十三話 接触

「生霊?」


芽唯が住み始めてから数日が経ったある日の夜。

夕食を終えてリビングのテーブルでコーヒーを飲んでいた勇太は、珍しく改まって話し始めた芽唯に対してそう問い返していた。


「はい。ストーカーの男に襲われた件で分かったのですが、生霊はストーカーのものではなかったんです。スマホや盗聴器は恐らくストーカーの仕業でしょうが」


「ああ、盗聴器なら後日発見されたそうだ。実は随分と前から設置されていた物だったらしくてね、今回それがたまたまストーカーに悪用されてしまったのだろう。一応警察に被害届も出してあるから、暫くは様子見だろうね。でもそれならば生霊がストーカーのものではないと、なぜ分かったんだい?」


「それは、生霊の姿がだったからです」


「あ、確かに。若い女性の姿をしてました!髪は私より長いくらいの黒髪で、目がキリっ!としてました」


楓がそこで自分の見た情報を付け足してくれた。

勇太は考える、生霊となると執念にも似た強い念が実体化して悪さをするもの。

ならば芽唯の芸能界での同業者の嫉妬が妥当なところだろうか、と。


「それに、何か普通の生霊とは少し違ったと言いますか。怨霊に近い気配はするんです、でも生きている人間の気配も混じっていて」


芽唯の見解は何処か歯切れの悪いものであった為、勇太も頭を悩ませた。

怨霊に近い生霊、或いは生者に近い悪霊。

どんな解釈にしろ、何かしらの意思がなければ成り立たない話ではあるだろうが。


「芽唯はその女性に心当たりはないんだね?」


「はい。てっきり女のファンのストーカーだと思っていたので、あまり気にしていませんでしたが」


話はそこで詰まってしまう。

何かのだが。

と、そこまで考えて勇太はハッとする。


(……ふっ。僕としたことが、まだ彼女に頼ろうとしているなんて)


それは勇太の婚約者、藍葉朔耶あいばさくやの話である。

朔耶は四世家の一角、藍葉家の当主であったと同時にでもあった。

触れた物から情報を引きずり出せる、超能力者にも近い特性が。

それは魂鎮メでもあまり例のない力であり、その特性は神の力だと言う者もいたくらいだ。


芽唯の母、白百合舞唯が最強ならば、藍葉朔耶は至高。

そして八重桜玖々莉は天才。

現代で三人の才能の持ち主が集中した訳だが、内二人は行方不明。

だがここで藤堂の血を引く楓が才能を発揮し始めている。

何の因果だろうか、ちょうど四つの家柄の者たちが才覚を見せているのだ。

そしてこれは何の前触れになるのだろうか、勇太にも分からないが。


「まあとにかく、芽唯はこれからも十分に注意してくれ。楓、もし出来るのであれば帰りは駅まで迎えに行ってあげてくれないかい?スクーターなら楓も慣れているだろうし、あのスーパーカブは二人乗りが出来る排気量を満たしている」


「はい、分かりました!」


「え、でも悪いんじゃ。私はタクシーでもいいし」


「ダメですよ!何かあった時、二人でなら心強いですよね!?」


「まあ、そうだけど」


「ふんす!」


「いや、何でそんな気合入ってんの」


確かに芽唯の財力ならタクシーでも構わないだろう。

だがここは妥協して公共の乗り物で移動してもらう。

タクシーと言う孤立した移動手段ほど襲いやすいものもないからだ。

民衆に紛れて行動した方が襲撃される確率も減るだろう、そう勇太は考えた。

勿論考え過ぎではあるかもしれないが、念には念をである。


「さて、もう遅い。そろそろ僕は寝るよ。二人とも、おやすみ」


「はい、おやすみなさい!」


「おやすみなさい」


そう言い残して勇太は二階の自室へと戻った。

最初は新婚同士、朔耶と暮らす筈だった我が家も大分賑やかになってくれた。

今の生活を彼女が見たら、何と言ってくれるだろうか。


「……ふっ。きっと妹が二人も出来たと、彼女なら喜ぶのだろうな」


何処かセンチメンタルになってしまった勇太は切り替える様にして、持て余しているダブルベッドへと身を投じるのであった。




それから数日。

楓は代わり映えのない日々を過ごしながら、時折入る程度の依頼をこなしていた。

基本的には勇太に着いて行くだけのようなものだが、それでも実践を踏めるのは有り難い事である。

芽唯も段々と藤堂家に慣れて来たようで、今では忙しい中率先して家事まで手伝ったりもしている。

料理は勇太と交代で、洗濯と掃除は楓が担当する事が多くなった。

ちなみに楓は包丁の握り方すら知らないのだ、刀の握り方なら知っているけれど。

料理など夢のまた夢である。

そして今日は芽唯が仕事で遅くなるという事もあり、夕食は珍しく勇太と二人で取っていた。


「楓。今日はもう遅いから、芽唯の迎えは僕が行こう」


「はい、分かりました。お願いします」


夜の留守番など初めての事である。

楓は何処か落ち着かないような気持ちになるも、何となく着いて行くのも気が引けていた。

と言うよりも着いて行くと言おうとした直前で、影が少しだけ揺らめいたのが気になったのだ。

何かを告げているのだが、基本多くは語ってはくれない。


「それじゃあ行ってくるよ」


「はい、お気をつけて」


そうして勇太を玄関先で見送った楓は、一人皿洗いを始める。

芽唯の分の食事も勿論用意してあったので、こちらは片づけが終わり次第テーブルに運べばいい。

そう思い楓は流し台で作業をしていると。

ピンポーン。

突然の電子音にビクッとなる楓、この時間に来客などどう考えても不自然だ。

時刻は午後九時を回っている、宅配便にしたって少し遅い気もする。

もしかしたら芽唯と勇太が入れ違いになった可能性もあると思い、楓はインターフォン前まで慌てて行く。

けれど前回の芽唯のマンションでの出来事がまだ頭から離れない楓は、少しだけ躊躇っていた。

そもそも二人とも家の鍵を所持しているのだ、何故わざわざ鳴らす必要があるのか。


ピンポーン。

そうこう考えている内に、再び音が鳴った。

楓は覚悟を決め、とりあえずだけでもとインターフォンのボタンを押す。


「……はい、どちらさまでしょうか」


モニターに映し出されたのは、見知らぬ女性の姿。

だがフードをがっぽりと被っている為、顔まではハッキリとは分からない。


「……あの」


返事のない来客に戸惑う楓。

すると女性がこちらの応答に気付いたのか、目元を薄っすらと覗かせて声を発する。


「あ、夜遅くにすんませーん。ウチ、夜御坂楓さんって人に用があるんですけどー」


「え……、はい。どなたですか……?」


何処か関西訛りのようなイントネーションの女性の口調が耳に入る。

だがそれよりもこの街には殆どと言っていい程、楓を知る者はいない。

にも係わらずフルネームを堂々と口にしたのだ、何らかの接点があるのかもしれないと楓は気になってしまう。


「あーえっと、ウチは興梠渚こうろぎなぎさって言います。実は割と裏の仕事をしてましてー」


裏の人間が楓に何の用か。

楓には裏の意味自体もよく分からないし、怪しさ全開と言えるのではなかろうか。

だが次に口にした発言によって、楓の危機管理が遠退いてしまう。


「楓さん、魂鎮メって団体をご存じですかー?その団体、結構裏じゃ有名なんですよねー。何でも殺しもしてるって噂もありますし」


「……はい?」


魂鎮メ組の事務所とお間違いではないでしょうか、そう思った楓に渚と名乗った女性は追い打ちをかけるように言う。


「それと楓さん。ウチなら楓さんの知りたがってる、を教えてあげられますよ?」


「え……どうして」


背後で影が揺らめくのが分かる。

酷く反応しているものだから、影はこれを事前に察知して楓を家に残そうとしたのだろうか。

楓はいつの間にか玄関先へと足を進めていた。

罠かもしれない、そもそも相手の素性もよく分かっていないのだ。

危険が伴う、けれど。

もし本当に弔イ歌の真実を知っているのであれば、楓に選択の余地はなかった。

恐る恐る、玄関のドアノブへと手を伸ばす。

そのままカチリと鍵を開け、扉を開いた。


「……弔イ歌について、教えてください」


玄関先に出てそう言った楓に対し、女性は覆っていたフードを取って顔を晒した。

その顔を楓は何処かで見覚えがあるように感じる。

確かそう、つい先日に会話に出た、生霊の特徴と酷似していた。


「——良かったぁ、出てきてくれて」


そう言って女性はおもむろにナイフを取り出した。

楓はそれをまじまじと見つめ、身動きするのを忘れてしまう。

ゆっくりと頭上に振り上げられた鈍く光る刃物の切っ先が、楓に向かって急降下してくる。

避けるのを、身構える事さえも忘れてしまっていた。

だが楓にナイフが届く、その寸前で。


「夜御坂さん!!」


突如響いて来たのは、黒のレクサスから勢いよく降りて来た芽唯の声だった。


「ちっ。邪魔が入ったわ」


そう言って女性は走り去っていく。

楓は呆然としたまま事の成り行きを見ているだけであった。

すると、走り寄って来た芽唯が楓を強く抱きしめてくる。

現状を未だ把握しきれていない楓は、なされるがままに身体を預けた。


「ばかっ!何で出たりしたの!?怪我はしてない!?」


「……はい」


抱きしめて来る芽唯の身体は、少しばかり震えていた。

前回は立場が逆で気にもしていなかった芽唯が、楓の窮地になった途端弱気になっている事を不思議に思う。

でも、ああそうか。

前回腰を抜かした自分と同じような感覚なのだ、きっと今の芽唯も。


「……さ、中に入ろ」


「はい……」


そうして楓は芽唯と共に家の中へと入っていくのだが、一部始終を見ていた勇太が逃げた女性の方角にずっと目をやっていたのが、少しだけ気になった——。

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