第30話

 まるでどこにも行き場がない。直は、街を彷徨うように歩いた。

 目にも力が入らず、感覚だけで歩を進めてなんとなく駅の方角へむかう。

 ぼうっとしていると、どんっと肩が衝突して人にぶつかった。相手は手にしていたテイクアウトのカフェカップを落とした。

「わあぁっ。ごっめんなさい。服、大丈夫?」 


 どちらかというと、謝罪すべきはよそみしていた直のほうだった。そして聞き覚えのある快活な声だと思った。どこかで聞いた愛嬌のある声に、直の視線が持ちあがった。


「み……雅、さん」

「えっ。直ちゃんじゃん。ひっさしぶり」

 直は、見つかった迷子のように顔面をふるわせて泣きだした。せきとめられない涙をこれでもかというくらいに流して嗚咽をあげる。雅の胸は直を受けとめた。

「おいおい、どーしたの」と雅はなだめた。

 

 


「はいこれ。ハニーミルクラテ♪」 

 木製のテーブルに雅がマグカップを置いた。直は眉毛を下げて心配そうな上目をむける。

「気にしないで。私がさそったんだから」とウィンクする雅は向かいの椅子に腰かけた。そのカフェは、大型チェーンのコーヒーショップではなく、こじんまりとした居心地のい店だった。


「本当に久しぶりだよね。夏休みに研究室に遊びにきてくれたけど、それ以来じゃんか」

「はい。受験勉強で忙しくなって」

「だよねだよね。調子はどう?」

「なんとか。たぶん」

 その答えを聞いた雅は、よっしゃ。とガッツポーズした。雅の変わらない底抜けの明るさが、直の緊張感を徐々に解いていく。

「本当にさっきはごめんなさい。ぶつかったのは、私がわるくて」とマグを両手でさわった。指の腹から暖かさがじんわり伝わってきた。

「研究室に来た帰りだったの?」

「はい。……でも正確には、行かないで帰ろうとしたんです。そしたら、偶然真と居合わせて。それで」

「うん」とラテを飲んで雅はうなずく。

「逃げてきてしまいました……」

「うん。ん?」と雅はまばたきを繰りかえした。

 

「逃げてきたって。なんで?」

「じつは、夢を見て」

「夢。どんな」

「真とキスをして、それから多分……」

「……あぁ。あぁ〜そういうことね……」

「最悪です」

「え、なんで?」

「いままでは、なんでも話せたのに。このことはいえなかった。話したらきっと幻滅されるから」

「そーかな」

「そうですよ」

「私は、そうは思わないけどな」 

 雅は、テーブルに両ひじをついた。

「幻滅されると思った理由もふくめて。ぜんぶ、正直に話してみって」

「ぜんぶ正直に?」

「うん。だって、真にはそれがいちばん効果あんのよ。直ちゃんが自分に正直になって思いを伝えたらそれで大丈夫なの」

 下まぶたに影を落とす直は、口をへの字にしている。

「私、うまく話せるか自信ないんです」

「うーん。うまく話そうとか考えなくていいんだよ。直ちゃんたちの絆はね、そんなやわじゃないから。むしろ無敵くらいに思ってていいんだから」といって雅は笑窪を見せた。

 

「ありがとう。雅さん、このことは真には……」

「わかってるよ。もちろんだまっとくから」

 直は、なんとかほほ笑み返した。雅は、マグカップのふちを人差し指でなぞりつつ、ぼそっとつぶやいた。

「あいつ。いまごろどんな顔してんのか。見ものだな。ふふふ……」

「えっ。いまなんていいました?」

「ううん。なんでもないよ♪」

「ところで、雅さん。その髪きれい」

 ピンクアッシュにきらめく雅のヘアカラーについて直は言及した。

「でっしょ〜。直ちゃんも大学生になったら染めなよ。美容室紹介するよ」

 青なんてどう? と雅は斬新な提案をする。ふと、丸汐研のメンバーが皆個性的な髪色だったことを想起した。 

 

 雅に後押しされて、彼女と別れた直は、しっかりとした足取りで帰路についた。翌日。真へ、前日の昼間のことをわびた一文に加えて、「会って話がしたい」とメッセージを送った。

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