人嫌いのはずの素数令息がグイグイ押してくるんですけど

アソビのココロ

第1話

 ――――――――――商家の娘エイプリル・ファイン視点。


 あたしはツイている。

 何がツイているって、今年から平民の王立学院入学が試験的に認められたのだ。

 かつ、厳しい競争率だったはずだけど、あたしも入学できた。

 これをラッキーと言わずして何と言おう。

 あたしはやるぞお!


『お父様、あたしはファイン商会のために最高の人脈を築いてみせます!』

『えっ? ああ、まあ適当にな』


 お父様は消極的だった。

 多分あたしがやらかすと、お貴族様の信用を失ってえらいことになるからだろう。

 だからと言って、せっかくのチャンスにあたしが消極的になる理由はなかった。


『エイプリル・ファインと申します。平民ですがよろしくお願いいたします』


 入学後の自己紹介。

 好奇の視線には晒されたが、特に身分を笠に着て意地悪されることはないようだ。

 うん、校内において身分を理由に罰せられることはない、という院則は信用していいみたい。


 あたしがファイン商会の娘ということは知られていたのか、話しかけてくださった令嬢がいた。

 嬉しいなあ。

 商品知識だけはあるから、それを話題に徐々に交友関係が広がっていく。


 交流は重要だけど、よくよく注意しておかなければな。

 他人様の婚約者に不用意に近付くことはマナー違反だ。

 お父様もそういうことを心配してるんだろう。

 情報収集情報収集。


 勉強も楽しかった。

 学院の図書館は驚くほど充実しているのだ。

 本って貴重なものなのに、これがタダで閲覧できてしまうとは。

 あたしは商家の娘なので、『タダ』という言葉に弱い。

 自然と図書館にはよく足を運ぶことになる。


 図書館で一人の令息と知り合った。

 鋭い目元が秀麗なオールスミス侯爵家の嫡男ディジット様だ。 

 一学年上のディジット様は『幻の令息』と呼ばれていることを後で知った。


『座学で不動の一位の成績を収めていらっしゃる大天才とお伺いしましたわ』

『あまり他者との交流を望んでいらっしゃらないようなのよ』

『年上ですし身分の高い方ですし、近寄りがたい方ですわね』


 大体評判はそんなところだった。

 侯爵令息で有名人なのにあまり情報がない。

 気難しい方なのでは、という噂が先行していた。


 あたしがディジット様にお声がけしたのは、いつもお一人なので親しい女性はいらっしゃらないだろうと判断したからだ。

 ハンサムで素敵な令息なのになあ。

 年上とか身分とか気難しいという噂とか、そんなことを気にしていては人脈は広げられない。

 学院を卒業してからではそうそう知り合う機会もない『幻の令息』なのだから。


 ディジット様は最初会った時こそ何か難しい謎かけのようなことを仰っていたが、その後は図書館で会うたびにお話したり勉強を教えてもらったりしている。

 一度頼まれて学友の御令嬢を連れて行った時には、どうもディジット様の反応がよろしくなかった。

 ディジット様の了解も得ずに余計なことをしてしまったからのようだ。


 また連れて行った令嬢の方も後で首を振っていたので、それからはあたし一人の時だけディジット様に話しかけるようにした。

 学院一の大天才に一対一で教えてもらえるとは、あたしは幸せだ。


          ◇


 ――――――――――ディジット・オールスミス侯爵令息視点。


『僕は素数だ』


 あのクルクルと表情のよく変わる平民令嬢エイプリル・ファインに初めて会った時、言った言葉だ。


 僕がオールスミス侯爵家の跡取りということもあり、一人でいると令嬢に話しかけられることがある。

 どうもそうした煩わしいことは好きじゃない。

 侯爵家を継ぐ者としてよくないとは思うが、雑談している時間がムダに思えてしまうのだ。

 知の世界を満喫していた方が有意義ではないか?


 エイプリル嬢は愉快そうな顔をして問うてきた。


『まあ、それはどういう意味ですの?』

『素数は根源の数である一と自分自身でしか綺麗に割れない数だ』


 余計な関わりを持ちたくないのだということは伝わったか?

 その程度すら理解できない者と話すのはバカバカしい。

 しかし彼女は言った。


『孤独な数ですのね』

『否定はしないよ』

『ディジット様はいつまでも素数ではいられないのでしょう?』

『……どういう意味だい?』

『人生は何かを得たり、失ったりすることと無縁ではいられませんから』


 衝撃だった、その通りだ。

 僕だって様々なことを経験する。

 いつまでも数直線上の一点に留まり、素数のままでいられるわけもなかった。

 僕は前進せねばならない。

 年下の令嬢に指摘されるとは……。


 平民は視点が違うのか?

 いや、王立学院入学を試験的に認められた平民が、平凡なはずがないではないか。

 エイプリル・ファインが優秀なのだ。

 出会いの日以来、僕はエイプリル嬢に注目するようになった。


 調べさせたらエイプリル嬢の交友関係はやたらと広い。

 積極的に広げているというべきか。

 おそらく実家である商家の意向もあるのだろうな。

 他者との交流は僕に一番足りていない部分だ。

 素直に尊敬する。


 そして成績もいい。

 基礎はともかく、平民が専門的な学問を修める機会などないと思うのだが。

 ああ、だから熱心に図書館に通うのか。

 貪欲に人脈と知識を得ようとする姿勢が素晴らしい。

 知識はともかく、人脈に対しては見習わねばならん。

 僕はエイプリル嬢に惹かれていった。


 ある日エイプリル嬢は一人の令嬢を伴ってきた。

 その令嬢の僕をチラチラ見る目には覚えがあった。

 オールスミス侯爵家の嫡男たる僕を紹介しろと言われて、エイプリル嬢は断れなかったのだろう。

 仕方のないことだ。


 ここでふと疑問に思った。

 エイプリル嬢は、僕個人には興味がないのだろうか?

 だから他の令嬢を連れてきたのか?

 ギクシャクした一日になってしまったのは反省材料だ。


 以降、エイプリル嬢が他の令嬢を連れてくることはなかったが、この一件は僕を悩ませることになった。

 何せ今まで僕に近付いてくる令嬢は、将来の侯爵夫人の座を狙ってる者しかいなかったから。


 エイプリル嬢がオールスミス侯爵家との人脈を重視したいのは間違いない。

 しかし僕の婚約者になろうという気はないようだ。

 今までそういう令嬢に会ったことがないから困惑した。

 何故だ?

 玉の輿は令嬢の憧れだろうし、商人の娘なら利益を追求して当然ではないのか?

 思い余って父上に相談した。


『ほう、ディジットも家を継ぐ覚悟ができたということか』

『ええ、まあ』


 そうだ、エイプリル嬢を得たいということは、僕自身が一歩前に踏み出すことに繋がる。

 素数だ何だと言ってる場合じゃないのだ。


『最も必要なことに背を向けたままでいると心配していたのだぞ。そなたは勉強ができるだけのバカかと思っていた』

『御心配をおかけしました』

『ハハッ、で、ディジットが興味を持つ令嬢とは?』

『去年から平民の王立学院入学が部分的に解禁されたことは、父上も御存じかと思いますが』

『ああ、エイプリル嬢か。ファイン商会の』


 正直驚いた。

 父上は去年と今年の平民入学生を全員チェックしているのか?

 あるいは僕を見張らせていたのだろうか?


『平民なのに出来がいい。積極的な姿勢は貴族の子弟にも良き影響があるだろうと、社交界でも話題になっておるのだ』

『知りませんでした』

『まあディジットが興味を持つほどの平民令嬢ならば、注目されるのも当然だな。で、そのエイプリル嬢が?』


 僕は彼女を婚約者としたい。

 でもどうやらエイプリル嬢は僕に執着がないようなのだ。

 決まった相手はいないようなのにどういうことだろう。

 父上が面白そうだ。

 僕は面白くないのだが。


『ふむ、ディジットは人間相手の経験が足りておらんな』

『はい、今になって強く思います』

『殊勝だな。まあいい。人間には得意不得意がある』

『は』

『エイプリル嬢がディジットに靡かないというのは、いくつか理由が考えられる』

『そ、それは?』


 特定の相手がいない方が交友関係を広げるのに都合がいいこと。

 そもそも高位貴族と結ばれる可能性を考慮していないこと。

 実家の商会に都合のいい相手を検討しているのではないかということ。

 言われてみればなるほどだ。

 何故気付かなかったか。

 人間関係の経験が足りてないことをまざまざと実感する


『実家の都合なら、エイプリル嬢に決定権がないのかもしれぬな』

『ファイン商会の後継ぎはしっかりしていますから、エイプリル嬢が婚姻に関してそううるさいことは言われていないはずなのですが』

『ハハッ、よく調べてあるではないか』

『どうにかならないでしょうか?』

『ほう、本気か? 俺は反対しないが、婚約者とするならば普通の令嬢の方が楽だぞ?』


 これは理解できる。

 侯爵家嫡男たる僕が、平民を婚約者に迎えるなんて異例のことだから。

 僕だけでなく、エイプリル嬢も口さがない連中に色々言われるだろう。

 素直に祝福されるとは思いがたい。

 それでも……。


『……僕はエイプリル嬢がいいです!』

『それだ』

『は?』

『常々ディジットには情熱が足らんと思っていたのだ。侯爵家の身分にそなたの顔の造作と頭脳、さらに情熱が加わって、令嬢を落とせないなどと言うことがあろうか』

『……頭脳が関係ありますか?』

『鈍いやつだな。エイプリル嬢にとってのメリットを並べ立てろ。逃げられない状況を作れ』


 なるほど。

 そして情熱をぶつける、か。

 頭の使いどころは学問だけではない。


『やってみます』


 僕は速やかに状況を整えた。


          ◇


 ――――――――――エイプリル視点。


「ここだ」

「大きいお屋敷ですねえ」


 オールスミス侯爵家の王都タウンハウスに招待された。

 何でもディジット様の父である侯爵様があたしに会ってみたいらしくて。


「社交界であたしが話題になっているということは知りませんでした」

「僕も父に聞くまで知らなかったんだ。ただ言われてみれば納得できるかなと」


 初の王立学院平民入学生の一人ですからね。

 珍しいということもあるのだろう。

 あたしとしてもオールスミス侯爵家の御当主と顔繫ぎができるなんて万々歳だ。

 ディジット様には感謝しかない。


「お帰りなさいませ」

「ああ。彼女がエイプリル・ファイン嬢だ」

「はい、お荷物をお預かりいたしましょう」

「お土産です。うちの商会傘下の菓子店で新発売するスイーツなんですよ」

「これはこれは。ありがとうございます」


 執事かな? 家令かな?

 値踏みするような視線を向けてくるが、ニコと笑顔だけ返しておいた。


「こちらだ」


 ディジット様にエスコートされて奥の間へ。


          ◇


「エイプリル嬢、僕の婚約者になってもらえまいか?」

「ええと?」


 おかしなことになった。

 侯爵様が話の種としてあたしに会ってみたいというのではなかったのか?

 何故あたしはディジット様に口説かれているんだろう?

 侯爵様がニヤニヤしているところを見ると満更冗談でもないんだろうが。


「僕は本気だ!」


 いつもの冷静なディジット様に似合わぬ、直情的な物言いに思える。

 本当にどうしたのかな?

 大体平民のあたしがオールスミス侯爵家の後継ぎであろうディジット様の婚約者なんて、誰が許すというのだ。

 それを理由にディジット様が勘当されることだってあり得る。

 ここは無難に……。


「では、父と相談してお返事させていただきます」

「ハハハ、さすがエイプリル嬢は迂闊に食い付かんな。ディジットの今後まで考えてくれたんだろう?」

「恐れ入ります」


 侯爵様が笑うけど、何がさすがなんだかわからない。


「ディジットは普通の令嬢には興味を持てないようでね。結論から言うと、俺はエイプリル嬢がディジットの婚約者で全然構わない」

「えっ?」

「むしろありがたいくらいだな。ああ、ディジットがエイプリル嬢にプレゼンしたいようだ。聞いてやってくれるか」

「はい」


 どうやら侯爵様には通っている話のようだ。

 ディジット様の独断でも思い付きでもない。

 ならばプレゼンとやらを聞こうではないか。


「『僕は素数だ』って言ったのを覚えているかい?」

「はい、図書館で初めてお会いした時でしたね。とても印象的な言葉だったのでよく覚えております」

「あの後君に『いつまでも素数ではいられない』と返されて、エイプリル嬢の言う通りだと思ったんだ。僕は内にこもり過ぎていた」

「ディジットには視野の狭いところがあってね。それを気付かせてくれたエイプリル嬢には感謝している」


 何やらあたしが評価されているようだ。

 嬉しいけれども。


「僕に近付いてくる令嬢は、要するに侯爵家の嫡男ということに魅力があるんだ」

「あたしも同じなんですが」

「しかしエイプリル嬢は、もし僕がオールスミス侯爵家と無関係でも話しかけてくれたろう?」

「もちろんですとも」


 人脈に期待できなくても、ディジット様が大天才であることには変わりないから。

 勉強を見てもらって大変感謝しているのだ。


「エイプリル嬢のように賢く可愛らしい令嬢は好ましい。加えて僕に足りない社交の部分を補ってくれるんじゃないかという思惑がある。僕がエイプリル嬢を婚約者に迎えたい理由だ」


 交友関係は目一杯広げているからね。

 もっともな理由ではある。

 ディジット様のお気持ちはわかった。

 ディジット様ほどの美形に、可愛らしいって面と向かって言われると照れる。


「オールスミス侯爵家は商業にあまり強くなくてね。信頼できる商会を入れたいという事情もあるんだ」

「エイプリル嬢やファイン商会にとっても悪い話じゃないと思う。オールスミス侯爵家と縁戚ということになれば、高位貴族からの引き合いは増えるはず。人脈の形成にも有利だろう?」

「はい、よくわかりました。よろしくお願いいたします」


 ここまであたしを評価してくれ、遥か身分が上の方なのにも拘わらず、命令せずにあたしの意向を優先してくださる。

 キュンとくるわ。


「や、やった。ありがとう、エイプリル嬢!」

「きゃっ!」


 抱きしめられたからビックリした。


「す、すまない」

「ハハッ、ディジットは気が早いな。エイプリル嬢の父君にも了解を得ねばならんぞ」

「そうでした。気が逸ってしまって」

「い、いえ」


 ビックリしただけで、嫌ではないから。

 それにしても侯爵令息ディジット様があたしの婚約者かあ。

 人生ってわからない。


          ◇


 ディジットとエイプリルの婚約は概ね好意的に捉えられた。

 エイプリルが嫉妬されるということは特になく、むしろ誰の手にも負えなかった偏屈な令息をよく手懐けたと、その人心掌握術が評価されたのだった。


「素数、か」


 学院の図書館でディジットは呟く。


「あら、何ですか?」

「いや、君と初めて会った時のことを思い出したのさ。僕も若かったなと思ってさ」


 ディジットが『僕は素数だ』というセリフを発してから、まだ一年ほどしか経っていないのだが。

 それでもディジットは以前に比べて大分当たりが柔らかくなったと評判だった。

 エイプリルが言う。


「素数っていいじゃないですか」

「えっ?」

「正の数なんですよ」


 ディジットは首をかしげる。

 確かに素数は全て正の数だ。

 マイナス面を考えなくていい、という意味だろうか?

 エイプリルはいたずらっぽく笑った。


 エイプリルの交友関係は相変わらず広い。

 しかし多くの場合、エイプリルはオールスミス侯爵家嫡男のディジットを伴うようになっていたため、より歓迎されることが増えた。

 これはディジットの顔が広くなるという面でもいいことだった。


「エイプリル」


 ディジットがエイプリルを後ろから抱きしめた。

 コホン、とわざとらしい司書の咳払いが聞こえる。

 思わずエイプリルは笑ってしまった。

 図書館はそういう場所じゃないから、ね。

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