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君は恐らく、いや途方もなく、幸せを噛み締めている大学生だった。初めて彼女ができて、浮かれていた。
ある日のことだ。ゴールデンウィークの過ぎ去った、若い青葉の眩しい季節。サークルに体験入部を誘われて、なんのサークルかはあまり関係がないから省くけど、君は断りきれずに参加した。
その後の飲み会が本番だった。君はまだ未成年だったが法に触れた。勧められたビールを啜り、苦味を堪えてどうにか飲んだ。理由は簡単だ。可愛いな、と思う女の子が隣に座っていたからだ。
背伸びという努力は可愛らしい。女の子もそう思う。
彼女の名前は愛花と言った。君はサークルには入らなかったが、愛花との連絡先交換は行えた。彼女は一つ、あるいは二つ、年上の大学生だった。君は彼女に連絡をして、メッセージのやり取りを行い、映画に行きませんかと指先に込めた勇気で送信し、オーケーをもらった。
付き合うまでに時間は掛からなかったし、愛花は君のことを好きだった。はじめから可愛いなと感じていた。一生懸命送ってくるメッセージも、手慣れていない雰囲気が逆に彼女に印象を与えた。
君の話はここから始まる。
愛花は都会育ちで、大学には実家から通っていたが、君は田舎出身の一人暮らしだった。
それを付き合う以前から知っていた愛花は、当然君に誘いをかける。
「ねえ、今度泊まりに行ってもいいかな?」
君は狼狽える。それすら愛花には、君を好きだと思う彼女には、可愛い反応だなと満足感を植え付ける。
「あ、いや、でも愛花さん、おれの部屋汚いし……」
「えー、それじゃあ私が片付けてあげるよ」
「えっ」
「それにほら、私結構料理とかできるんだよ。何か作ってあげるって、ね?」
君は押し切られて、次の土曜日に愛花は部屋に泊まりに来る。
出来る限り片付けた部屋は綺麗で、でも料理はあまりしなかったから、キッチンだけが新品のように真っ新だ。それを見て愛花は喜び、君に料理を作って振る舞う。彩りが鮮やかなトマトソースのパスタに、具材が豊富に入ったポトフという食卓だ。君は美味しいと食べるが、実はパスタはあまり好きではない。でも、愛花が好きだから食べる。にこにこする彼女を見て、幸せな気分で料理を次々口へと運ぶ。
その幸せはまだ先がある。互いにシャワーを浴びて、夜が更ければ期待してしまう。期待は叶えられる。冷蔵庫の低い唸り。隣人が帰宅した扉の開閉音。慌てて洗濯した枕カバーからは花の香りが立ち上る。布ずれの音がして、いや自分が動いたと君はにわかに焦るけど、夜に慣れた視界の中で合わさった瞳は無言のままで了承する。
君に経験があったかどうかは問わない。愛花も、俺もだ。
ただ夢中で事に及び、気だるさの中でシャワーを浴びて、甘えるように寄りかかってくる愛花の濡れた髪が冷たいけれど心地よくて、朝まで君は持続した幸福の中にいる。
「おはよ」
ぼやけながら起きた君は、パンを焼いてくれていた愛花に話し掛けられる。自分はまともに立ちもしなかったキッチンに、心底好きだと思う女性が立っている風景に、ちょっと一口では言い表せない放心を覚える。
「何、寝ぼけてるの? 意外と体力ないんだねー、なんて」
「そういうわけじゃ……」
「ウソウソ! ほんと可愛いねー、パンも食べさせてあげよっか?」
反射で頷いた君を見て、愛花は楽しそうな笑い声を上げる。その笑顔に君は、愛花さんだって本当に可愛い、と、思いはするけど口には出せず、差し出された食パンを大人しく齧った。
凡庸というか、ありふれた一幕だ。俺じゃなく、君がそう思う。でもこのままでいたいとも続けて思い、君と愛花はつつがなく半年ほどの交際を続ける。
じゃあそろそろ、俺の話をしようかな。
どう足掻いても愉快な話にはならないが……違うな。
どう足掻いても一部の人間にしか愉快な話にはならないが、まあ別に、そういう人間もいるからさ。
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