第11話
週明け、月曜日。
登校した直は、階段をのぼった廊下で、あの三人組に遭遇した。
「おはよう、無性愛者」
すれちがい間際に、そう挨拶された直は、するどく見返した。
「あのさ。こないだのことだけど」
「は、なんだよ」
「無性愛が少子化を助長するって、完全に錯誤だから。子育てと両立できる仕事環境がなかったり、経済的な理由から産まないひとがたくさんいるって、授業でもならったでしょ?」
男子たちは、お互いの顔をちらちら見合っている。
「あと、無性愛のひとだって、子供持つからね。性的魅力を感じてセックスするのと、子供を持つためにする性行為はちがうってわかるでしょ?」
「セックスって……」
「おまえさ、そういう言葉を平気で人前で発して、はずかしくないわけ? マジでキモいんだよ」
「行こう。こいつと話してると頭おかしくなる」
このうえなく、不快でたまらない、という表情で彼らはその場を立ち去った。まるで、逃げていくかのように。直は、手の内側に力をこめた。
*
直の高校では、一年次と二年次に性に関する授業をうける。さらに、三年生になると、ホームルームで各クラス独自の議論をすることになっている。
『やることになっているから、やるしかない』
大多数の教員が、性についてのアクティブラーニングにパッシブである。生徒側も「あんまり話したくない話題なんだよなぁ」という嫌煙オーラを露骨にかもしだしていた。
ところでこれは数年前のこと。
ごく何割かのカップルが、ひと気のない多目的室や準備室、あるいは部室などをねらって性交をしていた。ときにはトイレの個室で行為した者たちもいた。
——まさか。まさかまさか。
健全たる青年教育の現場で起こりえない……。と耳をうたがうだろうか。しかし当事者たちは、「学校でやるのって、校則違反なの?」とか、「気分が盛りあがってスリル感がたまらない」と所感を交わし合っては、衝動に身をゆだねていた。
ところがある日、ひと組のカップルが見つかり停学処分に。その後、保護者を巻きこんでの大騒動へと発展。
親は学校側を激しく批判した。監督不行き届きだとか、性教育をちゃんとしていないのではないか、とか。そもそも停学処分は厳しすぎるとか。
保護者からの圧力を受けた学校側は、汚名を返上すべく性教育にウェートを置くようになった……というわけである。
そしてくしくも、この日のホームルームは性についてのディスカッションだった。
「……そういうことで、性行為には必ず相手の同意が必要で……」
もそもそと話すファシリテーターの女性教員は、生徒らの顔を見ていない。
「パートナーに無性愛を打ち明けられて、性的なことはしたくないって拒絶された場合はどうすればいいですか?」
挙手して発言したのは、直をからかった男子生徒だった。
「性的スキンシップをはずかしいと思うのは、めずらしいことじゃないわ。よく話し合って、相手のひとの不安な気持ちも理解してあげましょう」
「あの……」
そういって、手をあげたのは直だ。
「はい。日向さん。どうぞ」
いっせいに皆からの視線を浴びた。
教卓のむこうの教師に意識を集中させて、意見をのべた。
「無性愛のひとは、はずかしいと思っているわけじゃありません。必要ないと思って、それについて興味がないだけです」
「……」
教室の静寂が、話者を萎縮させていく。
「うん。日向さんの意見は、考え方のひとつですね。いいのよ。ひとそれぞれ考え方はちがうから」と教員は温和にいうが、「でもね」といった。
「興味がないってことが、いままさに議論してるセックスレスの要因のひとつでもあると思うのよ」
「……無性愛のひとが性行為をしないのは、セックスレスとは関係ありません。まったく別の話です」
「うん。つまり、日向さんのいう無性愛って、どういうこと?」
「……えっ?」
教員から投げかけられた疑問符に、思わず直のほうが訊き返す。
「だから、性愛をいだかないんです。性的なことに関心がないんです。それは、性的指向のひとつです」
すると、窓際の女子学生が起立して意見した。
「人間の自然本性として性欲は存在します。性欲が私たちにとって無意識で必然的な衝動だとフロイトの理論においても証明されました」
やや高飛車な印象であるが、彼女の淡々とした主張にクラスメートたちは、次々とうなずいた。
「ねぇ、ねぇ、緑川さんくわしーね!」
「ありがとう。私、心理学部目指してるから」
「えっ。じゃぁさ。性欲がなかったら、人間としておかしいってこと!?」
あおるように男子生徒がそういった。
「その場合、精神科とかいくの?」
「こら! そういういいかたはやめなさい」と教師が叱りつける。
「このまえ、夫婦でセラピー通って治った! って、ツイートしてるひといたけど?」
「無性愛って環境の問題もあるってこと?」
「え、じゃー、ラブホいけば?」
「やめてキモいー」
「キモくないよ。最近のラブホってオシャレなんだって」
「こら! やめなさい。言葉に気をつけなさい。ふざけないで」
教室中がざわつく。そのとき、直はそれ以上の発言をひかえた。
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