第八場 漱石先生、激高する
明転。漱石、鏡子、寺田座す。漱石は布団に、鏡子は枕元に、寺田は足元にそれぞれ正座。
鏡子 で、鴨居に洗面器をぶら下げたのはどなたです?
寺田が手を挙げる。
鏡子 洗面器の中に蛇やカエルの人形を入れたのは?
寺田が手を挙げる。
鏡子 洗面器に「やーいやーい鬼ババア」とか「ゴッドねえちゃん乙」とか落書きしたのは?
漱石が手を挙げる。
鏡子 寺田さん
寺田 はい
鏡子 主人は病気なんです。安静にしていなくてはいけないんです
寺田 はい、それは重々承知しております
鏡子 わかってらっしゃらないじゃないですか!あちこち連れ回したり食べ物や原稿用紙を勝手に差し入れしたり、挙句の果てにこんな子供じみた
寺田 申し訳ありません。(小声)まだ仕掛けてあったんですか?
漱石 (小声)すまんすっかり忘れてた
鏡子二人をキッと睨む。二人恐縮。
漱石 おい、寺田くんは俺の悪ふざけに付き合ってくれただけなんだ、そうきつく叱るなよ
鏡子 あなたもあなたです、先生にお怪我が無かったからいいようなものを、もう
漱石 それは反省している、悪かった悪かった
鏡子 これだったら犬をしつけるほうがよっぽど楽です
漱石 おい亭主を犬と比べるとはどういう了見だ
鏡子 だってそうでしょう、犬だって三回も叱れば大抵は覚えます、それなのにあなたときたら
漱石 おい!
鏡子 寺田さん
寺田 はい
鏡子 金輪際、我が家におこしにならないでください
寺田 !
鏡子 主人には安静が必要なんです、これ以上主人を煩わせないでください。「木曜会」の集会も当面取りやめにいたします。どうか、主人をそっとしておいてください
漱石 おい何を言ってる勝手に決めるな!
鏡子 あなたは黙っていてください、朝日新聞さんにも私から休載のお願いをしておきます。お願いですから静かに……
漱石 いい加減にしろ!いちいち俺のやることなすことケチつけやがって、何様のつもりだ!
鏡子 (びっくりして)私は……
漱石 おとなしく聞いてりゃあつけあがりやがって、なんだお前はアレか、「
鏡子 そんな、私はただあなたの……
漱石 いちいち口答えするな!女風情が!
鏡子 あな……
漱石 女房なんていうものはなあ、若くしては夫に従い、老いては子に従い、ただ黙って男の後についてくればいいのだ、亭主の言う事に従えないというのならとっとと出て行け!
鏡子 わあああああああ!
漱石 (今度は漱石がびっくりして)
鏡子 あんたなんか、あんたなんか……とっとと死んじまえばいいんだわ!
鏡子、漱石にそこら中のものを投げつけて走り去る。漱石ら、しばし呆然としてその走り去った跡を眺めていたが漱石我に返り
漱石 いいいいかん、誰か追いかけろ、あいつを止めてくれ!
寺田 は?
漱石 死ぬ!あいつが死ぬ!
寺田 はあ!?
漱石 しまった、あいつは前にも一遍やってるんだ!川に飛び込む前に捕まえてきてくれ!
漱石、そう叫ぶや否や発作を起こして昏倒してしまう。
寺田 ええっ!いやちょっと、先生!?先生!?
寺田、泡を食って駆け出す。漱石、発作が収まらず苦悶する。
暗転。
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