勇者の約束

林 稟音

勇者の約束

 昔々、人間と魔族が争っていた時のこと。魔王城の玉座に座り、ある男を待つ一人の魔族が居た。

 玉座の間の扉が開き、銀色の鎧を纏った金髪の青年が入って玉座へ歩みを進める。


「よくここまで来たね、勇者レン。」

嗚呼あゝ。約束通り倒しに来たぞ、魔王。」


 玉座の手前で立ち止まり、勇者は魔王を見据える。不思議な事に、追い詰められているはずの魔王は笑っており、敵の大将を追い込んだはずの勇者は逆に険しい表情を浮かべている。


 魔王は玉座から立ち上がり、目の前に魔法陣を描く。


「さぁ、始めようか。」


 世界の未来を決める戦いが、始まった。———


***


 時は遡り、十年前。勇者がまだ勇者でない、ただの十四歳の子供だった時のこと。

 少年・レンは妹のエルナとともに、家の近くにある森の中で人が倒れているのを見つけた。


 レンは倒れている当人に近づく。彼は黒髪で、身体はレンより背が高いが、顔はレンと年齢は大して変わらないくらいの少年に見えた。

 よく見ると胸が上下しており、呼吸があるのが確認できた。


「おい、大丈夫か!」


 身体を揺すって声をかけると、ローブに隠れていた指がピクリと動く。彼がゆっくりと目を開けると、レンは警戒心を持って一歩下がった。その少年の瞳は、人間とは思えないような黄金色だったからだ。


「あれ…君達は?」

「動くな。」


 レンは低い声で言い、非常用に持っていたナイフの刃を少年に向ける。それを見た少年は動じることなく、寝起きのようにふわ〜っとあくびしながら体を起こした。


「お前…魔族か?」


 魔族とは、この世界の少数種族。人間とは対極にあり、昔から続く長い戦争は未だ終わっていない。


 レンの問いに、少年はこくりと頷いた。


「そうだよ。」


 その言葉を聞いた瞬間、レンはその手で魔法陣を展開する。

 少年は目の前に浮かび上がる魔法陣を見て、目を見開いた。黄金色に輝く瞳が、レンの魔法陣を移す。


 パキンッ!


 次の瞬間、レンが描いた魔法陣が割れるように消失した。レンは何が起こったのか分からないまま、少年を見る。少年の目は少しばかり光を放っており、その瞳孔には黒い輪が浮かんでいた。


「何をした?」

「ごめんね。このままだと危ないと思って、思わず睨んじゃった。」

「睨んだ?」

「っ、…。」


 レンの質問に答える前に、少年は突如として顔をしかめ、片手で目を覆い隠して下を向いた。


「おい、どうした?」

「いや、急にを使ったから…。」

「は?」


 少年の返答に困惑するレンだったが、目を押さえたままうずくまってしまった彼を今度は心配し始めた。


「…大丈夫か?」

「うん…。このまま待っておけばそのうち治ると思う。」


 そうか、と呟いてレンが後ろを向くと、エルナが居ないことに気がついた。全く気がつかなかったレンは、辺りをきょろきょろと見渡す。


「女の子ならさっきどこかに走って行ったよ?」

「は⁉︎気づいてたなら早く言えよ!」

「ごめん…。でも僕、魔力見えるから、治ったら探すの手伝うよ。」

「へ?」


 レンは少年の言っていることが理解できず、さらに混乱する。普通、魔力の籠った魔法陣は目に見えるが、魔力そのものを見ることはできない。

 レンが自分の発言の意味を分かっていないことを察した少年は、さらに付け加える。


「僕の眼は特殊なんだ。魔力が見えるし、眼に映した魔法陣を瓦解させることもできる。」

「あ…。じゃあさっきのって…。」

「これで君の魔法を解除したんだ。あの粗い魔法陣じゃ、君の強い魔力に耐え切れないと思って。」

「粗い?」

「慌ててたから、魔法術式の描き方が雑だった。ただの人間なら多少は雑でも大丈夫だけど、君は魔力量が人並み外れてるから、あのまま発動してたら暴発してたよ?」


 淡々と説明する少年に、レンは驚きの目を向ける。

 警戒はすっかり忘れ、最初彼に向けていたナイフは下に向けられるどころか地面に落ちていた。


 すると今度は、遠くから速い足音が聞こえてくる。


「お待たせ!」

「エルナ!勝手に消えるなよ、心配したぞ?」

「ごめんなさい!」


 謝りながらエルナが持って来たのは、水に濡れた手拭いであった。


「冷やした方が良いかと思って、川の水で濡らして来たの。」


 エルナは少年が目を伏せる手をゆっくり剥がし、濡れた手拭いをピタッとつける。彼は突然感じた水の冷たさに驚き、わっ、と小さく声をあげた。


「どう?」

「…気持ちいい。」


 少年は瞼を冷やしながら、少しずつ目を開く。再び黄金色の瞳が姿を現すが、先程あった瞳孔の黒い輪は消えていた。


「ありがとう。でも君達、僕を助けて良かったの?僕、一応魔族なんだけど。」

「別に…。困ってたから助けただけだし。」

「説明になってないよ?」


 耳を赤くして言うレンに、少年はクスリと笑う。


「なっ…笑ってんじゃねーよ。」

「ふふっ…ごめん…。君達は優しいんだね。ひと月前に魔法を暴発させたとは思えないよ。」

「お前…なんで知ってるんだ?」


 驚きの目を向けるレンに、少年は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 確かにレンはひと月前、魔法の訓練中に暴発事故を起こしており、この辺りの木々を燃やし尽くしていた。


「その時くらいにはもうここに居たもの。僕がここで寝たのは、人が寄りつかなくなると思ったからだし。」

「寝てた?ここで?」

「うん。おかげでぐっすり眠れたよ。」

「ふーん。ていうか、何しに来たんだ?」

「魔族も人間も居ない場所を探してたら、ここに辿り着いただけだよ。」

「魔族も居ない場所?なんで?」

「僕、魔族から逃げてるから。」

「え?」


 少年の回答に、レンもエルナも首を傾げる。彼は魔族だというのに、仲間であるはずの魔族から逃げてるなんて、どういう状況なのか?

 その疑問を察した少年は、続けて話をした。


「この眼は、魔族の中でも特殊なんだ。そして危険だと判断したやからが、僕の眼を一千年以上封印していた。でも最近封印が解けたから、そのタイミングで逃げだしてここまで来たってわけ。」

「一千年⁉︎って、お前何歳だよ⁉︎」

「千七百歳くらい。」

「長っ。」


 魔族と人間では寿命が異なり、魔族は人間とは比べ物にならないほど長生きだ。レンも知ってはいたが、実際に見るのは初めてだった。


「じゃあ、人生の半分以上は封印されてたってことか?」

「眼だけね。って言っても、監禁されてたみたいけど。」

「じゃあ、ずっと何も見えなかったの?」

「そう。」


 レンもエルナも、少年の話に目を丸くする。人生の半分を監禁されて過ごすというのは、並の苦労ではないだろう。それに、彼等と少年では生きている長さが違う。一千年間何も目にせずに生きるというのがどんなものか、彼等には想像すらつかなかった。


「そんなに暗くならないで!もう今は解放されてるんだし。」


 少年は二人の空気が沈むのを感じて、慌てて言う。


「いや、ごめん。俺、さっきは何も知らないでナイフなんか向けて…。」

「それとこれとは関係無いよ。…魔族は人間の敵なんだし。」


 そう言って苦笑する少年に、レンは俯いて唇を噛む。


 この世界には、人間と魔族とで二分されている。魔族として生まれた者は魔族の社会で生き、人間は人間の社会で生きる。そして魔族と人間は相容あいいれない。

 でもそれなら、魔族でありながら他の魔族にも拒絶される彼は?生まれつきの理由で自由を奪われる彼は、一体どこでなら自由を許されるのだろう?


「えっ…どうしたの⁉︎」


 少年は目を丸くし、焦った様子でレンを見る。

 レン本人は気づいていないが、彼の目は涙で潤んでおり、そのうち溢れて頰を伝って流れていた。


「なんで…笑うんだよ。」

「え?」


 レンの問いに、少年は首を傾げる。その一方で、レンは顔を上げて少年を睨むように見た。


「悔しくねえの?」

「えっ…。」

「魔族には閉じ込められて、人間には敵視されて、悔しくねえの…?」


 少年は何も言えなかった。自分が生きてきた長い時間の中で、自分が仲間から疎まれるのも、魔族と人間が敵対していることも、共に当たり前のこととしか見ていなかったから。


 しかし、レンは悔しがっていた。少年が理不尽に自由を奪われること、それを本人が当然のように受けれていること、そして、自分が理由もなく魔族を敵視し、刃を向けたことが許せなかった。


「…君達って、本当に優しいんだね。」


 少年はずっと目頭に当てていた濡れ手拭いを外して、二人を見る。悔しがるレンの隣では、エルナも涙を浮かべている。


 ぽたり。乾いた地面を一滴の雫が濡らす。


 それが少年の涙なのか、手に持っている手拭いの水なのか、涙で視界を歪ませていたレンには分からなかった。




「俺、決めた。」


 一頻ひとしきり泣いたところで、レンは涙を拭って立ち上がった。まだ泣き止んでいなかったエルナと二人が泣き止むのを待っていた少年は、レンを見て共に首を傾げる。


「俺は強くなる。強くなって、魔族と人間が普通に友達になれる世界を創る。だからさ…。」


 自分を見上げる少年に、レンはその右手を差し出す。


「最初の魔族の友達になってくれないか?」


 差し伸べられたその手に、少年は大きく目を見開いた。


 人間と手を取り合う。そんな日が来るとは思っていなかった。生まれた時から疎まれた自分は、他人と関わることは無い。そもそも他人を目に映すのにもまだ慣れていない。してや相手は、敵対種族である人間。

 しかし、彼は長年で根付いているはずの常識すらも壊そうとしている。彼が伸ばす手は、世界を変える為の手だった。


「…初めての友人が人間になるだなんて思わなかったよ。」


 少年は、レンの手を前に呟く。彼はその手を見据え、何か思い切るように立ち上がった。


「僕も決めた。」


 そう言って彼は、レンの手を取る。


「君に魔法を教えてあげるよ。」

「魔法を?俺、別に魔法使えるけど…。」

「確かに、君の魔力は凄まじい。でも使い熟さないと、大切な人を守るどころか傷つけてしまうよ?」


 少年が向こうを指で指す。それは、ひと月前の暴発事故の所為せいで大きく抉れた地面だった。自分が作ってしまったそれに、レンは辛そうな表情を浮かべる。


「君が世界を変えるなら、僕はその手伝いをする。」


 その言葉を聞いて、レンは少年を見た。それと同時に少年の目が真っ直ぐにレンを見つめる。その黄金色の瞳には、レンの姿が綺麗に反射していた。


「よろしくね。」


 少年は、一度取ったレンの手をしっかりと握る。それに応えるように、レンも少年の手を握り締めた。


「俺はレン。お前は?」


 この時、初めて少年は自分の名前を尋ねられた。心を弾ませた彼は、嬉しそうに口許くちもとに笑みを浮かべる。


「…ユーリ、だよ。」


***


 この日からユーリはその森に棲みつき、毎日森に来るレンに魔法の基本を教えていた。レンはもともと大雑把な性格だが、事故以来魔法に関しては慎重だ。それもあってかレンの上達は非常に速く、ユーリはいつも感心していた。

 そしてあっという間に五年の月日が経ち、レンは十九歳になった。身長が伸びて体格も男らしくなり、昔は明らかに年上に見えたユーリとも、今は同い年に見える。


「ねぇ二人とも、そろそろ休憩にしたら?」


 レンより一歳下のエルナも十八になり、少しばかり幼さは残りながらも大人の女性へと成長していた。

 一方でユーリの見た目は大して変わっておらず、少し髪が伸びた程度だ。しかし物静かなのも変わらず、当たり前だが三人の中では最も大人びていた。


 だが身体が成長しても、三人が集まる時の光景は、五年間変わらなかった。ユーリがレンに魔法を教え、それを外からエルナが眺める。五年前、彼等が出会った時にできた、“当たり前の”形だった。


 その日もいつものように訓練と休憩を繰り返しながら、三人はのんびりとした時間を過ごす。その中でユーリが二人に一言尋ねた。


「今、どんな感じ?」


 その質問に、レンとエルナは同時に表情を強張らせる。それを見たユーリは、小さくため息を吐いてからにこりと笑みを浮かべた。


「いいから、教えて?」


 ユーリが尋ねたのは、現在の情勢。ユーリは気軽に森を出て街に出るようなことはできないため、外部の情報を得るには二人に尋ねるしかなかった。

 五年の間も戦争は終わらず、人間と魔族は敵対し続けている。レン達が望む世界への道は、ずっと暗いままだった。


「俺達の村は何も。ただ街から来る連中は、魔族排斥を色んな所で主張してる。うちの村は外からの情報に左右されやすいから、そのうち流されて魔族への敵意が強くなるかも。」

「無理もないね。そもそもこの戦いは僕も知らないうちからあるわけだし、レンには悪いけど円満解決は望めない。」

「つまり?」

「どちらかが負けるまで終わらないってこと。何をもって負けとするかは知らないけど。」


 いつからあるのかすら分からない人間と魔族の争いによって、今に至るまでにどれだけの血を流したことか。終わりが無く泥沼化した今となっては、この争いの平和的解決は絶望的になっている。


「レンの望む、人間と魔族が手を取り合う世界を創るには、まず戦争を終わらせなきゃならない。和解はその後だ。」

「だよな…。」


 希望の見えない状況はそれから変化する事なく、その陰は着々と三人の背後に忍び寄っていた。



 事件が起きたのは、数週間後のことだった。森に隠れ棲んでいたユーリが、一般の村人に目撃されたのである。森に潜む魔族の噂はあっという間に広がり、彼を知るレンとエルナは非常に焦った。

 当然ながら二人の親は二人が森へ行くことを禁じたが、何かがある前にと言いつけを破り、二人はまた森に入った。


「ユーリ!」


 レンが呼ぶと、何も無いはずの木陰からユーリの姿が浮かび上がった。人間に警戒して、魔法で姿を隠していたらしい。


「ユーリ…!大丈夫か⁉︎」

「ひとまずね。ただ、流石にここを離れないとまずいと思う。」

「…。」


 このまま森に居ては、いつユーリが狙われるか分からない。人間に出会でくわせば確実に攻撃されるだろう。要らぬ争いを生む前に去るべきだということは、レンもユーリも分かっている。


「…だから、これで君達と会うのは最後だ。」

「…おう。」

「ねぇ、レン。最後に一つ、約束してくれないかな?」


 そう言ったユーリはいつものように微笑んでいて。それでも、その微笑みが纏う空気がどことなく違うことは、鈍感なレンでも気がついた。


「…もし、僕が魔族の一人として人間を殺すようになったら…その時は、君が僕を倒してくれ。」


 ユーリの質問の意味が、レンには分からなかった。しかしレンが見たユーリの目は、見えないはずの未来が見えるのではないかと思うくらい、透き通っただった。


 有無を言わさぬかのような鋭い眼差しにレンが無言で頷くと、ユーリは安堵したように破顔した。


「ありがとう。じゃあ、行くね。」

「…嫌。」


 ユーリはその場を去ろうと二人に背を向ける。しかし、突然エルナがユーリに後ろから抱きついて、立ち去るのを阻んだ。


「エルナちゃん⁉︎」

「私も連れて行って。」

「え…。」


 ユーリには見えていないが、側で見ているレンは彼女が彼の背中で涙を流しているのが見えていた。


「ユーリくんが居なくなったら、私…。」


 その姿を見るレンも、彼女の心の叫びを聴くユーリも、エルナの気持ちに気づかざるを得なかった。


「…駄目だよ。危険すぎる。」

「ダメって言われても、私ついて行くから。」


 意志の堅いエルナに、ユーリはどうしたものかと悩む。レンはそんな妹の姿を見て、ある決心をした。


「…ユーリ、エルナを頼んだ。」

「えっ⁉︎何言ってるの⁉︎」


 思いもよらぬレンの発言に、ユーリは驚きの声をあげた。


「気づいたんだよ。俺が目指す世界って、こういう事なんだなって。」


 魔族と人間が、普通に友達になれる。それはつまり、魔族と人間がどういう形であれ結ばれるということ。妹の勇姿に、レンは自分の望む世界を重ねていた。


 ユーリはレンの言葉に、辛そうな表情で俯く。しかし、覚悟を決めたように顔を上げた。


「…僕から離れないでね。」

「…うん。じゃあね、お兄ちゃん。」


 ユーリが転移魔法の術式をその場に書いて魔力を込めると、二人はその場から消え、レンだけが残される。


 こうして、レンとユーリはそれぞれの道を歩み始めたのだった。



 レンの受難は、この後だった。

 レンが家へ戻ってエルナの事情を説明すると、彼等の母は酷く動揺し、パニックを起こした。その終いに出た結論は、「エルナは魔族に誘拐された」という思い込みだった。


 レンが否定すれども母は信じてくれず、その噂は村に広まり、魔族排斥の意を高めていった。そんなある日、街からある男が突然現れた。


「君に魔族を倒す力を与えよう。」


 そう告げた男は街の役人らしく、村の人間はすぐにその男を信頼した。その男は、縦長の箱をいつも背負っていた。


「さぁ、これに触れるんだ。」


 男が背負っていた箱を開けると、その中には一本の剣があった。つかが金色で高価そうな品だ。男に言われるがままに、レンはそれに手を触れた。


「……っ⁉︎」


 触れた瞬間に、雷に打たれたかのような衝撃が走った。体が急に熱を持ち、心臓が脈打つ音がはっきり聞こえる。一瞬息ができなくなる感覚を覚え、レンは声にならない声をあげた。


 この剣の正体は、聖剣。魔族を倒すために聖なる魔力を宿した剣だ。そして聖剣は、その強大な力に耐えられる者しか使えない。男の狙いは、魔力量がずば抜けていて聖剣の力に耐える可能性があるレンだったのだ。


 レンは聖剣の力の衝撃に苦しみながらも最終的に男の思惑通りに耐え抜き、聖なる魔力をその体に馴染ませた。そんな彼の前に、男はひざまずく。


「貴方のような存在を待っていました、勇者様。」

「勇、者…?」


 この時から彼は勇者と呼ばれ、人々の希望とされるようになる。しかしそれは、レンに降りかかる受難の始まりでもあった。


 聖剣に触れてから、レンは異常に強くなった。魔法陣の展開も速く、ただでさえ強かった威力も増した。

 聖剣や聖魔法には魔族を嫌う性質がある。通常、魔族は傷を負ってもすぐに回復してしまうが、それらによる傷は回復不可能となる。故に唯一それらを扱える勇者レンは、戦場に欠かせない存在となった。

 

 だがそれはつまり、レンの理想が遠ざかるということ。魔族と手を取りたかった筈の彼は、今その手で魔族を殺し続けている。己の所業を周りが喜ぶ中、本人だけはそれを冷めた目で見ていた。



 そんな血に濡れる日々を送って五年。とある魔族の情報がレンのもとへ飛び込んで来た。なんでも、今までバラバラだった魔族の中に、それを統べる者が現れたらしい。その者は魔力を操る眼で他の魔族を黙らせ、今は“魔王”と呼ばれているという。


 “魔力を操る眼”を持つ者。それが誰なのか、レンはよく知っている。もし魔王が彼の思う人物ならば、この先で何が起こるか。それを察せないほど馬鹿ではない。


「なんでだよ…っ。」


 誰にも見えない所で呟く。噛んだ下唇からは、血が流れていた。



———それから数ヶ月。数々の戦いを経て、勇者レンは魔王の城の玉座の前に立っていた。


 目の前に立つ魔王は予想通りの人物で、長くなった黒髪を束ね、その黄金色の瞳を輝かせている。魔王は勇者を見て、懐かしそうに微笑んだ。


「よくここまで来たね、勇者レン。」

嗚呼あゝ。約束を果たしに来たぞ、魔王。」


 勇者の言葉を聴いて、魔王は微笑みを浮かべたまま一つ頷く。



『…もし、僕が魔族の一人として人間を殺すようになったら…その時は、君が僕を倒してくれ。』



 別れの日に交わした、友人との約束。彼が魔王になったことを知った時から、レンはきたる日に備えて心の準備をしていた。

 しかしそれでも、簡単に受け容れられるものではなくて。数ヶ月の間には、魔王になった友人を恨むこともあった。


 しかし、実際に相手を目の前にした今、勇者は覚悟を決めた。だって、目の前の彼は笑っているのだから。皮肉ではない、余裕の笑みでもない、ただ純粋に自分を懐かしみ、再会を喜ぶような笑み。


 そうか、あいつはとっくに覚悟を決めてるのか。


 僅かに残る葛藤を払拭するように、勇者は深くため息を吐き、腰に挿していた剣を抜いた。

 それを見た魔王は、玉座から立ち上がる。


「さぁ、始めようか。」


 魔王が手をかざして魔法陣を描き、戦いの火蓋が切られた。


 魔法陣から火炎が飛び出し、それを聖剣が魔法陣ごと斬る。間髪を容れず勇者は斬りかかり、魔王はそれをかわしていく。かわしきれずに掠った所から血が流れるが、その一方で魔王も魔法の手を緩めることはない。

 こうして互角の攻防が続く中、両者は互いに傷を負いながらその戦闘に少年時代の光景を重ねていた。


 魔法の訓練の中で、たまに取り入れていた模擬戦。あの時は魔法のみの戦いだったが、そんな風に無邪気にやりあえた日々が、今は恋しい。

 ここは森ではなく、彼等は子どもでもない。幸せだった日常は、二度と戻らない。



 ずっと剣で応戦していた勇者が遂に魔法を展開し、青白い魔法術式が浮かびあがる。魔王は魔法陣を瓦解すべくその眼で見ると、瞳孔に青白い光が映った。


「…っ‼︎」


 魔王の眼に突然鋭い痛みが走り、彼は咄嗟に目を押さえる。

 勇者が使ったのは、魔族が宿す魔力を抑え込む聖魔法。その聖なる魔力にあてられて魔王の眼は激痛を催し、その場でよろめいた。


 魔王最大の強みにして、最大の弱点。十年前に出逢ったあの日から、勇者はその脆さを知っている。


 そしてこれは、またと無い好機。勇者はその銀色の剣を、魔王が怯んだ隙に刺そうと走った。



 剣を片手に向かうレン。その先には、今は魔王となったユーリが居る。しばらく眼を押さえていたユーリは、うっすらとその眼を開いてレンを確認すると、ふっ、と笑った。


 その笑みを見たレンは、その瞬間に全てを悟った。ユーリが魔王となって数ヶ月、なぜ彼がその道を選んだのかをレンはずっと考えていたが、結局答えは出ないままだった。


 しかし、ようやくその答えを見つけた時には、もう遅かった。レンがユーリの思惑から逃れることは、できなかったのである。



 ぐさっ。


 嫌な音が、静かな玉座の間に響く。そこには、聖剣の刃に胸を貫かれた魔王と、そのつかを握る勇者の姿があった。


「っ…ゴホッ…。」


 魔王の口から血が溢れ、大量の血液が床を濡らす。空気が抜けるような浅くて速い呼吸音が聞こえると思ったら、魔王は勇者の方に倒れながら膝を折った。



「ユーリ…!」


 レンは自分にもたれかかるユーリの肩を支えて呼びかける。ユーリは刺されてから一度目を閉じたが、レンの声に起こされてその目を少しだけ開いた。


「レン…ありがとう。…やくそくを、守ってくれて…。」

「お前…全部仕組んでたな?」

「ふふっ。…バレた?」

「…悔しいけど、さっき気づいた。」

「正直だなぁ。…そっか。じゃあ、僕の勝ち、だね…。」

「……そうだな。」


 ユーリが魔王になった理由。それは、レンの理想を叶える為。理想を叶える前には、この長い長い戦争をどうにかして終わらせるしかない。彼が考えた末に辿り着いた最適解は、人間と魔族のそれぞれを統率する者同士が戦うこと。どちらかが負ければ、終戦の口実になる。


『君が世界を変えるなら、僕はその手伝いをする。』


 ユーリはずっと、十年前の言葉を違えることは無かったのだ。


「…もっと他にやり用なかったのかよ?」

「…一番、手っ取り早いから、ね…。それに…君を魔族と戦わせ続けるのは、酷じゃないか…。戦うのは嫌いなくせに。…ゴホッ。」


 荒い呼吸を繰り返しながらも、ユーリは口角を上げる。レンが勇者になったと知った日から作り上げたシナリオは、遂に終わりを迎えようとしていた。


「レン…。」

「あっ、触るな!」


 手を伸ばそうとしたユーリを、レンは制す。魔族であるユーリが触れたら、聖なる魔力で火傷する。今のユーリにさらに痛い思いをさせたくはない。

 しかし、ユーリもそれは分かっている。


「…良いんだよ、最期だから。」


 ユーリはレンの首元に手をかけ、手が焼ける音を立てながら頭を引き寄せる。十分に抱擁する力は、もう残っていなかった。


「…ありがとう、僕と出逢ってくれて。…君が親友で、よかっ、た…。」


 最期の言葉は、微かなもので。それでもレンには、はっきりと聞き取れた。



 魔王の身体の力が抜け、そのままドサッ、と音を立てて横向きに倒れた。


 玉座の間に残されたのは、亡骸となった魔王と、その前に膝をつく勇者だった。勇者は魔王の名を口にしながら、その死相を前にぼろぼろと涙を溢す。



 こうして、魔族と人間の長い戦いは終わった。魔王が死に、統率がとれなくなった魔族は、反対に統率のとれた人間に敗北して北の果てへ追われた。

 戦争が終わってすぐ和解なんて、できるはずも無い。長い戦いによって生み出された人間と魔族の溝は深く、埋まるまでにどれだけの時間がかかることか。勇者の理想は、まだまだ遠い。



 勇者と魔王の戦いは、勇者の偉業として後世まで語り継がれることとなる。

 その一方で、その裏で何があったのかは、勇者以外誰も知らない。勇者の他の、もう一人の英雄の存在が知られることは無いまま、時は流れていくのだった。

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勇者の約束 林 稟音 @H-Rinne218mf

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