第五場 漱石先生、孤独を満喫する?
早朝。暗転中から何者かがベートーベンの「第九」を朗々と歌い上げている。やがて明転すると、歌っているのは岩波茂男。岩波はなぜか割烹着姿で部屋の中を歌いながら掃除をしている。寝ていた漱石、たまらず起き上がり
漱石 やかましい!誰だこんな朝っぱらから!
岩波 あ、先生、おはようございます
漱石 岩波くん?なんだねその格好は
岩波 あれ先生知りません?これは「割烹着」と言いまして最近主婦の間で広まっている仕事着なんですよ。ほら、上から羽織るだけでいいのでいちいちたすき掛けとかしなくて済むので便利なんです
漱石 知ってるよ割烹着ぐらい。俺が言いたいのは、なんで君が割烹着を着てウチの中で「第九」を歌ってるんだね
岩波 へへへ、実は年末にですね、有志を集めて「第九」の合唱会をおこなうんですよ、僕がソロを歌うんです。だから本番で恥をかかないようにこうして時間を惜しまず稽古に励んでいるわけです(再び歌いだす)
漱石 だからやかましいっつーの!安眠妨害近所迷惑騒音公害だあっ!
岩波 先生もぜひ聴きにいらしてくださいね
漱石 人の話を聞く能力が無いのか?ゼロか?ゼロの人間なのかお前は
岩波 でね、いつかは自前の劇場を作って毎日「第九」を歌うのが夢なんです
漱石 迷惑な夢だなおい
岩波 名づけて「岩波ホール」!
漱石 なんてセンスのかけらも無いネーミングなんだ。もう「第九」は置いといて、、なんで君がここにいるの
岩波 だってほら、今日から奥様が箱根にご旅行に行かれているじゃないですか。だから寺田さんと
漱石 寺田くんと?
寺田 先生、おはようございます
寺田入ってくる。なぜかメイド姿
漱石 わー変態!
寺田 失礼な
漱石 どう見ても変態だろう、なんだね君までその格好は
寺田 ひどいなあ、奥様のいない間、先生の身の回りのお世話をしようと思って二人して来たのに
漱石 それでその格好か
寺田 萌え萌えきゅん
漱石 「萌え萌えきゅん」じゃねえ!寺田くん、君は畏れ多くも天皇陛下の御前で天覧講義を行ったほどの男だろう。いいのかねそんなんで
寺田 (急に真面目に)先生
漱石 お、おう
寺田 人生で一番大事なのは
漱石 なに「いま俺いい事言った」みたいなドヤ顔してんだ
寺田 ささ、先生は安心して小説を書いてください。奥様がいる時と同じように我々二人がお世話します。ご安心くださいっ!(二人決めポーズ)
漱石 不安だ。メチャメチャ不安だ
岩波 大丈夫ですよ先生、ちゃんと奥様から色々書き置きをいただきましたから
漱石 書き置き?
岩波 これです。奥様が普段から書き留めておいた夏目家の家事の記録を集大成した秘伝、人呼んで「なつメモ」です
漱石 なんだよそのギャルゲーみたいな名前は
寺田 すごいですよこれ、毎日の献立から季節ごとのお洗濯の仕方まで、こと細かくメモしてあります
漱石 ほう、あいつそんなことを
岩波 先生のおならの回数まで書いてあります
漱石 マジか!?
岩波 ちなみに昨日は三回してます
漱石 やめてやめてマジでやめて
寺田 というわけで、このメモを参考にして朝ごはんを作りました。先生、召し上がってください
漱石 そ、そうか。いやそれは世話をかけるね
岩波 はい、先生(謎のお鍋を持ってくる)
漱石 ……なんだこれは
岩波 奥様のメモにあった献立です。お味噌汁のダシをとった煮干にハトムギとご飯を混ぜてカツオ節を少々まぶしたものです
漱石 そりゃ猫の餌だ!
岩波 え!先生は猫の餌を召し上がるんですか!?
漱石 ちがーう!ウチで飼ってる猫にやる餌だ!
岩波 失礼しましたー!
岩波あわてて引っ込む。奥から激しい音。にゃーん。
漱石 こ、これが三日も続くのか……?
寺田 はっはっは、ご飯と猫まんまを間違えるなんて岩波さんはそそっかしいなあ
漱石 寺田くんたのむよ、君だけが頼りだ
寺田 まあ、あれ作ったのは僕なんですけどね
漱石 お前かい!
寺田 まあ大船に乗った気分でくつろいでいてください
漱石 泥舟の間違いじゃないのか。ああ、うんまあ、よろしくたのむよ
寺田出ていく。手持ち無沙汰になった漱石、「なつメモ」をパラパラと読み始める
漱石 ふむ……この日はお粥だったか。ほう、同じお粥でもその日の体調によって味付けが違ってたのか……なんだ、こんな手間かけてたら一度に洗濯なんかしきれないじゃないか。あいつ、この寒い中毎日何度も洗濯してやがるのか……ん?ホントに屁の数まで勘定してやがる、何考えて……「おならが出ているうちは安心」だと?あいつめ……なんだこりゃ?なんで千社札なんか貼ってあるんだ(めくる)「早く良くなってください」だと……
漱石、永らく沈思。更になにやら思案げである。寺田と岩波入ってきて
岩波 先生すみません!お味噌汁はできているのですがまだご飯が炊けていなくて……もう少しお待ちいただけますか
漱石 ああ、いいよいいよ、味噌汁だけ持ってきてくれ
寺田 お味噌汁だけでいいんですか?なんだったらまた奥様に内緒で煎り豆でも
漱石 いいんだいいんだ、つまむもんも用意しなくていい。仕事をしているからすまないが少し静かにしていてもらえるかな
寺田 はあ
岩波 (味噌汁を持ってきて)先生、どうぞ
漱石 おう
漱石、味噌汁を文机に置いて小説を書き始める。味噌汁には手をつけていない。
寺田 先生
漱石 ……
寺田 あの、先生
漱石 ……
寺田 先生、我々は
漱石、机に向かったまま手だけで返事する。
寺田 岩波さん、ポケモンでもやってるか
岩波 いいですねえ、僕まだゲッコウガ持ってないんですよ、交換しましょう
寺田 やだ
岩波 いいじゃないですかくださいよ
寺田 やだ
岩波 くださいよ
寺田 やだ
岩波 よこせよ!
寺田 なんでキレんだよ
などと意味不明の会話をしつつ二人去る。漱石、執筆に没頭しているが、やがて静かになり、音もなくゆっくりと崩れ落ちる。
暗転。
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