第10話 出逢いⅤ

 はっと瞼を開ける。

 今まで見ていたものは夢だったのだろうか。痛みを感じる程に、物凄くリアルな夢だった。

 恐る恐る腹部に手を当てながら布団を捲ってみたけれど、傷は無いようだ。

 嫌な汗をか掻いてしまった額を拭い、大きな溜め息を吐いた。

 カノン――何処か懐かしく感じる響きだ。確かに私はその人になっていた。

 それもただの夢だろう。睡魔には抗えず、再び重たい瞼は閉じていった。


――――――――


 小鳥のさえずりが聞こえる。グレーがかった視界の中で、まだ眠っていたいと時間に抗ってみる。それでも眠れずに、小さな溜め息を吐き、ゆっくりと瞼を開けていった。

 時計を見てみれば、今は十一時過ぎ――朝食を摂るには遅すぎる時間だ。

 のそっと上半身を起こし、伸びをする。

 そう言えば、昨日は日記も書かずに寝てしまった。昼食まではまだ時間があるし、今のうちに昨日の分を書いてしまおう。

 瞼を擦りながらベッドから抜け出し、ノートが置かれたテーブルへと向かった。インクも羽根ペンもあるし、準備は万端だ。 

 椅子に腰掛け、ノートのページを捲っていく。しおりが挟まれているのは一昨日のページだから、昨日は此処だ。目的のページを見付け出すと、羽根ペンにインクを付けて昨日の出来事を思い出していく。

 昨日は夜まで本当に何もしていなかった。していた事といえば、この日記を書き始めた事くらいだ。

 夜は私の歓迎会で、他の魔導師の三人がパーティーを開いてくれた。三人の名前は、確か――アレクとクラウとフレアだった筈だ。三人とも頼りがいのある年上の人――

 料理を食べたり、他己紹介を聞いたり、花火を見たり。最初は緊張したけれど、久し振りに楽しいと思えた。

 三人とは仲良くなれますように。一文を添えて日記を締めくくった。

 日記を書いてしまうと、本当にやりたい事が無くなってしまう。「ふぅ……」と溜め息を吐く。

 そうだ、城下町に行っても良いだろうか。

 すうっと息を吸い込む。


「アリア」


 呼んで相手に聞こえるのかは分からない。それでも、部屋の外からは軽快な足音が聞こえてきた。


「お呼びでしょうか?」


 ドアが開き、アリアが顔を覗かせる。


「城下町に行ってみたいんだ~。行っても良い? 昨日の魔方陣みたいなの使って」


 ほんの些細な願い事なのに、アリアは顔を曇らせる。


「申し訳ありませんが、それは禁止されているんです。外出はお控えください」


「そんなぁ……」


 では、この狭い空間で、ずっと生活していかなければならないのだろうか。考えるだけでストレスが溜まっていきそうだ。


「ミユ様の趣味は何かありませんか? それなら叶えて差し上げられるかもしれません」


「趣味?」


「はい」


 唸り声を上げてみる。いや、考えるまでも無いのだけれど、この世界にフルートがあるのだろうか。


「この世界に音楽はある?」


「勿論ありますよ」


「じゃあ、フルートは?」


「フルート、ですか? どのような物ですか?」


 アリアはちょこんと小首を傾げる。


「横笛なんだけど、このくらいの長さで、シルバーの……」


 両手を広げてフルートの長さを伝えてみる。すると、アリアの表情はぱっと明るくなっていった。


「その横笛を思い浮かべて下さい。いきますよ」


 アリアが私の額にくっついている雫形の石に触れると、一気に辺りが明るくなっていく。あまりにも眩しくて瞼を思い切り閉じた。


「ミユ様。目を開けて下さい」


 光が止んだ頃に声が聞こえたので、ゆっくりと瞼を開けていく。

 差し出されたアリアの手の中には、確かにフルートが握られていた。


「これ、どうしたの?」


「私の魔法ですよ。凄いでしょう」


 アリアは得意げに微笑むと、ぐいっとフルートを私に押し付ける。


「吹いて良いの?」


「勿論です」


 両手を差し出すと、アリアはそこにフルートを収めてくれた。

 キーの配置や楽器の構造、何処から見てもフルートだ。

 じっくりとフルートを観察していると、アリアは「ふふっ」と笑う。


「楽譜もあった方が良いですよね。少し探してきます」


 アリアは軽い足取りで部屋から出ていってしまった。

 折角貰ったのだから、吹いてみよう。上部管を側部管から外し、口を当てて何時も通り息を吹き込んでみる。

 中音域の音が心地良く部屋を震わせる。

 ちゃんと音が鳴った。

 何だか酷く懐かしい気持ちになる。胸も温かくなる。

 再び上部管を側部管に差し、今度は音階を吹いてみる事にした。

 息を吹き込みながら指を躍らせると、正確にドレミファソラシドと音階を踏んでくれた。

 運指もばっちりだ。

 嬉しくて心の中でガッツポーズをしてみると、ドアが開く音が聞こえた。


「これだけ楽譜がありました」


 現れたアリアの手には、山のような紙の束が――


「危ないよ~!」


 このままでは楽譜が崩れ落ちてしまう。

 慌ててテーブルに楽器を置き、アリアの手から半分だけ紙の束を奪い取った。それだけでも紙の重さがずっしりと腕にかかってくる。

 テーブルの片隅に楽譜を置くと、アリアもその上に楽譜を重ねる。


「これだけあれば、曲には困らなさそうですね」


 アリアは一切の疲れも見せずに、納得したように何度か頷いた。

 此処は素直に感謝をしておこう。

 アリアに微笑み掛け、一番上に置かれた楽譜を手に取ってみる。

 ト音記号に、音符がずらりと並んでいる。これは日本でも見た事があるものだ。ただ、文字だけは読む事が出来なかった。英語に似てはいるものの、それではない、見た事の無い文字だったからだ。

 テンポやメロディーは雰囲気で何とかしてみよう。

 そのうち、文字もアリアに教えてもらおう。


 その日は気が済むまでフルートを吹くことが出来た。これで元の世界に帰れたとしても、ブランクを気にせずに済む。

 夜が更けた頃に疲れた私が見た夢は、又しても矢から逃れようとする誰かの夢だった。

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