第10話 リアは酔っぱらいが嫌いです


 クレア様が自室で宿題を始めたことを確認してからホールに戻ると、テーブルの上には酒瓶が散らかっていました。

 酒瓶を散らかした犯人、だらしのない恰好で浴びるように酒を飲んでいるのは、シリウス様です。


「もうやだ、子育てムズカシイ」


「まだ二日目です。これからですよ」


 飲んだくれるシリウス様をマリー姉さんが慰めています。

 どうせなら慰めついでに酒瓶を取り上げてほしいところですが、シリウス様は魔法が使えるのであまり意味がありません。

 もしかすると、一度取り上げた酒瓶を魔法で奪い返された後かもしれません。


「シリウス様は、大きな失敗はしていないと思います。小さなものはちらほら散見されますが、許容の範囲内だとリアは思うのです」


「ほら、リアもそう言っているじゃありませんか」


 マリー姉さんはそう言いながら、自分の座っていた椅子にリアを座らせると、自分はそっとホールを出て行きました。

 リアを身代わりにして酔っぱらいから逃げたのです。

 マリー姉さんはこういうズルイことが上手です。

 リアも酔っぱらいの相手などしたくはありませんが、一人にするとシリウス様は何をしでかすか分からない方です。しばらく付き合うしかありません。


「お前も見たであろう。あの幼児が落ち込んでいるところを」


「ええと、はい」


 シリウス様は、クレア様のことを幼児扱いしています。

 クレア様は幼児と呼ぶにはだいぶ成長していますが、何百年も生きている死神の感覚で考えると、まだまだ幼児なのでしょう。


「クレア様は、いきなり知り合いが一人もいない城で暮らすことになったのです。ナイーブにもなります」


「そういう場合はどうすればいい。美味い食事を出しても、暗い顔をしているぞ」


「……少なくとも、食べている間は幸せそうにしていますよ」


 クレア様は毎回、とても美味しそうに料理を食べます。本当に食べることがお好きなのでしょう。

 リアも気持ちは分かります。

 シリウス様の作る料理は絶品なので、誰であってもあの料理を食べれば幸せな気分になるのです。


「なるほど。では幼児には常に食事をさせればいいのだな」


「ええと……常に?」


「まずは胃を拡張させる魔法を掛け、次から次に料理を運び……そうだ、寝ている間も食事が出来るように自動的に食事を口へと運ぶ魔法も掛けよう」


「それは一種の拷問だと思うのです」


 シリウス様は天才ですが、同時に馬鹿でもあると、リアは思います。


「それにしても。幼児はこの城で気を遣う必要などないだろうに」


 クレア様は、ときどき申し訳なさそうな顔をします。

 たとえば、ベッドから起きるとき。

 たとえば、食事を終えたとき。

 たとえば、シャワーを浴びるとき。

 ふとした瞬間に、後ろめたいかのような表情を見せるのです。


「自分から三食昼寝付きを所望しておきながら、いざ与えられると困惑するのは何故だ」


「……クレア様は、無償の愛を信じられないのでしょう。きっと無償で与えられる恩恵を受け取りがたいのです」


 家族からならまだしも、シリウス様はまったくの他人です。

 他人に与えられる無償の愛など、容易く信じられるものではありません。


「信じなくとも、ただ受け取ればいい」


「クレア様は自分で仰っているほど、厚かましくはないようです」


「厚顔無恥は人間の特性であろう?」


「そんなことはないと思います……たぶん」


 シリウス様は大きな溜息を吐くと、酒のなみなみと入ったグラスを一気に煽った。


「幼児に何を与えればこの城に馴染む?」


「…………時間、かと思います」


「時間か。なるほどな」


 納得したように頷いていたシリウス様でしたが、空になったグラスを片手に、突然立ち上がりました。


「分かったぞ。愛玩動物には首輪と玩具だ! それに遊びと散歩!」


 クレア様に必要なものは時間、で納得してくれたと思ったのですが、違ったようです。


「あとは友人となる者もいた方がいいだろう。よし、粘土を持ってくるか」


 嫌な予感がしたため、自室へ向かおうとするシリウス様の肩を持って再度椅子に座らせました。


「一応尋ねますが、何をなさるおつもりで?」


「粘土で幼児の友人を作るに決まっているだろう」


「友人はそのように作るものではありません」


 これだから酔っぱらいは困る、と思いましたが、シリウス様なら素面でもやりそうです。

 これだからシリウス様は困ります。


「粘土の友人を与えるくらいなら、リアがクレア様の友人になります」


「それはいい考えだ。リアなら、雨が降っても崩れない友人になれる」


 水をかけると粘土は崩れますからね……。

 友人が崩れたのでは、クレア様にトラウマを与えかねません。


「リアが友人になりますので、シリウス様は決して何もなさらないでください。決して、です!」


「そうか? では余は、首輪と玩具と遊びと散歩を準備するとしよう」


「リアの話は少しも耳に届いていないようですね」


 リアの溜息を無視して、シリウス様はご機嫌な様子で自室へと戻っていきました。

 現在のシリウス様は酔っぱらいのため明日まで憶えているかは不明ですが、とりあえず粘土の友人を顕現される危機は脱したようです。



   *   *   *



「クレア様、宿題は終わりましたか?」


 酔っぱらいの相手を終えたリアは、クレア様の部屋へと向かいました。


「終わった……はずです。正解しているかは分かりませんが」


「宿題は行なうことに意味があるのです」


 変な提案ばかりする困ったシリウス様と比べて、クレア様は素直で大変可愛らしいです。


「クレア様。ひとつお願いがあるのですが、いいですか?」


「私に出来ることなら何でもしますけど、そのお願いは私に協力できることですか?」


 クレア様は本当に素直で健気で可愛らしいです。

 どこかのシリウス様にも見習ってほしいものです。


「リアと友人になってくれませんか?」


「友人……友だちってことですか!?」


 クレア様は大層驚いたご様子で、自身の口を覆いました。


「リアさんが私の友だちになってくれるんですか?」


「はい。クレア様さえよろしければ」


「実は私、友だちが一人もいないんです。粘土を買ってもらえませんでしたから」


 …………あら。

 クレア様も友人を粘土で作るタイプの方だったのでしょうか。


「クレア様。友人は粘土で作るものではありませんよ?」


「ふふっ、リアさんったら私を騙そうとしてるんですね? こんなお茶目なところがあったなんて」


「ええと……そういうことにしておきます」


 もしかしてリアが知らなかっただけで、粘土で友人を作るのは一般的なことなのでしょうか。


「あの、それで、えっと」


 急にもじもじし始めたクレア様が、リアに向かって右手を伸ばしました。


「ぜひお友だちになってください!」


「喜んで」


 リアは差し出された右手を優しく握りました。

 クレア様の手は緊張のせいか、少し汗ばんでいました。


「リアのことは、リアさんではなくリアとお呼びください」


「いいんですか!? すごい。友だちみたい!」


「みたいではなく、クレア様とリアは友人になったのです」


「じゃあ私のことも、クレアって呼んでください」


「リアは使用人なので、それは出来ません」


 リアが難色を示すと、クレア様は口を開けたまま固まってしまいました。




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