第7話 願いを叶える対価


「クレア様、おはようございます」


 もしかして昨日の出来事はすべて夢で、目覚めた私はまた暗い倉庫の中にいるのではないか。

 そんな嫌な想像に支配されそうになった私を、リアさんの明るい声と、背中に当たる柔らかなベッドの感触が打ち消した。

 絶望の中にいた私を、城持ち超絶美形が助けてくれたという夢みたいな話は、夢ではない。


 その美形が死神なことは、ちょっぴり問題だが。


「おはようございます、リアさん」


「いい朝ですね。早速ですが、朝の支度を始めます」


 そう言ってリアさんは、持っていた一着のドレスを広げた。


「クレア様が昨日のドレスを苦手としていたようなので、シリウス様が違う形のドレスを用意してくれました」


 見せられた着心地の良さそうなドレスは、簡素ながらも可愛らしかった。

 イザベラなら一蹴しそうな緩めのシルエットだが、私にはとても魅力的に見える。


「クレア様、見惚れている場合ではありませんよ。朝は一分一秒の時間の余裕もありません。さあ早く顔を洗ってください」


 リアさんはテキパキと動き回り、みるみるうちに私の支度を完成させた。


「シリウス様がホールでお待ちです。こちらへ」


 促されるままホールに連れて来られた私を、椅子に座ったシリウス様が待っていた。朝日に照らされた銀髪がキラキラと輝いている。


「お、おはようございます」


「ああ」


 しかし輝く銀髪のシリウス様は、相変わらず顔色が悪かった。


 そういえば、吸血鬼は朝日が苦手だと言う。死神はどうなのだろう。

 朝に亡くなる人もいるだろうから、朝も動けないと死神業務に支障がありそうだが……それにしても目の前のシリウス様は昨日よりも顔色が悪い。


 私の困惑を悟ったリアさんが耳打ちをしてきた。


「シリウス様は、一晩中身体を締め付けないドレスのデザインを考えていて疲れているだけですよ」


 私たちの内緒話が聞こえたのか、すぐさまシリウス様が咳払いをした。


「今日は、昨日出来なかった今後についての話をしてもいいか」


「は、はい!」


「話を聞きさえすれば、食べながらで構わない」


 シリウス様はテーブルに並んだ朝食に目線を落とした。

 彼は昨日のディナーによって私のことを「料理を前にすると我慢の出来ない食いしん坊」だと認識したようだった。


 失礼な話だ。

 断じて私は食いしん坊ではない。

 いくらお腹が空いたからと言って、石のように固いパンを腹いっぱい食べたいとは思わない。ただ昨日のようなご馳走を目の前に出されたら誰だって食いついてしまう、それだけだ。だから今朝食に食いついてしまっているのも、そういう理由だ。


「…………やはり、食べ終ってから話そう」


 シリウス様が何かを言った気がしたが、私の全身の細胞は美味しい朝食の摂取に忙しかった。




「さて。そろそろ話をしてもいいか?」


「……ハッ!? 私ったらまた!?」


 また美味しいご飯に負けてしまった。

 だって朝食まであんなに美味しいとは思わなかったから。


 簡素なのにいくら食べても飽きの来ない味。

 胃にスッと入って来る優しい献立。

 それでいて見た目も美しく目にも美味しい。


「すみません。朝食が完璧すぎて、つい夢中になってしまいました」


 慌てて頭を下げてからシリウス様の目を見て話を聞く体勢を整えた。


「余はそなたの窮地を救った。その対価を要求したいのだが」


 来た。

 いくら使用人のカラスを助けたとはいえ、それだけで城に住まわせてご馳走を食べさせてくれるというのは、話が上手すぎる。


「私の魂を……差し出せばいいのでしょうか?」


 思い切って聞いてみることにした。

 だって死神と契約するとは、そういうものだと聞いたことがある。

 願いを叶える代償として、死神は魂を持って行ってしまうのだ。

 説によって、それが生きているうちか死んでからかの違いはあるが。


 しかし目の前のシリウス様は信じられない言葉を聞いたと言いたげな顔をしていた。


「そなたは助けてもらった礼に、余に面倒ごとを押し付けるつもりなのか?」


「面倒ごと?」


 シリウス様は長い溜息を吐いた。


「余が趣味で魂を奪っていると思うのか?」


「違うんですか?」


「仕事だからに決まっているだろう。つまりそなたが余に魂を差し出すということは、余に仕事を押し付けているも同じだ。恩を仇で返す行為である」


 そう……なるの?

 死神のルールはよく分からないが、魂を奪うのは魂を食べたいわけじゃなくて、仕事だからなの?

 仕事としてやらされているの?


「では、私は何をすればいいのでしょうか」


 死神のことはよく分からないが、魂がいらないなら、何が欲しいのだろう。

 私が差し出せるものなんて、魂くらいしかないのに。


「そなたは、この国の歴史を知っているか?」


「……分かりません」


「では、数学は出来るか?」


「……分かりません」


「文字は読めるか?」


「……分かりません」


 何を聞かれても分からないとしか答えられない自分が情けなくなってきた。

 一体私は何なら出来るのだろう。


「申し訳ございま」


「もういい。よく分かった」


 ピシャリと言われては黙るしかなかった。

 あまりにも役に立たない人間を城に迎え入れたと落胆されたのだろうか。

 早くも私に嫌気が差したのだろうか。


 しかしシリウス様は、私に出て行けとは言わなかった。


「余の求める対価は、この国の歴史や数学、言語が分からないのでは、理解できないだろう」


 シリウス様が淡々と告げた。


「掃除、洗濯、料理なら出来ます……とはいえ、あんなご馳走は作ったことがありませんが」


「どれも手が足りていると伝えただろう」


 そういえば前にも同じことを言われた気がする。

 確かにこれだけ広いお城を綺麗な状態で維持できているのだから、使用人は足りているのだろう。


「あの、私、今は何も出来ませんが、なんでもやりますので……」


「なんでも?」


「はい、私に出来ることなら、なんでも!」


「その言葉に二言は無いな?」


 シリウス様の射貫くような目を真正面から見てしまい、背中を冷や汗が流れたが、引き下がるわけにはいかない。

 役立たずだと捨てられては困るのだ。


「なんでもやります!」


 私の言葉に、シリウス様は口の端を上げた。


「では今日から勉学に励め。妥協は許さん」




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