第18話 火Ⅱ

「オレだって花の名前くらい分かるぞ」


「そう」


 フレアは何処か満足げに笑う。

 では、あの眼下に見えた草原に咲いている白い花はコスモスだろうか。

 儚げに揺れる、可憐な花――自然と脳裏に白色のコスモスの花が浮かぶ。

 とその時、眼前に何かが音も立てずに現れたのだ。


「えっ?」


 くるりくるりとゆっくり回転するそれは、コスモスだろうか。

 両掌を差し伸べると、そこにすっぽりと収まった。


「何でコスモスが?」


 ただ話題に出てきただけで、実際に此処へ持ってきた人物は居ない筈だ。

 コスモスを眺めながら、小首を傾げてみる。


「オマエだろ? コスモス摘んできたの」


「お、俺? いや……うん、そう」


 クラウの顔を見上げてみれば、苦笑いを返してくるばかりだ。

 きっと違うのだろう。そうは思っても、聞き返せずにいた。


――――――――


 皆の言う通りなら、今日が再び過去を見る日だ。

 また頭痛がするのなら嫌だな。考えながら、ベッドの上で大きなため息を吐く。

 時計を見てみれば、九時半過ぎ、か。今日はまだ誰も来ていないから、寝坊ではないだろう。

 ゆっくりと足を滑らせてスリッパを履き、いつもの白色の服をクローゼットから引っ張り出す。


「ミユ? 入るよ?」


 声と同時にノックの音が響く。


「ま、待って!」


 脱ぎかけたナイトドレスを引き剝がし、慌てて衣服を整えていった。

 鏡をちらりと見て、寝癖が無い事を確認し、ドアをそっと開けた。

 見知った顔が三つ並んでいる。一週間前と同じ光景だ。


「準備出来た?」


「うん、大丈夫」


 心の準備は――今は置いておこう。頭痛の事を考えるだけで憂鬱になってしまう。

 俯き、両手で拳を作る。

 その左手に、男性の手が添えられた。

 驚いて顔を上げると、その手の持ち主はクラウだったようだ。


「無理しなくても良いんだよ」


 若干辛そうに、此方にそっと微笑む。

 元々は私の好奇心から始まった話だ。今更引き返すのも違うと思う。それに、本当に魔法を受け入れるかどうか、過去を見て自分の気持ちを堅めたいのだ。

 ふるふると首を振る。


「私、やるって決めた事を曲げたくないの」


「そっか……」


 消えそうな呟きと共に、クラウの手は離れていく。


「フレア、頼む」


「分かった」


 フレアは昨日のアレクと同じように、杖を持ち、先を床に向けて魔方陣を描いていく。

それを眺める今の私は、きっと興味津々な瞳をしているのだろう。


「ミユ」


「ん~?」


 呼び声はアレクのものだった。顔を見てみると、何だか浮かない顔をしている。


「何?」


 聞いても返事はこない。


「……いや、なんでもねぇ」


 アレクがようやく口を開いたのは、フレアが魔方陣を作り終える頃だった。

 何かを悩み、言葉を選んでいたように思う。

 どうしたのか聞きたかったけれど、アレクがそうさせてくれなかった。


「ミユ、行くんだ」


「えっ? う、うん……」


 言いながら背中を押すので、促されるまま足を進める。その先には、勿論魔方陣がある。

 魔方陣の恥を踏んだ途端に赤色の光が満ち、浮遊感を覚えた。

 どうもこの感覚には慣れそうにない。

 足が地に着いたと感じた途端、熱風が襲い来る。

 ゆっくりと瞼を開けると、視界には陽炎が立っていた。砂漠の中にポツンと赤い煉瓦造りの塔が聳えている。周りにはサボテンが生えているものの、他の植物は見当たらない。

 体感気温は三十五度を超えている。

 北国に生まれて夏の暑さに慣れていないせいか、一瞬にして汗が噴き出す。


「さっさと行くぞ」


 同じく暑さに耐えられないのだろう。後ろに居たアレクの声に、クラウが塔へ向かって走り出した。

 私もなるべく日陰に入りたい。アレクとフレアを置いてけぼりにし、塔の中へと急いだ。中へ辿り着く前にへとへとになりそうだ。


「大丈夫?」


 先に到着していたクラウが、入口から顔を覗かせて手を差し伸べてくれる。


「うん、なんとか」


 気恥ずかしくて手を取れず、代わりに笑ってみせた。

 クラウは苦笑いをする。


「オマエら、どうかしたのか?」


「ううん、なんでもない」


 クラウが伏し目がちに首を横に振ると、アレクは納得がいかないようで、両腕を組む。


「ミユ、良いか?」


「うん」


 うんと言う以外にはない。

 フレアはすぅっと息を吸い込んだ。


「地の魔導師を連れてきたよ」


“地の魔導師、魔方陣の中へ来なさい”


 聞こえてきたのは、今度は若干低めの女性の声だ。

 床に目を落としていると、風の塔のモザイク模様とよく似ている。ただ、黄色だった部分が赤色に変っているくらいだ。

 その赤の部分がほわんと光を放ち始める。


「行かなくちゃ……」


 もう、これは使命感に近い。光の中へと足を踏み入れると、又しても浮遊感が身体を包み込んだので、きつく瞼を閉じた。


“いつまでそうしている?”


 慌てて瞼を開けると、赤色の向日葵に似た花が咲く花畑の中に居た。塔の外とまではいかないものの、夏らしい日差しが私を照り付ける。

 やはり姿のない声の主に、小さく頬を膨らませる。


「姿、見せてくれたら良いのに」


“それは出来ないのだ”


 やはり、自身の姿を見せる気は無いらしい。

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