暁のホザンナ
青柳ジュウゴ
プロローグ
――轟々と、風が唸る。
荒れ狂う風が耳を、髪を嬲っていく。
立ち昇る黒煙。舞上がる砂塵。
世界に満ちるのは吐き気を覚える程禍々しい力。
「アハハハハ!」
天を裂くように響く狂ったかのような高笑い。
永遠の朝焼けのように穏やかな光を放つ空に、漆黒六対の皮翼を広げた女が悠然と浮かぶ。こちらを見下ろす女の濡れたように艷やかな黒髪、血のように深い深紅の瞳。女を中心に蠢いているのは壮絶なまでの圧倒的霊力量だった。目に見えぬ筈のそれが、女を中心に渦となって吹き荒れ大気を震わせている。
「遅かったなぁメタトロン! お前の飼い犬どもは遊びにもならなかったぞ!」
嘲笑うかのように女は笑う、嗤う。
破壊の限りを尽くされた神殿には折れた剣が墓標のように突き刺さっていた。崩れ落ちた瓦礫の下には折り重なるようにして横たわる天使達の躯。引き裂かれた肉体、周囲を染め上げる夥しい量の赤。血と灰に染まった空間に佇んでいるのはただ一人、この場にはあまりにも不釣り合いな闇色。
ぎちりと唇を噛みしめる。
「貴女が、魔王ルーシェル……」
その名を、確信と共に呟く。
地の底の底、天より堕とされた果てない闇の住人。魔界を統べる悪魔どもの王。
その手には女よりも長大な大鎌が握られていた。吸い込まれそうな程深い漆黒の刀身は血に塗れている。
この穢れなき天界に突如として現れた異端。
長い黒髪を荒れ狂う風に嬲らせたまま、女悪魔は薄笑いを浮かべている。
異変に気付き駆けつけた時には既に神の栄光と平穏の楽園は蹂躙され、静謐なまどろみは圧倒的な力で蹂躙され尽くした後だった。女から目を離さないままそろりと気配を探る、どうやら他に仲間はいないらしい。
未だ嘗てこれほどの力を持つ者を自分は見たことがなかった。ただそこにあるだけで空気が一変する相手なぞ。
メタトロンさま、怯えた声で名を呼ぶ配下達を下げ愛剣を召喚する。音もなくするりと手に馴染む柄、月明かりのような輝きを放つ白銀の刀身。ふ、と小さく息を吐き、柄をきつく握りしめる。
「……随分なご挨拶ですが、一体何の御用でしょう」
切っ先を向け静かに問うと、女の深紅の瞳が興味なさそうに瞬く。先ほどまで酷薄な笑みを浮かべていたというのに、一転氷のように凍てついた眼差し。
「天使共の王は随分とつまらんな、もう少し感情的になるかと思ったのだが」
黒髪を無造作にかき上げながら、寒気さえするような美しい表情をつまらなさそうに歪める。つまらない。くだらない。取るに足らない。さながら玩具を取り上げられた子供のよう。女は息を乱した様子もなく平然とこちらを見下ろしてきている。あまつさえ全くの無傷だ。血の一滴すら浴びていない女の姿が、圧倒的な力の差を物語っている。
「生憎、獣と戯れるほど酔狂ではございませんので」
「言ってくれる」
淡々と返すこちらへ、女悪魔は可笑しそうに笑みを浮かた。
そうして手にした長大な大鎌をばっと前へ突き出し、そのまま優雅な動きで上へと振り上げれば切っ先から無数の刃が放たれる。尋常ではない霊力の乗ったそれは暴れ狂う龍のように再び周囲を穿ち砕いていく。防壁の展開、これ以上の被害を出さない為広範囲に張るものの受ける打撃はあまりに重い。
短く詠唱、魔王の側で幾つかの炸裂弾。が、届かない。分厚い層のような霊力に弾かれるが女の意識が一瞬そちらへとずれる、隙をつくようにして踏み込む。音もなくすべらせる刃、力を乗せて振り抜けば愉快そうな真紅の瞳と視線が絡んだ。しかし刃は厚い層のような霊力に弾かれて届かない、
くしゃりと己の一部短くなった黒髪を握りしめた女の赤い唇がにいと歪んだ。
心底嬉しそうに、恍惚とした表情を浮かべたのだ。
「……そうこなくては」
短く一言。
呟くと再び手にした大鎌を構えた。
「すぐ壊れる玩具に興味はない。天界最高位の天使、天使共の王である熾天使メタトロン……お前なら、私の遊び相手になってくれるだろうッ!?」
叫び声とともに黒い刀身を下から上へと大きく振り上げる、切っ先からの風圧が幾重にも重なり周囲へと降り注ぐ。輝く銀緑の草原、枯れることのない花々を薙ぎ払い、光り輝く大地を抉るように突き刺さる。弧を描くように無数に宙を駆けるそれらがぶつかり、弾け、あらゆるものを破壊する。舞い上がる砂塵。不明瞭になる視界。 こちらへと向かってくる刃を手にした剣ですべて弾き返し悪魔へと間合いを詰める、わずかに見開かれた血のように深い色をした瞳がきらめいて――振り下ろしたこちらの剣先を、するりとかわした。早い。追駆、追撃、こちらの刃をその大鎌で受け流し、弾き、交わす魔王の表情はどこか楽しんでいるかのようですらあった。
金属同士のぶつかる耳障りな音、霊力で生成される無形の力。
火花、光、弾けて消える。互いの攻撃が通らない、複雑に絡み合う術式、霊力を織り上げ展開するも届かない。埒が明かない。そう思ったのはほぼ同時だったのだろう、ぎりぎりと切り結んでいた刃を互いに振り払い間合いを取った。逸らされない赤い瞳、嘲笑うかのように。突き出される女の細い両の手、握られたままの大鎌に話しかけるがごとく紡がれる言葉にぞわりと。肌が粟立つような怖気。
《来たれ闇の眷族我が許へ
愚昧なる口舌の徒よ
悔恨の念を抱きながら果てるがいい》
歌うように、囁くように。
女の言葉によって霊力が集う、空気が変わる。詠唱霊術だ、それも、異常な程の破壊力をもった。
紡がれる音、蠢く霊力、魔王の織り上げる術式は力任せのようでありながら複雑で奇怪な文様を描く。顔色ひとつ変えず彼女の持つ膨大な力を圧縮し、転換し、ただただ、眼前の敵を屠る為の力へと作り変えていく。
常軌を逸脱した熱量を相殺するには相応の力が必要である、口早にこちらも詠唱術を唱える。
《嫣然たる光
我招くは闇を切り裂く神火
光焔よ眼前の邪なる輩を掃滅せよ》
この身に宿る霊力を作り変え組み替え、ただ純粋な武器へと。詠唱は無形である力に名を与え明確なる有形へと作り上げてく過程。工程。吐き出される吐息に力を乗せ、幾重にも重ね絡み合わせ、いまここに邪悪なるものを消滅させるだけの力を。清廉な世界を破壊した悪辣者に厳烈なる裁きを。
《薙ぎ払え!》
高らかに言い放つ女の声に遅れること僅か。
《彼の者を貫け!》
自身の詠唱が続く。
研ぎ澄まされた力、暴力的な霊力で作り上げられた強大な黒い獣が解き放たれる。それを打ち砕くように光が雨のように降り注ぐ。悪魔の術式を抑え込むように出力を上げた自身の霊術、衝突、反発、拮抗。空気が軋むように鳴き、不自然に場が歪む。異変に気付いた時には既に遅く。
――光。
世界が白に飲み込まれる。
轟音と共に爆風が辺りを薙ぎ払った。
何が起こったのか、解らなかった。ただ、自分を呼ぶ臣下達の声だけが耳を掠め――何かに引きずり込まれる感覚。そのまま、意識は闇の中へと呑み込まれていった。
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