第11話 うみゅぅ……

 翌朝、美雪は昨日の勉強の成果を発揮しようと、自分の部屋でしっかりとメイド服を着込んだ。

 いつもは髪をそのままにしているけど、今日はサイドでハーフアップにしてみた。青いリボンがアクセントだ。


「――よし。素直に自然に……」


 昨日彼に聞いたことを、もう一度自分に言い聞かせる。

 最後に鏡の前で笑顔を作って確認してから、服の上からコートを羽織って部屋を出た。


 いつものように貴樹のお母さんに挨拶してから、階段を登って彼の部屋に向かう。

 そして、ドアを小さく3回ノックして――おもむろに開いた。


「おはよう、美雪」

「――ふわああっ!!」


 しかし、彼からの突然の声に驚いて、美雪は悲鳴をあげて廊下にへたり込んだ。

 ちょうど開けたドアの前に彼が立っていて、急に声をかけてきたからだ。


「た、た、貴樹……っ⁉︎」

「――悪い、そんな驚かせるつもりは……」


 まだ呆然としている美雪に、貴樹は謝りながら手を伸ばした。

 その手を取って立ち上がりながら、美雪は眉間にシワを寄せた。


「ひっどい! わざわざ起こしに来たんだから、素直に起こされなさいよっ! ――あ……!」


 そこまで言ってから、いつものようについ悪態が口から出てしまったことに気付いて、美雪は慌てて手で口を塞いだ。

 それを見た貴樹が笑う。


「はは、やっぱその方が美雪らしいよ。安心した」


 予想外の反応に美雪は戸惑うが、何故か悪い気はしなかった。


「むむぅ……」


 ただ、いきなり出鼻を挫かれたことにだけは納得できなかった。


 ◆


「まだ店が開くまで時間あるから、それまで宿題をチェックするね」


 美雪はそう言うと、勉強机に着いた彼の斜め後ろに立って、宿題を覗き込むように顔を寄せた。

 貴樹の肩に髪がさらっと触れて、シャンプーの匂いが辺りに漂う。


 これまで気にしたことがなかったけど、先週から急にメイド服を着てくるようになって、否応なしに異性として意識させられてしまう。

 とはいえ、貴樹も意識して今まで通りに彼女と接していたから、バレていないはずだ。


「ん……っと。基本問題は……うん、大丈夫みたいだね。……あ、この問題。わからなくて誤魔化したでしょ?」

「あ、ああ……」

「バレバレだよー。コレ引っ掛け問題なんだ。……ほら、実はこの3問目のこれと、解き方一緒なんだよね。だから……これをこうして……」


 美雪は説明しながら、数学の問題集の余白にすらすらと書き込んでいく。

 綺麗だが線の細い字で。


 貴樹が3時間かけて終わらせた宿題を、美雪は1時間足らずでチェックして説明まで終わらせた。

 最初から全部説明すればそのほうが早いのだろうが、彼女は必ず一度先に自分で解かせる方針だった。


「はい。お疲れさまでした。……この調子だと、期末テスト結構いけるんじゃない?」

「だといいんだけど……」

「そうじゃないと、私が毎日見てあげてる意味がないんだから、頑張ってよね」


 美雪は腰に手を当てて、口を尖らせる。


「ああ、美雪の顔を潰さないように頑張るよ」

「うんうん」


 満足そうに頷くと、美雪は「んんー」と胸を反らしてストレッチすると、いつものように彼のベッドにすとんと座った。


「それじゃ、このあとどうする? まだちょっと早い――ふわ……ぁ……」


 そう言いかけて、途中で大きな欠伸をしながら、美雪は眼鏡を少し持ち上げて目を擦った。


「美雪って最近寝不足なんじゃないか? しばらく寝てても良いんだぞ?」

「ん……そうかも。でも大丈夫だよ。慣れてるから……」

「毎日何時間くらい寝てるんだ?」

「んー、平均したら4時間くらい……かな?」

「昨日は?」

「……3時間」


 貴樹は呆れた。

 それだけしか寝てないのに、毎朝きっちり起きて、自分を起こしにきてくれていたのかと。


「おいおい。あと2時間は寝ないと体壊すぞ」

「大丈夫だって」

「駄目、命令。今すぐ寝ろ」

「むむむぅ……」


 不満そうに唸る美雪の額を指でつつきながら、貴樹が言う。


「……素直に寝るなら何かひとつ要望聞いてやるから」

「――!」


 それは美雪にとって魅力的な提案だった。

 彼女は首を傾げ、しばらく考えてからダメ元で答えた。


「じゃあさ……添い寝してよ。寒いもん。そしたら寝てあげる」

「いや……流石にそれは駄目じゃないか? ほら……その……」

「なに今更言ってんの。子供の頃から一緒に昼寝したりしてたでしょ。……聞いてくれなきゃ、寝ないもん」


 全く異性として意識してない素振りで、あっけらかんと言う美雪だが、もちろん内心は心臓がはち切れそうになっていた。


「……わ、わかったよ」


 美雪の体調が心配だった貴樹は、それで素直になるならと、折れることにした。


 ◆


(あったかい……)


 仰向けに寝転がる貴樹のすぐ隣。彼の方に体を向けて横向きになって、ぼんやり彼の横顔を眺めていた。

 眼鏡を外しているから少しぼやけているけど、この近さなら十分見える。

 彼が希望を聞いてくれるか半々くらいに思っていたけれど、まるで恋人同士のような、同じ布団に並んでいるシチュエーションに美雪は胸が高鳴る。


(貴樹も起きてるよね……)


 たぶん、目は閉じているけれど、自分と同じように彼も起きているだろう。

 本心では、このまま思いっきり抱きつきたい。

 でもこれ以上近づくのは怖くて、どうしても手が出せなかった。


(我慢……我慢……がま……ん……)


 そう思っているうちに、慢性的な寝不足に加えて、彼の温もりが気持ちよくて、美雪はあっという間に眠りに落ちてしまっていた。


 ◆


 美雪が目を閉じて「すーすー」と寝息を立て始めたのを聞いて、目を開けた貴樹はちらっと彼女の方を見た。

 ほんの数十センチのところに、メイド服姿のとびきりの美少女が無防備に寝ている様子を。


(よっぽど寝不足だったんだな……)


 彼女からの要望とはいえ、本当にこれで良かったのかと悩むが、美雪がぐっすりと寝ていることに安堵する。

 そのとき――。


「うみゅぅ……」


 突然寝言を呟きながら、美雪が体を捩った。

 そのことに焦って慌てて目を閉じる。

 しかし、問題はそのあとだった。

 あろうことか、無意識に温もりを求めた美雪が、がばっと貴樹に抱きついてきたのだ。


「……んっふふふ……」


 彼の体を抱き枕のようにしっかりと抱いて、肩に頬を擦り付けてくる。


(おいおいおい……)


 それが柔らかくて、温かくて。

 貴樹はぴくりとも動けないまま、生殺しのような状況で時間が経つのをひたすら耐えた。

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