十話 生霊
◇
芽唯が住む高層マンションから徒歩で五分。
街中にひっそりと店を構える高級寿司屋を予約していた芽唯は、楓を連れて店ののれんをくぐる。
「らっしゃい!」
気さくな大将に迎えられ、早速カウンター席に着いた。
木彫の如何にも和な店内は趣があり、隠れ家の様な小さな店だ。
いくつものネタが並べられたケースはそれはもう綺麗にされており、数々の魚の柵が宝石のように輝いて見える。
芽唯はこの店によく来ている常連であり、元は業界関係者の大物プロデューサーに教えて貰った知る人ぞ知る名店であった。
ちなみに楓は隣の席でチワワの様に震えている。
「大将、今日のオススメを二人分で」
「あいよっ!」
そう芽唯は注文を済ませ、ブルブルと震えている楓に声を掛ける。
「えっと、なんかごめん。人が少ない場所なら平気だと思ったんだけど」
「い、いえ。お寿司、好きですから……」
そうは言っても相変わらず俯いている楓を見て、流石に心配になってくる芽唯。
確かについ先日ファミレスデビューして、いきなり高級寿司屋ではハードルが高かったかもしれない。
何だか悪い事をしてしまったと珍しく芽唯は反省をしていた、のだが。
「へいお待ち!先ずは今朝獲れたばかりのアジだ!」
「……ゴクリ」
あれ?と芽唯は楓を見た。
震えがピタリと止んだかと思えば、楓は涎を垂らして置かれた握りたてのアジを凝視している。
これは案外いけるかもしれないと芽唯は考えを改める。
「……ジュルリ」
「さ、食べよ」
「は、はい。では……」
そう言って楓は箸を手に取り、アジの握りを口へと運ぶ。
途端に表情を明らめて、モグモグと味を堪能していた。
「お、美味しいです!」
楓のキラキラとした瞳を見て、ハアと安堵のため息を吐く。
やはり夜御坂楓は食を前にすると精神が安定する傾向にあるようだ。
そうだろうとは思っていたが、今回は中々に危ない綱渡りだったかもしれないと芽唯は素直にそう思った。
「お嬢ちゃん、いい顔するね!芽唯ちゃんの友達かい?おじさんサービスしちゃうよ!」
と言っていつもと違う目新しい魚の寿司が出て来た。
「こいつはマツカワガレイと言ってね、ここいらじゃあまり手に入らない高級魚だ!」
「……はっ!美味しい!」
「おうおう、良い反応してくれるねえ!」
何やら完全に大将のペースな気もしなくもないが、まあ何にせよ楓が喜んでくれているようで何よりであった。
なのでここは素直に芽唯も寿司を堪能する事にする。
「ん、美味しい」
「だろう!?さあ今日は気分が良くなってきた!おじさんどんどん出しちゃうぞ!」
そう言って大将自慢の高級寿司が次々と握られてくるのであった。
「あー、美味しかった」
「ですね!こんなに美味しいお寿司を食べたのは初めてです!」
「良かったね。夜御坂さん、大将に気に入られて」
「そう、なんでしょうか?美味しいとしか言ってないんですけどね」
最初はどうなる事かと思った芽唯だが、大将があんなに気前よく握ってくれるのも珍しい。
結局二人で四万円の支払いとなったが、どう考えてもそれ以上の数が握られていた。
おかげで芽唯の胃袋はパンパンである、明日から調整しなければアイドルの仕事に支障が出る事だろう。
そうして食べ終えた二人は帰路につく前に楓の要望もあり、近場の総合ディスカウントストアへと向かっていた。
午後八時の住宅街は人通りもあまりなく、このまま大通りに出て国道何たら沿いの店舗を目指す。
「すみません、こんなに美味しいご飯を食べさせて貰っただけでなく、パジャマまで買って頂けるなんて」
「いや、パジャマを譲らなかったのは夜御坂さんだからね」
楓はどうしてもパジャマパーティーにしたかったらしく、パジャマを買いに行く事になったのだった。
始めは自分で出すとも言っていたが、財布に数千円が全財産の楓に出させるのも気が引けて結局買ってあげる事にしたのだ。
出費など些細なものだが、どうしてそこまでパジャマに固執するのか芽唯には分からない。
「だって、初めてのお友達とのお泊り会なんです。記念になるような事がしたいじゃないですか」
楓が真顔でそんな事を言うものだから、何となく芽唯は意地悪をしたくなってしまう。
「じゃあさ、お酒でも飲む?アルコールデビューするのも面白いんじゃない?」
「ダメですよ!お酒は二十歳になってからです!大人の三大階段ですよ!」
「いや何それ。はいはい冗談ですよ。さ、早くパジャマ買って帰ろ——」
そこでふと芽唯は振り返る。
何やら視線を感じたのだが、通りにはこちらを見る者はいなかった。
「?白百合さん?」
「あー、何でもない。行こ」
そう言って足早に目的地へと向かうのであった。
買い物を済ませて帰路につく。
時刻は午後九時を回り、いよいよ人通りは少なくなってくる。
芽唯は辺りを伺いながら楓と共に歩いていた。
「白百合さん、どうかしましたか?」
「別に、何でもないけど」
「でもずっと、周りを気にしていますよね?」
「……。」
黙り込む芽唯。
こうなるとは思っていなかったのだ、だから話すかどうかを悩んでいる。
打ち明けたら被害は楓にも及んでしまうかもしれない、のだが。
「……実は——」
「白百合さん!この気配は!」
二人同時に感じ取ったのは、正しく怨霊の気配。
夜道を同時に振り返ると、そこには怨霊の群れが突如として湧き出ていた。
いきなりの展開に反応が遅れるも、芽唯はすぐに気付く。
その中に一体、明らかに強い霊体がいる事を。
「ごめん夜御坂さん、後で説明するから一緒に祓ってくれる?」
「はい!分かりました!霊装——残焔!」
霊装状態となった楓を確認し、自らもその工程を辿る。
目を閉じてゆっくりとした動作で手を胸に当て、呟く様にその言葉を唱える。
「……霊装——
純白の着物を纏い、濃い紫色の帯が揺れる。
手には楓と同じく一振りの刀を持ち、鞘から引き抜くとその刀身は淡く白光していた。
「夜御坂さんは周りの怨霊をお願い。厄介なのは私が祓うから」
「了解です!」
そう言って楓は深紅の刀を持って駆け出し、その刀身には既に焔の渦が絡みついていた。
そのまま刀を横薙ぎに薙ぎ払い、まだ距離のあった怨霊の群れへと絡みついていた焔が生き物のように喰らい付く。
流れるような動きの焔はたちまち無数の怨霊を焼き渡って、次々と光の断片を生み出していった。
「『送り火』——
それを見ていた芽唯は圧巻の一言に尽きていた。
まさかついこないだまで特性を何も把握していなかった素人も同然の楓が、こうも特性を容易く扱っているという事実を目の当たりにして。
芽唯は考える、やはり天性の才能を持つ者はいるのだと。
そう、ずっと自分と比較され続けて来た芽唯の母親のような逸材が。
「……いけない、集中しなきゃ」
芽唯は気持ちを切り替えるように目の前の強い霊体へと刃を向ける。
白光する刀を右手で握り、こちらも随分と距離のある対象へと大きく一突き。
「『
勢いよく伸びた刀身が対象を穿つ。
その霊体に大きな穴が開いたかのような一撃、けれど何故か浄化にまでは至らない。
『……』
そしてその霊体はそのまま姿を消したのであった——。
無事に帰宅した二人はテーブルで向かい合い、ティーカップを片手に話をしていた。
「ごめんね、変な事に巻き込んじゃって。こんなつもりじゃなかったんだけど」
「巻き込んだ、とはどういう事でしょうか?」
楓の最もな疑問に芽唯は自身の現状を語り始める。
「さっきのあれは怨霊じゃないの、生霊。私今、ストーカー被害に遭ってて」
「ええ!?警察には行ったんですか!?」
「いや、マネージャーにすら言ってない。なんか今更人に頼るのも情けないと言うか、癪と言うか」
これまでどんなピンチも己の力のみで打ち勝ってきた芽唯。
他人との関りも最低限で、そもそも滅多に他人を信用すらしない性格なのだ。
頼り方を知らないとも言えるのだが。
「そんな事言ってる場合ですか!?何かあったらどうするんですか!」
「あー。多分だけど、スマホも盗まれたんだと思う。そのストーカーに」
「え!?もう被害が出てるじゃないですか!呑気にパジャマパーティーなんてしてる場合じゃないですよ!」
「うう……。ん?いや、パジャマパーティーは私の発案じゃないから」
ピンポーン、と機械音が室内に響く。
会話はピタリと途切れた、そんな突然のインターフォンの音によって。
「……噂をすれば?」
「えええ、ど、どうするんですか……?」
「……。」
夜は更けていき、玄関先の気配だけが重苦しさを酷く物語っていた——。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます