第9話 よくわかってるじゃない
もじもじする美雪の様子に貴樹は面食らった。
てっきり、即答で「バカじゃないの?」とでも言われると思っていたのに。
「そ、そうか。……とりあえず顔を洗ってくるわ」
貴樹は美雪の横をすり抜けて、部屋を出ていく。
それを黙って見届けた美雪は「ふぅ……」小さく息を吐いた。
彼がどう受け取ったのかと考えると、まだ胸がドキドキする。
(でも……。ちょっとは気持ち、伝わったかな……?)
もしそうなら、小さくても一歩前進したと思おう。
美雪は前向きに考えると、ひとつ頷いて、まだ彼の温もりが残っている布団にするりと潜り込む。
「んふふ……」
そして、顔半分が隠れるくらいまで布団をかぶる。
寝不足の美雪にはそれが気持ちよくて。
――あっという間に眠りに落ちていた。
「……また寝てやがる」
目から上だけを出してすっぽり布団に入った美雪は、声をかけても全く起きる気配がない。
眼鏡もそのままだ。
「ま、いいか」
あえて今すぐ起こすこともないかと思い、彼女の眼鏡をそっと外して枕元に置く。
(ここしばらく、素顔見たことなかったな……)
美雪は小学校の頃からずっと眼鏡をかけていた。
外しているのを見るのは、プールの授業の時くらいだけれど、もちろん近くでじっくり見ることなんてない。
だから、これほど間近で見るのはもしかして初めてかもしれない。
(宿題でもやっとくか……)
しばらく様子を見たあと、先に月曜提出の課題を済ませることにした。
美雪が目を覚ましたのは、きっかり2時間後だった。
「……ん……」
美雪は一度もぞっと寝返りを打って横に向く。
そのときの声に気づいて貴樹が彼女を見ていると、その目がうっすらと開いた。
「……めがね……どこ……?」
か細い声で呟く美雪。貴樹は枕元の眼鏡を手に取って、目の前に置いた。
「ほら、眼鏡」
「あ……貴樹、ありがとう……」
少し頭を浮かせて眼鏡を掛けると、美雪はまだぼーっとした顔で彼の方を眺めていた。
「……ごめん。最近疲れてて……」
「先に宿題終わらせるから、好きに寝てていいぜ」
「うん……。偉いね……」
それだけ言うと、美雪は再びそのまま目を閉じた。
さらに1時間。
貴樹が宿題を終わらせて背伸びをした。
時計を見ると11時前。8時ごろに美雪が家に来てから、もう3時間近く経つ。
まだ寝ている美雪の様子を見ようと、振り返った。
「…………あ」
布団にくるまったまま、貴樹の背中をじっと見ていた美雪と目が合うと、彼女が小さな声を上げる。
「なんだ、起きてたのかよ」
「うん……。ついさっき」
「生活リズムがーって言ってた割に、豪快に朝寝かよ」
貴樹がからかうと、美雪は頬を膨らませた。
「私は貴樹と違って忙しいの」
「そっか。無理すんなよ」
「うん。……もし私が体調崩したら、貴樹は看病してくれる……?」
美雪がぼそっと聞くと、呆れた声で貴樹は答えた。
「そりゃ、な。でもここしばらくで風邪引いたことなんてあったか?」
「……ない」
「だろ? ……そろそろ行くか?」
貴樹に促され、美雪は渋々布団から這い出して、ちょこんとベッド脇に座り直した。
「お待たせしましたっ」
よく寝たからか、美雪はすっきりとした笑顔を見せる。
私服の彼女はゆったりしたベージュのセーターに、紺色のプリーツスカート。それに濃い色のタイツ姿だ。
貴樹の方はと言うと、グレーのフリースにジーンズと、ラフな格好。
「じゃ、行こうか」
「うん」
貴樹がジャケットを羽織ると、美雪もいつものブラウンのダッフルコートを着込んで、家を出た。
「メイド喫茶に行こうとか、よく思ったな?」
歩きながら貴樹が聞く。
「亜希ちゃんにチケット貰ったし。……それに何事も勉強だから」
「勉強?」
貴樹が聞き返すと、美雪は慌てて手を振った。
「あっ、それはこっちの話っ! あはは……」
「そっか。ま、良いけど」
並んで駅前に向かう。
この道はいつも通学で歩くから、もう慣れたものだ。
貴樹がちらっと横の美雪に目を遣ると、それに気付いたのか、彼女は首を傾げて笑顔を返す。
(今日は妙に機嫌良いな。まだ一度も小言言われてないぞ……?)
そのことに違和感を覚えた。
いつも顔を合わせるとすぐに何か言われるのに、朝からまだ一度もそんな素振りがない。
よほど機嫌がいいのだろうか。
「……あのね、明日も予定空いてる?」
唐突に美雪が聞く。
それも珍しいことだ。
「あのなぁ。俺に予定があってもなくても、結局付き合わされるんだろ?」
「むぅ……。よくわかってるじゃない」
「もう何年付き合わされてると思ってんだよ」
貴樹が呆れて聞くと、美雪は少し考えて答えた。
「……20年くらい?」
「おいおいおい、それ俺たちまだ産まれてねえって」
「じゃ、30年くらいかな?」
「……増えてどうするよ」
美雪の冗談に、呆れた貴樹は冷静に突っ込む。
「あはは、まぁ15年くらいだよね。……覚えてないけど、生まれたときからだから」
「こんだけ腐れ縁ってのも珍しいよなぁ」
同い年で隣同士。
まだハイハイもできない頃から、並んで昼寝している写真も見たことがあった。
それに0歳児の保育園から同じところに通っているのだ。
日中はほぼ顔を合わせていたことになるから、ふたりが一緒に過ごした時間は、自分の両親と過ごした時間よりも長いくらいかもしれない。
(でも、それだけ一緒に居ても、私の気持ちは伝わってない……)
それが自分の言動のせいだということはわかっている。それでも、彼にはわかって欲しかった。
「――で、明日何するんだ?」
「あっ、ごめん。……明日買い物に付き合って欲しいなって」
「まぁ良いけど。なに買うんだ?」
「お菓子の材料と、冬物の服かな」
「へーい」
そんな話をしているうちに駅前に着いた。
「じゃ、入るけど良いか?」
「――うん」
彼の先導で、美雪は少し緊張しながら、初めてのメイド喫茶に足を踏み入れた。
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