第4話

 週明け、月曜日の昼休み。直は、二学年主任の松田をたずねて職員室に来た。


「え? 夜部先生?」

 松田は、腕組みをしながら小首をひねった。

「はい。どこの大学から実習に来てたか教えてほしいんです」

「A大学だよ」

「うっそ。偏差値高っ」

「もしかして日向は志望校だったのか」

「そういうわけじゃ。教育学部ですよね?」

「いいや、彼は社会学部っていってたな。ここんとこ増えてるんだよ、教育系以外の学部からの実習生」

「社会学部……へ、へぇ」

「で、夜部君ががどうかしたのか?」

「あっ、ほら私、大学で教員免許とろうかなーとか考えてたから参考にしたくて」

「それじゃあー、次の期末で英語八十点以上はとりなさいね」

「最善を尽くします……。失礼します」

 ドアを閉めて、廊下に出るやいなや深いため息をつく。目元に影を落として、憂鬱を浮かべていた。


 *

    

 翌日、火曜日。午後一五時一〇分。

 放課後の教室で群れる女子たちは、これからどうしようか、とだんらんのまっさいちゅう。駅前のカラオケか。ファミレスか。それともこのまま教室に残ってトークトークか。

「あれ、直もう帰るの?」

「うん。ごめん、今日ちょっと用事」

「あそ。またね」 

 直は、友人たちに手をふって教室を去った。


 彼女は、とある駅で下車すると女子化粧室へむかった。一番奥の個室が空いている。

 白シャツからブラウスへ。黒いスカートからデニムパンツに履きかえる。今日はスニーカーで登校したから、足元はそのままで。もともと、好きではない制服をぬぐと気楽になる。着替えをリュックにしまい個室を出た。 

 鏡の前で最終チェック。真横でメイクを整える美女がひとり。リップグロスをたっぷり重ねづけ。目があった。直は耳を赤くしてその場から逃げた。

 

 最寄駅の出口を出てすぐ見えた大学の校舎。多くの学生に混ざりごく自然にふるまえば、意図もたやすく敷居をまたげてしまう。 

 

 校内案内図に目をぐるぐるまわす。直は、行き当たりばったりだ。ぼけっと立ち尽くした。

「そもそも、社会学部ってことしかわからない。大学ってクラスとかないから個人を特定できないし。私、なにやってんの」

 自分につっこみを入れ、肩を落とした。ベンチを見つけて腰を下ろした。 

 ぼうっと眺める。入り乱れるというほどでもない通行人。肩で風を切るように、ある学生は颯爽と。ある学生は繁雑な様子で。手には分厚い書籍やノートパソコン。制服ではなくて、自由な服を着て歩いている。キャンパス内の景色は直を日常から引き離した。

「みんな、ひとりなんだな。もっと大学生って集団でいるイメージだったけど。でもすごいなんかいいな……」 


 憧れていると、どこからともなくクチナシが甘く香った。風に乗って運ばれてきた初夏のにおい。直は、宙をあおいで空気を吸う。ふっと視界に入ったある学生は、向かいのベンチに腰をかけて読書していた。足を組んで頭を少し傾けている。


 直は、彼の派手で美しい銀髪に意識をうばわれた。毛が細く、さらさらのプラチナシルバーヘアー。鮮烈な銀髪と対照的な黒目は、熱心に活字を追っているとわかった。 


 ——なぜか気になる。直は彼を凝視していた。ぼうっとその人を眺めて数秒後のこと。


「……あれ、うそうそっ」とのどから声を出し、そっと立ちあがった。


「やべええぇ!!」


 腹式呼吸でいい放った直に道ゆくひとは足を止める。

 一瞬にして衆目を浴びた直は、とっさに前髪を触ってごまかした。すぐに皆、何事もなかったかのように目を逸らした。ただひとりをのぞいて。

 背けた顔を恐れがちにむけたその先で、ベンチにいた青年は直をにらみつけていた。通路を横ぎり彼の前に立ち、なんといおうか言葉を模索した。


「公衆の面前で。ひとの名前をさけぶあほうは、どこのどいつかと思えば。……どうして君がここにいるのかな。えぇ?」 

 最後の、——「えぇ?」にきついドクっけを感じた直は「あははは」とごまかした。

「あはは、じゃないよ。まったく」

「ごめんなさい」

「どうしてここにいるの?」

「松田先生にきいたら、この大学で社会学部だって。それで、学校おわってすぐにきた。ほら、制服着替えたからバレなかったし」

「僕は、どうやってここにきたのかって訊いたんじゃないよ。どうしてここにいるのかって訊いたんだ」

 真の問いに直は口をつぐんだ。彼は読んでいた書籍の右上を折りまげてパタンと閉じる。

「まぁいいよ。君がどうしてここにいるかなんて僕の知ったこっちゃないから」

「あなたに会いにきたの……キマシタ」 

 直は、しどろもどろにいった。真は、ますます虫のすかない表情になった。

「僕に?」

「そう。……デス」

「学部がわかったからといって、会える保証はないだろう。大学にきてない曜日だってあるんだ。どんだけ短絡的なんだよ。そうやってうろうろしてれば偶然でくわすとでも思ったのか?」

「でも会えたし!……アエマシタシ……」


「なんなんださっきから。そのイライラする敬語は」

「だって夜部先生、全然ちがうじゃん。メガネは伊達だったの?」

「先生っていうな」

「え?」

「僕は教員になるつもりはない。先生とよばれるのは激しく不快」

「そうなの? じゃぁ、なんで実習にきたの?」

「世の中にはね、やりたくなくてもやらざるをえないことはいくらでもあるんだよ。教職をとる人間が、みんな教師になるとでも思ってるのか」

「私だって。やりたくないのにやってることはたくさんあるよ」

「君と一緒にしないでくれないか」

「なんか。あのときはもっと、優しかった」 

 直が主張を弱々しくさせると、真はしたまぶたにしわをつくった。

「音也と別れたあの夜、彼から電話がかかってきて。いわれたの。『おれのことが嫌いじゃないのに、どうして別れたいのか』って。そのときの、音也の声がすごく悲しそうで。私、キスするのが嫌だからっていった。音也がしたいと思うことを私はしたくない。でも音也が嫌いなわけじゃないって、そういったけど……うまく伝えられなくて……」

「だから?」

「音也は『わかった』っていってくれた。でも『直は、これから一生だれのことも愛さないのか。それってさみしい人生だな』っていわれて」

「だからどうした。そいつからいわれたことに傷ついたから、同じ境遇で、同じ性的指向の僕になぐさめてもらおうと思ったの?」

「ちがうよ!」

 直は声を大きくした。必死なまなざしを真にむけた。

「私がそう思ったの。私が、『私はこれから先、一生だれのことも愛さないんだ』って思ったの。そうしたら、急に友達の前でも笑えなくなっちゃって。前よりもっと、自分の気持ちがいえないようになっちゃって。やっぱり自分は変なのかなって」

「あぁ……気がつかないほうがよかったっていいたいのか」

「え?」

「自分が性愛を望まない人間だと、僕に指摘されて自覚してしまったから。いままでと同じ自分でいられなくなったっていいたいのか」

「ちがう! 私は、あなたを非難してるんじゃない。ただもっと自分のことを知りたくて、あなたの話ももっと聞かせてほしくて。だから」

「あのさぁ。僕は、君のカウンセラーじゃないんだけど」と、真はするどい黒目をむけた。

「もう僕にかかわらないでくれ」 

 真の口調は冷たく手厳しい。

「わからないことは他人に教えてもらえばいいなんて思わないほうがいいよ。本気で知りたいなら自分で調べろよ。いちいち他人の知恵をかりるな。こっちは忙しいんだ。君のために使う時間はない。今すぐ帰れ」


「ねぇ……どうして?」 


 黙っていた直はつぶやいた。真はじろりと視線をむける。

「どうして、わざと冷たい言い方するの」

「わざと?」

「教室で話したときは、わざと優しい言い方なんてしてなかった」

「あれは、よけいなおせっかいだったよ」

「私の背中をさすってくれた手は、すごく優しかった。病気でも変でもないって教えてくれた。そのおかげで、自分のなかの気持ち悪かったものがやっと腑に落ちた。私は救われた」

「……ねぇ、きみ」と真は直の言葉をさえぎった。

「消えろっていってんだよ。顔を見たくないんだ。ガキの恋愛相談うけてるほどこっちは暇じゃないんだよ。そんなに話したきゃスクールカウンセラーのとこ行け」

 ついに直は言い返せなくなった。喉の奥がしめつけられて、言葉がでず、立ち尽くしていたそのとき———。


「まことはっけぇーんん!!!」


 真横から活発な女子の声が。彼女は闊歩してやってくる。

 その黒髪は、光の加減で紫に変化した。野菜で例えたら光沢のあるナス。毛先は、ほんのりピンクブリーチ。直がくぎづけになっていると、彼女は真の隣へ腰かけた。非常に近距離で、ほとんど肩を密着させている。

「二週間さみしかったよん。会いたくて、死にそうだったよん」

みやび。気色が悪い。普通にしゃべれ。君は、いつも近いんだよ」

 しっしっ。あっちいけ、と平手をむける真の反応は逆効果。雅とかいう彼女は、むしろ嬉しそうに人差し指でつんつんついていう。

「あ〜かわいくなーい。やっぱまことだわぁ。最高」

「なにが最高なんだ。僕は、いま最悪の気分だよ」

「もぉ、そういう毒をさらっというくせに。『ぼく』とか『きみ』とかいうところ。攻め受けどっちって感じ♪」

 はぁ、と桃色のため息を吐く。ニタリとしていた雅は、ようやく直の存在に気がついた。だあれ、と首をひねる。

 真は、非常にめんどくさいといいたげな顔である。雅は脇目もふらず軽口を運んだ。

「あれれ〜まこと。ペアルックじゃん」というと、真は口元がひきつった。

「はぁ? ペアルックってなにが」

「ワインレッドのシャツに黒のボトムス。もしかして、おそろって気づいてなかったの?」

 雅の指摘は確かにその通りだった。このときの真は、暗いえんじ色の襟付きシャツに黒ズボンを履いていて、直と上下のファッションカラーがかぶっている。

「偶然の一致は、ペアルックとはいわないんだよ」

「客観的事実をのべたんじゃん」 

 真は、一瞬白目をむいた。明らかにご機嫌ななめ。彼はまざまざと直に対する拒絶感をあらわにした。

「君も。いつまでそこにいるんだよ。何度いえばわかるんだ。頼むから視界から消えてくれ!」

「ちょっと、まこと、いいすぎっ」と雅は一喝した。 

 すると、直がぼそっとなにかをいったので真と雅は視線を向けた。


「わかったよ! 消えればいいんでしょ! もういいよ……もうなにも、あなたと話すことはない。さようなら」

   

 ・・・


「いいの? 追いかけなくて。泣いてたよ。あの子」

 雅は声色が少し落ち着いて低くなった。

「君もおせっかいな人間だね」

「誰かさんとにてるんだもん」

「最初から全部聞いてたね。知ってるよ」

「真。あの子あのままほっといて本当にだいじょうぶかな。センセイに話してみればきっと……」

「雅、君もだよ」

「は?」

「消えて。頼む。僕をひとりにさせて」

 真は書籍を再び開いて読みはじめた。雅は、やれやれという顔でそっと立ちあがる。彼のとなりから離れてどこかへ姿を消した。

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