王者誕生
@pip-erekiban
第一話 義村慈愛を以て亀王丸を養育す
「その手でよろしゅうございますな?
自らが若公と呼ぶ対戦相手に意地悪く念を押すその男もまた、傍から見れば「若公」と称するに相応しい、あふれんばかりの若さと気品を湛えて見える。
それにしても言葉だけなら、勝ちを確信した上での意地の悪い念押しにも聞こえるが、対局相手を見詰める眼差しはあたかも年の離れた弟を見守る優しい兄貴そのものであった。
若公と呼ばれた六、七歳にも見える少年は、幼いながらに腕を組み、うんうん唸りながら盤面を睨むばかりである。
「駄目か、義村」
窮した末の一手を指して、若公がおそるおそる義村に訊ねる。
「ははは、ご冗談を」
義村と呼ばれた二十すぎにも見える青年、哄笑紛れに
「いくさ場で次の一手を教えてくれる敵将などよもやおりますまい」
--御自身でようくお考えなされ。
そう躱すと、白く透き通った若公の頬がたちまち
「それはそうだが……!」
将棋など所詮遊びではないか。意地の悪いことを言うな--。
若公の抗議に接した義村が、にわかに真顔に戻って答えた。
「よろしいか若公。若公は庶流とは申せ、かの普広院殿(足利義教)の流れを汲む御血筋。時宜を得さえすれば公方様にも昇らねばならぬ御身でいらっしゃいます。公方様と申せば武家の棟梁。
いかさま、将棋など所詮遊びに過ぎませぬ。負けたからとて首を獲られることも知行を逐われることもござらぬ。
されど先の先を読んで駒を縦横に操るは兵法に通ずるところこれあり。ゆえに古来帝王は、みな幼きころより将棋に親しんできたのでございます。公方様にも昇らんとする御身なればこそ、遊び事とは申せ若公のために無駄にならぬと考え指すのです。
そうと分かれば続きと参りましょうぞ。さぁどうだ!」
パチン! と指した義村の一手が、若公ーー足利亀王丸をいよいよ追い詰めた。王手である。
「あ、ああ……」
「詰みましたな。
思うに若公の将棋は王が前に出すぎです。得物を手に敵と渡り合うのは歩兵や香車の役割。王が担うのは全軍を後ろから押さえて采配する御大将の役割でござる。それがいたずらに前へと出張ってなんとなさる。
公方様の御心構えにも通じましょうぞ。如何」
「むむむ……もう一丁!」
よほど悔しかったのか、更にもう一局望んだ亀王丸だったが、
「お戯れを。若公には他にもやらねばならぬことが山ほどござる。将棋はこれまで。午後からは剣術指南でございますぞ」
「げげっ! 剣術ぅ!?」
剣術指南と聞いてたちまち青ざめる亀王丸の、ころころと変わる少年らしい素直な表情に、義村の顔も思わずほころんだ。
前将軍足利義澄が、生まれたばかりの亀王丸を抱えながら、ここ播磨
水茎岡山城に落ち着いた義澄主従だったが、ここでにわかに立ち上がったのが、頼ったはずの六角高頼が実は義稙に通じているのではないかという疑惑であった。
「かの鹿苑院殿(足利義満)が播磨にて赤松則祐の養育を受けた佳例にのっとり、亀王丸を赤松家に託すこととする。八幡大菩薩の御加護を得て、この子が将来将軍に昇るようなことがあれば、股肱としてよく支えてやってくれ」
六角の裏切りを恐れて、ひそかに播磨に下向した前将軍義澄より亀王丸養育の命を拝受したあのときの感動は、義村のなかで少しも色褪せてはいなかった。義澄は赤松の忠節を信じて亀王丸を託したのである。
赤松といえば嘉吉元年(一四四一)、侍所頭人の重職を担う四職家のひとつでありながら、時の将軍義教を弑逆した不忠の代名詞のような家であった。それが長禄二年(一四五八)に御家再興を認められてから、播磨を回復するまでの苦心惨憺を幼少のころより聞かされてきた義村なればこそ、将軍後嗣ともなり得る男児を預かった感慨もひとしおだったことだろう。
武家の面目これに優るところが他にあろうかと。
しかし水を差すようだが、当時の義村は赤松家当主の地位を約束されていたとはいえ、依然なんの実権も持たない十九歳の若者にすぎなかった。義澄が頼ったのは、義村というよりはその義母
彼女は赤松家前当主政則の未亡人であり、かつ今は亡き細川京兆家当主政元の姉であった。亡夫政則との間には娘(小めし)がひとりあっただけで男児に恵まれなかったことから、小めしの婿として赤松七條家より義村を養子に迎えたのである。
細川政元といえば、明応の政変で
政則亡きあと赤松の舵取りを担った洞松院は、あの有名な今川
そのことを赤松家の栄誉として誇る義村は、剣術指南と聞いてあからさまに顔を
「そのように嫌な顔をなされますな。剣術もまた武門の棟梁に必須の素養。
それに稽古を終えたあとは、この義村が若公に馳走するところがございます。稽古がきつければきついほど、あとの愉しみも大きくなろうというもの」
亀王丸を若公と敬い、自らの手で次なる室町殿に推戴せんと志す義村には、体力差にモノをいわせて幼い亀王丸をいたぶろうなどという心持ちはひとかけらもない。気の乗らない亀王丸をなだめおだてながら、その白く華奢な手に木刀を握らせる義村なのであった。
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