泉鴉郷都(2)

 

 装甲車で半日。

 特に問題もなく、泉鴉郷都に入る。

 湯気で満たされた町で、町中に温泉が張り巡らされていた。

 山頂付近の温度の高い湯は源泉を長い石作りの水路で空気に晒し温度を下げ、下方の湯屋に流して使用する。

 他にも一軒一軒湯屋の中には温泉があり、効能も異なるらしい。

 鴉天狗が人間と同じように町を歩いて店にいる。

 なんとも不思議な光景だ。

 妖と人間が共生しているとは。

 でもこれが、地方都市の普通の光景。

 

「なんか、すごい」

「鴉天狗の長、太助殿は花ノ宮様とも親しかったらしいよ。なんでも息子の嫁にぜひとか」

「よ、よめ?」

「まあ、妖だしね」

 

 妖に伴侶として求められるなんて、花ノ宮明人もやはりそれなりに大変なこともあったのだな、と体が震えた。

 雪がちらほらと分厚い灰色の雲から落ちてくる。

 見上げると大きな怪鳥がギィギィ鳴きながら通り過ぎていく。

 中央無都とは空気が違う。

 

「冬兎、こっちだよ」

「ひぃ!? ええ!?」

「あ、ボクのことも衣緒って呼んでいいよ」

「え、あお、ぅ、えぁ、い、いいえ!?」

 

 肩に腕を回され、抱き寄せられて指さされる。

 顔が近づいてそんなことを言われて目を白黒させてしまう。

 あわあわしながら後ろの華城を見ると、やはりフードを深く被って顔を背けられた。

 

(あああ、また華城さんを見てしまった……! これじゃまるで助けを求めてるみたいじゃないか。華城さんのパートナーでもなんでもないんだから、自分でなんとかしなきゃいけないのに!)

 

 腕で衣緒から距離を取ろうとするが、ニコニコ……いや、によによと笑いながら冬兎の肩を抱きながらとある旅館へ案内してくれる。

 一際大きなその旅館が、目的地らしい。

 

「――衣緒、任務は?」

「情報収集はしておくよ。でも、瑠夏ちゃんが来るの明日以降らしいから派手には動けないかなぁ。冬兎がボクのケアしてくれるなら、すぐにでも動けるんだけど」

「それは華之寺先生にストップかけられてるからダメって言われてる」

「そうなんだよねー。だからまあ、二人は気にせずゆっくり休んでよ。チェックインの手続きはボクがしておくから」

「え? あ、あの、猪俣さんは仕事できてたんですか?」

「え? そうだよ?」

 

 なんと!

 それなのに運転させてしてしまったのか、と恐縮すると「ついでだしー」とニコニコされる。

 さらに顔を近づけられて、覗き込まれた。

 

「冬兎にボクのパートナーになってもらえるよう、口説くつもりもあったし」

「え、ええと……あの、そ、その件につきましては……状況が落ち着いたら真剣に検討させていただきますので、今はご遠慮いただけないでしょうか?」

 

 顔を背ける。

 受付カウンターの目の前で、こんな距離で口説かれては色々と恥ずかしい。

 衣緒の顔の前へ手を差し出して制しし、丁寧に断りを入れる。

 とにかくこの距離感で迫られるのはやめてほしい。

 

「わかったよ。キミたちは静養に来ているんだもんね。ゆっくり休んで~」

「あ、ありがとうございます」

「すみません、予約していた[花ノ宮]の者なのですが――」

「はい、お待ちしておりました。すぐにお部屋へご案内します」

 

 カウンターにいた男性が笑顔で対応してくれる。

 すぐ案内役の中居さんが「こちらです」と先行し、別の男性が「お荷物をお持ちします」と冬兎と華城からトランクを受け取って運んでくれた。

 案内されたのは『雪の間』。

 

「わあ! 露天風呂がついている……! すごい広い部屋ですね!?」

「一等部屋となっております。お夕飯は六時ごろにお部屋にお持ちいたします。お布団は八時ごろにご用意に参りますので、それまではどうぞごゆるりとお寛ぎください」

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

 

 振り返ってお礼を言う冬兎。

 しかしそこで、中居さんたちと衣緒が笑顔で部屋から出ていくのを見た。

 え、と目を丸くする。

 入り口に置いてあるのは、冬兎と華城の荷物のみ。

 

「「え……?」」

 

 そろり、と襖を開けて廊下を覗く二人。

 隣の部屋に、衣緒が案内されて入って行った。

 つまり、この『雪の間』は冬兎と華城の部屋、ということらしい。

 この広い部屋で、二人きり。

 五泊六日、二人きり。

 顔を見合わせる。

 状況が理解できた二人はブワッと顔を背け合う。

 

((うそーーーー!?))

 

 

 

 ◆◇◆◇◆

 

 

 

「え、ええとー……そのー……お、お夕飯まで、どうします、か?」

「……とりあえず……温泉、入ります、か?」

「そ、そ、そう、です、ね?」

 

 地獄のような空気である。

 この、絶妙な距離の探り合い。

 実に居心地が悪い。

 

(どうしよう、この空気。華城さんも居心地悪そうだし……)

 

 意味もなくボストンバッグを開けて、着替えを出し、畳み直してしまう動作を三回繰り返してからふと、部屋の中のクローゼットに気がつく。

 手持ち無沙汰なので「あ、お、温泉宿といえば浴衣とかあるんですかね?」と差し当たりない話題として振ってみる。

 立ち上がってクローゼットを開くと、豊富なサイズの浴衣が並べてあった。

 

「華城さん、着てみませんか?」

「俺のサイズはないと思います」

「そんなことないですよ。ほら、これとか!」

「……!」

 

 元々浴衣や着物は明確なサイズというものが存在しない。

 特大の浴衣を華城に差し出して広げてみると、なんと二メートル近い華城も着られそうだ。

 おずおずと手にとって羽織ってみた華城を見て、冬兎も標準サイズを手に取ってクローゼットを閉めた。

 早速着てみよう、と今着ている服を脱ぎかけた瞬間、後ろから「ぅ、え」と変な声が聞こえて振り返る。

 華城が盛大に顔を覆って後ろへ顔を背けた瞬間を見てしまった。

 スピリットアニマルの虎まで。

 

「…………隣の部屋お借りします!」

「はい……」

 

 男同士なのだから、気にしなくてもいいのだろうけれど。

 

(なんか、気まずすぎるー!)

 

 さささ、と着替えて襖の向こうの華城に「僕は着替え終わりましたけど、華城さんはどうですか?」と声をかける。

 向こう側から「俺も着れました」という返事。

 ゆっくり襖を開くと、見事な美丈夫が佇んでいた。

 

「か、カッコいい……」

「そ、そんなことないです」

「そんなことありますよ! すごく似合ってます……!」

「え、っ……あ、ど、どうも。夜凪さんも……似合っていると、思います」

「えっ!? あ……あ、ありがとうございます」

 

 先程とは別種の居心地の悪い空気。

 なんというか、甘い。

 絶妙な緊張感とこのあとどうしていいのかわからないやるせなさ。

 沈黙が続いて、お互いに話題が出てこなくなって「座りますか」「そうですね」とテーブルを隔てて座る。

 間が持たない。

 必死に話題をかき集めて、無言で備えつけのお菓子を手にとった華城に「あ、あの」と話しかけた。

 

「温泉宿のお菓子は、大丈夫なんですか?」

「あ、いや……お菓子は、そんなに……。それに、温泉宿の部屋にお菓子が置いてあるのは、旅の疲れを癒すのと温泉に入る時に血糖値が上下して立ちくらみや失神などを予防するためらしいので、夜凪さんも食べておいた方がいいかと……」

「そ、そうなんですか!? それは知らなかったです……!」

 

 意外と雑学に明るい華城。

 温泉宿のウェルカムスイーツには、そんな理由があってか。

 ただのサービスだと思っていた。

 

「温泉宿の人たちって、そこまで心尽くしでもてなしてくれるんですね。ありがたいです」

「そうですね……」

 

 そういうことなら、とおまんじゅうを一つもらい、封を開ける。

 華城がお茶を入れて差し出してくれたので、そちらもありがたくいただいた。

 同じ沈黙でも、心地のいい空気が流れる。

 甘いものは偉大だ、と改めて思った。

 

「華城さんは好きな食べ物とかあるんですか? その……甘いものとか」

「甘いものは全般好きです。明人がお菓子作り好きだったので……」

「料理だけじゃなくてお菓子まで作れたんですか……!?」

「というか、明人は元々お菓子作りの方が好きだったんです。バレンタインとか俺の分まで毎年作ってくれたり」

「へえー」

 

 花ノ宮明人の貴重な話だ。

 興味深く聞いていると、急に「あ……すみません」と目を背けられる。

 

「え? なにがですか?」

「明人の話……嫌がる人もいるので……夜凪さんも嫌だったら……」

「え、え? なんでですか? 僕は気になりません……っていうか、とても貴重なお話を聞かせていただいて!」

「嫌じゃないんですか? 死んだ人間の話ですよ……?」

「嫌なわけないです!」

 

 花ノ宮明人もまた、冬兎にとっては“命の恩人”だ。

 彼の生前の話はどれも貴重だろう。

 一度しか会ったことのない、世界を救った救世主の話。

 

「むしろ、もっと色々聞きたいです!」

 

 と言うと少し困ったような、意外そうな表情をされた。

 他の人は花ノ宮明人の話を嫌がるのだろうか?

 

「普通の人は嫌がるんですか? なんで?」

「思い出すと悲しくなるとか、もういない人の話だからとか……色々言われて……」

「そうなんですか? でも、僕はもっと聞いてみたいです」

 

 思い出すと悲しくなる、という理由はわかる気がする。

 それほど影響力のある人だった。

 

「華城さんと花ノ宮さんがどうやって出会ったのか、とか……」

 

 冬兎が十八の時に、彼らはすでに知り合いのようだったが、いつ出会い、いつから怪物討伐など危険なことを始めたのだろう?

 三歳差なので、彼らは当時十五歳のはず。

 あの頃すでに怪物を無傷で倒すほどに強かった彼ら。

 

「あまり……気分のいい話ではないですけど……いいですか?」

「え? あ、は、はい」

 

 少しの沈黙のあと、華城がぽつりと話し始めた。

 華城晴虎と、花ノ宮明人の出会いは小学校三年生の時。

 彼らの出会いは、最悪だった。

 九歳の花ノ宮明人は華城晴虎の父親の不倫を見抜いて、糾弾。

 晴虎の父は学校を辞めさせられ、半年後に晴虎の母ひ夫の裏切りに耐えられずに首を吊った。

 父は職も妻も失ったことで明人を逆恨み。

 夏休み中に家族旅行中の明人を親元から誘拐し、殺害しようとした。

 

「俺は父と同じように、母が死んだのは明人のせいだと思って……父を手伝って明人を殺そうとしたんですよ」

「……っ」

 

 父が明人をどう苦しめて殺してやろうか、と低級の妖や怪物を誘き寄せる香を捕えていた倉庫の周りに垂らす。

 倉庫の中には春虎もいたのに。

 父は妖や怪物に息子を奪われた悲劇の男として、保証金を受け取るつもりだったのだ。

 

「そんな……」

「倉庫の周りに妖や低級怪物が寄ってきて、死ぬかと思いました。そんな絶体絶命の時に、明人は俺に『なにが正しいか』を聞いてきたんです。少なくとも父は間違っていると答えました。俺が出した答えは『ここで死にたくない』だったから」

 

 そんなの当たり前だろう。

 子どもを殺す親なんて、絶対に間違っている。

 冬兎の父ですら、冬兎を庇ってくれた。

 

(ああ……だから……)

 

 納得してしまった。

 そんな過去がある華城だからこそ、冬兎を母に殺させたくなかったんだろう。

 親が、子を殺そうとするのが――見ていられなかった。

 重なってしまったのだ。

 だから、冬兎を殺す前に、母を。

 

「明人は生まれつき精神具現化能力者エンボディメントで、俺も守って父も捕らえた。でも、精神具現化能力者エンボディメントだからこそ体が弱くてそのあと一週間入院したんですよね。俺、その間は警察に保護されて、事情をずっと聞かれてて……夏休みが終わる頃にようやく解放されたんですけど、親類縁者みんな引き取り拒否。まあ、人殺しに加担しようとしたガキを誰が好き好んで引き取りたいって話ですよね。でも、明人には謝りたかった」

 

 だから謝りに行った。

 刑事につき添われ、退院した明人に会いにいく。

 明人はあっけらかんと「じゃあうちで一緒に暮らしましょう」と決めてしまったそうだ。

 明人の両親も明人の兄も、華城を受け入れてくれた。

 

「え、花ノ宮さんってお兄さんがいたんですか? 初めて聞きました……」

 

 そう言うと、華城の表情が少し、硬くなった感じがした。

 あれ、とその違和感に華城を見つめる。

 

「明人のお兄さんは――覚醒始祖吸血鬼になってしまったので……」

「っえ……!?」

「明人は人を……人に限らず、妖でも怪物でも、命を奪うことのできない性質の子だったんです。ご両親に頼まれても、覚醒してしまったお兄さんを殺すことができなかった。どうしても。……俺も……。だから、殺された」

「――花ノ宮さんを殺した覚醒始祖吸血鬼って――」

「明人の兄です。博愛主義の明人が生涯、唯一憎んだ相手。俺も……きっと一生許せない」

 

 覚醒始祖吸血鬼とは、始祖吸血鬼または始祖に近い吸血鬼が人間の女を孕ませて産ませた赤子が時折吸血鬼として覚醒した者を指す。

 覚醒始祖吸血鬼は始祖と遜色ない能力に成長し、不老不死の肉体に変化し、人を餌にするようになる。

 元々は人間として生きてきて、突然怪物になるのだ。

 覚醒始祖吸血鬼は、家族を、身内を、友人を、恋人を、親しい人を“餌”としか見れないようになることで発狂しやすい。

 不老不死となることで自ら死を選ぶこともできず、吸血鬼として生きていく方向に振り切るしか許されないので始祖吸血鬼や貴族吸血鬼よりも凶暴化してしまう。

 まさか、明人の兄が。

 そして、花ノ宮明人を殺したのが、まさか……。

 

「話してくれて、ありがとうございました」

「う、うん……気持ちのいい話ではなかった、でしょ」

「それは……でも……大事なことなので。……華城さんのお父様は、今は?」

「誘拐と殺人未遂、詐欺未遂で塀の中。あと十年は出てこれない」

「そうなんですね」

 

 これ以上は踏み込みすぎかな、と思いつつ、二人の出会いの話を聞かせてもらって嬉しかった。

 心から、ありがとうございます、と頭を下げられる。

 

「……あの、下の名前で呼び合いませんか?」

「え」

「晴虎って、呼んでください。俺も……冬兎さん……って呼んでいいですか」

「え? え? は、は、はい! もちろん!?」

「あの……よろしくお願いします」

「は、はい! こちらこそ!?」

 

 なんだかよくわからないが、急に距離が縮まったように感じた。

 嬉しい。

 けれど――また、奇妙な空気になってしまった。

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