第6話

 同じクラスでなんとなくできた四人組だった。美結は皆のなかでもまじめな優等生。華やかで気の強い優香。無難に協調性のある真希。

 交友関係に恵まれなかったというわけではない。いじめや仲間はずれにされたこともなかった。だが、心の底から打ちとけられた友人がいただろうか、と自問する。直は、無性愛者だと告白したときの三人の顔が忘れられない。これまで、隠していた秘密が明るみになった末路は、友情の終わりを暗に示しているようだった。


 そのようなわけで、もやもやした気持ちで女子更衣室にとどまること三〇分。ようやく直は、その駅の改札を出た。


「……私、なにしてるんだろう」 


 直は、真の大学を訪れていた。

 背筋を伸ばして歩く。正門を通り過ぎる。警備は、なにくわぬ顔で呼びとめることもしない。なんだ。存外出入りは自由なのか、と直は拍子抜けした。


 直が校内案内図とにらめっこしていたとそのとき——

「ねぇ、その服ドン・ドン・ドンキで買ったの? それとも、すぐ着くアマゾン〜? かわいいねぇ〜」

 真横から快活な女子の声がした。びくっとしながら直は相手を見返す。

 えっと、このひとどこかで見たような、と思った。

「あれ。あなたこのまえ、真と話してたよね? ほら、私だよ。雅」

「あ、あぁ。えっと、みやび……さん」

白石雅しらいしみやび。雅って呼んでいいよ。ねぇ、あなた名前は?」

「日向直です」

「直ちゃん。てかそれ制服? リアル?」

「はい。警備の人に怒られるかと思ったけど全然平気でした」

「うーん。高校生もたまにくるし。あと、最近は制服風ファッションっていうか」

「はぁ、そうなんですね」

「で、直ちゃんなにしてんの?」

「はい。私はいったいなにをしてるんでしょうか……」そういって、うつむく直は爪先を見つめている。

「もしかして、真に会いにきた?」

 直が顔をあげる。雅は人差し指でピストルをかまえた。

「ビンゴォ!」と直に一発おみまいする。

「おいでよん。会わしてあげる」といって先を行く。

 直は戸惑いながら追いかけた。

 


 雅のあとについてやってきたその一棟は、校内でもとりわけ古く、きばんだ外壁と低層の建築だった。屋内も古い感じがする。


「ここだよ」と、雅はとある部屋の扉の前に立った。

「あの、やっぱり帰ります。このまえ、キレてたし」 

 うろたえた直をおざなりにして、雅はドアを開放する。

「はいはい。おつかれでーす!」



「白石くん。きょうも元気ですね。そのバイタリティを私にもわけてほしいな」

 そう温顔で雅にいい返した人物は、ちょうどコーヒーメーカーから珈琲をマグへ注いでいる。

「先生なんでいるんですか。まだ昼まえだよ?」

「きょうは会議がありましてね。高級弁当つきの」というと、その人はマグカップを口からはなして首をかしげる。

「どうかしましたか。入ったら?」

「あー、お客さんがいて。いいですよね?」

「もちろん」 

 入室をうながされた直は、足が動かなくなった。

 雅は、直の背中にまわって体をトンッと前におした。ほらほらどうぞ、と軽い口調。

「あの。ちょっと、やっぱり」 

 部屋に足をふみ入れた直は、カップ片手に、デスクへ腰をよりかけていた人物と目が合った。センターわけの前髪とうしろ髪が肩につかないくらいの長さ。柔らかな視線を放ち、片耳だけ髪をかけていた。直は、その人を生物学的に男性と見なした。


「おやおや、女子高生さん。あるいはエセ女子高生さん?」と彼は、まのぬけた口調で小首をひねっている。

「エセじゃないです。かわいいっしょ♪」

「おい雅、どういうつもりだ」

 直はその声するほうを見返した。真は、窓辺に設置されたソファーにかけている。足を組んでA4の書籍をふとももに置いていた。

「真に会いに来たんだよねー。あ、先生。この子、直ちゃんです」

「直ちゃん? ようこそ。丸汐文乃まるしおふみのといいます」

「こ、こんにちは。はじめまして。日向直といいます」

 ロン毛の丸汐は、にっこりほほえんだ。学生にしては、立ちふるまいが落ちつきすぎている。雅が先生・・と呼ぶからには教授なのかもしれないが。ならばかなり若い研究者だ。

 丸汐について、直は詮索をめぐらせたが、すぐに真へ視線をうつした。

 真の黒目は以前にもましてキツさがある。

「学校サボってなにしてんの?」

 直は質問に答えない。立ちすくみ、口は開きそうにない。

「もう話すことはないって、啖呵たんかきってたじゃないか」

 肩にかけたリュックのとってをぎゅっとにぎったまま、直は沈黙をつらぬく。

「雅。君もなんで彼女をここへ連れて来たんだよ」

「そこで運命の再会をはたしたの」

「別に君たち、知り合いになってないよね」

「真に会いたがってたからここまで案内したんだよー」

 雅は、どうぞどうぞ、と直のために椅子を持ってきた。自分は真のいるソファーへずんと腰かける。直は用意された椅子に座らず、立ちつくしたままである。

「でなんの用?」

「……朝、普通に学校へいったんだけど。教室で友達といろいろあって、校舎をでて駅に向かっているあいだは、家に帰るつもりだった。でも、駅であなたのことが頭に浮かんで反対方向の電車に乗った」

「どうやってここへ来たかじゃない。なんの用で来たのかってきいたんだ。この会話、二度目だよ」

 わずらわしい、という感情をあからさまに放つ真は頭をかいた。直は、再び黙り込んだ。続かないやり取りに見かねた雅が口を挟む。

「まぁ、まぁ。直ちゃんも、せっかく来たんだから座りなよ。真はね、水曜は午前中から大学にいるんだよ。ラッキーだったね」

「よけいなこと教えるなよ」


「わたし……どうしたらいいかわからない」

 やっとのことで出た直の声は、心痛に満ちていた。


「先生のいう通りだった。みんな、私を理解できないって顔で見てた。先生と話した時とまるで違った。言葉が壁にはじかれてしまうみたいに、うまく伝わらない……」

 直はごくんと唾を飲み込む。あふれんばかりに落涙がはじまった。

「音也が。彼が、私のことを性の病気だってほかの男子たちにいってた。異性と性的なことをしたくないってはなしたら、友達からはレズビアンだったのかって誤解されてしまった」 

 真は黙って聞いている。雅は苦い表情を浮かべた。

「私は、同性愛者じゃないけど、異性愛者でもないんだって。他人ひとを愛することができないんだって。おかしいのかもしれないって。そう思ったら死にたくなった。駅のホームで。そのとき……、先生のことを思いだした。会いたくなった。迷惑だろうって、わかってたけど。先生に会いに行くこと以外ほかになにも考えられなかった。だから、会いにきた……」

 

「もう、わかったよ」と真はつぶやいた。

 

「私、誰かを愛することも子供をうむことも多分ないんだなって。このさき、ずっとひとりで生きていくんだって思ったら悲しくて。こわくて」

「わかったって」 

 真は強めに直の言葉をさえぎった。

「もう、わかったから。先生って呼ばないでくれ」

 

 直は、まぶたをぎゅっとつむった。涙が次から次へと流れた。

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