一つだけの君へ

春夏秋冬

前編

 私は色の無い人が嫌いだ。透明で何も染まっていない人。そんなつまらない人が嫌いだ。


 世の中はそういうものだ。何かと色がある。それは人によっては様々だ。赤い人もいれば青い人もいる。黒い人もいれば白い人もいる。


 でも、そうではない人がいる。透明なのだ。真っ白とは違う。透き通っていて、色がない。そう。透けている。見えない。その人を見る事が出来ない。何か色があれば、ああ、あの人だ」と認識が可能だ。でも、それが出来ない。


 だから、色が必要なのだ。それは何でもいい。黄色でも紫でもなんでもいい。だけど、その色と言うのはどのようにして手に入れるのだろうか。文房具店で絵具を買ってそれを塗ってもそれは意味のない事。根本的に違う事。


 私は透明な人が嫌いだ。何もない人。存在する意味もない人。


 透明な人は誰にも見てもらえない。認識してもらえない。孤独なのだ。そしてその唯一の味方である自分でさえも、自分の姿を確認する事が出来ない。色がないから。誰の目にも止まってくれないのだ。


 それはとても空しくて虚しい。空虚。


 そんな人は世の中に何人か存在する。そして、透明なまま溶けて消えていく。ひっそりと。こっそりと。静かに。終わっても。終わった後でさえも。静かで寂しい。静寂。


 そんな私もその中の一人なのだ。自分の色を知らず、そして染まらずにやがて消えていく。だから私はそんな人たちの仲間から、グループから、離れる。離脱するのを夢見ていた。


 そして私はようやくそれを見つける事が出来たのだ。そう。色を見つけたのだ。自分にあった色が。


 私は満足だ。




 僕はある人が好きだった。その人は僕を惹きつけた。会ったのは一度だけ。たったの一度だけだ。それだけでも、僕の心をゆれ動かすには十分だった。


 その人はなんというか……例えるなら色があった。独特な、見たことが無い、不思議な色をしていた。


 人は誰にだって色というものがある。僕はそれを眺めるのが好きだった。それを観察するのが好きだった。様々な人と出会い、自分色に染めていく。そしてそれは年月が経つにつれて変化していくのだ。もちろん、変わらない人だっている。大体は途中で色が変化しなくなる。それがその人の本当の色なのだ。でも、その色は時と場合によって、変わってしまう。綺麗な色になるか汚い色になるかは分からない。でも、どちらにころんでも僕は好きなのだ。


 人は色を作っている。それは無意識に。例えば、本当の自分の色は藍色なのに、周りには朱色だと思わせていたりする。僕はそれを好ましく思わない。なぜなら、楽しくないからだ。汚いのだ。そういう人に限って。色が。僕はそういう人が嫌いだ。


 だから、僕はその人たちを許せなかった。汚い色を見せるその人たちに激しい嫌悪感を覚える。


 それもその人の大切な色であるが、見るに堪えない。スカッとしていない。そう。僕が思うにつまらない人生なのだ。


 僕には好きな色がある。見ていて楽しい色がある。だったら、その人をその色に染めてあげたいと僕は考えた。


 だから僕は、それを目指して行動した。


 そんなある日、ある人と出会った。僕は最初、その人も汚い色をしているんだ。そう思っていた。だから僕好みの色にしてあげようと思っていた。しかし、僕はその人に惹かれた。その色に惹かれてしまった。なぜなら、その人は今まで見たことがなかった色だったからだ。


 僕は望む。もう一度あの人にあの色に出逢いたい。


 でももう……会えない。


 僕は探す。もう一度出逢うために。僕は探し続ける。




 私は母子家庭だった。私の本来の父は私が母親のおなかの中にいた頃に、逃げて消えていってしまったのだ。よくある話。私の父親は私という存在を否定したのだ。私は認めてもらえなかったのだ。


 私は母親に感謝はしている。私をこの世に産んでくれたのだから。一人で私を育て上げようと決心してくれたのだから。そのおかげで今、私が私としていられる。この世に存在していられるのだ。


 でも、私はそれについて感謝をしているだけ。そう。しているだけなのだ。産んでくれた、というその一点だけ。


 確かに、私が大きくなるために養ってくれてはいた。毎日毎日ごはんを作ってくれたり、洗濯物やら、私の身の回りの事をやってくれた。パートでお金を稼ぎながら。短い時間の中で、私を育ててくれた。でも、私は嫌だった。


 なぜなら私は母親にとっていらない存在だからだ。


 あれは幼稚園の頃か。そう。私が三歳ぐらいになってからだ。母親が私に対して冷たくなっていったのは。


 母親は暴力こそは振るわなかったが、ねちねちと嫌みをいうようになっていった。


 ロクに苦労もせずに、日々を過ごせて。それを感謝せずに、当たり前だと思っているお前が嫌いだ。


 私が最初に言われた言葉だ。


 私はそんなつもりはなかった。母親には感謝していた。一生懸命私を養おうとしていた。その努力は分かっていた。


 しかし、私は力不足なのだ。一人では生きていけない。こうやって、親という存在にすがらなければ生きていけないか弱い生物だったのだ。


 それから私はなるべく自分の身は自分でやるようにした。母親を少しでも楽にしてあげられるように、と。


 しかし、要領が悪かった。というか、知らなかった。というのが正しいのか。私は見様見真似で洗濯とかアイロンとか、料理とかをやった。


 でも、私は怒られた。余計なことだったのだ。母親を楽にしてあげようと考えた結果の行動だったが、それは逆に母親の仕事を増やす結果となってしまった。


 洗濯物はぐちゃぐちゃ。料理はもうすぐで火事寸前。アイロンで母親が大事にしていた服を焦がし、また火事寸前騒動。


 母親は私を叱る。血相を変えて。鬼のように恐い表情で。私を怒鳴る。母親は暴力を振るわなかった。寸前のところで我に返る。振り上げたその手を振りおろす前に、ハッと気づく。そして手をひっこめる。


 母親は力の暴力には訴えなかったが、別の所で私を虐める。そう。それは言葉。だ。それはある意味暴力だ。それを私にぶつける。


 本音と言うのは普段、心の奥底でとどめておくべきものだ。それはその人を気遣ってせき止めてあげているのだ。もしかするとそれはその人を否定するかもしれない事だから。


 本音を言うのはどういうときか。それは、これは傷つかないだろう、と思った時。完全に傷つけようと思った時。その人に全く関係のない事の時。などと、様々な事がある。


 しかし、本音とはいっても歪曲しているに過ぎない。何かで塗り固めて、本質を誤魔化そうとしているだけに過ぎない。どれもこれもそうだ。


 じゃあ、本当はどういう時か。それは理性がなくなり、感情が昂ぶっているとき。あらぶっている時。そういう時に言い放つ台詞こそが人の本音というものだ。ブレーキが利かなくなるのだ。抑えつけていたはずの想いが決壊する。そこから水が溢れだす。そしてその勢いは強くなり、堤防をぶち壊す――。


 そういえば……私、母親に一度も「好き」と言ってもらったことがないな。


 この16年間で全く。ただ言われてきたのは「嫌い」だという事だ。


 よく、好きの反対は無関心。だから「嫌い」があるだけマシ。的な事を言われるが果たして本当にそうなのかな? 私は嫌悪だと思う。つまるところはそれが「嫌い」だという事。好きと嫌いの境目に無関心がある。出会い、そこから針がどちらかに揺れ動く。そう。天秤だ。好きの方に重りが沢山乗れば、天秤がそちらに傾く。逆もまたしかり。そうやって好みというものが変動し、感情を決めていくのだ。


 私が思うに、重りが何も乗っていない人が赤の他人であり、好きと嫌いの重りがいくつも乗っかり、それが均衡して保っている状態が友情。それから好きに傾いていくのが愛情。それから嫌いに傾いていくのが憎悪。そうだと考える。はたしてそれが正しいのかは分からないが、私はそう……考える。


 私の母親は嫌いの方に天秤が傾いているのだ。だからそこに好意があったとしても嫌悪でしかない。


 母親は私の事が嫌いだ。母親は私が嫌いだ。


 産むべきではなかった。――それは父親が私の存在の所為で消失してしまったから。


 いっその事、死産でもしておくべきだった。――そうすればこの世に認識される前に私という存在が消えるから。


 育てるのではなかった。――そうすれば母親は自分の為のお金。自分の為の時間を作れた。残していけた。


 生きている価値は無い。――それは……分からない。


 事故でも何でもいいから死んでくれ。――それは……できない。


 図々しい。厚かましい。いなくなってしまえ。私の目の前から消えてなくなってしまえ。そうすれば自分は救われるのだ。あんたがいるせいで、男ができない。みんな、子持ちの女は嫌なんだ。汚らわしい他人の子供を育てたくないのだ。養いたくないのだ。邪魔なんだ。あんたという存在が。だから死ね。生きている価値もないあんたは死んでしまえ。――どうして?



 あんたは生きてはいけない存在なんだ。――じゃあなんで……?



 なんで私は生きているの?


 誰か……教えてほしい。私が私であるという事を。


 母親は言う。私は透明なのだ。色が無い。つまらない。薄い存在。ただ母親の話を飲み込むだけ。それから行動はしない。うずくまっているだけ。


 私はそれが何となくだが理解できた。


 だから私は自分と同じ人が嫌いだった。




 「幸せだ」これは彼女が最後に言った言葉だ。嘘偽りのない言葉。真実の言葉。本当に、心の底から言っていた。そう言った彼女は幸せそうだった。


 僕は不思議だった。どうして、こんな顔をしているのか。僕は彼女と会話をしていた。その内容から理由は分かっていた。彼女は本気で言っていた。真偽がそれで証明された。


 僕は彼女の顔に触れる。熱があった。暖かかった。


 僕は自分の額と彼女の額をくっつけた。熱が伝わってくる。これが彼女のぬくもりだった。僕は願った。自分勝手だとは思う。でも、僕は祈った。


 彼女は徐々に冷たくなっていく。温もりが失せていく。


 僕と彼女の距離がどんどん離れていく。僕は彼女の手を掴もうとする。でも、その手は届かない。


 僕はくちづけをする。


 よくある話だ。眠りのお姫様は王子様のキスによって目が覚める。


 僕はありえない。そう思っていた。でも、もしかしたら、という気持ちが心の奥に存在した。僕はそれにかけた。


 しかし、彼女が目覚める事はなかった。


 僕は泣く。ひそやかに。空虚な空間の中で。独りで。



 死は平等ではあるが生は不平等だ。生きているものに死は訪れるそれは必然だ。それが善良な人であろうと悪人だろうと。罪を犯したことが無い人でも何十人と殺してきた人でも。死は訪れる。しかし、生は違う。自分という存在は何億という犠牲の上でようやく誕生したのだ。何億というモノが殻を目指し息絶える。その中で唯一その殻に辿り着いたものがその権利を得るのだ。例えその権利を得たとしても、それで終わりではない。月日をかけて準備をしなければならないのだ。そういった期間を得てようやく、生が誕生するのだ。しかし、それも失敗することもある。誕生する前に消えてなくなることもある。


 よく命は大切にしようという話をする。僕は納得する。犠牲の多い長旅をえて産まれたこの命は大切にするべきなのだ。


 生きているという事を感謝すべきなのだ。


 しかし、たいていの人はそうではない。それを淡々と無意味に過ごしている。何か特別なことをする訳ではなく、淡々と死へ歩いていく。


 それでは駄目なのだ。汚いのだ。


 そういう人に限って、他人を利用するのだ。自分は何もしようとはせずに。


 それでは駄目なのだ。つまらない。


 だから僕は決起する。無意味な人生は毒だ。せっかく勝ち取った命を無駄にすることが。だったら、僕がさばいてやる。僕が正しいのだ。



 死は平等だ。それは誰にでも訪れるものだ。そしてそれは同じ色をしている。みんながその色に染まるのだ。


 僕はその色が好きだ。だから平等を与えよう。その色へ変えてあげよう。




 私は段々と生きているという感じがしなくなっていった。薄くなっていった。私はこのまま生きていくのが苦痛でしかなかった。でも、私には死ぬ勇気もないから淡々と日常を過ごしていくだけに過ぎない。


 何を持って楽しめばいいのかも分からなくなっていってしまった。そう。あっと驚くようなこと、そう。刺激だ。それは趣味だ。何か……例えば音楽を始めるとか絵を描いてみるとか、そういったことに興味を持つ。そうすることで、楽しみを得られる。


 でも、そういうのは無駄だった。無気力だった。何も興味はわかなかった。


 何か自分が興味を持つ事はないだろうか。私はそれを模索するが一向に見つからない。


 もう何も感じない自分が嫌で嫌で仕方がなかった。友達との会話にも面白味が見当たらなかった。私は淋しい人間。面白くない人間。何も感じない人間。そんな風に成り下がってしまった。


 そんなある日だ。私は事故った。


 そうは言っても車に轢かれたとかそういった物騒なものではない。学校の階段で、足を踏み外して、盛大に転げ落ちたのだ。


 私は全身を打撲し、脳に激痛が走り回った。全身を駆け巡る痛み。私はその痛みに悶える。あちこちから痛みが湧き出てきた。私は泣いた。味わったことのない痛みから。それを紛らわすかのように。


 私は体験したことのない痛みの渦の中ふと思い至った。


 私の中に潜んでいたこの感情はいったい何なのか。それが今湧き出している。私は体験したことのない苦痛にある閃きが浮かんだのだ。


 私は何もなかった。何も感じられなかった。しかし、今ここに痛みと言う感覚を覚えているのではないか。


 痛み……それはいわゆる刺激だ。


 私は感銘を受けた。痛みだ。それは簡単に手に入れられるものだ。それは辛いものだ。でも、普通の人は好まない。でも、こうもあっさりと収穫できる刺激はそうそうない。


 私は見つけた。生きる。生きたいと思える道標を。それは簡単なことだったのだ。この刺激だ。何もないわけではなかった。これが希望だったのだ。私は今まで気づかなかった。そうだ。近いからこそ気づかないもの。それだ。


 世の中には私と似たように生きる希望を持っておらず、ただつまらない人生を送っている人が沢山いる。私はそんな人たちと同じではありたくなかった。私は自分と同じ人間が嫌いだからだ。


 私は早くそのグループから姿を消したいと思っていた。私はようやく見つけたのだ。その手段が。


 透明のまま消えてなくなることはないのだ。それに怯える事は無いのだ。私は色を見つけた。それはそう……色といってもいいかもしれない。私の人生に色がついたのだ。私はそれが嬉しくてたまらなかった。


 これでようやく……普通の仲間入りだ……。




 僕はいったい何人を僕好みの色に染めたのだろう。もう忘れてしまった。両の手の指だけでは数え切れないほどだろう。それはなんとなく分かる。


 僕は悦に浸っていた。自分の行いに。だってそれが正しいのだから。


 僕にはとっておきの秘密基地がある。まあ、別荘だ。人はあまり通らない。そんな所に建ててある。隠れ家だ。僕はそこに地下室を設けた。そこで僕は色を塗り替える作業をする。


 老若男女かまわない。自分が気に入らない色をしている人を選ぶのだ。まあ、大体は若い人だが。


 大抵の人は僕を悪魔だと呼ぶ。いわれもない事を言われる。僕は真逆の存在だ。どちらかといえば、だ。柄には似合わないがさしずめ天使、といったところだ。


 まず、僕はなぶるような真似はしない。なるべく楽にいかせてあげたい。


 しかし、悲鳴をあげる。叫び散らす。やかましいほどに。全然楽ではなさそうだ。まあ、いずれ楽にはなれるのだから、どうだろうと関係は無いか。


 僕はただただ様子を見守るだけだ。彼らが気力を失う姿を眺めているだけだ。


 彼らは多分、僕に感謝することになるだろう。ただ無意味に時を過ごし、暇を持て余しているぐらいなら、今ここで絶った方が幸福を得られる。僕はそう考える。


 僕は彼らを外に埋める。敬意は払う。わざわざ墓穴まで掘ってあげるのだ。そう。みんな平等に。


 僕は恨まれやしない。だって、誰にだって死は訪れるものなのだから。ただそれを早くしただけだ。何の問題もない。


 掘って埋葬をしてあげる。僕は満足している。この生き方に。人の為になっているこの生き方を。


 だから僕は幸せだ。


 そんなある日だった。僕は適当にドライブをしていた。暇つぶしだ。理由は無い。僕はそんな理由で夜道を運転していた。


 すると、ある少女が目に入った。高校生か。制服を着ていた。自転車を押していた。学校の帰りだろうか。いや、それにしても帰りが遅い。九時はとうに過ぎていた。なら、塾の帰りだろうか。まあ、それは分からないが、僕は彼女に興味を持った。


 僕は顔を見ればどんな色をしているか見分ける事が出来る。


 彼女は対象だった。



 薄暗く、どぶのように汚れていた。僕はこの少女を変えてあげたいと考えた。


 僕は適当な場所に車を止める。そして、周りに人がいないかを確認する。幸いなところ、ここは安全なようだ。人影が一つも見当たらない。


 僕はたまたま持っていたシャベルで彼女の頭を叩いた。そして、彼女は小さな悲鳴をあげると、地面に倒れた。自転車が力なく倒れる。ガシャンと盛大な音を立てる。


 まず僕は彼女を車に運んだ。トランクの中に押し込んだ。そして、自転車を後部座席に無理やり詰め込んだ。


 本当に運がよく、誰も通らなかった。そうして僕は難なく彼女を誘拐する事が出来た。


 僕は別荘に向かう。そして地下室に彼女を運ぶ。起きても逃げ出せないように、手首と足首にガムテープを巻いた。ちょっとやそっとでは外せない。それと、大声を出されても困るので、タオルを彼女の口の中に入れておいた。あとは彼女が起きるのを待つだけだった。


 彼女が起きるのを待つ間、僕は着替える。汚れてもいい格好に。愛用のナイフを持ち、鼻歌まじりにそれを振る。


 地下室に降りていき、椅子に座って、本を読む。そうやって時間を潰す。


 時間が経ち、彼女が目覚めた。ここがどこだか把握をしていないようだった。うねり声をあげる。そして、周囲を見渡す。そこで僕は彼女の元にやってきた、タオルを外した。そして「こんばんは」と声をかけた。すると少女は「はあ……こんばんは」と普通に返事をした。やや戸惑っているようだが、普通の人に比べると冷静だった。


 僕は本当に冷静だった。驚くぐらいに。自分の運命をあっさりと受け止めていた。まるで死を受け止めていたかのように。


 僕は他の人とは違う反応に少々戸惑った。逆に不安になった。しかし、それは興味にかき消された。


 僕は話しかける。これは誰にでもするのだが、大体は会話にならない。今回は珍しく会話が成立していた。


 すると、彼女は珍しい事を言った。僕は目が点になった。不意をつかれたのだ。


「僕は君を殺すよ?」


 僕は彼女にそう宣言した。それなのに彼女は顔色一つ変えなかった。普通の表情で、冷静に、冷淡に言葉を返す。


「私を殺すのは構いませんが、死なせないでくださいね」


 僕は耳を疑った。彼女の矛盾に。僕は理解できなかった。


「私にとっては普通の事を言っているんですよ。私の手首を見てくれれば分かります」


 彼女はそう言った。僕は隙間から手首を覗いた。そこにはリストカットをした後があった。一つの線が引かれていた。


「なんだ。死にたいのか」しかし、僕はあれ? と思った。この言葉が間違っているからだ。それもそうだった。さっき聞いた言葉で、死にたくはないという感じの言葉を言っていた。だから、僕はあっさりと彼女に否定されたのだ。


「生きたいんですよ」


 しかし、僕は理解できなかった。頭が混乱する。だから僕は彼女に説明を求めた。


「私は生きているという行為に疑問を覚えたんです。実は自分は存在していなくて、誰かの夢のモブに過ぎないのでは、と。生きている実感が薄かったんです。だから私は、生きているというのが苦痛でした。意味もなく時を過ごす。この無意味が。だから私は死んでみようと思ったんです。適当に手首を切って、適当に血を流して、適当に死んでいく。その時でした。ああ、死ぬかも、って思ったまさにその時でした。私はこう思ったんです。「嫌だ。死にたくない。生きたい」と。今まで生きてきて、そう思ったことなど一度もありませんでした。なにか事故とかで勝手に死にたいな、と。生きていてもつまらないな、と。そう思っていた私が生きたいと初めて思ったんです。心の奥底から思ったんです。私は歓喜しました。こんなどうでもいい世界にとどまりたいと願った自分に。それから私は自殺を始めました。死ぬ直前になると必ず、そう思うからです。やがて、私は自殺が生きがいとなったのです」


 話の途中から彼女は嬉々として語っていた。テンションが上がっていた。嬉しそうに、話していた。僕はそれをただ黙って聞いていた。


 彼女は不思議だった。不思議な女の子だった。


 最初彼女の色を見たとき、僕は汚いと思った。しかし、その色が実は澄んでいて綺麗だったんだ。いや、綺麗ではない。でも……なんというか、目に留まる、癖になる色だった。僕は彼女に惹かれた。僕は彼女の事をもっと知りたいと思った。だから彼女の話を色々と聞くのだ。


「どのような事をして、自殺したの?」


 すると彼女は嬉々として、「リスカや投身や首つりや入水や……」と話していた。そして、その自殺は良かった。良くなかった、と彼女なりの感想を述べていた。僕は彼女の話を熱心に聞いていた。


 しかし、お別れの時間がやって来た。


 僕は好奇心がわいてきたのだ。そんなに死について嬉しそうに話す彼女を見て、その人の死の直前の色は何色か、と。実際に見て見たいと思ってしまった。


 僕は彼女に別れをつげる。すると彼女は残念そうな顔をした。


「私、貴方と会えてよかったと思う。違う形で出会いたかった」


「僕もだ」ナイフを握る力が段々と強くなっていった。


「もしも、生きていたら、もっとお話をしよう?」


「わかった」


「私を死なせないでね」


 彼女は笑う。慈愛に満ちた表情だった。


「大丈夫だよ。今までも君は死んでいないだろう?」


「そうだね。じゃあ、お願い。一度殺されてみたかったんだ」


「生き延びる事を祈るよ」


「うん」


 僕は彼女の胸にナイフを突き刺した。彼女は「うっ……」と顔をゆがませた。僕はゆっくりと差し込んでいく。血が彼女から流れ始めた。彼女は恍惚とした表情で、息を荒げ、「もっと……」と言う。


「ああ……。わかっているよ」彼女は笑う。祝福を受けたかのように、幸せそうだった。


 彼女の色は今までで見たことのない色だった。澄んでいった。見る見るうちに輝いていく。キラキラと。光彩を描いていく。


 僕は感動した。こんな色をするんだ。こういう色を出す人がいるんだ。


 僕は嬉しくてたまらなかった。僕はこの時間は今でも忘れない。この輝きを一生忘れない。


 そしてその輝きはもう二度と……。二度と僕の瞳に、映ることはなかった。



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