第4話 ガイジ系隠キャの幼少期!後編
俺が授業を受けだしたのは、小学校5年生の時だ。
俺は山に捨てられた。
理由は兄弟喧嘩か何かだったと思う、
何キロも離れた地元の温泉地の山に裸足で捨てられ
夏のアスファルトで足裏が焼ける痛みを感じながら歩いた、
途中痛さから、熱さの少ない砂道や泥道を通り、破けた足で家に帰った。
俺は恐れていた、親と将来を
母からも中学年の時、塾の駐車場で心中しようと言われ、
父からも山に連れていかれたり、当時友達がいなくて、特別支援級に入り浸っていた自分は「自立できないなら一生施設で暮らすことになるぞ」と脅された。
学校に行かないと、授業を受けないと、怒る親が怖くて俺は授業を受け始めた。
愛想尽かされたくなかった。
授業に参加した。当然、嫌われた。
当時成長期真っ只中で代謝が良かった俺は、フケが出て汚いと、フケ暮らしの〇〇エッティ(本名が入る)と言うあだ名がつけられた。
隣の席の奴からも嫌がられられ、
理科の授業では、俺が実験に参加するとフケが食塩やミョウバンに混ざるからやめろと言われたり
家庭科でも汚いと言われた。
心のノートみたいな時間に前の席の奴に筆記用具を貸してと言われて、そのまま取られたり
会うたびに靴を踏まれたりもした。
正直、この時俺は根本的に人と関わるのが苦手だった、人が多い環境で凄まじくイライラしたり、声を出そうと思っても、喉が閉められたみたいになって息が出来ず喋れない時があった。
当時、地域である体育祭みたいな連合体育大会と言うイベントや運動会の応援団など団体系がとにかく辛かった。
俺は協調性がなく、練習に遅刻したりミスしたりを繰り返しそのたび怒られた。
「お前のせいで負けるんだ!」、そうなるから体育が本当に嫌いだった、頑張ったって並以下で、絶対いつか復讐すると心に誓った。
そんな感じの嫌な時間が2年間続き、俺は中学へ行く事になった。
俺は、地獄のノートと言う名前の厨二病っぽい日記を昔つけていた、起こった嫌な出来事を記録するのである。
「隣の席の女にお前アスペ?って言われて嫌だった」「保健の先生にだけって話した内容が、親にも話されて嫌だった」「授業中寝てただけなのに、胸ぐらを掴まれて廊下に連れていかれて嫌だった」「早い段階で声変わりして、トイレのノックに答えたら、それを笑われて嫌だった」、汚い字でそんなことを書いた。
なんというか、普通に自分の幼少期を描くだけになってしまったが、
当然、昔の俺は中学校に行くのも不安で嫌だった
そしてそれは的中した。
続き→俺の中学校時代編
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