、その後も三日三晩に渡って続いた。
「そういや... 昨日からずっと煙があがってるな。ペルズのオジ様、やっと死んだのか?」
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