彼のガイド

 

 手を伸ばす。

 頭を抱えてパイルバンパーの具現化を解き、膝から崩れ落ちる晴虎を背後から抱き締める。

 死体はグロテスクすぎて、冬兎は認識ができない。

 それほどグロテスクなものを認識できる晴虎は、精神がとてもダメージを受けてしまっている。

 だから触れて、ガイドの能力を使って彼を現実から守るのだ。

 

(ああ、ぐちゃぐちゃだ)

 

 晴虎の心が、歪んでいる。

 皮膚を通して深層心理の中に入り込む。

 バグのようにジジジ……と歪む暗い桜の木下。

 あれほど綺麗だった蒼天と水面が泥のような色になっていた。

 どしゃ、と腕が落ちてくる。

 見ると鼓太郎のものではない。

 同じように、足、穴の空いたワイシャツを着た胴体。

 最後に首が落ちてきた。

 見知らぬ男の顔。

 

『お父さん』

 

 子どもの声に振り返ると、オレンジ色のメッシュが入った黒髪の幼い男の子。

 顔を両手で覆い、震えて指の隙間の大きな瞳から大きな涙がボロボロ落ちて泥に落ちていく。

 

(ああ……そうか……)

 

 冬兎の母の時よりも晴虎の状態が悪いのは、鼓太郎が“父親”だったからだろう。

 父親がどうなったのか、最後まで聞いていなかったけれど――

 

『ひっく、ひっく……お父さん……ごめんなさい、ごめんなさい……』

 

 目を細める。

 あまりにも痛々しい。

 少年の前に膝をついて、彼を抱き締めようとした。

 なにかに弾かれる。

 拒まれた。

 

『また殺した、おれ、殺したくないのに……お父さんのこと、殺したくなかったのに……おれ、また……また……!』

「晴虎さん……! あなたは悪くないです! 鼓太郎さんは“人間のまま”がよかったって言ってたじゃないですか! あなたがやったことは人殺しじゃない! 救済です!」

 

 どんなに叫んでも少年は泣きじゃくり続ける。

 それどころか、泥の中へ足が埋もれていく。

 

「晴虎さん!」

 

 ずぷ。ずぷぷ。

 これはいけない。

 精神がどんどん悪い方に堕ちていく。

 

(なんで!? 僕は晴虎さんのパーフェクトマッチのガイドのはずなのに……遠い……! 近づけない!)

 

 手を伸ばし、何度も抱き締めようとするのになにかに弾かれ続ける。

 見えない壁。

 それを殴るが、びくともしない。

 

「なんで、なんで……! どうしたら――! 僕は……!」

 

 本当の意味で、彼に寄り添うことができないのだろうか?

 彼に三回も助けてもらっておきながら、自分は彼を助けられないのだろうか?

 

(こんなのずるい。汚い、僕……助けてもらったから、今度は僕があなたを……助けたいのに!)

 

 涙が溢れる。

 とても純粋で、優しくて、繊細なこの人を助けたい。

 

 ――どんな自分になりたいか。

 

 不意に華之寺の言葉が頭に浮かぶ。

 次に夕方の赤い空の中、差し出された名刺を思い出す。

 

 ――なにか困ったことがあったら、いつでも来てくださいね。

 

 顔を上げる。

 ズボンのポケットにしまった手帳を引き抜き、明人の名刺を取り出した。

 白地に青い薔薇の添えられた紙の名刺は、名刺サイズの鏡に変化する。

 

「――冬兎くんは、どんな自分なりたいですか?」

「あ……明人さん……僕は……晴虎くんを助けるガイドに、なりたいです……!」

 

 鏡に映った明人に、叫ぶ。

 その瞬間、鏡の中の明人が微笑む。

 名刺サイズの鏡に刻まれた青い薔薇の蔦が伸びて、冬兎のスピリットアニマルに絡まる。

 

「この子の名前は?」

「か、和雪かずゆきです」

「和雪くんに僕の力を少しだけ入れておきます。僕の大事な晴虎くんを、どうかよろしくお願いしますね、冬兎くん」

「……あ……」

 

 鏡が和雪の中に入って消えてしまった。

 青薔薇のついたリボンが首にポンっと現れる。

 ヒクヒクした鼻とつぶらな瞳が見上げて、冬兎を一瞥すると和雪は見えない壁をすり抜けて腰まで泥の中に埋もれた少年の前へ跳ねながら進む。

 少年が目の前に現れた和雪を指の隙間から見下ろす。

 涙まみれの手を顔から離し、和雪を抱き上げた。

 

「青い、薔薇だ……明人の……」

「そうだよ」

 

 冬兎が声をかける。

 少年が顔を上げて冬兎を見た。

 目が合う。

 仄暗い色の金の瞳。

 

(ああ……やっとあなたと、目が合った)

 

 微笑む。

 青い薔薇の花弁になって消えてしまったあの人の面影。

 

「晴虎くんをよろしくって言われたんだ」

「…………」

「君はお父さんを――殺してない。刑務所で罪を償いながら、今も生きてるじゃないか。あの時、君は明人さんを助けた。どうしてそんなに自分を責めるの? 君は悪いことなんて一つもしていないじゃないか。鼓太郎さんのことも、君は助けたんだ。殺すことで救ったんだよ。僕、ちゃんと見ていた」

「でも殺したんだ。あの人、子どもがいたんだよ。誰かのお父さんだった。冬兎さんのお母さんも殺した。おれは人殺しだよ」

「そうかもしれないけど、それで僕は生きてるから」

 

 手を伸ばす。

 今度は弾かれることはなく、少年を抱き締められた。

 

「あなたが守ってくれたから、僕は生きてる。あなたのおかげで、今も生きていられるんだ。だから、ありがとう。今度は僕があなたを助けたい。あなたの側で、ずっと、あなたを支えていきたい。……晴虎くん、だからお願いです」

 

 体を離す。

 頰に手を添える。

 涙を流す目許を親指で拭い、その美しさに目を細めた。

 

「僕をあなたのガイドにしてください」

「おれ……俺は……あなたが思うほど強い人間じゃ――」

「そんなあなたも好きなんです」

「――」

 

 顔を上げる晴虎は、本当に驚いた顔をしている。

 抱いていた和雪がぴょん、と胸の中から冬兎の肩に戻ってきた。

 冬兎が両手を掴んで引っ張ると、腰まで埋もれていた晴虎の体が簡単に水面の上へ出てくる。

 その瞬間、泥は澄んだ青に。

 曇天は澄み渡る蒼天に。

 枯れ果てた桜の木は、満開の花を咲かせる。

 少年から青年の姿に変わった晴虎の手を、改めて握った。

 

「晴虎くん、僕、あなたが好きです。壊すのを怖がって優しく扱ってくれる繊細なあなたも、あの人の守りたい世界を守り続けるあなたも、命の尊厳を守るために傷つく勇気のあるあなたも、ご飯をたくさん食べるあなたも。傷ついても泣けないあなたの代わりにこれから僕が泣くから、僕をあなたのガイドにしてください」

「俺の代わりに……泣いてくれるんですか?」

「僕でよければ」

「俺と、キスやセックスできるんですか?」

「むしろしたいです。そ、そういう意味の好きなので」

 

 手を握る。

 けれど恥ずかしくて目を閉じた。

 小さな声で「俺は明人を忘れないですよ」と聞かれる。

 目を開けて、見上げた。

 

「いいですよ。明人さんを大切に思っているあなたのことも、大好きです」

「………………」

 

 顔がゆっくり近づいてくるので、左手を頰に添える。

 流れ込む心。

 今まで色々なガイドと上手くマッチングしない理由ももう知っている。

 彼の心の芯の部分。

 支柱たるあの人を、理解しきれない。

 

「忘れる必要なんてないです。あなたの大切な心の一部じゃないですか。そのまま抱えて、一緒に生きていきましょう。もっと教えてほしいです、って……言ったじゃないですか」

「……そうでした」

「あなたはあなたのままでいいんですよ」

 

 眼鏡に手をかけられて、外される。

 え、と驚いて見上げると、唇が重なった。

 

「俺も冬兎さんが好きです。あなたに俺のガイドになってほしい。俺と付き合ってください」

「……っ」

 

 長い前髪の間から見える金の瞳。

 初めて、彼がこんなに穏やかに微笑んだのを見た気がする。

 今まで見たことのない、とても艶やかで純粋な好意の笑顔。

 

「僕が……」

 

 冬兎の方こそ、そう望んでいたのだから。

 

「僕も好きです。晴虎くん。僕をあなたの恋人にしてください」

 

 ぎゅう、と抱き締めて、抱き締められる。

 抱き締められるというより、包まれている感覚。

 ひどく安心する。

 涙が溢れそうなほど――心が痛いのに。

 

「冬兎さん」

「はい」

 

 頰に太い指が撫でるように添えられて、顔を見上げると星空の下だった。

 晴虎の深層心理の中から、いつの間にか現実に戻っている。

 現実の、本物の肉体のある春虎に見下ろされていた。

 幸せそうな表情に冬兎もきっととろけた顔をしていることだろう。

 

「マジか。こんなにあっさりガイディングをやってのけるとは」

「「!」」

 

 ザクザクと足音が近づいてきて、晴虎と二人でハッとする。

 足音の方に顔を向けると衣緒が複雑そうな表情をしていた。

 

「あ、あの、あの……!」

「ああ、いーよいーよ、そうなる気はしてたしぃ。それより、死体の処理はしておくから辰巳と相馬夫人を園山さんと集会所に連れて行ってくれる? 辰巳が完全に潰れちゃって」

「あ、ああ、うん。相馬の息子さんはどうする?」

「夫婦がこうなったからには息子さんにも説明しないとでしょ。安全の確認はしたいから、辰巳を運んだら相馬家に行ってみてほしいかなー。どう?」

「ん」

「あの、それ、僕も一緒に行っていいですか?」

 

 衣緒と晴虎がサクサクと話を進めていく。

 立ち上がって、話に参加する。

 冬兎の主張がよほど意外だったのか、衣緒が目を見開いてから、一瞬で顔を曇らせた。

 

「あんまり見ない方がいいと思うなぁー。冬兎、まだグロ耐性ついてないでしょー?」

「グロ……え? あの、でも……息子さんは、生きてるんですよね?」

「生きてても無事とは限らないってこと。親に虐待を受けた子どもなんてグロッキーに決まってるじゃん? ひどい絵面だよ。現場慣れしてない冬兎には絶対キツいってぇ。辰巳についててあげた方がいいんじゃないー?」

 

 ね、と晴虎に同意を求める衣緒。

 冬兎が見上げると、晴虎も「その方がいいと思う」と言う。

 けれど――

 

「僕も両親には……あまり恵まれたとは言い難いです。だから……放って置けないというか……。ダメですか?」

 

 お願いします、という意味を込めて晴虎を見上げると、しばらく難しい顔で悩んだあと深い溜息を吐かれた。

 

「ガイド同士でも共感能力で最低限のケアはできると思います。でも、無理はしないでほしいです。無理ならすぐに部屋を出て、保護対象を移送する手伝いをしてください。あの、冬兎さんが思っているよりも……現場の子どもの状態は……ひどい場合が、本当に、その……多いので」

「覚悟をしておきます」

 

 頷くと衣緒にまで溜息を吐かれた。

 なんにしても、まずは辰巳と利沙を集会所に運ぶ。

 ぐったりと倒れた二人の側には園山と数名の鴉天狗。

 彼らの協力を借りながら、辰巳たちを集会所に送り届けた。

 数名の鴉天狗は衣緒と共にあの場に残り、死体の処理。

 血の匂いに別の妖や怪物が近づいてくる可能性があるからだ。

 そうして春虎と共に相馬家へと向かう。

 町の中心から少し外れた、大きな庭つきの一軒家。

 

「大きなお屋敷ですね……!?」

「相馬家は代々自警団で町を守っている名家だと聞いています。鴉天狗へ、何人か嫁を輩出しているとも。大丈夫ですか? 行きますよ?」

「はい」

 

 一声かけられ、大きく頷く。

 屋敷の門構えを潜り、いざ――

 

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